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教会歴史における出来事の略年表:1805-1846年


「教会歴史における出来事の略年表:1805-1846年」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』

「年表」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』

教会歴史における出来事の略年表:1805-1846年

1805年ジョセフ・スミスが生まれた。

1820年父なる神とその御子イエス・キリストがジョセフ・スミスに御姿を現された。

1823年天使モロナイが初めてジョセフ・スミスを訪れた。

1827年ジョセフ・スミスは金版を受け取った。

1829年ジョセフ・スミスはモルモン書の翻訳を完成させた。

1829年アロン神権とメルキゼデク神権が回復された。

1830年モルモン書が出版された。

1830年教会が組織された。

1831年オハイオ州カートランドが聖徒たちの集合の地となった。

1831年主はシオンの町を築く場所としてミズーリ州インディペンデンスを定められた。

1833年ミズーリ州ジャクソン郡の聖徒たちが,郡からの退去を余儀なくされた。

1834年ジョセフ・スミスはイスラエルの陣営(シオンの陣営)をオハイオ州からミズーリ州へ導いた。

1835年十二使徒定員会および七十人第一定員会が組織された

1836年カートランド神殿が奉献された。

1836年カートランド神殿にて,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに神権の鍵が委ねられた。

1838年ジョセフ・スミスとその他の教会指導者はミズーリ州ファーウェストへ移った。

1838年ジョセフ・スミスがリバティーの監獄に投獄された。

1839年ミズーリ州の聖徒たちは州からの退去を余儀なくされた。

1839年ジョセフ・スミスはイリノイ州の聖徒たちに加わり,ノーブーを築くために助力した。

1840年ジョセフ・スミスは死者のためのバプテスマについて教え始めた。

1842年扶助協会が組織された。

1842年ジョセフ・スミスはノーブーでエンダウメントの儀式を提示した。

1843年永遠の結婚と多妻結婚に関する啓示(教義と聖約132章)が記録された。

1844年ジョセフ・スミスとハイラム・スミスが暗殺された。

1844年十二使徒定員会が教会の導き手として支持された。

1846年多くの聖徒たちがソルトレーク盆地へ旅立った。

1846年ノーブー神殿が奉献された。