必要に応じて,ジョセフ・スミスとエライアス・ヒグビーは,聖徒たちがミズーリ州で経験したひどい扱いや損失に対する補償を求めるために,1839年11月と12月にマーティン・バン・ビューレン大統領を含む合衆国政府指導者たちに会ったことを生徒たちに思い出させてもよいでしょう。大統領は彼らにこう伝えました。「あなたがたのためにできることは何もない。わたしがあなたがたの肩を持てば,ミズーリ州全体を敵にまわすことになり,次回の選挙で支持してもらえなくなるだろう。」(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 7: September 1839–January 1841, ed. Matthew C.Godfrey and others [2018], 260)次期大統領選挙の1年前である1843年11月に,ジョセフ・スミスは5人の大統領候補者たちに手紙を書きました。「ミズーリ州における損失を取り戻そうとする,聖徒たちの取り組みを支援してくれるかを知るためです。」(『聖徒たち』第1巻,485)3人の候補者たちは返事をくれましたが,聖徒を助けることを約束した人はいませんでした。
「憲法がすべてのアメリカ国民に同じように保障している,宗教上の権利と市民としての権利を享受する特権を,わたしや友人たちが得ていたならば,友人たちがわたしの名前を合衆国の大統領候補者として挙げることを許可することはなかったでしょう。しかしこれらの権利をわたしたちは最初から否定されてきました。わたしたちの宗教のゆえに,雷のとどろきのように,合衆国の一部からの迫害がわたしたちの頭上に幾度も押し寄せてきました。政府はわたしたちを救済する一歩をいまだに踏み出していません。よってわたしは,傷つけられた潔白を守るための影響力と権限を法律にのっとって得ることは,合衆国におけるわたしの権利であり,特権であると感じるのです。」(in The Words of Joseph Smith, comp. and ed. Andrew F.Ehat and Lyndon W.Cook [1991], 320; spelling, capitalization, and punctuation standardized; see also Manuscript History of the Church, vol. E-1, p. 1886, josephsmithpapers.org)
この言葉は,ジョセフ・スミスが大統領候補者となる理由をより理解するうえで,どのように役立ちますか。
今日,教会では「健康や安全を守るために必要がある場合を除き,政府やほかの人々から干渉されることなく宗教を『実践』し,〔自身の〕宗教に従って生きる権利」を指して信教の自由や宗教の自由という言葉を使うことを説明します(“What do we mean when we talk about religious freedom?”Answers to Common Questions, religiousfreedom.churchofjesuschrist.org)。ジョセフ・スミスが大統領候補者として推薦されるおよそ6か月前に,彼は宗教の自由についての自らの考えをまとめた演説をノーブーで行いました。一人の生徒に,預言者ジョセフ・スミスの演説から,次の言葉を声に出して読んでもらいます。
掲載されている絵を見せます。これはジョセフ・スミスが十二使徒定員会の会員たちと会っている様子を描いています。1844年の春,預言者は9人の定員会の会員たちに会い,彼らに特別な責任を与えたことを説明します。(その場にいなかった3人は当時あまり忠実ではなかったのかもしれません。彼らは皆数年以内に背教しました。)(See Alexander L.Baugh and Richard Neitzel Holzapfel, “‘I Roll the Burthen and Responsibility of Leading This Church Off from My Shoulders on to Yours’: The 1844/1845 Declaration of the Quorum of the Twelve Regarding Apostolic Succession,” BYU Studies, vol. 49, no. 3 [2010], 13–14.)