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第2課:ジョセフ・スミスの最初の示現


「第2課:ジョセフ・スミスの最初の示現」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』

「第2課」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』

第2課

ジョセフ・スミスの最初の示現

紹介とタイムライン

少年時代,ジョセフ・スミスは救いを得るには何をする必要があるのか,またどの教会に入るべきかを知るために探し求めました。聖書を読む中で,ジョセフは神に導きを求めるよう霊感を受けます。ジョセフ・スミスが家の近くの森で祈ると,父なる神とイエス・キリストが現れ,語りかけられました。この示現を経験してからというもの,たとえ人々に信じてもらえず,迫害を受けることがあっても,ジョセフ・スミスはそれが真実であるということを証したのです(ジョセフ・スミス—歴史1:27)。

1805年12月23日バーモント州にて,ジョセフ・スミスが誕生。

1816-1817年冬ジョセフ・スミスの家族はニューヨーク州パルマイラに移り住んだ。

1819年1月ごろジョセフ・スミスの家族はニューヨーク州マンチェスターの農場に移り住んだ。

1820年春ジョセフ・スミスが父なる神とその御子イエス・キリストにまみえ,言葉を交わした。

生徒用読書課題

『聖徒たち—末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第1巻「真理の旗」1815-1846年第1-2章

教えるためのアイデア

ジョセフ・スミスは,救いを得るには何をする必要があるのか,またどの教会に入るべきかを知るために探し求めた

ホワイトボードに次の言葉を書きます:言葉の争いと見解の騒動の渦

  • 「言葉の争いと見解の騒動の渦」という言葉を聞くと,どのような考えやイメージが心に浮かびますか。

必要であれば,この言葉は,ジョセフ・スミスが12歳から14歳の間に経験した宗教論争を表したものであるということを説明します(ジョセフ・スミス—歴史1:9-10参照)。

  • 今日,人々が言葉の争いと見解の騒動の渦を引き起こすのにはどのような例がありますか。

  • このような言葉や見解の争いは,真理を見いだし,認識するうえでどのような妨げとなるでしょうか。

ジョセフ・スミスによる真理への探究について学びながら,真理を見いだし,認識するうえで助けとなる原則と教義を生徒に見つけてもらいます。

付属の地図「アメリカ合衆国北東部」を掲示してください。

アメリカ合衆国北東部の地図

ジョセフ・スミスが11歳のとき,スミス一家はバーモント州からニューヨーク州パルマイラに移ったことを説明します。それから1年余りがたったころ,スミス家はパルマイラのすぐ南に位置するマンチェスターに,森林に覆われた100エーカー(40.5ヘクタール)の土地を購入する手配をしました。一家はその土地を農地に整地し,最終的にはそこに丸太小屋を建てます(再建されたスミス家の丸太小屋の写真を掲示してもよいでしょう)。

スミス家の丸太小屋

スミス家が住んでいた地域では,ジョセフの少年時代に「宗教に関する異常な騒ぎ」があったことを説明します(ジョセフ・スミス—歴史1:5)。1832年の歴史に記された預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)の次の言葉を見せ,生徒の一人に読み上げてもらいます。

ジョセフ・スミス

「12歳のころ,自分の不滅の魂のやすらぎはどこにあるのだろうかということに〔わたしは〕深い関心を持った。……

……わたしは世の中のそうした状態について,すなわち不和と争い,悪意,憎悪,人の心を覆っている闇について様々なことを思い巡らしていた。わたしの心はひどく沈んでいった。自分に罪があることを自覚したからだ。……わたしは自分の罪と世の人々の罪を嘆き悲しんでいた。」(Joseph Smith’s Accounts of the First Vision,” Circa Summer 1832 History, josephsmithpapers.org

魂のやすらぎへの関心は,ジョセフがその後2年間,様々な宗派の集会に出席するよう動機付けるものとなったことを説明します。

  • 様々な宗派の主張により,ジョセフの混乱はどのように募っていったのでしょうか。(必要であれば,生徒にジョセフ・スミス—歴史1:5-10を参照させてもよいでしょう。)

  • 『聖徒たち』第1巻第1章を踏まえると,ジョセフが様々な宗派の中で真理を見いだそうしたことは,聖文を通して重要な経験をするに至るまで,ジョセフをどのように導いたでしょうか。

七十人のBH・ロバーツ長老(1857-1933年)の次の言葉を見せ,生徒の一人に読み上げてもらってもよいでしょう。

B・H・ロバーツ

「メソジスト教会のレーン牧師は,『わたしはどの教会に入るべきだろうか』というテーマで説教をしました。彼はヤコブの手紙1:5を引用しました。……

その聖句は〔ジョセフ・スミス〕の心に深い影響を与えました。ジョセフは家に帰るとその聖句を読み,それについて深く考えました。」(B. H. Roberts, A Comprehensive History of the Church, 1:52–53『聖徒たち』第1巻12-13も参照)

生徒を二人一組,あるいは少人数のグループに分けます。ジョセフ・スミス—歴史1:11-16を読み,ジョセフ・スミスの経験から学べる,わたしたちが真理を探究するうえで役立つ原則を見つけてもらいます。見つけたものに印を付けるよう生徒に勧めてください。

生徒たちが11-16節を学び,話し合うのに十分な時間を取ってから,数人の生徒に見つけた原則を発表してもらいます。発表の中で,その原則が真理の探究にどのように役立つかを説明してもらってもよいでしょう。

生徒たちの発表で言及がなければ,(ジョセフ・スミス—歴史1:11に記されているように)ヤコブの手紙1:5で教えられている次の原則について指摘します:神に求めれば,神はわたしたちが求める知恵を与えてくださる。大管長会ヘンリー・B・アイリング管長の次の言葉を見せ,生徒の一人に読み上げてもらいます。

ヘンリー・B・アイリング

「人の判断力や論理では人生で最も重要な質問の答えを導き出せません。神からの啓示が必要なのです。」(ヘンリー・B・アイリング「絶えざる啓示『リアホナ』2014年11月号,70)

  • 神に尋ねることができると知り,啓示による知恵を受けて祝福された経験がありますか。

知恵や啓示を必要とするときは,神に尋ね求めるよう生徒を励まします。

天の御父とその御子イエス・キリストは,ジョセフ・スミスの祈りにこたえて御姿を現された

数人の生徒に,ジョセフ・スミス—歴史1:17-19を順番に読み上げてもらいます。ほかの生徒には,聞きながら,ジョセフ・スミスの祈りがどのようにこたえられたかを見つけてもらいます。

  • 17-19節から,どのような真理が分かりますか。(生徒が見つける真理の例:父なる神とその御子イエス・キリストがジョセフ・スミスに現れ,語られた。ホワイトボードにこの真理を書き出しましょう。)

ホワイトボードに書かれた「言葉の争いと見解の騒動の渦」という言葉に言及します。

  • ジョセフ・スミスの示現によって天の御父とイエス・キリストの現れを受けたという知識は,現代における言葉の争いと見解の騒動の渦から生み出される混乱を克服するうえでどのように役立つでしょうか。

1838年に記された最初の示現の記録と,後に出版されたジョセフ・スミス—歴史に加えて,預言者ジョセフ・スミスは1832年の歴史の中にも別の記録を残しています。また1835年の日記において記録を口述し,1842年にはジョン・ウェントワースという名の新聞編集者に向けた書簡に別の記録を口述しました。また,ジョセフ・スミスと同時代の人々により記された,最初の示現に関するまた聞きの記述も5つ存在します(「福音のテーマ」「最初の示現の記録」の項,topics.churchofjesuschrist.org参照)。

次の言葉を見せ,生徒の一人に読み上げてもらいます。

「強調点や細かな点で自然と相違が生じるものの,最初の示現の様々な記録の話の筋は一貫しています。歴史家は,人はある経験について長年にわたって様々な所でそれぞれ異なる聴衆に,何度も話を繰り返すうちに,同じ経験であっても強調点が異なり,詳細も異なってくることを想定しています。確かに,最初の示現についての様々な記録間の違いと似たような違いが,ダマスコへの途中でパウロが受けた示現や,変貌の山での使徒たちの経験に関する複数の聖文の記録にも存在します。しかしそうした違いがあっても,すべての最初の示現の記録において基本的な一貫性があります。話を繰り返すことにおける違いは,架空の話である証拠だと誤って主張する人もいます。それとは対照的に,あまりよく記録されていなかったときに比べ,豊かな歴史記録により,わたしたちはこの特筆すべき出来事についてさらに学ぶことができます。」(「福音のテーマ」「最初の示現の記録」の項, topics.churchofjesuschrist.org

ジョセフ・スミスが天の御父とイエス・キリストにまみえ,言葉を交わした経験について生徒たちがよく理解できるように,クラスを3つのグループに分け,付属の配付資料「ジョセフ・スミスによる最初の示現のさらなる記録」を一人一人に配ります。資料にある最初の示現の記録の一つについて学ぶよう各グループに割り当て,最初の示現の間に起こったことをよりよく理解するのに役立つ詳細を見つけてもらいます。特に心に残った語句に印を付けるよう勧めてください。

ジョセフ・スミスによる最初の示現のさらなる記録

歴史,1832年夏ごろ

聖なる森

「わたしは主に慈悲を願い求めた。行って恵みが得られる御方はほかにだれ一人いなかったからである。そして主は荒れ野に響くわたしの嘆願を聞かれた。そうして主を呼び求めた15歳のとき,真昼の太陽の輝きにも勝る光の柱が降りて来て,わたしの上にとどまった。わたしは神の御霊に満たされた。そして主はわたしの上に天を開かれ,わたしは主を見た。

主はこう語られた。『わたしの息子ジョセフよ,あなたの罪は赦された。あなたの道を行き,わたしの定めに歩み,わたしの戒めを守りなさい。見よ,わたしは栄光の主である。わたしの名を信じるすべての者が永遠の命を得られるように,わたしは世の人々のために十字架につけられた。見よ,今や世界は罪の中にあり,善を行う者はだれもない。彼らは福音から離れ,わたしの戒めを守らない。彼らは唇をもってわたしに近づくが,その心はわたしから遠く離れている。わたしの怒りは地の民の上に燃え立ち,彼らの邪悪さに応じて,また預言者や使徒たちの口を通して述べられたことを来たらせるために,降りかかろうとしている。見よ,見よ,わたしはすぐに来る。わたしについて書かれてあるとおり,雲の中に,御父の栄光をまとって。』

わたしの心は愛で満たされ,何日もの間,わたしは大きな喜びに包まれた。」

日記,1835年11月9-11日

「わたしは熱烈な祈りをもって主に嘆願した。するとわたしの頭上に火の柱が現れた。それはやがてわたしの上にとどまり,わたしは言葉につくせない喜びで満たされた。一人の御方がその光の柱のただ中に現れた。光は周囲一帯に及んだが,それに焼かれるものは何一つなかった。それからすぐにもう一人の御方が御姿を現されたが,この御方は最初の御方に似ていた。この御方はわたしに,『あなたの罪は赦された』と言われた。またその御方は,イエス・キリストが神の御子であるとわたしに証された。この示現の中でわたしは多くの天使を目にした。」

『教会歴史』1842年3月1日(ウェントワース書簡)

「わたしは人目を避けて森の中に行き,主を呼び求め始めた。必死に嘆願する中,わたしの心は周囲の事物から隔てられ,わたしは天の示現に包まれて,栄光に満ちた二人の御方を見た。御二方は姿形がまったくよく似ており,真昼の太陽にも増して輝く光に包まれていた。御二方はわたしに,すべての教派は誤った教義を信じており,神が御自分の教会と王国として認めているものはないと告げられた。そしてわたしは『それらのどれをも追い求めないように』明確に命じられ,また同時に,将来いつか完全な福音がわたしに知らされるという約束を受けた。」

Joseph Smith’s Accounts of the First Vision,” josephsmithpapers.org

配付資料:ジョセフ・スミスによる最初の示現のさらなる記録

生徒たちが学ぶのに十分な時間を取った後,各グループで見つけたことをクラスで発表してもらいます。

  • これまで検討した様々な記録の詳細な記述は,ジョセフ・スミスの最初の示現における経験をよりよく理解するうえでどのように役立つでしょうか。

  • これらの記録を踏まえると,魂のやすらぎに関心を抱いていたジョセフにとって,救い主のメッセージはどのような助けとなったでしょうか。

生徒に,以下の質問について深く考え,その答えを自分の学習帳に書いてもらってもよいでしょう:

  • あなたは,ジョセフ・スミスが天の御父とイエス・キリストにまみえて言葉を交わしたことについて,どのように知りましたか。

  • 最初の示現に対するあなたの証は,あなたの人生にどのような影響を及ぼしてきましたか。

答えを分かち合ってもよいと感じる生徒がいれば,一人か数人にクラスで分かち合ってもらいます。

ジョセフ・スミスは最初の示現が真実であることを証している

ジョセフ・スミスの住んでいた地域の伝道者たちは,ジョセフが経験した示現について話すと,彼の証を拒絶し,迫害しました(ジョセフ・スミス—歴史1:21-23参照)。

一人の生徒に,ジョセフ・スミス—歴史1:24-25を読んでもらいます。ほかの生徒には,聞きながら,自分の証を人々に信じてもらえないとき,ジョセフ・スミスがどのように反応したかを見つけてもらいます。特に心に残った語句に印を付けるよう勧めましょう。

  • 24-25節の中で,どの言葉が印象深いですか。それはなぜでしょうか。

  • 証に忠実であり続けるジョセフ・スミスの模範から,わたしたちはどのような原則を学ぶことができるでしょうか。(生徒が見つける原則の例:神から受ける知識は,たとえ世界がそれを拒絶しても真実である。わたしたちはそうすることにより,憎まれ,迫害を受けても,自分の証に忠実であることを選ぶことができる。神が与えてくださった証に忠実でなければ,わたしたちは神を悲しませることとなり,また罪ありとされる。

ジョセフ・スミスの時代のように,今日でもジョセフ・スミスの最初の示現に対する証の真実性を批判しようとする人々がいることを指摘します。最初の示現に関するゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)の次の言葉を見せ,生徒の一人に読み上げてもらいます。

ゴードン・B・ヒンクレー

「それから150年以上にわたって,敵や批判家,自称学者たちが,その示現の真実性に誤りがあることを実証しようと骨身を削ってきました。むろん彼らに,示現の真実性が理解できるはずはありません。神のことは神の御霊によらなければ理解できないからです。神の御子が肉体を持って地上を歩まれて以来,この示現に匹敵する偉大な出来事はほかにありません。この示現がなければ,わたしたちの信仰や組織の土台は何もありません。この示現があればこそ,すべてがあるのです。

この示現に反論して多くのことが書かれてきました。これからもたくさん書かれることでしょう。……しかし,この示現が与えられて以来,数え切れないほどの人々が経験した聖なる御霊の証は,それが真実であり,ジョセフ・スミスが述べているように実際に起きたこと……を証しています。」(ゴードン・B・ヒンクレー「信仰の4つの隅石『リアホナ』2004年2月号,5)

  • ジョセフ・スミスの最初の示現が,わたしたちの信仰の「土台」であるのはなぜでしょうか。

  • 最初の示現の証に忠実でいるために,わたしたちは何ができるでしょうか。

今日のレッスンで話し合った真理について証を述べます。これらの真理に従って行動するよう生徒を励ましましょう。

次のレッスンまでに『聖徒たち』第1巻第3-4章を読んでくるように言います。

配付資料:ジョセフ・スミスによる最初の示現のさらなる記録