基本的教義
基本的教義は,セミナリーとインスティテュートの両方のクラスで強調する必要があります。教師は,生徒がこれらの福音の教義を見つけ,理解し,信じ,説明し,応用することができるように助けなければなりません。そうすることで,生徒が証を強め,イエス・キリストの回復された福音に対して正しい理解を深めるように助けることができます。これらの教義を学ぶことは,生徒がもっとよく準備をしてこれらの重要な真理を他の人々に教えるためにも役立つでしょう。
宗教教育セミナリー・インスティテュートで使われている100のマスター聖句のほとんどが,基本的教義に対する生徒の理解を支援するために選ばれました。この資料で挙げられている参照聖句の大部分はマスター聖句です。これらの聖句を使ったのは,マスター聖句と基本的教義との関係を明示するためです。
1.神会
神会は,それぞれ独立した御三方,すなわち,永遠の御父とその御子イエス・キリストと聖霊によって構成されています(ジョセフ・スミス—歴史1:15-20参照)。御父と御子は触れることのできる骨肉の体を持っておられ,聖霊は霊の御方です(教義と聖約130:22-23参照)。御三方は目的と教義において一つであり,天の御父の神聖な救いの計画の遂行において完全に一致しておられます。
父なる神
父なる神は宇宙の至高の統治者であり,わたしたちの霊の父親です(ヘブル12:9参照)。御父は完全であり,一切の権威を持ち,全てのことを御存じです。御父はまた,神として完全な憐れみと思いやりと慈愛を備えておられます。
イエス・キリスト
イエス・キリストは霊における御父の長子であり,肉における御父の独り子です。イエスは旧約聖書のエホバであり,新約聖書のメシヤです。
イエス・キリストは罪のない生涯を送り,全人類の罪のために完全な贖罪を成し遂げられました(アルマ7:11-13参照)。イエスはその生涯を通して,全人類がどのような生活を送るべきかについて完全な模範を示されました(ヨハネ14:6;3ニーファイ12:48参照)。また,この地上で最初に復活された御方でした(1コリント15:20-22参照)。イエス・キリストは力と栄光とをもって再び来られ,福千年の間,地球を統治されます。
全ての祈り,祝福,神権の儀式は,イエス・キリストの御名によって行われます(3ニーファイ18:15,20-21参照)。
関連参照聖句—ヒラマン5:12;教義と聖約19:23;教義と聖約76:22-24
聖霊
聖霊は神会の第三の御方です。聖霊は骨肉の体をお持ちにならない霊の御方です。聖霊はしばしば,御霊,聖なる御霊,神の御霊,主の御霊,慰め主と呼ばれます。
聖霊は,御父と御子について証し,全てのことについて真理を明らかにし,悔い改めてバプテスマを受ける人々を聖められます(モロナイ10:4-5参照)。
関連参照聖句—ガラテヤ5:22-23;教義と聖約8:2-3
2.救いの計画
前世において,天の御父は一つの計画を発表されました。わたしたちが御父のようになり,不死不滅と永遠の命を得られるようにするための計画です(モーセ1:39参照)。聖典の中でこの計画は,救いの計画,偉大な幸福の計画,贖いの計画,憐れみの計画などと呼ばれています。
救いの計画の中には,創造,堕落,イエス・キリストの贖罪,福音の全ての律法,儀式,教義が含まれます。道徳的な選択の自由,すなわち,自分自身で選択し行動する能力も,天の御父の計画に欠かせないものです(2ニーファイ2:27参照)。この計画のおかげで,わたしたちは贖罪によって完全になり,満ちみちる喜びを受け,神のもとで永遠に住むことができます(3ニーファイ12:48参照)。家族関係は,永遠に存続させることができます。
関連参照聖句—ヨハネ17:3;教義と聖約58:27
前世
わたしたちはこの地上に生まれる前,天の御父の霊の子供として御父のもとに住んでいました(アブラハム3:22-23参照)。前世でわたしたちは,天の御父の他の霊の子供たちと一緒に,ある会議に参加しました。その会議で,天の御父は御自分の計画を示され,前世のイエス・キリストは救い主になることを聖約されました。
わたしたちは選択の自由を使って,天の御父の計画に従いました。わたしたちはさらに進歩できる地上に来る準備をしました。
天の御父とイエス・キリストに従った者は,死すべき状態を経験し,永遠の命を目指して進歩するために,地上へ来ることを許されました。神の霊の息子の一人であるルシフェルは,その計画に反対しました。ルシフェルはサタンとなり,彼と彼に従った者たちは天から追放され,肉体を得る特権と死すべき状態を経験する特権を与えられませんでした。
創造
イエス・キリストは御父の指示の下で,天と地を創造されました。地球は無から創造されたのではなく,既に存在する物質から組織されました。イエス・キリストは無数の世界を創造されました(教義と聖約76:22-24参照)。
地球の創造は神の計画にとって不可欠でした。わたしたちは肉体を得て,試され,神聖な特質を伸ばすことのできる場所が与えられたのです。
わたしたちは知恵と思慮分別と感謝をもって地球の資源を使わなければなりません(教義と聖約78:19参照)。
アダムは地上で創造された最初の人でした。神はアダムとエバを御自分の形に創造されました。男性も女性も,人は皆,神の形に創造されています(創世1:26-27参照)。
堕落
エデンの園で,神はアダムとエバに善悪を知る木の実を食べてはならないとお命じになりました。その実を食べると,霊の死と肉体の死がもたらされるからです。霊の死とは神から離れることです。肉体の死とは霊が肉体から離れることです。アダムとエバは,神の命令に背いたために,神の前から追い出され,死すべき状態となりました。アダムとエバが背き,その結果,霊の死と肉体の死を含む変化がもたらされたことを堕落と呼びます。
堕落の結果,アダムとエバとその子孫は喜びと悲しみを味わい,善悪を知り,子供をもうけることができるようになりました(2ニーファイ2:25参照)。アダムとエバの子孫であるわたしたちは,死すべき世にいる間,堕落の状態を受け継いでいます。わたしたちは主の前から絶たれており,肉体の死を受けます。また,人生の苦難やサタンの誘惑による試しも受けます(モーサヤ3:19参照)。
堕落は天の御父の救いの計画に必須の部分です。堕落には二つの面,すなわち,マイナスの面とプラスの面があります。肉体と霊の死を招くというマイナスの面と,地上に生まれ,学び,進歩するための機会を与えるというプラスの面があるのです。
死すべき生涯
死すべき生涯は学びの時期であり,永遠の命を得るための準備を行い,選択の自由を使って主から命じられたことを全て行うかどうかを証明する時です。この死すべき生涯の間に,わたしたちは他の人々を愛し,仕えなければなりません(モーサヤ2:17;モロナイ7:45,47-48参照)。
死すべき状態で,わたしたちの霊は肉体と結合し,前世ではできなかった方法で進歩成長する機会が与えられます。わたしたちの体は救いの計画の大切な部分であり,天の御父からの賜物として尊ばなければなりません(1コリント6:19-20参照)。
関連参照聖句—ヨシュア24:15;マタイ22:36-39;2ニーファイ28:7-9;アルマ41:10;教義と聖約58:27
死後の生活
わたしたちが死ぬと,わたしたちの霊は霊界に入り,復活を待ちます。義人の霊はパラダイスと呼ばれる幸福な状態に迎え入れられます。忠実な人の多くは,霊の獄にいる人々に福音を宣べ伝えます。
霊の獄は,真理を知らずに死んだ者と,死すべき状態で不従順であった者が死後一時的にとどまる場所です。ここで霊たちは福音を教えられ,悔い改めて,神殿で彼らのために行われる救いの儀式を受け入れる機会が与えられます(1ペテロ4:6参照)。福音を受け入れる者は復活するまでパラダイスに住みます。
復活とは,わたしたちの霊の体が完全になった骨肉の体と再結合することです(ルカ24:36-39参照)。復活後,霊と肉体は決して再び分離することがなく,わたしたちは不死不滅の状態になります。イエス・キリストが死に打ち勝たれたので,地上に生を受けた人は全て復活します(1コリント15:20-22参照)。義人は悪人よりも先に復活し,第一の復活の時に出て来ます。
最後の裁きは復活の後に行われます。各人が受ける永遠の栄光を決めるために,イエス・キリストがそれぞれの人を裁かれます。この裁きは,神の戒めに対する各人の従順さに基づいて行われます(黙示20:12;モーサヤ4:30参照)。
栄光の王国は3つあります(1コリント15:40-42参照)。3つの栄光の王国の中で最高の王国は日の栄えの王国です。イエスの証に雄々しく,福音の原則に従順な人々は,父なる神と御子イエス・キリストのもとで日の栄えの王国に住みます(教義と聖約131:1-4参照)。
3つの栄光の王国の2番目は,月の栄えの王国です。この王国に住む者は,世の高潔な男女でありながら,イエスの証に雄々しくなかった人々です。
星の栄えの王国は,3つの栄光の王国の中で最も低い王国です。この王国を受け継ぐ者は,死すべき生涯において善よりも悪を選んだ人々です。これらの人々は,霊の獄から贖われた後に彼らの栄光を受けます。
3.イエス・キリストの贖罪
贖うとは,罪に対する罰を引き受けることであり,それによって悔い改めた罪人から罪の結果を取り除き,神と和解できるようにすることです。イエス・キリストは全人類のために完全な贖罪をなし得る唯一の御方でした。イエス・キリストの贖罪には,ゲツセマネの園で全人類の罪のために苦しまれたこと,御自身の血を流されたこと,十字架上での苦しみと死,また墓からの復活が含まれます(ルカ24:36-39;教義と聖約19:16-19参照)。救い主が贖罪を行うことができたのは,御自身が罪のない御方であり,死に打ち勝つ力を持っておられたからです。イエス・キリストは,死すべき状態の母親から死ぬ力を受け継ぎ,不死不滅の御父から再び生き返る力を受け継がれたのです。
救い主の贖いの犠牲によってもたらされた恵みにより,全ての人は復活し,不死不滅を受けます。また,イエス・キリストの贖罪によって,わたしたちは永遠の命も得ることができます(モロナイ7:41参照)。この賜物を得るために,わたしたちはイエス・キリストの福音に従った生活をしなければなりません。イエス・キリストの福音には,イエス・キリストを信じる信仰を持つこと,罪を悔い改めること,バプテスマを受けること,聖霊の賜物を受けること,そして最後まで忠実に堪え忍ぶことが含まれます(ヨハネ3:5参照)
贖罪の一部として,イエス・キリストはわたしたちの罪のために苦しまれただけでなく,全ての人の苦痛と病気と弱さをその身に受けられました(アルマ7:11-13参照)。イエス・キリストは,御自身で経験されたので,わたしたちの苦しみを理解しておられます。イエス・キリストの恵み,すなわち能力を授ける力は,わたしたちに,重荷に耐える強さを得させ,自分たちの力だけでは成し遂げられない務めさえ達成できるようにさせる強さを与えます(マタイ11:28-30;ピリピ4:13;エテル12:27参照)。
イエス・キリストを信じる信仰
信仰とは「まだ見ていない真実のことを待ち望む」ことです(アルマ32:21。エテル12:6も参照)。信仰は神から与えられる賜物です。
人を救いへ導く信仰は,イエス・キリストを中心としたものでなければなりません。イエス・キリストを信じる信仰を持つとは,イエス・キリストに完全により頼み,イエス・キリストの無限の贖罪と力と愛を信頼するということです。それには,主の教えを信じること,たとえ自分は全てを理解していなくても,イエス・キリストは全てを御存じであると信じることが含まれます(箴言3:5-6;教義と聖約6:36参照)。
信仰とは,言われるままにただ信じるのではなく,自分の生き方によって示すものです(ヤコブの手紙2:17-18参照)。信仰は,祈り,聖文を研究し,神の戒めに従うことで強めることができます。
末日聖徒は,父なる神,聖霊,神権の力,そして回復された福音のその他の重要な事柄に対しても信仰を持っています。信仰は,わたしたちが霊的にも肉体的にも癒やしを受け,また力強く進み,苦難に立ち向かい,誘惑に打ち勝つ強さを得るのに助けとなります(2ニーファイ31:19-20参照)。主は,わたしたちの信仰に応じて,わたしたちの生活の中で大きな奇跡を行ってくださいます。
イエス・キリストを信じる信仰により,人は罪の赦しを受け,ついには神のもとに住むことができるようになります。
悔い改め
悔い改めとは思いと心の変化です。悔い改めは,神や自分自身や世界に対する新しい見方を得させてくれます。悔い改めには,罪を捨て,赦しを求めて神に立ち返ることが含まれます。悔い改めは,神に対する愛と,神の戒めに従いたいという心からの願いに動機づけられるものです。
わたしたちは罪を犯すことによって汚れます。汚れた者は,天の御父のみもとに帰って住むのにふさわしくありません。しかし,イエス・キリストの贖罪によって,天の御父はわたしたちの罪が赦される唯一の道を備えてくださいました(イザヤ1:18参照)。
悔い改めには,罪を犯したことを悲しみ,天の御父に告白し,また必要な場合他の人々に告白し,罪を捨て,罪によって損なわれた全てのものを可能な限り回復するように努め,神の戒めに従って生活することが含まれます(教義と聖約58:42-43参照)。
関連参照聖句—イザヤ53:3-5;ヨハネ14:6;2ニーファイ25:23,26;教義と聖約18:10-11;教義と聖約19:23;教義と聖約76:40-41
4.神権時代,背教,回復
神権時代
神権時代とは,主の福音の教義,儀式,神権を主が啓示される時代のことです。神権時代は,主から権能を受けた僕が少なくとも一人地上に置かれます。彼は聖なる神権を保有し,福音を宣べ伝え,福音の儀式を執行する神聖な任務を果たします。現在,わたしたちは最後の神権時代,すなわち,ジョセフ・スミスに福音が啓示されたときに始まった時満ちる神権時代に生きています。
それ以前には,アダム,エノク,ノア,アブラハム,モーセ,イエス・キリストの神権時代がありました。さらに,ニーファイ人やヤレド人の間にあった神権時代など,その他にも神権時代がありました。どの神権時代にも,救いの計画とイエス・キリストの福音が啓示され,教えられました。
背教
人々が福音の原則から離れ,神権の鍵がないときの状態を背教と呼びます。
世界の歴史を通じて,社会全体が背教する時代が何度もありました。その一例は,救い主が御自分の教会を設けられた後に起きた大背教です(2テサロニケ2:1-3参照)。救い主の使徒たちの死後,福音の原則はゆがめられ,権能のないまま教会の組織と神権の儀式が変えられました。この邪悪な行いが広まったために,主は地上から神権の権能と鍵を取り去ってしまわれました。
大背教の間,人々には生ける預言者からの神聖な導きがありませんでした。多くの教会が設立されましたが,どの教会にも権能がなく,聖霊の賜物を授けることや,その他の神権の儀式を執行することができませんでした。聖書の一部が改悪されたり失われたりして,人々はもはや神について正しく理解することができなくなっていました。
この背教は,天の御父と愛する御子がジョセフ・スミスに御姿を現し,完全な福音を回復されるまで続きました。
回復
回復とは,神が地上の神の子供たちの間に福音の真理と儀式を再び確立されたことを指します(使徒3:19-21参照)。
回復に備え,主は宗教改革と呼ばれる時代に,高潔な人々をお立てになりました。彼らは宗教上の教義や慣行,組織を,救い主が確立された方法に戻そうと試みました。しかし,彼らには神権も完全な福音もありませんでした。
回復は,父なる神と御子イエス・キリストがジョセフ・スミスの祈りにこたえて御姿を現された1820年に始まりました(ジョセフ・スミス—歴史1:15-20参照)。回復の主な出来事として,モルモン書の翻訳,アロン神権とメルキゼデク神権の回復,1830年4月6日の教会の組織などが挙げられます。
アロン神権は,1829年5月15日,バプテスマのヨハネによりジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに回復されました。また,メルキゼデク神権と王国の鍵も1829年に,使徒であるペテロ,ヤコブ,ヨハネによりジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに回復されました。
完全な福音が回復され,末日聖徒イエス・キリスト教会は「全地の面における唯一まことの生ける教会」となりました(教義と聖約1:30)。この教会はついには全世界に満ち,永遠に続きます。
5.預言者と啓示
預言者は,神に代わって語るために神から召された人です(アモス3:7参照)。預言者はイエス・キリストについて証し,イエス・キリストの福音を教えます。神の御心と神の真の属性について知らせます。罪を非難し,罪の結果を警告します。時には,将来の出来事を預言します(教義と聖約1:37-38参照)。聖典には預言者の多くの教えが記されています。わたしたちは預言者の言葉を研究するとき,真理を学び,導きを受けることができます(2ニーファイ32:3参照)。
わたしたちは教会の大管長を預言者,聖見者,啓示者として,また教会全体を導くために啓示を受ける地上で唯一の人として支持しています。また,大管長会の顧問と十二使徒定員会会員も,預言者,聖見者,啓示者として支持しています。
啓示とは,神がその子供たちに御心を伝えられることです。主は教会に御心を啓示されるとき,主は主の預言者を通して語られます。聖典,すなわち聖書とモルモン書,教義と聖約,高価な真珠には,古代と末日の預言者たちを通して与えられた啓示が記されています。末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長は,今日の地上における神の預言者です。
人は個人的に,特別に必要な事柄,責任,また疑問について助けとなる啓示と,証を強めるのに助けとなる啓示を受けることができます。指導者と教会員に与えられる啓示のほとんどは,聖霊からの印象や思いとして与えられます。聖霊は静かな細い声でわたしたちの思いと心に語りかけられます(教義と聖約8:2-3参照)。また啓示は,示現,夢,天使の訪れによって与えられることもあります。
関連参照聖句—詩篇119:105;エペソ4:11-14;2テモテ3:15-17;ヤコブの手紙1:5-6;モロナイ10:4-5
6.神権と神権の鍵
神権は,神の永遠の力と権能です。神権によって神は天地を創造し,統治しておられます。この力によって,神は「人の不死不滅と永遠の命をもたらす」(モーセ1:39)ために,神の子供たちを贖い,昇栄させられます。
神の子供たちの救いのために,神の御名によって行動できるように,神は神権の権能を教会のふさわしい男性にお与えになります。神権の鍵は長の職に伴う権利,すなわち地上における神の王国を管理し指導するために神から人に授けられる力です(マタイ16:15-19参照)。これらの鍵によって,神権者は福音を宣べ伝え,救いの儀式を執行する権限を与えられます。教会で奉仕する人は皆,神権の鍵を持っている人の指示により召されます。したがって,彼らは,奉仕し,召しに伴う責任を果たすために必要な権限を行使する資格があると認められます。
関連参照聖句—教義と聖約121:36,41-42
アロン神権
アロン神権は,しばしば備えの神権と呼ばれます。アロン神権には,執事,教師,祭司,ビショップの職があります。今日の教会では,ふさわしい男性会員は,12歳でアロン神権を受けることができます。
アロン神権は,「天使の働きの鍵と,悔い改めの福音の鍵と,……バプテスマの鍵を持〔ち〕」ます(教義と聖約13:1)。
メルキゼデク神権
メルキゼデク神権は,より位の高い,より偉大な神権であり,霊的な事柄をつかさどります(教義と聖約107:8参照)。この大神権はアダムに授けられ,主が福音を明らかにされたときにはいつでも地上にありました。
この神権は最初,「神の御子の位に従う聖なる神権」と呼ばれていました(教義と聖約107:3)。しかし後に,預言者アブラハムの時代に生きていた偉大な大祭司の名を取って,メルキゼデク神権として知られるようになりました。
メルキゼデク神権には,長老,大祭司,祝福師,七十人,使徒の職があります。メルキゼデク神権の長は教会の大管長です。
7.儀式と聖約
儀式
末日聖徒イエス・キリスト教会において,儀式は霊的な意味を持つ,神聖で正式な行為です。それぞれの儀式は,霊的な真理を教えるために神が定められたものです。救いの儀式は,神権の鍵を持つ者の指示の下で,神権の権能によって執行されます。幾つかの儀式は昇栄に不可欠であるため,救いの儀式と呼ばれています。
福音における最初の救いの儀式は,権能を持つ者によって水に沈められるバプテスマです。バプテスマは,人が教会の会員となり,また日の栄えの王国に入るために必要です(ヨハネ3:5参照)。
「バプテスマ」という言葉は,浸す,または沈めるという意味のギリシャ語に由来します。水に沈めることは,人が罪のある生活に終止符を打ち,霊的に生まれ変わって神と神の子供たちへの奉仕に献身しながら生活することを象徴しています。また,それは死と復活の象徴でもあります。
人がバプテスマを受けると,一人または複数のメルキゼデク神権者がその人の頭の上に手を置き,教会の会員として確認します。確認の儀式と呼ばれるこの儀式の中で,その人に聖霊の賜物が授けられます。
聖霊の賜物は聖霊の影響力とは異なります。人はバプテスマを受ける前に,時折聖霊の影響力を感じることがあります。そして,その影響力を通して真理についての証を得ることができます(モロナイ10:4-5参照)。聖霊の賜物を受けた人には,戒めを守るかぎり聖霊を常に伴侶とすることができる権利が与えられます。
その他の救いの儀式として,メルキゼデク神権への聖任(男性の場合),神殿のエンダウメント,結婚の結び固めなどがあります(教義と聖約131:1-4参照)。全ての神権の救いの儀式には聖約が伴います。神殿では,これらの救いの儀式を死者のためにも代理で執行することができます。代理の儀式は,その死者が霊界でその儀式を受け入れ,関連した聖約を尊ぶときにのみ有効となります。
その他に,病人への癒やしの祝福,子供の命名と祝福など,わたしたちの霊的な進歩にとって重要な儀式があります。
聖約
聖約とは,神と人との間で交わされる神聖な合意です。神は聖約に伴う条件を定め,わたしたちは神から求められることを行うと同意します。その後に神は,わたしたちの従順さに応じて祝福を与えると約束されます(教義と聖約82:10参照)。
全ての神権の救いの儀式には聖約が伴います。わたしたちはバプテスマのときに主と聖約を交わし,聖餐を受けるときにその聖約を更新します。メルキゼデク神権を受ける兄弟たちは,神権の誓詞と聖約を交わします。わたしたちは神殿でさらなる聖約を交わします。
関連参照聖句—出エジプト19:5-6;詩篇24:3-4;2ニーファイ31:19-20;教義と聖約25:13
8.結婚と家族
男女の間の結婚は神によって定められたものであり,家族は神の救いの計画とわたしたちの幸福の中心を成すものです。家庭生活における幸福は,主イエス・キリストの教えに基づいた生活を送るときに達成されることでしょう。
生殖の神聖な力は,法律に基づいて結婚した夫婦である男女の間においてのみ用いるべきです。両親は,子供をもうけ,地を満たし,愛と義をもって子供たちを育て,子供たちに物質的にも霊的にも必要なものを与えなければなりません。
夫婦は,互いに愛と関心を示し合うという厳粛な責任を負っています。父親は愛と義をもって自分の家族を管理し,生活必需品を提供しなければなりません。母親には,子供を養い育てるという主要な責任があります。これらの神聖な責任において,父親と母親は対等のパートナーとして互いに助け合うという義務を負っています。
神の幸福の計画は,家族関係が墓を超えて続くことを可能にしています。地球が創造され,福音が啓示されたのは,家族が組織され,結び固められ,永遠に昇栄できるようにするためです。(出典—「家族—世界への宣言」『リアホナ』2010年11月号,129;LDS.org/topics/family-proclamationも参照。)
関連参照聖句—創世2:24;詩篇127:3;マラキ4:5-6;教義と聖約131:1-4
9.戒め
戒めとは,神が人類に与えられる律法と要求です。わたしたちは神の戒めを守ることにより,神を愛していることを証明します(ヨハネ14:15参照)。戒めを守れば,主から祝福がもたらされます(教義と聖約82:10参照)。
最も基本的な二つの戒めは,「心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ」,と「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」です(マタイ22:36-39)。
十戒は,福音においてきわめて重要であり,昇栄するために必要な永遠の原則です(出エジプト20:3-17参照)。主は古代においてモーセに十戒を啓示され,末日の啓示の中で再び十戒について述べておられます。
他にも,毎日祈ること(2ニーファイ32:8-9参照),他の人々に福音を教えること(マタイ28:19-20参照),純潔の律法を守ること(教義と聖約46:33参照),什分の一を完全に納めること(マラキ3:8-10参照),断食すること(イザヤ58:6-7参照),他の人々を赦すこと(教義と聖約64:9-11参照),感謝の念を持つこと(教義と聖約78:19参照),知恵の言葉を守ること(教義と聖約89:18-21参照)などの戒めがあります。
関連参照聖句—創世39:9;イザヤ58:13-14;1ニーファイ3:7;モーサヤ4:30;アルマ37:35;アルマ39:9;教義と聖約18:15-16;教義と聖約88:124
以上のテーマの詳細については,LDS.orgの「教え」の部の「福音のテーマ」の項,または『真理を守る—福音の参考資料』を参照してください。