単元25—第3日
ピリピ1-3章
はじめに
使徒パウロはピリピの聖徒たちに,イエス・キリストの福音に従って生活することにおいて力を合わせるよう勧めました。パウロは彼らに謙遜と無私の心という救い主の模範に従うよう勧告し,神は救いをもたらすために彼らの内で働かれていると教えました。パウロはイエス・キリストに従うために払った犠牲について説明しました。
ピリピ1章
パウロ,逆境からもたらされる祝福について説明する
あなたなら,ブリガム・ヤング大管長の次の言葉の空白をどのような言葉を使って埋めるでしょうか。
「『モルモニズム』を蹴る人はそのたびに,蹴ることによって,___________________いるのであって,___________________いるのではないのです。全能の主はそのように命じられました。」(『歴代大管長の教え—ブリガム・ヤング』290-291)
(答えはこのレッスンの最後に分かります。)
過去の歴史や現代の生活の中で,救い主の教会とそれに従う者たちに敵対や妨害する例にはどのようなものがあるでしょうか。
ピリピ1章を研究しながら,逆境が主の業にどのように影響を与えるか理解するのを助ける真理を見つけてください。
使徒パウロの伝道の旅を示す添付地図で,ピリピの場所を見つけてください。
パウロは,2回目の伝道の旅の間にピリピで教会の支部を設けました(使徒16章参照)。パウロは後に,おそらくローマで投獄されているときにピリピ人への書簡(手紙)を書きました。ピリピ1:1-11には,パウロがピリピの聖徒たちに対する感謝と愛を表したことが記されています。
ピリピ1:12-14を読み,パウロが伝道活動中に経験した逆境からどのような結果が生まれたかを見つけてください。
これらの聖句で説明されているように,パウロが経験した逆境は「福音の前進に役立つ」ようになりました(ピリピ1:12)。「兵営」つまり軍司令部全体の人々は,パウロがイエス・キリストについて宣べ伝えたことによって投獄されたことを知っていました。パウロの投獄はまた,他の教会員たちが福音を宣べ伝えることにますます勇敢になるよう鼓舞しました。
ピリピ1:12-14から,わたしたちがイエス・キリストに従うときに経験する逆境は,御業を進めるために役立つことが分かります。
ヤング大管長の言葉の空白を,「高い所へ押し上げて」(この文脈では前進させるという意味)および「蹴落として」という言葉で埋めてください。
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自分がブログまたは新聞の筆者だと想像してください。聖典学習帳に,救い主の業を前進させる助けとなった実際の逆境についての見出しを2つか3つ書いてください。これらの話は聖典からのものでも,あなたの知人たちの生活からのものでも構いません。(次に挙げるのは,見出しの一例です。「伝道の業に対する抗議,地元の宣教師から福音のメッセージを学ぶことに人々の関心を高めるのに役立つ。」)
ピリピ1:15-26に記録されているとおり,パウロは自分の身に何が起ころうと救い主をあがめると教えました。
ピリピ1:27-30を読み,パウロがピリピの聖徒たちに福音のために行うよう促したことを見つけてください。(27節の「生活しなさい」という言葉は,振る舞いを指していることに留意してください。
ジョセフ・スミス訳ピリピ1:28では,「かつ,何ごとについても,敵対する者ども,すなわち福音を拒む者どもにろうばいさせられないでいる様子を聞かせてほしい。このことは,彼らには滅びをもたらすが,福音を受け入れるあなたがたには救いであって,それは神から来るのである」となっています。
ピリピ1:27-30で,教会員は救い主のためにどのようなことを経験すると記されているかに注目してください。ピリピの聖徒たちは,イエス・キリストに従うことで経験する逆境が主の御業を進める助けとなると覚えておくことによって,どのように祝福されたのかについてよく考えてください。
ピリピ2章
パウロ,救い主が自らを低くされたことを教え,救いについて聖徒たちを指導する
ピリピ2:2-4を読み,ピリピの聖徒たちに対する使徒パウロの勧告を見つけてください。3節にある「虚栄」という言葉はうぬぼれを意味し,「へりくだった心」は謙遜を指しています。
ピリピ2:5-9を読み,イエス・キリストの謙遜さや無私の心を表す言葉や語句に印をつけたりメモをしたりするとよいでしょう。
これらの聖句にあるパウロの教えから,次の原則を学ぶことができます—謙遜さや無私の心で他の人々を思いやるイエス・キリストの模範に従うなら,わたしたちはさらに一致することができる。
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聖典学習帳に次の質問の答えを書いてください。
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家庭,学校,ワードや支部で,謙遜さや無私の心について救い主の模範に従うには,どのような方法があるでしょうか。
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自分よりも他の人々の必要について考えている人々を見たのは,どのようなときでしたか。これらの努力はどのように一致を強めるでしょうか。
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ピリピ2:9-11に記録されているとおり,パウロは,最終的に「あらゆるものがひざをかがめ」「あらゆる舌が,『イエス・キリストは主である』と告白」すると教えました。時間を取ってそのときのようすを心に思い浮かべ,この経験があなたにとってどのようなものになることを望むか考えてください。
ピリピ2:12-13を読み,主を拝する経験が喜びとなるために,パウロがピリピ人に行うよう勧告した事柄を見つけてください。12節の「恐れおののいて」という語句は,畏敬の念を持ち,喜ぶことを指しています(詩篇2:11;『聖句ガイド』「畏れ;恐れ」,scriptures.lds.org参照)。
ある人々は,「自分の救の達成に努めなさい」(ピリピ2:12)というパウロの指示を,わたしたちが自分自身の働きにより救われるという意味であると誤解しています。わたしたちはイエス・キリストの贖罪によってのみ救われるのです。しかしながら,わたしたちは,神が与えてくださった,救いのための要件を満たさなければなりません(信仰箇条1:3-4参照)。ピリピ2:13に記録されているとおり,神は救いに対する「願いを起〔こす〕」すなわち望みを持たせることと,「神のよしとされるところ」すなわち神の戒めに従うよう助けることによって,救いのための要件を満たそうとする人々をお助けになるとパウロは教えました。
ピリピ2:12-13から,神は,イエス・キリストの贖罪を通して可能となる救いのために必要なことをわたしたちが願い,それを行えるよう助けてくださることが分かります。この真理を自分の聖典に書くとよいでしょう。
聖霊の影響を通して,わたしたちが神に従う望みを持てるよう,神はわたしたちの願いを変え,清める助けをしてくださいます(モーサヤ5:2参照)。神に従う望みを持てるよう,神があなたの心を変えてくださったと感じたのはどのようなときでしたか。神の戒めをさらに忠実に守れるよう,神はどのようにあなたを助けてくださいましたか。
ピリピ2:14-30に記録されているとおり,パウロは聖徒たちに,彼らは「この世に輝いている」(ピリピ2:15)ことを思い出させ,彼らの幸せな状態を知るために使者を送ることを告げました。
ピリピ3章
パウロ,イエス・キリストに従うために払った犠牲について説明する
あなたが価値があると思っているもので,世の中でも貴重だと考えられているもの(例えば,家族,友人,教育,食べ物,科学技術,お金など)は何でしょうか。
どのようなもののためなら,あなたはこの価値あるものを喜んで犠牲にするでしょうか。
ピリピ3章を研究しながら,わたしたちも手に入れることができる賞与を得るためにパウロが何を犠牲にしたかを見つけてください。
ピリピ3:1-2に記録されているとおり,パウロは,教会への改宗には割礼(「肉に割礼の傷をつけている人」)を含む特定のユダヤ人の慣習に従うべきだと主張する腐敗した教師たち(「犬ども」)について,ピリピの教会員に警告しました。ピリピ3:3で,パウロは「神の霊によって礼拝をし,キリスト・イエスを誇とし」ている人々こそ「割礼の者」すなわち神の聖約の民であると教えました。
ピリピ3:4-6を読み,パウロが自身のユダヤ人の伝統についてどのように言ったかを見つけてください。
パウロがかつて所有していたユダヤ人社会における社会的,宗教的優越性に留意してください。パウロは,イスラエルの血統であり,パリサイ人で,ユダヤ教に熱心で,ユダヤ人の律法を厳密に守っていました。
ピリピ3:7-11を読み,パウロがユダヤ人社会でかつて持っていた優越性についてどのように見なしていたかを示す言葉や語句に,印をつけたりメモをしたりするとよいでしょう。
パウロは自ら進んで「すべてを失った」(ピリピ3:8)のですが,それはイエス・キリストを知るため;「キリストのうちに自分を見いだすようになるため」(ピリピ3:9),つまり主と聖約を交わす関係にあるため,主を信じる信仰によって義とされるため,主のために苦難にあずかるため,正しい人,つまり「義人のうちからの復活」に達するためでした(ジョセフ・スミス訳,ピリピ3:11)。
ピリピ3:12-14を読み,パウロは自分の霊的な進歩についてどのように認識していたかを見つけてください。この文脈における「捕え〔る〕」という言葉は,手に入れるという意味であることに留意してください。
自分が捨ててきたものに注目するのではなく,パウロは「上に召して下さる神の賞与」(ピリピ3:14),すなわち永遠の命を得るために前進し続けました。パウロの模範から学べることに基づいて,次の原則を完成させます—もしわたしたちが,ならば,主を知り,永遠の命を得ることができる。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,高度な訓練のために他の国から合衆国に来ており,その滞在中に教会に加わった海軍士官に会ったことについて次のように語っています。その青年がイエス・キリストに従うために喜んで犠牲にしたものについてよく考えてください。
「わたしが彼を知ったのは,彼が祖国に帰る直前のことです。……わたしはこう言いました。『故国の人々はキリスト教徒ではありませんね。キリスト教徒として,特にモルモン教徒として帰国されることで,何か支障はありませんか。』
彼は顔を曇らせ,こう語りました。『家族はがっかりするでしょう。家から追い出し,わたしを死んだものとみなすかもしれません。仕事のうえでも将来的にあらゆる機会から見放されると思います。』
わたしはこう尋ねました。『福音のためにそれほど大きな代価を,喜んで払うおつもりですか。』
すると,黒い瞳に涙を浮かべたこの青年は,整った褐色の顔をさっと輝かせ,こう言いました。『福音は真実です,違いますか。』
わたしはこのような質問をしたことを心に恥じながら答えました。『そのとおりです。確かに真実です。』
『それなら,他のことを気にする必要はないわけですね』という言葉が返ってきました。」(「福音は真実です,違いますか」『リアホナ』1993年10月号,4参照)
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聖典学習帳に次の質問の答えを書いてください。
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あなた(またはあなたの知人)は,救い主に従うために何を犠牲にしましたか。
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イエス・キリストを知り,永遠の命に向かって進むという価値ある行動は,なぜあなたが払った犠牲に値する価値があるのでしょうか。
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さらに完全にイエス・キリストに従うために犠牲にする必要がある事柄はないかどうか,深く考えてください。別の紙に,この事柄を諦めるための目標を書き留めてください。これからの数週間,その紙をよく目につく所に置きます。その後,聖典学習帳に「課題4を終了した」と書いてください。
ピリピ3:15-21には,この世の快楽にのみ焦点を当てている人々を待っている滅びについてのパウロの警告が記されています。パウロはまた,イエス・キリストはわたしたちの不完全な体を,主のような不死不滅の体に変えてくださることも教えました。