第34課
「わたしは正義……をもってちぎりを結ぶ」
目 的
主は愛に満ちた
準 備
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祈りをもって,以下の聖句を研究する。
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そのほかの読書課題:ホセア書の残り。
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「導入」の活動を行うならば,下記の言葉をそれぞれ別の紙に書いておく。クラスが小人数であれば,各生徒に1枚ずつ紙を用意する。
レッスンの展開
導 入
レッスンの導入部に以下の活動を取り入れてもよい(自分で考えた活動でもよい)。
用意しておいた紙を生徒に配る(「準備」の項を参照)。これらの言葉はそれぞれホセア書から取った
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ホセアやほかの預言者たちはなぜ比喩を使ったと思いますか。(複雑な,あるいはよく分からない概念をもっと簡潔な,あるいはもっと分かりやすいものにたとえることにより,教える相手がもっと理解できるようにする。比喩はほんのわずかな言葉で多くの詳細なことを伝える助けとなる。)
ホセアは,これらのちょっとした比喩のほかに,
聖句を使った話し合いと応用
以下の聖句について教えるときには,日々の生活にどう応用するか話し合う。聖句に述べられている原則に関する経験を分かち合うよう,生徒に勧める。
1.ホセアは,高潔な夫と姦淫を犯した妻の直喩を用いて,主とイスラエルとの関係を述べている
ホセア1-3章について教え,話し合う。「導入」の活動を行わなければ,話し合いを始める前に,直喩とは何かを説明する。
聖典の中で最も頻繁に用いられる直喩の一つは,主を花婿(または夫)として,また聖約の民を花嫁(または妻)として述べているものである。ホセア1-3章では,この直喩が力強く用いられており,イスラエルの偶像礼拝が姦淫にたとえられている。これらの章で,預言者ホセアは,夫として主を象徴する者であり,ゴメルは妻としてイスラエルを象徴する者である。
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ホセア書の中で,主とイスラエル(または,
今日 の教会)との関係は,夫と妻との関係にたとえられています。この比喩は,主がわたしたちに期待しておられる決意と献身について,何を教えてくれるでしょうか。 -
ゴメルは「淫行の妻」と述べられていますが,昔のイスラエルは,どのようにゴメルに対比できるでしょうか。(ホセア1:2-3;2:5,13参照。ゴメルは自分の夫を置いて恋人のところへ行った。イスラエルは主を忘れて,邪悪になった。)
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イスラエルの「恋人たち」,すなわち,民の心を主から背かせたものは,だれでしょうか,あるいは何でしょうか。(ほかの神々,物質的なの品々,世の習わし)救い主に従うというわたしたちの献身を弱めるものは,何でしょうか。
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淫を犯した妻は自分の衣食をだれに求めましたか(ホセア2:5参照)。イスラエルの人々は自分たちの住んでいる実り豊かな土地をだれのものとしましたか。(ホセア2:5,12参照。偽りの神々や偶像のものとした。)今日の人々は,自分たちの受けている祝福に対して,偽りの神々にどのような信頼を寄せていますか。
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夫は妻に,食物や水,そのほかの所有物を与えたのは妻の恋人たちではなく自分であることを,どのようにして思い出させましたか(ホセア2:8-9参照)。主は物質的また霊的な祝福をどのような方法で与えてくださっていますか。与えられている祝福に対して,わたしたちは主にどのように感謝を表せるでしょうか。
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ホセア2:6-13では,夫は,不実な妻にどのような態度で接しましたか。第14-23節とは,どのように違っていますか。(たとえ妻が不実であっても,夫はなお妻を愛し,自分のところへ帰って来てほしいと思っていた。同様に,主も背き去った御自分の民を愛し,御自分のもとに戻って来てほしいと思っておられる。)
ヘンリー・B・アイリング長老は,次のように説明している。「これは愛の物語でした。これは愛により,不変の愛により結ばれた結婚聖約の話でした。……わたしは主と聖約を交わす祝福を頂きましたが,その主は,わたしや皆さんを,……不変の愛をもって愛してくださっています。わたしはその不変の愛にいつも驚嘆の念を抱いていますし,それに
倣 いたいと心から思っています。」(Covenants and Sacrifice,1995年8月15日,教会教育部シンポジウムでの講演,2) -
夫はその妻に,自分のもとに戻るならばどうすると約束しましたか(ホセア2:19参照)。主は御自分の民に,民が悔い改めて主に立ち返るならばどうすると約束しておられますか(ホセア2:20,23参照)。この約束はなぜ大切なのでしょうか。
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ホセア3:1-2では,夫は自分の妻を彼女の恋人から買い取りました(旧約時代の文化では,女性はしばしば財産と見なされ,売買されたことを説明する)。夫は自分の妻を買い取ったとき,彼女に何を求めましたか(ホセア3:3参照)。彼は彼女に何を約束しましたか。イエス・キリストは,どういう意味でわたしたち一人一人を「買い取られた」のでしょうか(1ペテロ1:18-19参照)。キリストは,代わりにわたしたちに何を求められますか。
2.主は,御自分の民を愛しておられたので,イスラエルを,悔い改めて主に立ち返るように招き続けておられる
ホセア書の全体で,主はイスラエルの人々を,彼らの大きな罪のゆえに責めておられる。主はホセアを通して,イスラエルの悪事の結果もたらされる捕囚と滅亡について述べた後,もう一度,悔い改めて主に立ち返るよう民を招いておられる。
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主とその民との関係について述べるために聖典の中でよく用いられているもう一つの直喩は,主人と動物の関係です。この直喩はホセア11:4で簡潔に用いられています。この比喩から御自分の民に対する主の気持ちについて,何が分かりますか。(ホセア11:7-9も参照。8節のジョセフ・スミス訳では,主の心は主御自身の内に変わったという箇所が,主の心はイスラエルに向けられたとなっている。)
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主は何度もイスラエルの人々に,彼らの先祖がどのようにしてエジプトでの捕囚から救い出されたかを思い出させておられます(ホセア11:1;12:9,13;13:4-5)。この出来事は何をたとえたものでしょうか。(ホセア13:14参照。主がイスラエルの子らをエジプトでの束縛から救い出されたように,主は人々を,また主のもとに来るすべての人々を罪と死から救い出される。)
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イスラエルの人々は,主に立ち返って救いを得るために,何をする必要がありましたか。(ホセア12:6;14:2-3参照。彼らは自分の罪を悔い改め,彼らがそれまで礼拝してきたほかの神々を捨てる必要があった。)彼らが悔い改めるならば,主はどうすると約束されましたか(ホセア14:4-7参照)。わたしたちが自分の罪を悔い改めるならば,主はどうすると約束してくださいますか。
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ホセア書の中の直喩は,救い主があなたのことをどのように感じておられるかを理解する,どのような助けになりますか。
結 び
主の祝福は主の戒めを守る人々のために備えられているが,主の愛はいつもすべての人に及ぶことを
教えるためのそのほかのアイデア
以下の説明はレッスンの展開を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。
1.「わたしはいつくしみを喜び,犠牲を喜ばない」(ホセア6:6)
ホセア6:6で,主はイスラエルにこう告げておられる。「わたしはいつくしみを喜び,犠牲を喜ばない。
2.「イスラエルよ,あなたは自分自身を滅ぼした」(ホセア13:9,欽定訳より和訳)
ホセアの務めの間に,北王国(イスラエル)はアッスリヤの攻撃を受けた。そして,アッスリヤはとうとう北王国を滅ぼし,民を捕らえ移した。文字どおりの意味では,イスラエルの滅亡の責任はアッスリヤにあった。しかし,主はこう言われた。「イスラエルよ,あなたは自分自身を滅ぼした。」(ホセア13:9,欽定訳より和訳)
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イスラエルは,どのような意味で自分自身を滅ぼしたのでしょうか。イスラエルの国が滅びた後,救いについてのイスラエルの唯一の希望は何でしたか(ホセア13:9-10;14:1参照)。イエス・キリストに従うときに,わたしたちは,この世的また霊的な滅びからどのように守られるでしょうか。
3.悔い改め
手に入るならば,「『家庭の夕べ』ビデオ補助教材(国際版)」(53736 300)の「悔い改め-遅すぎることはない」(6分8秒)を見せてもよい。