第48課
「主の大いなる恐るべき日」
目 的
(1)主イエス・キリストの再臨に備え,(2)正直な
準 備
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この課で話し合うゼカリヤ10-14章とマラキを祈りをもって研究する。
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そのほかの読書課題:教義と聖約45章。
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この課の初めの部分で話し合う参照聖句を幾つか紙片に書いて生徒に配付するとよい。
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「導入」の活動を実施する場合は,「再臨」(『福音の視覚資料セット』238)を入手する。
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生徒全員に配布するために「『新約聖書』生徒用学習ガイド」(31392 300)を入手する。(ワードが来年度の教科課程用資料の一部としてこの生徒用ガイドを注文しているはずである。監督会の担当者はそれを日曜学校会長会に渡す。)
レッスンの展開
導 入
レッスンの導入部で,以下の活動を幾つか取り入れてもよい(自分で考えた活動でもよい)。「再臨」の絵を見せる。そして以下の質問をする。
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「再臨」「終わりの時」「時のしるし」などの言葉を聞くとどのような気持ちを覚えるでしょうか。聖典では再臨を指して「大いなる恐るべき日」(マラキ4:5)とも呼んでいます。どのような意味からこれら二つの表現がそれぞれ正しいといえるでしょうか。
エズラ・タフト・ベンソン大管長はこのように述べている。「〔救い主の〕降臨は,地上にとどまる人々の霊的な状態によって,栄光にあふれる出来事にもなり,恐るべき出来事にもなります。」(“Prepare Yourself for the Great Day of the Lord” New Era,1982年5月号,49)
この課では(1)終わりの時に関するゼカリヤとマラキの預言,(2)再臨のためにわたしたちが備える事柄について話し合うことを説明する。
聖句を使った話し合いと応用
以下の聖句について教えるときには,日々の生活でどう応用するか話し合う。聖句に述べられている原則に関する経験を分ち合うよう,生徒に勧める。
1.ゼカリヤとマラキは終わりの時に起こる多くの出来事について預言する
終わりの時に起こる多くの出来事について述べた以下のゼカリヤとマラキの預言から,幾つかを採り上げて話し合う。参照聖句を書いた紙片を準備していれば生徒に配る。生徒に各聖句を読み,どのような事柄が教えられているか説明させる。再臨の備えに関する事柄が聖句に記されている場合は,どのように実践できるか話し合う。
再臨の備えとしてすでに成就している預言
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マラキ3:1。マラキは一人の
御 使 いが主の降臨の道を備えることを預言した。バプテスマのヨハネは主が地上における務めを果たされるための道を備えた。またジョセフ・スミスは再臨のために道を備える使いである(マタイ11:10ジョセフ・フィールディング・スミス『救いの教義』1:184-186;3:9-12参照)。 -
マラキ4:5-6。マラキは預言者エリヤが,父の心をその子供たちに向けさせ,子供たちの心をその父に向けさせるために再臨に先立って戻って来ることを預言した。この預言は,エリヤがカートランド神殿でジョセフ・スミスに現れて結び固めの力の
鍵 を回復したことによって成就した(教義と聖約110:13-16)。応用の例:わたしたちは先祖の名前を探して,彼らのために神殿で儀式を執行しなければならない(この点については後に詳しく採り上げる)。
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再臨に関する預言の一部がすでに成就していると知ることは,なぜわたしたちにとって価値があるのでしょうか。
救い主が降臨されるまでに成就する預言
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ゼカリヤ10:6-8。ユダとヨセフに属する人々は集められ,エフライムに属する人々は力ある者となる。主は主の民に対して「口笛を吹いて」すなわち呼んで集められる。応用の例:わたしたちは福音を人々と分かち合うことによって集合を助けられる。
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ゼカリヤ12:2-3,8-9。エルサレムの内外で大戦争が起きるが,主は仲裁に入ってエルサレムの住民を破滅から救い出される。応用の例:終わりの時には様々な苦難が起こるが,わたしたちは神がその民を守ってくださると信頼しなければならない。
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ゼカリヤ14:8。生ける水がエルサレムの神殿から流れ出て,死海とユダヤの荒れ野を
癒 す(エゼキエル47:1,8-9も参照)。
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終わりの時に関する預言の多くには戦争,自然災害,邪悪の
蔓延 などの悲劇が指摘されています。これらの預言を耳にし,その成就を目にしても,なお希望を持ち続けるにはどうすればよいでしょうか(教義と聖約38:28-30参照)。
救い主の降臨時に成就する預言
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ゼカリヤ14:3-4。主はオリブ山に立たれる。そして山が二つに裂ける(教義と聖約45:48も参照)。
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ゼカリヤ12:10;13:6。エルサレムが解放されるときまで生き長らえるユダヤ人は,イエス・キリストを目にするが,ユダヤの民である彼らが主をメシヤとして認めてこなかったため,嘆き悲しむ(教義と聖約45:51-53も参照)。
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ゼカリヤ13:2。偽りの偶像,汚れた霊,偽預言者は滅ぼされる。
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ゼカリヤ14:5。地上で生き長らえる義人は救い主に会うために取り上げられる。すでに世を去っている義人は復活し,同様に取り上げられて救い主に会う(教義と聖約88:96-98も参照)。
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ゼカリヤ14:9。主は全地の王となって,福千年の間統治される。
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ゼカリヤ14:12-13;マラキ3:13-18;4:1-3。邪悪な人々は滅ぼされ,義人は生かされる(1ニーファイ22:15-17,19も参照)。
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主は末日,再臨,福千年に関する預言を明らかにしてこられたのはなぜだと思いますか(教義と聖約45:34-44参照)。わたしたちはどのようにして救い主の再臨に備えられるでしょうか(教義と聖約45:56-57参照)。
エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように述べている。「神の戒めに生きるとき,わたしたちは明るい期待をもって主の再臨を待ち望めるのです。また自らの努力により愛する人々と永遠に神の前に住めるのです。この大きな目標を達成することは,難しくありません。少しの間も気を緩めてはなりません。わたしたちは日々の生活の中で,喜んで主の
御心 を成し遂げ,また回復された福音を広め,世の人々に証を述べ,福音を分かち合いたいと望んでいることを示さなければなりません。」(『日本地域総大会』1975年8月10日,57) -
義は悪に対して最終的に勝利を収めると知ることは,あなたにとってどのように慰めとなるでしょうか。
2.マラキは什分の一と献金を納める人々に与えられる祝福について教える
マラキ3:8-12について教え,話し合う。
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什分の一と献金を納めない人々は,どのように「神の物を盗む」のでしょうか。
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完全な什分の一を納めるとはどういう意味でしょうか。
大管長会は次のような声明を発表している。「わたしたちが知っている最も簡潔な言葉,つまり主御自身の言葉によれば,教会員は『毎年彼らの得る全利益の10分の1』すなわち収入の10分の1を納めるべきであるということです。いかなる人もこれ以外の説明をすることは許されていません。」(大管長会の書簡,1970年3月19日付。教義と聖約119:1-4も参照)
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什分の一を納めると,主はどのような祝福を約束しておられるでしょうか(マラキ3:10-12参照)。什分の一と献金を納めることによって,主からこれまでどのような祝福を受けてきたでしょうか。
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わたしたちはどのような動機に基づいて,什分の一と献金を納めるべきでしょうか。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は主が什分の一を納める人々に与えられる祝福について述べた後,次のように話している。
「誤解しないでいただきたいのですが,わたしはここで,正直に什分の一を納めたら立派な家や車が買えるとか,ハワイに別荘地が持てるとかいう夢が実現すると申し上げているのではありません。主はわたしたちの物欲ではなく,必要に応じて天の窓を開けてくださるのです。金持ちになるために什分の一を納めているというのでしたら,動機からして間違っています。什分の一の基本的な目的は,主の業を推し進めるために必要な財力を教会にささげるという点にあります。」(「什分の一の律法に従う」『聖徒の道』1982年7月号,73-74)
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什分の一を納めることが時々難しくなることがありますが,それはなぜでしょうか。どうすればそのようなチャレンジを克服できるでしょうか。
3.マラキは,エリヤが結び固めの力の鍵を回復するために,地上に戻ることを預言する
マラキ4:5-6について教え,話し合う。
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マラキは主の再臨に先立って預言者エリヤが地上を訪れることを預言しました(マラキ4:6)。この預言はどのように成就しているでしょうか。(教義と聖約110:13-16参照。エリヤはカートランド神殿に現れて,ジョセフ・スミスに結び固めの力の鍵を回復した。)「父の心をその子供たちに向けさせ,子供たちの心をその父に向けさせる」とはどういう意味でしょうか。(わたしたちが「父」であるすべての先祖と結び固められ,また「子供たち」であるすべての子孫と結び固められるという意味である。神権の結び固めの力と,生者と死者のために執行される神殿の儀式によって,家族は永遠のきずなで結ばれることが可能になる。)
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あなたは先祖のために家族の歴史を作成し,神殿の儀式を執行することによって,心を先祖に向けていると感じたことがあるでしょうか。あなたは,神殿の聖約に基づく約束によって,どのように心を両親,
伴侶 ,子供に向けているでしょうか。 -
マラキ4:5-6の教えは,それぞれの標準聖典で説かれています(ルカ1:17;3ニーファイ25:5-6;教義と聖約2:1-3;ジョセフ・スミス-歴史1:37-39)。なぜこの教えは何度も繰り返し説かれているのでしょうか。
結 び
レッスンで採り上げた事柄について証を述べる。今年度の学習課程の締めくくりとして,『旧約聖書』中の数々の教えに対する感謝の気持ちを述べるとよい。
生徒全員に「『新約聖書』生徒用学習ガイド」を配る(31392 300;「準備」225参照)。来年度は『新約聖書』を学ぶことを説明する。「学習ガイド」を基に来週のレッスンの予習を始め,家族とともに『新約聖書』を研究するよう勧める。
教えるためのそのほかのアイデア
以下の説明はレッスンの展開を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。
1.救い主の現れに関する預言
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聖典には救い主が末日に少なくとも7回は
御姿 を現されることが予告されています。そのうちの幾つを聖典から見つけることができるでしょうか。
この質問の答えとして以下を参考にする。
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最初の示現でジョセフ・スミスに対して(使徒3:19-21;ジョセフ・スミス-歴史1:15-17)。
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末日の神殿において(マラキ3:1;教義と聖約133:1-2)。
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アダム・オンダイ・アーマンの谷において(教義と聖約116章;ダニエル7:13-14,22。教義と聖約107:53-56も参照。この聖句は,いにしえの時代にアダム・オンダイ・アーマンの谷で開かれた会議について説明している。同様の会議が将来この地で開かれる。)
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ハルマゲドンの戦いとして知られる世界規模の戦争中にエルサレムにおいて(エゼキエル38-39章;ゼカリヤ12-14章;黙示11章;教義と聖約45:47-53)。
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ミズーリ州インデペンデンスの新エルサレムにおいて(3ニーファイ21:24-26)。
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主が再臨されるときに義人に対して(ゼカリヤ14:5;1テサロニケ4:16-17;教義と聖約88:96-98)。
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邪悪な人々に対して(教義と聖約133:42-51)。
2.救い主はいつ再臨されるのか
主は必ず再臨されることを明らかにしておられるが,日時はだれも知らないと言われた(教義と聖約39:20-21;49:7)。
リチャード・L・エバンズ長老は次のように述べています。「数人の兄弟たちが……〔ウィルフォード・ウッドラフ大管長〕を訪問し,……この世の最後はいつ訪れると感ずるか,つまり主が降臨されるのはいつかと尋ねました。兄弟たちが教えてくれた次の言葉は,一言一句正確な再現とは思えませんが,大管長の真意は伝わりました。『たとえ明日命が尽きようとも,桜の木は植え続けます。』わたしたちはこの言葉の真意を理解して,それぞれの生活に応用して考えられると思います。たとえこの世が明日終わろうとも,桜の木を植えるのです。自分ではどうすることもできない事柄に思い悩む間に,家族や友人とともに持つ数々の機会を見過ごしにしてはなりません。将来起こる出来事に気を取られる間に,達成可能な,今この場でなす必要のある事柄をおろそかにしてはならないのです。」(Conference Report,1950年4月,105-106)