「レッスン3:イエス・キリストの福音」『わたしの福音を宣べ伝えなさい—伝道活動のガイド』60-70
「レッスン3」『わたしの福音を宣べ伝えなさい』60-70
レッスン3
イエス・キリストの福音
イエス・キリストの神聖な使命
神がその愛する御子イエス・キリストを世に遣わされたのは,神のすべての子供たちがこの世で喜びと平安を経験し,来るべき世で家族とともに永遠の命を受ける道を開くためでした。さらに,イエス・キリストを通じて,神のすべての子供たちは生き返ります。肉体と霊が再び結合することで,復活するのです(教義と聖約76:40-42参照)。
アダムとエバの背きの結果,あらゆる人が死を経験するようになりました。またすべての人は過ちを犯し,罪に至るため,神のみもとに戻って神とともに住むことができなくなりました。「清くない者は神とともに住むことができない」のです(1ニーファイ10:21)。
しかしながら,救い主の恵みと憐れみにより,わたしたちは生き返り,復活した存在となります。また罪から清められ,天の御父の御前に住む可能性が開かれているのです。罪から清められるとは,霊的に癒されることです(3ニーファイ9:13;18:32参照)。
キリストの贖罪として知られる,救い主の犠牲のおかげで,すべての人は主の御前に連れ戻され,自らの行いと望みに応じて裁かれます(2ニーファイ9:10-16;ヒラマン14:15-18;3二ーファイ27:14-22;教義と聖約137:9参照)。わたしたちは死からよみがえるのです。わたしたちは正義と憐れみの律法に基づいて裁きを受けます。
正義とは,行いに対してその結果をもたらす不変の律法です。 すなわち,神の戒めに従えば祝福され,従わなければ罰がもたらされるのです。わたしたちは皆罪を犯します。罪は,わたしたちを清くない者とします。清くない者は,神の御前に住むことができないのです(1ニーファイ10:21;3ニーファイ27:19;モーセ6:57参照)。
罪を悔い改め,主のすべての戒めを守ろうと努力する人々のために,救い主は正義の要求を満たしてくださいました。主はわたしたちに代わり,わたしたちの罪に対する罰を引き受けてくださったのです。この行為は,イエス・キリストの贖罪と呼ばれます。キリストは,この無私の行為により,わたしたちに代わって御父に執り成しをすることがおできになります。天の御父は憐れみを適用し,わたしたちへの罰を差し控え,御自分のもとに迎えることがおできになるのです。天の御父は憐れみを示して,わたしたちの罪を赦し,御前に住むことができるように助けてくださいます。
しかしながら,イエスはわたしたちが個人として負うべき責任を取り上げてはおられません。イエスを受け入れ,悔い改めて戒めを守るという条件の下で,イエスは罪を赦してくださるのです。イエス・キリストの贖罪を通じて,また福音に従って生活することにより,わたしたちは永遠に天の御父の御前へ行くにふさわしい者となることができます。わたしたちは主の御心を行い,戒めを守り,福音の第一の原則と儀式に従うことにより,キリストを受け入れ,キリストを信じていることを示します。ニーファイはこうした原則と儀式を「キリストの教義」と呼んでいます(2ニーファイ31:2-32:6)。
キリストの福音とキリストの教義
モルモン書には,イエス・キリストの完全な福音が収められています(教義と聖約42:12参照)。イエス・キリストの福音を最も明確に説明してくれる,時にキリストの教義と呼ばれる内容についても,聖文の至る所に記されています。
モルモン書によれば,イエス・キリストの福音には5つのキーポイントがあります。すなわち,(1)主イエス・キリストを信じる信仰,(2)キリストの贖罪による悔い改め,(3)キリストの御名により水に沈めるバプテスマ,(4)聖霊の賜物,(5)最後まで堪え忍ぶことです(2ニーファイ31章;3ニーファイ11章;27章参照)。
加えて,モルモン書はキリストに信仰を抱こうとする人がキリストについて信じるべき事柄についても教えています(3ニーファイ27:13-15参照)。
イエス・キリストを信じる信仰
イエス・キリストの福音は,主イエス・キリストを信じる信仰から始まります。キリストを信じる信仰を抱くとは,キリストが神の独り子であり,世の救い主,贖い主であられることを固く信じることです。「この人による以外に救は」なく,「わたしたちを救いうる名は,これを別にしては,天下のだれにも与えられていない」と信じることなのです(使徒4:12)。キリストに対する信仰を持ちたいと望むなら,信じる必要のある事柄がほかにもあります(3ニーファイ27:13-15参照)。
天の御父のみもとに戻り,御父とともに住むには,御子の慈しみと憐れみに頼るほか方法がないことが分かっています。キリストに対する信仰を持っていれば,わたしたちはキリストの贖罪と教えを受け入れ,実践するようになります。そしてキリストに頼り,キリストの御言葉を信じます。キリストは,御自分の約束を守る力を持っておられます。謙遜になり,主の御心を行い,主の戒めを守ることによって,わたしたちはキリストを信じる信仰を育むことができます。天の御父は,信仰をもって御子に耳を傾け,従う者を祝福してくださるのです。
キリストを信じる信仰は行動を促します。信仰は,心から,いつまでも変わり続けるよう導いてくれます。信仰を抱くと,救い主について学び,救い主にさらに似た者となるために,全力を尽くすようになります。「キリストを信じる確固とした信仰をもって……人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼〔る〕」のです(2ニーファイ31:19)。主の御心を知り,主の戒めに従おうとするようになります。それでもなお,わたしたちは過ちを犯すでしょうが,キリストの贖罪の力を受けながら,主の戒めを守り,罪を避けようと努めることによって,主を愛していることを示すのです。
わたしたちはキリストを信じています。また,キリストはわたしたちに,すべての戒めを守るよう望んでおられると信じています。わたしたちは主に従うことで,信仰を示します。わたしたちは,誘惑に打ち勝つ力を得られるように,信仰をもって祈るのです。また,特定の戒めに従って生活することにより,その教えが真実であることを経験によって学びます(ヨハネ7:17参照)。また神の言葉に耳を傾け,御言葉を読むことによっても,信仰は育まれます(ローマ10:17;ヒラマン15:7-8参照)。
神に従うなら,祝福を受けます。神は,人生の困難に立ち向かう力を与えてくださるのです。また,わたしたちが心の望みを変えられるよう助けてくださいます。わたしたちがイエス・キリストに対する信仰を抱くことで,神はわたしたちを肉体的にも霊的にも,癒すことがおできになるのです。
イエス・キリストの贖罪による悔い改め
イエス・キリストの贖罪による悔い改めは,イエス・キリストの福音における重要な原則の一つです。キリストへの信仰と愛は,悔い改め,すなわちキリストの御心と調和しない思いや信念,行動を変えたいという思いにわたしたちを向かわせます。悔い改めには,神や自分自身,世の中に対して新しい見方を持つようになるということも含まれています。悔い改めると,神の御心に添った悲しみを感じるようになります。そうして,十分に固い決意をもって主のもとに立ち返るのです。悪いことをやめて,正しいことを行い続けます。悔い改めとイエス・キリストへの信仰を通して,神の御心と調和した生活を送るようになることこそ,わたしたちの人生の主要な目的です。わたしたちはキリストの恵みと憐れみによってのみ,父なる神のもとで神とともに生活することができます。キリストの憐れみは,悔い改めを条件に受けられるものです。
悔い改めるには,自らの罪を認め,後悔の念,すなわち神の御心に添った悲しみを感じる必要があります。わたしたちは,神に罪の告白をします。また,非常に重大な罪については神が承認された教会指導者に告白します。わたしたちが心から悔い改められるよう助けてくれる人です。それから,わたしたちは赦してくださるよう神に祈り求めます。自分の行いが引き起こしたと思われる問題については,それを正すためにできるかぎりのことをするのです。これは償いと呼ばれるものです。悔い改めると,自分自身や世界に対する見方が変わります。変わることで,わたしたちは自分が神の子供であること,何度も同じ過ちを繰り返す必要はないということが分かるようになります。心から悔い改めるなら,わたしたちは罪から遠ざかり,その罪を犯さなくなります。罪を犯そうとする思いに抵抗します。神に従おうとする望みは,ますます強く,深いものになっていくのです。
心からの悔い改めは,幾つかの実を結びます。わたしたちは,生活の中で神の赦しと平安を感じるようになります。罪悪感や悲しみは消え去ります。御霊の影響を豊かに感じるようになります。この世を去るときには,天の御父と御子とともに住むうえで,さらなる備えができているはずです。
キリストを受け入れ,罪を悔い改めた後であっても,再び期待におよばず,罪を犯すことがあるでしょう。こうした背きを改めていく努力は,続けて行う必要があります。覚えていてください。わたしたちを「強くして下さる〔キリスト〕によって,何事でもすることができる」のです(ピリピ4:13)。それに加えて,わたしたちは常に向上していかなければなりません。キリストのような特質を伸ばし,知識を増し加え,より効果的に奉仕するのです。救い主がわたしたちに望んでおられることが分かってくると,キリストに従うことで愛を示したいと望むようになります。このようにして,日々悔い改めをしていくと,人生が変わり,改善されていくことが分かります。わたしたちの思いも行いも,いっそうキリストのようになります。日々の悔い改めに,大きな喜びを感じるようになるのです。
バプテスマ,神と結ぶ最初の聖約
イエス・キリストを信じる信仰と悔い改めは,バプテスマと確認の儀式を受ける備えとなります。儀式とは,神と聖約を交わしたことを示す,神聖な礼式または祭式です。
神は御自身の子供たちに,聖約を交わすよう常に求めてこられました。聖約とは,神と人との間で交わす厳粛かつ拘束力のある契約です。神は祝福を約束され,わたしたちは神に従うと約束します。福音の聖約の内容は神が定められます。わたしたちはそれを受け入れることも拒むこともできるのです。聖約を守れば,この世では祝福が,次の世では昇栄がもたらされます。
聖約を交わすと,神に対する決意を重んじるという厳格な義務を負います。神が交わしてくださる聖約をふさわしい状態で受けることを望み,その聖約を守る努力をしなければなりません。聖約は,人生にあって日々悔い改め,イエス・キリストに頼るべきことを思い起こさせてくれるものです。主を愛し,主の戒めを守ること,また人々を愛し,人々に奉仕することにより,わたしたちは罪の赦しを受け,その状態を保つことができます。主は「わたしたちを愛し,その血によってわたしたちを罪から解放」してくださる御方です(黙示1:5)。
聖約とは通常,バプテスマといった聖なる儀式を通して交わすものです。こうした儀式はイエス・キリストの御名により,神権の権能によって執り行われます。例えば,バプテスマの儀式を受けるとき,わたしたちはイエス・キリストの御名を受け,いつもキリストを覚え,キリストが与えてくださった戒めを守ることを聖約します。聖約で約束したことを行うならば,神はわたしたちが聖霊を常に伴侶とし,罪の赦しを受け,新しく生まれることを約束してくださいます。
バプテスマや確認といった聖なる儀式を通して,わたしたちは神の力を知り,それを実際に感じます(教義と聖約84:20参照)。罪からの解放,罪の赦しを受けるに当たっては,水に沈めるバプテスマを受ける必要があることをイエスは教えておられます。バプテスマは,救いに欠かすことのできない儀式です。主から権能を受けた僕によりバプテスマを受けなければ,だれ一人として神の王国に入ることはできません。キリストは,自らバプテスマを受けることによってわたしたちに模範を示されたのです。
水に沈めるバプテスマは,救い主の死と埋葬と復活の象徴です。同様にバプテスマは,わたしたちが過去の罪深い生活に終止符を打ち,キリストの弟子として新しい人生を歩み始めるという決意を表します。救い主は,バプテスマとは新しく生まれることであると教えられました。わたしたちはバプテスマを受けると,新しく生まれ,キリストの霊の息子,娘となる過程を歩み始めるのです(モーサヤ5:7-8;ローマ8:14-17参照)。
地上における神の王国,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となり,最終的に天の王国に入るためには,バプテスマを受けなければなりません。この儀式は神の律法であり,神の権能により,主の御名によって施されなければならないものです(マタイ28:19-20参照)。神権者がバプテスマや確認の儀式を執り行うためには,ビショップもしくは伝道部会長による許可を受けなければなりません。
幼い子供はバプテスマを受ける必要がなく,イエス・キリストの憐れみによって贖われています(モロナイ8:4-24参照)。責任を負う年齢である8歳を迎えるまで,バプテスマを施してはいけないのです(教義と聖約68:27参照)。
バプテスマを受ける前に,わたしたちは一生涯,すべての戒めを守るという聖約を交わす意思があることを示します。バプテスマを受けた後は,交わした聖約を守ることによって信仰を表します。さらに,聖餐を受けることによって,バプテスマで交わした聖約を定期的に新たにするのです。毎週聖餐を受けることは戒めです。常に御霊を伴侶とするふさわしさを保つうえで助けとなるものです。毎週聖餐を受ける度に,聖約を思い起こすことができます。イエス・キリストは贖罪を成し遂げる少し前に,この聖餐の儀式を使徒たちに紹介されました。後にこの儀式は,預言者ジョセフ・スミスを通して回復されました。救い主は,御自分の体と,わたしたちのために流された御自分の血を記念して,聖餐を執り行うよう,神権者に命じられました。ふさわしい状態で聖餐を受けることによって,わたしたちは主の犠牲を常に思い起こすという約束をします。聖餐により,交わした約束を更新し,いつも御霊がともにあるという約束を新たに受けるのです。
聖霊の賜物
イエスは,水と御霊によるバプテスマを受けなければならないと教えられました。水によるバプテスマに続いて,火と御霊によるバプテスマを受けなければ,不完全なのです(2ニーファイ31:13-14参照)。バプテスマと聖霊の賜物を受けて初めて,罪の赦しを受け,霊的に完全に生まれ変わることができます。そうして,キリストの弟子としての新しい霊的な生活が始まるのです。
聖霊には,わたしたちを聖め,清める力があります。聖霊の賜物と力を通して,わたしたちは絶えずキリストを信じ,悔い改め,神の御心に従い,主の戒めに従順になるときに,罪の赦しを受け,それを保つことができます。
聖霊の賜物を受け,ふさわしい生活をしている人は,生涯を通じて聖霊を伴侶とすることができます。聖霊はキリストを証し,わたしたちが真理を見分けられるように助けてくださいます。聖霊は,わたしたちを霊的に強めて,正しいことを行えるよう助けてくださいます。聖霊は,試練や悲しみのときに慰めを与えてくださいます。聖霊は,霊的または物質的な危険について警告してくださいます。聖霊は,教え,学ぶ力をわたしたちに授けてくださいます。聖霊の賜物は,天の御父による最も貴い賜物の一つです。聖霊の力を通して,わたしたちは神の愛と導きを感じることができます。この賜物により,永遠の喜び,また約束された永遠の命と昇栄の一部をこの世で味わうことができます。
水によるバプテスマを受けた後,権能を与えられた一人または複数の神権者がその人の頭に手を置き,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として確認します。それから聖霊の賜物を授けます。
この儀式を執り行うのに必要な神権の権能は,何世紀も前,救い主の使徒たちの死に伴い失われていましたが,天使が遣わされ,現代の預言者ジョセフ・スミスを通して回復されました。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となることによってのみ,人は聖霊の賜物を受けることができます。聖霊を常に伴侶とする権利を得るのです。この権能により,末日聖徒イエス・キリスト教会は世界における他のいかなる宗教とも一線を画したものになっています。主御自身が宣言されたように,この教会は「全地の面に〔おける〕唯一まことの生ける教会」なのです(教義と聖約1:30)。
最後まで堪え忍ぶ
イエス・キリストの福音には,次の要素が含まれます。すなわち,イエス・キリストを信じる信仰を抱き,育むこと,イエス・キリストの贖罪を通して罪を悔い改めること,イエス・キリストの御名により,権能を受けた僕から水に沈めるバプテスマを受けること,火のバプテスマを受け,按手による聖霊を授かること,最後まで堪え忍ぶことです。
最後まで堪え忍ぶとは,単に死に至るまで持ちこたえるという意味ではありません。最後まで堪え忍ぶことには,救い主の贖罪を通じてキリストのような特質を身に付けることも含まれるのです。最後まで堪え忍ぶには,御父の御心に従い,主の戒めを守り,断食し,祈り,聖文を研究し,安息日を守り,悔い改め,神聖な神殿の聖約を交わして守ります。
イエス・キリストを信じる信仰,悔い改め,バプテスマと確認の儀式を通して細くて狭い道に入ったわたしたちは,この道にとどまるためにあらゆる努力を払わなければなりません。そのために,わたしたちは絶えずイエス・キリストに対する信仰を働かせ,主に頼り,悔い改め,決意し,御霊に従います。
罪の赦しを受けたなら,罪を犯さないよう毎日努力して,常に聖霊を受けられるようにする必要があります。バプテスマの聖約において,わたしたちは残りの生涯神の戒めを守ることを天の御父に約束します。もし守れないことがあれば,聖約の祝福を受け続けるために,悔い改めなければなりません。わたしたちは善い行いをし,人々に奉仕し,救い主の模範に従うという約束をするのです。この生涯にわたる決意を,聖典ではしばしば「最後まで堪え忍ぶ」と言っています。
福音の道を歩むことによって,わたしたちは神に近づき,誘惑と罪に打ち勝ち,聖霊の賜物をさらに豊かに受けられるようになります。忍耐強く,忠実に,また着実に,この道を生涯歩み続けるならば,昇栄にあずかるふさわしさを備えられるのです(救いと昇栄の違いについて,詳しい情報は53ページを参照)。
キリストを信じる信仰,悔い改め,聖約を交わし,新たにし,守ること,そして御霊によって清められることが生活のパターンとなります。日常生活におけるわたしたちの行動は,これらの原則により形作られ,治められるのです。この道を歩むことによって,平安と喜びがもたらされ,次第にキリストのような特質が身に付いていきます。この道を歩み続け,「キリストを確固として信じ,……力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,」「あなたがたは永遠の命〔と昇栄〕を受ける」と約束されています(2ニーファイ31:20。教義と聖約132:17も参照)。
教えるためのアイデア
本項には,このレッスンに含まれる内容を準備し,教えるうえで活用できるアイデアが記されています。これらのアイデアの活用法を決めるに当たっては,御霊の導きを祈り求めましょう。選んだアイデアを自分のレッスンプランに書き加えてください。これらのアイデアは,あなたが教える人々の必要を満たすうえで役立てるための提案であって,必ず採り上げなければならないものではないことに注意してください。
教えた後に尋ねる質問
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今日学んだことについて,どのような質問がありますか。
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悔い改めるとはどのような意味ですか。
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聖霊の賜物は,なぜ福音に欠かせない要素なのでしょうか。
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バプテスマを受けて,聖霊の賜物を受けることは,あなたにとってなぜ大切ですか。
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教会の集会について,理解できないことがありましたか。
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教会の集会で,どのようなことが楽しかったですか。
主要な言葉の定義
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確認:教会員となり,聖霊の賜物を授かるために,メルキゼデク神権者から按手を受けること。
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聖約:神と神の子らとの間で交わされる合意。ただし,この合意は対等の関係によるものではない。神は聖約に関して条件を定め,人は神から求められることを行うという同意をする。そして神は,人が従順であることに対して定められた祝福を与えると約束される。わたしたちは聖約によって儀式を受ける。このような聖約を交わすとき,わたしたちはそれを尊ぶことを約束する。例えば,教会員はバプテスマのときに主と聖約を交わし,聖餐を受けることによってその聖約を更新する。わたしたちはさらに神殿でも聖約を交わす。主の民は聖約の民であり,主との聖約を守るとき,豊かに祝福される。
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最後まで堪え忍ぶ:人生における誘惑や反対や逆境に屈することなく,神の戒めに忠実であり続け,神殿のエンダウメントと結び固めの儀式を守り続けること。
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昇栄:神の御前で家族として永遠に生活すること(教義と聖約132:19-20参照)。昇栄は,神が御自分の息子娘に与えられる最大の賜物である。
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福音:イエス・キリストの贖罪によって可能となった神の救いの計画。福音には,人が神のもとへ戻るのに必要な永遠の真理や律法,聖約,儀式が含まれる。
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恵み:信仰を働かせ,悔い改め,最善の努力を払って戒めを守る人にもたらされる,人に能力を授けるイエス・キリストの力。わたしたちがこの世で祝福を得,永遠の命と昇栄を受けることを可能にする。このような神聖な助けや力は,イエス・キリストの憐れみと愛を通して授けられる。アダムとエバの堕落と,人間としての弱さのゆえに,人は皆神の恵みを必要としている。
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憐れみ:思いやり,優しさ,赦しの精神。憐れみは神の属性の一つである。悔い改めることを条件として,イエス・キリストは贖いの犠牲を通してわたしたちに憐れみをかけられる。
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償い:奪われたり,失われたりしたものを元に戻すこと。
教える人々に説明する必要があると思われるその他の用語
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罪からの清め
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告白
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赦し
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祈り
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聖餐
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狭くて細い道
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誘惑