「レッスン4:戒め」『わたしの福音を宣べ伝えなさい—伝道活動のガイド』74-85
「レッスン4」『わたしの福音を宣べ伝えなさい』74-85
レッスン4
戒め
教えるための備え
戒めを教える目的は,人々がバプテスマと確認に備えるに当たり,イエス・キリストを信じる信仰を働かせ,悔い改めることで,福音に従った生活ができるよう助けること,そして彼らがバプテスマの後も忠実であり続けるのを助けることです。あなたの教える人々が,神の戒めを守ることは最後まで堪え忍ぶことの一環であると理解できるように助けましょう。戒めに従うことにより,人々は福音に対する証を強めます。そして,「打ち砕かれた心と悔いる霊」を持っていることを表し,すべての罪を悔い改めるようになるのです(モロナイ6:1-4;教義と聖約20:37参照)。
このレッスンは,最初の3つのレッスンとは構成が異なります。これまでのレッスンでは,イエス・キリストの福音の基本を成す教義を扱ってきました。このレッスンでは,福音の原則を生活の中で実践するために,神がお与えになった具体的な戒めについて説明します。
このレッスンを教える方法はたくさんあります。教えている人々の必要や関心,状況に合わせて,また御霊の導きにより,どのようなアプローチを取るか決めましょう。何を教え,どの決意を勧めるかについては,祈りをもって判断してください。教えている人々の抱いている質問や理解度に気を配りましょう。
人々が福音に従って生活するのを助ける方法について,常に考え,祈り求めるようにしてください。以下のアイデアを参考にします。
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一つあるいは複数の戒めを,別のレッスンの一部として教えます。その場合,アルマ12:32で教えられている原則を考慮してください。「神は,贖いの計画を人々に示された後,……戒めを彼らに与えられた。」(強調付加)祈りや聖文研究といった特定の戒めについては,最初の3つのレッスンの一部として教えるのが最適かもしれません。ほかの戒めは,最初の3つのレッスンで採り上げられている,福音の教義的な基礎を築いてから教えるとよいでしょう。
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二つか三つの戒めを単独のレッスンとして教えます。
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一つの戒めを単独のレッスンとして教えます。
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福音に関連づけながら戒めを教えます。イエス・キリストの福音に関するレッスンを簡単に復習してから,一つまたは複数の戒めを教えます。こうすることで,バプテスマと確認に備えるに当たり,救い主への信仰を働かせ,悔い改めるという大きな要素が戒めとどう関連づいているのか,人々の理解を助けることができます。イエス・キリストの福音を生活のパターンとして捉えるときに,彼らの生活は豊かに祝福されます。
数回の訪問で教えることができる人々もいれば,何度も教えに行く必要がある人々もいます。あなたは,人々がバプテスマと確認に向けて十分備えられるよう,柔軟に,最適な方法でレッスンを教えることができます。あなたの目的は,レッスンの内容を網羅することにとどまりません。人々がイエス・キリストを信じる信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊の賜物を受けること,最後まで堪え忍ぶことによって,キリストのもとへ来るよう助けることを目指すのです。
通常,レッスン時間は45分を超えることがないようにします。時間的な制約により,短い時間内で教える必要が生じることもあるでしょう。そのような場合は,教える内容を幾つかに分けて,短いレッスンを何度も行う必要があるでしょう。
このレッスンは,色々な方法で教えることができます。どの戒めを,いつ,どれだけの時間を取って教えるかは,教える人々の必要と御霊の導きに従うことにより,最善の判断を下してください。
戒めと決意事項について学ぶ
このレッスンを研究するときは,以下のパターンに従ってください。
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戒めを説明している項目を研究し,3つから5つの要点を含めた,簡単なレッスンプランを書き出します。
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同僚を相手に,2,3分の短いレッスンを教えます。どのように相手を招き,その懸念を解消できるか,練習してください。
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受け入れるよう人々に招いた各決意事項をフォローアップする方法について話し合います。
従順
神は,わたしたちの益となるように戒めを与えられました。戒めは,わたしたちが幸福な生活を送れるよう,愛にあふれる天の御父が与えてくださった指示です。神はまた,人に選択の自由をお与えになりました。選択の自由とは,善悪を選ぶ能力および機会のことです。神に従っているとき,人は御霊の導きに従って,神の御心にかなったことを選びます。戒めに従順であると,この世では平安を,来るべき世では永遠の命と昇栄を受けることができます。従順は,神に対するわたしたちの愛を表すものとなりますが,不従順は悲しみを招きます。
天の御父はわたしたちの弱さを御存じです。そして,忍耐強く見守ってくださいます。わたしたちが御子に頼り,戒めに従おうと努力するときに,御父は祝福を与えてくださいます。御父は,祝福をもたらすことができるように,わたしたちが従順になることを願っておられるのです。
しばしば祈る
わたしたちは,神に対して祈るように命じられています。いつでも,どのような状況にあっても祈ることができます。主は,朝と晩に,個人として,また家族とともに,ひざまずいて祈るように教えておられます。天の御父は祈りに耳を傾け,こたえてくださるのです。毎日の祈りを通して,わたしたちは神の導きと祝福を受けます。わたしたちは,いつも真心を込めて祈らなければなりません。また,「誠意をもって」祈らなければなりません。 それは,受けた答えに従って,必ず行動するという意味です。
わたしたちはイエス・キリストの名によって,天の御父に信仰をもって祈ります(モーセ5:8参照)。神はわたしたちの御父であり,わたしたちは御父の子供ですから,御父はわたしたちの祈りにこたえてくださるのです。祈るときは,まず天の御父に呼びかけます。そして,「イエス・キリストの御名により,アーメン」という言葉で終えます。
祈りの中で,わたしたちは愛する天の御父に率直に,また正直に話します。受けている祝福に感謝の言葉を述べます。神を愛していることを伝えてもよいでしょう。また,わたしたち自身の必要に応じて,助けや守り,導きを願い求めます。
信仰をもって,誠心誠意祈るとき,わたしたちは生活において神の影響を感じるようになります。神は,日々の生活の中でわたしたちを導き,良い判断ができるよう助けてくださいます。また慰めと平安をもって祝福してくださいます。神は危険を知らせ,誘惑に立ち向かう力を与えてくださいます。神は,わたしたちの罪を赦してくださいます。わたしたちは,神を身近に感じるようになります。自分たちの人生に神の導きがあることを認め,御霊の静かな細い声に耳を傾ける力を養わなければなりません。
わたしたちは聖霊が真理を教えてくださるのを認識することができます。聖霊はわたしたちの思いを活気づけ,高めてくださいます。また,心に光を注ぎ,新しい知識を与えてくださいます。心に平安,喜び,愛が生まれます。そして善を行い,人々を助けたいと思うようになるのです。このような気持ちを表現することは難しいものですが,経験すれば分かるようになります。
聖文を研究する
聖文とは,神が御自身の子供たちと交わられた記録であり,預言者たちが聖霊の導きによって記録したものです。わたしたちは神が啓示された言葉を研究し,信じ,従うことによって信仰を表します。わたしたちは真理を理解するために,熱心に聖文を調べます。神の御言葉をよく味わうのは,聖文が啓示への扉を開いて,わたしたちが何をし,どのような者となるべきかを示してくれるからです。聖文を調べるのは,イエス・キリストとその福音について知るためです。イエス・キリストを信じる信仰は,神から与えられる賜物です。この賜物は,神の御言葉と福音を研究し,実践することによって与えられます。教会により承認された聖文には,聖書,モルモン書,教義と聖約,高価な真珠があり,これらは標準聖典とも呼ばれます。わたしたちはこれらの聖なる書物,とりわけモルモン書を,毎日研究する必要があります。モルモン書はイエス・キリストについて,また主の教義が真実であることを証してくれます。
安息日を聖く過ごす
安息日を聖く保つことは戒めです。神はこのように宣言されました。「安息日を覚えて,これを聖とせよ。」(出エジプト20:8)安息日の行動は,神を敬い,礼拝する決意の表れです。わたしたちは安息日を聖く過ごすことによって,聖約を進んで守ることを神に証明するのです。わたしたちは毎週安息日に,教会へ行って礼拝します。教会にあって,教会員は聖餐を受け,イエス・キリストとその贖罪を思い起こすのです。聖餐を受けることで,わたしたちは聖約を新たにし,罪と過ちを進んで悔い改めることを示すことができます。
安息日には,仕事を離れて休息を味わいます。教会の集会に出席して,ともに礼拝することにより,互いに強め合います。友人や家族と交わることによって,新たな活力を得ます。聖文を研究し,回復された福音の知識を深めることによって,信仰が強められます。
人々が,安息日の過ごし方を気にかけなくなるとき,地域社会や国は宗教的に腐敗し,生活のあらゆる面に悪い影響が出てきます。安息日を聖く過ごすことに結びついた祝福が失われるのです。安息日には買い物を控え,商業活動やスポーツなど,安息日を普通の日と思わせるような活動に参加しないようにします。
その代わり,わたしたちはこの聖なる日を世の活動から離れる日として取っておくべきです。礼拝や感謝,奉仕の精神を持ち,安息日にふさわしい活動を家族や友人とともに行います。安息日に,主の御霊を受けるにふさわしい活動をしようと努めるなら,教会員は喜びと平安を豊かに受けるのです。安息日を聖く保つなら,それは「喜び」の日(イザヤ58:13-14参照),霊的な活力を回復する時となります(出エジプト31:17参照)。また天の御父と,救い主,贖い主であられるイエス・キリストへの愛と献身を表すしるしとなるのです。
バプテスマと確認
わたしたちはバプテスマと確認を通して,神の道に入りたいと望んでいることを示します。バプテスマと確認を受けるとき,わたしたちはイエス・キリストの御名を受け,いつも御子を覚え,御子の戒めを守ることを神と聖約します。また,いつでも神の証人になり,困っている人々を助けることを約束するのです(モーサヤ18:8-9参照)。これに対し,神は約束を果たしてくださいます。聖霊を常に伴侶とし,罪の赦しを受け,新しく生まれることができるようになるのです。
預言者に従う
真理とは,現在ある,過去にあった,また未来にあるとおりの物事についての知識です。真理は,状況や時間に左右されません。真理は,どの時代や文化にあっても変わらないのです。神は,あらゆる真理の源であられます。わたしたちが神に信仰を抱くことができるのは,神が真理だけを教えてくださると知っているからです。神は,御自分のすべての子供たちに真理を知らせたいと望んでおられます。このために,神は預言者と使徒を通して救いに必要な真理を明らかにしておられるのです。神は聖文と個人の啓示を通して,わたしたち個人に真理を示してくださいます。
預言者は神から召され,選ばれた義にかなった人で,深い信仰を持っています。主は聖霊を通して預言者に真理を明らかにされます。主は,真理をあらゆる人に教えるよう預言者に命じておられます。預言者を通して明らかにされた神の御言葉を信じる人は,祝福を受けます。
キリストの教会は使徒や預言者という土台の上に建てられています。使徒や預言者は,啓示によって教会を導きます。主はジョセフ・スミスを,この最後の神権時代の最初の預言者として,また頭として召されました。今日,末日聖徒イエス・キリスト教会を導いているジョセフ・スミスの後継者たちも,預言者であり,使徒です。教会の現在の大管長は,生ける預言者です。わたしたちは,神が選ばれた預言者を信じる信仰を持ち,預言者が神から召されていることを確信し,その教えに従わなければなりません。
わたしたちは,教会の指導者を公に支持する機会がしばしばあります。支持するとは,思いと言葉と行いをもって支えることです。わたしたちは自らを備える必要があります。そうすることで,預言者や使徒が語るときに,彼らの教えが真実であることを聖霊が確認してくださり,彼らの勧告に従う決意ができるようになるのです。
生ける預言者と使徒の勧告に耳を傾けて従う人は,正しい道から外れることがありません。生ける預言者の教えは,価値がめまぐるしく変わる世にあって,永遠の真理の錨となります。わたしたちが惨めで悲しい状況を避けられるよう助けてくれるのです。世の混乱と争いに圧倒されることなく,神の御心に従っているという確信をもって生活することができます。
十戒を守る
天の御父は,わたしたちに戒めをお与えになります。それは,わたしたちが何を行い,何を避けるべきか知り,御父が与えたいと望んでおられる祝福(喜び,良心の安らぎ,永続する幸福など)を受けられるようにするためです。神はモーセに,民を導くための十戒を授けられました。
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「あなたはわたしのほかに,なにものをも神としてはならない。」(出エジプト20:3)ほかの「神」には,財産や権力,名声などが含まれ得る。
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「あなたは自分のために,刻んだ像を造ってはならない。」(出エジプト20:4)
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「あなたは,あなたの神,主の名を,みだりに唱えてはならない。」(出エジプト20:7)
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「安息日を覚えて,これを聖とせよ。」(出エジプト20:8)
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「あなたの父と母を敬え。」(出エジプト20:12)
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「あなたは殺してはならない。」(出エジプト20:13)
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「あなたは姦淫してはならない。」(出エジプト20:14)
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「あなたは盗んではならない。」(出エジプト20:15)
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「あなたは隣人について,偽証してはならない。」(出エジプト20:16)
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「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。」(出エジプト20:17)
この十戒は,今日にあっても有効です。十戒は神を礼拝し,敬うよう教えています。また,わたしたちが互いにどのように接したらよいかを教えています。
純潔の律法に従って生活する
主は純潔を喜ばれます。純潔とは,あらゆる性的な関係を一人の夫(女性の場合),あるいは一人の妻(男性の場合)との間にとどめることを意味します。結婚前の性的な関係を厳格に慎むこと,また結婚後は,伴侶に完全な貞節と誠実を誓うことでもあります。純潔の律法に従って生活している人々は,自制のもたらす強さを得ることができます。家族関係にあって自信を持ち,信頼を得ることができます。また生活の中で,いっそう聖霊の影響力を感じられるようになります。この律法を破る人々は,長らく羞恥心や罪悪感にさいなまれ,人生において重荷を負うことになります。
純潔であるには,思いと行いが誠実でなければなりません。思いを清く保ち,服装や,言葉遣い,行動において慎み深くあることが求められます。どのような形であれ,ポルノグラフィーを避けなければなりません。神から与えられた生殖の力と,わたしたちの体を,神聖なものとして扱う必要があるのです。性的な関係は神が授けてくださった力によるものであり,子供をもうけ,結婚した夫婦間のきずなを強めることを可能にしてくれるものです。
同性にひかれることがある人々も,同じように純潔の律法を守り,神との聖約を交わすべきです。同性にひかれる経験,あるいはゲイ,レスビアン,バイセクシャルと自認すること自体は罪ではなく,それによって教会への参加や召しを受けること,神殿参入を禁じられることはありません。
バプテスマ志願者は,純潔の律法を守っていなければなりません。これは,法的に結婚している一人の男性と一人の女性間を除き,あらゆる性的な関係を禁じるものです。堕胎や,同性愛にかかわることも認められません。御自分の子供たち皆を愛しておられる神は,イエス・キリストを通じて愛の手を差し伸べてくださいます(ローマ5:8参照)。性的な罪を犯した人々にも悔い改めと赦しへの道が開かれており,幸福に暮らすことができるのです(2ニーファイ5:27参照)。
知恵の言葉に従う
主は預言者ジョセフ・スミスに,知恵の言葉と呼ばれる,健康の律法を啓示されました。この律法は体を健康に保ち,悪の影響力から逃れるために,取るべきものと取るべきではないものについて教えています。これを守る人は,健康と強さが祝福され,悪から守られ,霊的な真理に対して深い理解力を授かると,主は約束しておられます。
わたしたちの体は,神聖なものだということを忘れてはなりません。わたしたちは自分の体を大切にし,敬わなければならないのです。知恵の言葉は,健康に良い食物を取るよう教えています。はっきりと具体的に,アルコールやたばこ,茶,コーヒーといった有害な物質を避けるように教えているのです。また,どのような形であれ,有害な薬物も取ってはなりません。あなたの教えている人たちがバプテスマと確認を受けるためには,以上の物質を取ることをやめなければなりません。知恵の言葉に従う人々は,霊的な真理を受け入れやすくなるのです。
伝道地の文化で許容されているそのほかの特定の物質が,知恵の言葉の禁止事項に該当するかは,伝道部会長が質問に応じてくれます。
什分の一の律法を守る
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になることで受ける大きな祝福の一つは,什分の一を納めることによって,神の王国の発展に寄与できるという特権です。什分の一は,古代から実施されていた神聖な教えです。例えば,旧約聖書の預言者アブラハムは,全財産の10分の1を納めました(アルマ13:15参照)。
什分の一を納める者たちに,主は「天の窓を開いて,あふるる恵みを,あなたがたに注ぐ」と約束しておられます(マラキ3:10)。こうした祝福が物質的なものであるか,霊的なものであるかは分かりませんが,神の定められたこの律法に従う人々には,必ず与えられるものです。
什分の一とは,文字どおり10分の1を意味します。わたしたちが祝福を受けられるように,主は産物,すなわち収入の10分の1を納めるよう,わたしたちに命じられました。わたしたちは什分の一を通して,主の王国の建設を助ける機会を与えられます。什分の一は神聖なものであり,什分の一を納めることで,わたしたちは主を敬っていることを示すのです。神は,正直に什分の一を納める人を豊かに祝福すると約束しておられます。什分の一を納めない人は,神のものを盗んでいます(マラキ3:8参照)。本来主に属するものを,自分の所有物としているからです。わたしたちは,まず神の国を求めなければなりません。什分の一は,それを実行するための大切な方法なのです。什分の一を納めることは,信仰の表れです。神と神の業に対する信仰を,目に見える形で表すということなのです。
什分の一基金は,教会で現在行われている活動を支えるために使われます。神殿および集会所の建設とその維持や,世界中に福音を広めること,神殿や家族歴史活動の実施など,世界中で行われている多くの活動がこれに当たります。地元の教会指導者に什分の一が支払われることはありません。どのような形の報酬も受け取ることなく,ボランティアで奉仕しているのです。
地元の教会指導者は,受け取った什分の一を毎週教会本部に送金します。神聖な什分の一基金を使う具体的な方法を決めるのは,大管長会,十二使徒定員会,管理ビショップリックで構成される評議会です。
断食の律法を守る
断食をするようにとの神の戒めを守る人は,大いなる祝福を受けます。断食とは,一定の時間飲食を断つことです。通常,毎月第1日曜日が断食のための特別な日に定められています。人々は続けて2食を断ち,祈り,証を述べます。断食と祈りは表裏一体のものです。信仰をもって断食し,祈るなら,祈りの答えを受けやすくなります。 そして,主の祝福を敏感に感じることができるようになるのです。主は,絶えずわたしたちを導いてくださることを約束しておられます。具体的な目的をもって断食し,祈るべきです。断食は個人的かつ霊的な行為であり,その行為自体に気を取られてはなりません。
真の信心とは,貧しい人々に関心を寄せることでもあります。彼らが物質的,また霊的な必要を満たすことができるよう助けなければなりません。断食するとき,わたしたちは貧しい人や困っている人々を助ける目的で教会に献金します。これを断食献金と呼んでいます。少なくとも,2食を断つことによって出費しなかった金額をささげます。これは,2食分の食費以上の金額を払ってはならないということではありません。家計の許すかぎり,惜しみなくささげるよう勧められています。わたしたちは貧しい人々の世話をすることにより,バプテスマの聖約を果たし,罪の赦しを保つことができるのです。
法律を守り,敬う
あらゆる地の末日聖徒は,自分が住んでいる国の法律に従うべきことを信じています。教会員は,善良な市民となり,市や国の政治活動に参加し,地域社会で奉仕するよう勧められています。しかしながら,それは関心を持つ一市民として行動するものであって,教会を代表して行うものではありません。