「イエス・キリストを人生の中心に据える」トピックと質問(2023年)
質問に対する答えを探し求める
イエス・キリストを人生の中心に据える
イエス・キリストを信じる信仰は,人生で最も難しい問いへの答えを追い求めるうえで不可欠な要素です。わたしたちは,信仰を強い信念として捉えがちです。しかし,信仰とは信念以上のものであり,信頼,確信,忠誠心を伴います。難しい問いや懸念を抱くとき,わたしたちはいつでもイエス・キリストに頼ることができます。主の言葉に耳を傾け,主の教えに従い,主が愛されたように人々を愛する努力をするなら,わたしたちの信仰は高められます。
ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。「平和の君に対する信仰を育むとき,平安は皆さんにももたらされます。」1心に留めておくべきことを幾つかご紹介します。
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イエス・キリストはわたしたちの信仰の堅固な基であられる—日々の生活にあって,わたしたちは多くの人々や組織に信頼を置いています。これには家族や友人,政府,雇用主などが含まれます。しかし,イエス・キリストこそ,わたしたちが平安と救いへの希望を託し,全幅の信頼を寄せることのできる唯一の御方なのです。教会が確立されたのは,人々を主のもとへ導くためです。信仰の他の側面で悩みを抱えるときも,皆さんはイエス・キリストを完全に信頼することができます。
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イエス・キリストは完全な共感力を備えておられる—最も困難な試練にあって,わたしたちは救い主に近づく機会を得ます。キリストのほか,わたしたちの苦悩に完全な共感を示すことのできる御方はいません。主は御自分が仕えた人々とともに,涙を流されました。孤独や精神的な苦悩に加え,御父の臨在が失われることさえも経験なさいました。主に頼るなら,理解力と思いやりを見いだすことができます。
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神の救いの計画は,新たな視点を与えてくれる—天の御父の計画を視野に入れるなら,わたしたちの疑問の多くに対して異なった見方ができるようになります。ダリン・H・オークス管長は次のように教えています。「わたしたちは〔神が明らかにされた計画〕を知らない人々とは異なる前提から始めます。その結果,わたしたちは……多くの重要な事柄について,異なる結論にたどり着きます。」2救いの計画を視野に入れて自らの問いを検討することは,わたしたちの懸念を永遠の観点をもって理解する助けとなります。
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主要な問いと二次的な問いが存在する—時には,歴史的な出来事や教会の教えや方針,あるいは人の失敗に関して疑問や懸念を抱くことがあります。このような問いに対して平安を見いだすには,真摯に努力する必要があります。しかしながら,福音の核となる真理と,それほど重要でない事柄を区別することは大切です。ジョセフ・スミスは,救い主の救いの使命を取り巻く真理に対して,「ほかのすべての事柄は……付随するものに〔すぎない〕」と教えています。3
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信仰を選ぶ—霊的な知識を得るには,「見えるものによらないで,信仰によって〔歩む〕」ことが求められます。4霊的な事柄に関して,目に見える証拠が得られるまで待ち続けるなら,イエス・キリストに対する信仰を育む過程を歩み始めることは決してありません。デール・G・レンランド長老は次のように教えています。「信仰を育てるために,人は信仰を持つことを選ばなければなりません。信仰を持ちたいと強く願い,信仰をもって行動しなければなりません。」5
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自分が知っていることにしっかりとつかまる—自らの信仰に不安を覚えるときは,「すでに知っていることに固くしがみついて,新たな知識を得るまで,強く〔ある〕」よう,ジェフリー・R・ホランド長老は助言しています。6過去にあった霊的な経験を信頼してください。それらは,イエス・キリストを信じる皆さんの信仰に対し,神が霊的な確信をもって報いてくださった証拠なのです。