「第1課 教師用資料:『わたしに学びなさい』という救い主の招きを受け入れる」『イエス・キリストとその永遠の福音 教師用資料』(2023年)
「第1課 教師用資料」『イエス・キリストとその永遠の福音 教師用資料』
第1課 教師用資料
「わたしに学びなさい」という救い主の招きを受け入れる
このコースは皆さんと生徒に,イエス・キリストとその永遠の福音への信仰を増し加えるすばらしい機会を提供します。生徒はこの課で,「わたしに学びなさい」という救い主の招きをさらに十分に受け入れるために何ができるかを考えます。また,霊的な真理を,研究と信仰を通して学ぶことの大切さについても考えます。
教えるための提案
イエス・キリストは「御自分に学ぶ」ようすべての人を招いておられる
注:インスティテュートの使命の中核を成しているのは,だれもが安心でき,支えられ,大切にされていると感じられる環境を育むことです。帰属感を生み出すことができるように,クラスの初めに,互いを知り合うための時間を取るとよいでしょう。また,このコース全体を通じて,すべての生徒がクラスで歓迎され,愛されていると感じられるよう助ける方法を模索するとよいでしょう。
クラスの初めに,イエス・キリストの絵を見せ,イエス・キリストに対する気持ちを短く分かち合うとよいでしょう。また,数人の生徒に,救い主についてどのように感じているかを分かち合ってもらうこともできます。
マタイ11:28-30と教義と聖約19:23をクラスで読み,その中の招きや約束されている祝福について印象に残ったことを生徒に尋ねます。生徒が次のような真理を見つけるとき,これらの招きが個人的で愛に満ちたものであることを強調するとよいでしょう:イエス・キリストは,御自分に学び,主の平安を味わうようわたしたち一人一人を招いておられる。
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「キリストに学ぶ」とはどういう意味だと思いますか。(必要に応じて,準備資料のセクション1にあるキム・B・クラーク長老の言葉を生徒に読み返してもらいます。)
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平安や休みを与える,重荷を軽くするという約束が,「イエス・キリストに学ぶ」ことと結びついているのはなぜだと思いますか。これまで,どのような形でこのような祝福を味わってきましたか。
ホワイトボードに,「福音=良い知らせ」という言葉を書いてもよいでしょう。その後,3ニーファイ27:13-16,20-21を生徒に読んでもらい,二人一組か少人数のグループで以下の質問について話し合ってもらいます。
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救い主によれば,主の福音の中核となる真理とはどのようなものでしょうか。これらの真理が,それほどまでに良い知らせなのはなぜでしょうか。(準備資料のセクション1にあるジェフリー・R・ホランド長老の言葉を読み返してもよいでしょう。)
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福音を学び,福音に従って生活することは,「救い主に学び」,さらに救い主のようになるうえで,どのような助けとなってきましたか。
主は,霊的な真理を学ぶ方法を教えておられる
イエス・キリストとその福音に関する霊的な真理を学ぶ際に取ることのできる方法の重要性について,生徒が深く考えられるよう助けるために,次のシナリオを提示するとよいでしょう:
生徒に二人一組で答えを分かち合ってもらい,「救い主に学ぶ」ために科学的な手法に頼ることの限界について,クラスで話し合うとよいでしょう。(準備資料のセクション2にあるポール・V・ジョンソン長老の言葉を紹介してもよいでしょう。)話し合いを深めるために,以下の質問を一つ以上尋ねるとよいでしょう:
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霊的な真理を学ぶために用いる主の方法とは,どのようなものですか。(教義と聖約88:118を読むとよいでしょう。)
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信仰によって学ぶとはどういうことですか。(準備資料のセクション2にあるラッセル・M・ネルソン大管長の言葉を読み返すと助けになるでしょう。次のような真理を見つけられるよう生徒を助けることもできます:信仰をもって行動することにより福音を学ぼうと努めるなら,イエス・キリストを信じる信仰は増し加わる。)
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聖文に登場する人物や知っている人の中から,信仰をもって行動したことで学びを得た人の例を挙げてください。少し時間を取って,信仰をもって行動したことによって,イエス・キリストについて何かを学んだときのことを考えてください。主について,どのようなことを学びましたか。
数分時間を取って,このコースで救い主について最も学びたいと思っていることや,どのように「救い主に学ぶ」能力を高めることができるかを生徒に深く考えてもらい,それを記録してもらうとよいでしょう。目標を書き留めるよう生徒に勧めます。今後数週間のうちに,生徒に自分の目標を確認してもらう機会を見つけます。
次回に向けて
次回のクラスに向けて学ぶ際,イエス・キリストの様々な名称や称号から,主について学べることを見つけるよう生徒に勧めます。または,わたしたちが救い主を「生けるキリスト」と呼ぶ理由について,生徒に深く考えてもらってもよいでしょう。