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第4課 安息日


第4課

安息日

目的 安息日を聖く過ごす。

安息日を聖く過ごすのはなぜか

戒め

主は十戒の4番目の戒めとして,「安息日を覚えて,これを聖とせよ」(出エジプト20:8)と言われました。

「聖とする」とはどういう意味でしょうか。(神に仕える日として区別する,神聖に保つ。詳しくは『福音の原則』第24章,146-47ページ「安息日を聖く過ごすには」を参照する)

主は安息日を聖く過ごすように命じられたとき,次のように説明されました。「六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神,主の安息であるから,なんのわざをもしてはならない」(出エジプト20:9-10

祝福

主は安息日を聖日とすることによって,わたしたちに休息の機会を与えてくださいました。わたしたちに休息が必要であることを御存じだからです。どのような仕事であれ,わたしたちは労働を休むことによって,肉体を活気づける必要があります。また,別の事柄に意識を向けることによって,精神を新たにする必要があります。さらに,主を礼拝することによって,霊を養う必要があります。安息日はこれらの必要を満たす機会であり,霊性を高め,喜びと平安を得る日なのです。したがって,わたしたちは安息日を週の最良の日としなくてはなりません。

安息日がなければ,わたしたちの生活はどのようになるでしょうか。(天父や救い主について,また主がわたしたちのためになされた御業について考えることができない。俗世のわずらいから離れて休息を得ることができない。毎週教会員と会って励ましや霊感を受けることができない。霊性の向上に役立つ事柄を行う時間が得られなくなる。心が狭く,利己的になるかもしれない)

主は預言者イザヤを通して,次のように言われました。「『わが聖日にあなたの楽しみをなさず,安息日を喜びの日と呼び,主の聖日を尊ぶべき日ととなえ,これを尊んで,おのが道を行わず,おのが楽しみを求めず,むなしい言葉を語らないならば,そのときあなたは主によって喜びを得(る),』これは主の口から語られたものである。」(イザヤ58:13-14

主は安息日を聖く過ごす人々に祝福を与えると約束しておられます。

安息日を聖く過ごすには

よく準備する

安息日を聖く過ごすには,日常の仕事を離れて教会の集会に出席し,聖日にふさわしい事柄を行うことによって,平安な一日を送れるように備えなくてはなりません。そのためには,残りの6日間にかなりの準備をしておくことが必要です。特に母親は,前もって計画を立て,家族が計画を実行できるように助けることが必要になってきます。

アメリカ合衆国に住むマリリン・T・ブロックバンク姉妹は,母親として安息日に備えるようになったときの経験を次のように記しています。

「わたしは夫にこう言ったのを覚えています。『一体わたしのどこが悪いと言うの。土曜日の午後から頭痛がして,月曜日まで少しも心が安まらないわ。約束された祝福はどうなっているの。安息日は守って,映画も見なければ買物もしないで,ちゃんと教会の集会に出席しているわ。それなのにどこが悪いって言うの。』でも,わたしには思い当たる節があったのです。

わたしは安息日にそっと洗たくや床の掃除をするとき,あるいは教会後の心休まる時間に縫い物をしたり,テレビを見たりするときに,戒めを守っていないので祝福が受けられないと内心感じていました。

次の安息日から聖く過ごそうと決心したとき,わたしはこのうえない平安と喜びを感じました。一度決心をすると,具体的に何をしたらよいかが次々に心に浮かんできました。

まず初めに,土曜日の夜までにしておくべき事柄を細かく書き出すことにしました。例えば,部屋の掃除,安息日に着る家族全員の衣服の用意,靴みがきなどです。さらには月曜日の朝子供たちが学校へ着て行く服もそろえておくことにしました。子供たちを入浴させ,洗髪させるのはもちろんのこと自分の髪もセットしなくてはなりません。また日曜学校で音楽の責任を受けていたので,そちらの準備もする必要がありました。

次に,安息日の三度の食事の献立を決め,買い物をして,あらかじめ準備しておきました。

こうして,安息日に平安な気持ちを味わえるようになったのです。次第に安息日が楽しみになりました。与えられた貴重な時間に書物を読み,考え,瞑想し,祈り,心ゆくまで休息を取って心を新たにすることができて,自然と笑みがこぼれるようになりました。

……子供たちの世話や扱いにも,それまで以上の知恵と力を傾けるようになりました。また,愛する思いが心に満ちて,あふれるばかりの愛を子供たちに注ぐようになったのです。そればかりでなく,心の中が御霊で満たされ,主を近くに感じ,祈るときに主の愛と新たな喜びを感じるようになりました。

主は,わたしたちが命じられたことを行えるように道を備えると言われました。それだけでなく,御霊の賜物を直接に与えると約束しておられます。

……それぞれの困難な状況の中で主に近づいていくならば,わたしが経験したように,知識と霊感が与えられることを証します。」(“Prepare to Keep the Sabbath Day Holy,” Ensign,1972年3月号,44-45)

  • 安息日に備えるために何ができるでしょうか。独身女性は,母親が安息日の準備をするときにどのような手伝いができるでしょうか。

  • 視覚資料4-a「安息日の朝のふさわしくない過ごし方」を見せる。安息日にこのようなことをするのはなぜふさわしくないのでしょうか。この家族が土曜日までに済ませておかなくてはならないことは何でしょうか。

  • 視覚資料4-b「土曜日」(『子供の歌集』105)を全員で歌うか,何人かの姉妹に歌ってもらう。歌うことができなければ,歌詞を読む。

    どようびには

    にちようのじゅんびをするひです

    いえの そうじ かいもの

    すませておきましょう

    ふく と くつ きんれいに

    しごともすませましょう

    つめとかみをきれにに

    あんそくびにそなえ

ダリン・H・オークス長老は,ブリガム・ヤング大学の学長を務めていたとき,学生時代の経験について次のように語っています。

「わたしがシカゴ大学で学ぶためにこのキャンパスを離れるとき,母は,父が専門職の訓練を受けていたときでも安息日に勉強をしたことは一度もなかったと話してくれました。そしてさりげなくこう言いました。『この祝福を得たいと思うなら,安息日には,主の日に与えられる霊の糧を得る以外に,勉強も含めて,何もしないでよいように計画を立てなさい。』

わたしはそのとき,安息日を忠実に守る決心をしました。そして,主の安息日を忠実に守る人に与えられる祝福,すなわち霊的に成長し,御霊を伴侶とするという祝福にふさわしくなろうと決めたのです。わたしは確かにあらゆる機会を通してこの祝福を受けたことを証します。」(“The Blessing of Commandments,” Speeches of the Year,1974年,219)

両親は,子供が土曜日までに学校の勉強を済ませ,安息日には休めるように励ます必要があります。

子供たちの備え,家の整頓,食事や衣服の用意のほかにも,安息日のために準備できることがあります。例えば,土曜日の夜に十分な睡眠を取る,レクリエーションやスポーツ,その他の娯楽を日曜日でなく週日に行う,などです。

安息日によく備えるならば,家庭内にいっそうの平安がもたらされます。また霊的な備えができるため,御霊の声を敏感に感じ取るようになります。こうしてわたしたちは,主の日を聖く過ごす者に与えられる祝福を享受できるのです。

ブロックバンク姉妹は安息日を聖く過ごすことによってどのような祝福を受けましたか。(平安。読書し,考え,瞑想する時間。問題解決に必要な力と知恵,子供たちへの愛。御霊の助け。神を近くに感じた)

正しい礼拝,休息,奉仕

教会の集会に出席すると,ほかにも祝福を受けます。わたしたちは,ともに主を礼拝することによって霊的に高められ,賛美歌を歌うことによって「頭に祝福」(教義と聖約25:12)を招きます。また,聖餐にあずかることにより,世の悪や誘惑を退ける力が強められるのです(教義と聖約59:9参照)。

安息日を聖く過ごすと,思わぬ祝福を受けることがよくあります。あるレストランの経営者は,経済的な犠牲を払っても安息日の律法を守る価値があると信じて,日曜日に店を閉めました。彼は後に,次のように語っています。「日曜日に休業した年の売り上げは,これまでの最高を記録しました。……

その後もわたしたちは主から祝福を受け,もし日曜日にあのまま営業を続けていたらとうてい得られないほど,経済的にも霊的にも豊かになったのです。

わたしは,末日聖徒が仕事に成功する最も確かな方法は,主が命じておられるように,安息日を尊ぶことであると確信しています。」(エズラ・タフト・ベンソンによる引用,“Keeping the Sabbath Day Holy,” Ensign,1971年5月号,7)

スペンサー・W・キンボール大管長は次のように記しています。「今日クリスチャンの住む多くの地方で,人々は聖なる安息日に,商店を開かせ,営業させています。これを正せるのはわたしたちです。もしわたしたちが買わないようにするならば,商店は店を開けないことでしょう。どうぞこのことについてもう一度考えてください。家庭の夕べで子供たちと話し合ってください。もしすべての家族が今後一切,安息日に買物をしないと決心するなら,なんとすばらしいことでしょうか。」(「実践の時代」『聖徒の道』1976年2月号,36参照)

  • 安息日を尊ぶならば,どのような祝福を享受できるでしょうか。安息日を尊ぶことによって受けた祝福について,自身の証を述べる。

大管長会は次のように説明しています。「安息日は単に働きを休むだけの日ではありません。……安息日は聖日であり,敬虔になって礼拝をささげるべき主の日です。」(“The Sabbath,” Church News,1959年7月11日付,3)

  • 視覚資料4-c「聖餐をとる末日聖徒」,4-d「聖文を読む女性」を見せる。

  • 割り当てを与えておいた姉妹に,『福音の原則』第24章の「安息日を聖く過ごすには」の中から安息日にすべき事柄を簡単に発表してもらう。発表の内容を黒板に書き出す。

  • 安息日を聖く過ごすためにほかにも何かよい方法があるでしょうか。

安息日を聖く過ごすためにできる事柄を独身女性に発表してもらう。

主は,安息日に休む特権がすべての人に与えられるように望んでおられます。職業によっては,病院で働く人のように,毎日働かなければならない場合もあります。可能なかぎり,わたしたちは働きを休み,ほかの人も休めるようにしなければなりません。

  • 日曜日に買物やレクリエーション活動をすると,安息日の祝福が得られないのはなぜでしょうか。(思いがこの世的になり,天父とのつながりを弱める。習慣になりやすく,安息日を守れないようになっていく。買物をすれば,ほかの人を働かせることになる)

  • 安息日の目的を忘れないことは,主の日を聖く過ごすうえでどのように役立つでしょうか。(安息日がわたしたちを霊的,肉体的に祝福するために与えられたことを思い起こせば,安息日を聖く保ち,約束された祝福を受けたいと望むようになる)

安息日は祝福を受けるだけの日ではありません。安息日は,ほかの人にとって祝福となる事柄を行い,救い主の模範に従う日でもあります。主は安息日に,助けを必要とする人々に手を差し伸べられました(マルコ3:1-6ヨハネ9:13-16参照)。孤独を味わっている人は大勢います。励ましを必要としている人や,話し相手を必要としている人もいます。安息日はそのような人々を助けるための日なのです。

まとめ

主はわたしたちを祝福するために安息日を設けてくださいました。わたしたちが安息日に備え,その日を聖日として尊ぶならば,わたしたちは約束された祝福を受けることができるでしょう。

チャレンジ

安息日を聖く過ごすことによって得られる祝福について家族で話し合う。安息日をこれまでよりも聖く過ごすためにできる事柄について,家族で計画を立てる。日曜日を平安と安息の日として静かに楽しく過ごせるように,何を行うかを決める。家族に「土曜日」(『子供の歌集』105)の歌を教える。

参照聖句

教師の準備

レッスンの前に,以下の事柄を行う。

  1. 『福音の原則』第24章「安息日」を読む。

  2. 一人の生徒に,安息日にすべき事柄について簡単に発表する割り当てを与える。

  3. 黒板とチョークを用意する。

  4. 「土曜日」(『子供の歌集』105)をクラスで歌うため,自分で練習するか,または何人かの姉妹に依頼する。

  5. 本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。

ショッピング,労働、スポーツ鑑賞

4-a 安息日の亜差のふさわしくない過ごし方

聖餐をとる

4-b 「土曜日」(『子供の歌集』105)

聖典を勉強する姉妹

4-c 聖餐をとる末日聖徒