第13課
指導者に従う
目的 主によって召された指導者の勧告に従う。
主は預言者を通して語られる
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生徒に教義と聖約1:38を読んで,印を付けるように言う。
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今日,だれが主の預言者,代弁者として召されていますか。
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視覚資料12-c「歴代大管長」を見せる。
神が御言葉をわたしたちに明らかにされるとすれば,この地上には預言者がいなければなりません。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は恵まれて,地上にそのような預言者がいることと,彼を通して主の御心が明らかにされていることを知っています。預言者は主の御名によって語るとき,主がそこにいれば語られるであろう言葉をそのまま伝えるのです。
「わたしたちは,神がこれまでに啓示されたすべてのこと,神が今啓示されるすべてのことを信じる。またわたしたちは,神がこの後も,神の王国に関する多くの偉大で重要なことを啓示されると信じる。」(信仰箇条1:9)
まことの教会の一員として生活し,預言者を通して今日の主の御心を知ることができるのは,大きな祝福です。わたしたちは,主が預言者を通して語られることを知るときに,救い主が生きてわたしたちを愛し,関心を寄せておられることを再認識できます。
教会を導く預言者が,わたしたちを迷わせることは決してありません。預言者は現在の生活に関することを告げるので,その勧告にいつも従うことができます。預言者は年に2回の総大会で,主から与えられる指示を伝えます。また,世界各地で開かれる地域大会でも主の勧告について語ります。預言者の大会説教の大部分は,教会の機関誌に掲載されます。
大管長のほかにも,預言者,聖見者,啓示者として支持されている人がいます。副管長と十二使徒定員会の人々がそうです。これらの兄弟たちも啓示を受けて主の御心を明らかにし,キリストの神性について証し,救いの計画を教え,儀式を執行します。
末日の預言者の一人であるハロルド・B・リー大管長は,次のように語っています。「主が現在,わたしたちのために望んでおられることを知りたいと思うなら,この大会で話された説教を手に入れて読むように勧告します。なぜなら,これらの指導者が聖霊の力によって語ることは,主の精神となり,主の御心となり,主の声となり,救いに導く神の力となるからです。」(Conference Report,1973年4月,176;Ensign,1973年7月号,121)
預言者はわたしたちを愛し,わたしたちに関心を払っています。預言者は,わたしたちが主の勧告に従うときにのみ完全な進歩と喜びが得られることを知っています。そして,実生活のすべてにわたって必要な指示を与えています。例えば,スペンサー・W・キンボール大管長は,家や庭を美しくし,家庭菜園や食糧貯蔵を進めるように奨励しました。また,知恵の言葉を守り,よく準備された専任宣教師を送り出すようにチャレンジしました。また,かけ事や離婚,堕胎,不道徳,ポルノグラフィー,同性愛を避け,神殿に参入し,安息日を聖く過ごすように言いました。それだけでなく,悔い改めて,神の不変の標準に従って生活し,愛ある家庭を築くように勧告しました。(「わたしを主よ,主よ,と呼びながら,なぜわたしの言うことを行わないのか」『聖徒の道』1975年8月号,375-78参照)
主の預言者に啓示される事柄に対して証を持つ責任がある
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今日,預言者や中央幹部のメッセージは何によって知ることができますか。(大会やその特集号,教会公認の出版物)
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預言者が主の代弁者であることを知ると,その勧告に従いたいという思いが強まるのはなぜですか。(預言者が主の御心を伝えていると確信できるから。預言者がわたしたちのために助けを祈り求めていることが分かるから)
教会が回復された当時,多くの人々が預言者ジョセフ・スミスに会うことを切望していました。実際にジョセフ・スミスに会った人の多くは,霊的な経験をして,彼がまさしく主に選ばれた僕であるという確信を得たのでした。エミリーン・B・ウェルズ姉妹は,預言者について証を強める機会となった二つの経験について語っています。最初は預言者に初めて会ったときで,次は預言者の殉教後に起きたブリガム・ヤング大管長の変貌を目にしたときのことです。
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割り当てておいた姉妹に,以下の話を読んでもらう。
「1952年の夏,支部の若い姉妹たちが集まって,フィンランドのヘルシンキ近郊でガールズ・キャンプを行い,予定されているマッケイ大管長の訪問を心待ちにしていました。高いかばの木が茂った美しい森が,大管長を迎える場所に選ばれました。夏の間,ずっと晴天の日が続いたので,わたしたちはこの特別な日も晴れるに違いないと信じていました。
来訪の日が近づくと,大管長のことで話はもちきりになりました。一人の姉妹が突然このように言いました。『もし大管長の見かけや行いが預言者らしくなかったら,わたしたちの証はどうなるかしら。』少しずつですが,心の中に疑いの気持ちが入り込んできました。このような疑いに曇るわたしたちの心を知ってか,天気まで下り坂になり,預言者が来る当日は黒雲が立ちこめ,どしゃ降りになる始末でした。今でも覚えていますが,わたしは友人と一緒に大きな木の下に腰を下ろして,湖面に打ちつける雨を見つめていました。大管長が期待にこたえてくれそうもない人物のような気がして,わたしはひどく動揺していました。絵で見る古代の預言者のように白いローブではなく,普通の格好で来ることは承知していました。わたしは自分の証を失うことが怖くて,できるものなら,その場を逃げ出したいくらいでした。しかし,それはできませんでした。わたしには歓迎のあいさつをする責任が与えられていたからです。
森の方に向かって歩いていくうちに,雨は止んだものの,空はどんよりと雲が垂れて,暗闇のようでした。スカウトの制服はびしょぬれになり,情熱までも消えてしまったようでした。わたしたちは沈黙したまま……待っていました。わたしは列の中央に立ち,3歩前へ出て,マッケイ大管長と一行に歓迎の言葉を述べ,マッケイ姉妹には誕生日を祝う言葉と花を差し上げることになっていました。
やがて,暗い霧が立ちこめる中を一台の黒い車が走ってきました。ちょうどマッケイ大管長が車を降りようとした瞬間に,雲の間から陽の光が射してきて,見る間にあたり一面が明るくなりました。森の木や草は,葉のしずくに陽光を浴びてまばゆく輝いていました。わたしたちは,強い日差しに目がくらんで,しばらくの間何も見ることができませんでした。
わたしはマッケイ大管長を見ようとしましたが,はっきり見ることはできませんでした。ただ,太陽を背に立った大管長の堂々とした姿をシルエットで見ただけで,美しい白髪に光が反射している様子は,まるで後光がさしているかのようでした。だれもが息をのみ畏敬の念に沈黙したまま,立ちすくんでいました。
とうとう,3歩前へ出て大管長に歓迎のあいさつを述べるときになりましたが,どうしても体が動きません。もし前に出ようものなら,大管長はさっきまでわたしが心に抱いていた疑いや恐れをすぐに見抜いてしまうに違いないと思ったのです。みんながわたしを待っていました。でも,わたしはどうすることもできませんでした。
とうとう伝道部長が促すようにこう言うのが聞こえました。『ヴァールカマ姉妹,何か言うことがあるのではありませんか。』わたしはやむなく小またで3歩前へ出ました。すると涙がほおを伝って流れてきました。
わたしは,話そうとしましたが,頭の中が混乱して戸惑い,すすり泣くばかりでした。そのとき,マッケイ大管長はこのような言葉をかけてくれたのです。『さあ,ここにいらっしゃい。』
わたしがそばに行くと,大管長はわたしの手を取って,わたしが歓迎のあいさつを述べる間ずっと握っていてくれました。わたしはそのとき,大管長の日焼けした顔と優しいまなざしに気づきました。わたしにとって歓迎の言葉を言うことが大切であるように,大管長にとっては,わたしを助けることが大切であるかのように感じました。大管長の手から言いようのない平安が伝わってきて,さっきまで感じていた恐れは消え去り,わたしは深い愛に包まれました。そして,マッケイ大管長が神の預言者であり,わたしたちを裁くためではなく,愛するために来られたことを知ることができたのです。」(“When the Sun Broke Through,” Ensign,1976年8月号,37)
ピーターセン姉妹のように直接預言者に会う機会がない人もいますが,だれでも学び,祈り,求めることによって,預言者の召しに対する証を得ることができます。証は様々な方法を通して得られます。わたしたちは皆,生ける預言者に対する自分自身の証を得る必要があります。
生徒の中に預言者に会ったことのある人や預言者について証のある人がいれば,そのときの経験について話してもらう。
わたしたちは個人や家族の祈りの中で,預言者のために祈ります。次の話にあるように,子供たちに預言者に感謝することや,預言者のために祈ることを教える必要があります。
「ある家族は,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長が亡くなったというニュースを聞くと,すぐにひざまずいて祈りました。父親は,この立派な預言者の時代に生活できたことを感謝し,今までのすべての預言者,特に〔新しい大管長の〕ハロルド・B・リー大管長について主に感謝しました。そして,子供たちが新しい大管長のことをよく知って,その教えを学べるように祈りました。『どうぞ,このすばらしい子供たちが預言者に従う人々に従い,リー大管長が行わないことは決してしないように,祝福してください。』」(マリアン・P・ソレンセン「祈りによって子供を教える」『聖徒の道』1973年10月号,440参照)
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このような経験から,子供たちは預言者に従うことについて何を学ぶでしょうか。
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預言者に対する証はどのようにしたら得られるでしょうか。(預言者の勧告に従う,預言者であることを知るために祈る,ほかの人の証に耳を傾ける)
神権指導者は神から召される
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視覚資料13-a「神権役員を支持する会員」を見せる。
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主は今日,預言者のほかにどのような人を通して,わたしたちに語りかけておられますか。(わたしたちを導くために任命されたふさわしい教会員を通して)
預言者をはじめ,とする中央幹部は,教会のすべてのユニットを管理します。しかし,彼らが全ユニットを直接指導するのは不可能ですから,ほかの人々に管理運営の権限を委任しています。主は,中央幹部の指導の下に地元の教会員を導く指導者を召しておられます。これら地元の指導者は,人々を義へと導くために啓示によって召されます。たとえ本人が指導者として召されるには準備や訓練が足りないと思っても,主はその人をその時期に,教会を導くように選ばれたのです。そして,召しを果たせるようにその人の能力を高めてくださいます。
地元の指導者が選ばれると,賛成の挙手を受けるために名前が提示されます。わたしたちは賛成の表明をするとき,召された人々を支持し,助けることを約束します。
七十人第一定員会のS・デルワース・ヤング長老は次のように言っています。
「これはわたしたちの認めるところですが,いかなることであれ,命じられる事柄にすべて従うためには,それらの命令を下す指導者に従わなくてはなりません。」(Conference Report,1967年4月,40;The Principle of Obedience,” Improvement Era,1967年6月号,49)
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地元の神権指導者はわたしたちに何をするように求めているでしょうか。わたしたちは,指導者が神から召されていると信じる気持ちを表すにはどうしたらよいでしょうか。
母親は子供たちに,地元の神権指導者を支持して助けることを教える責任があります。決して指導者を批判したり,思いやりのない言葉を口にしたりしてはなりません。指導者を批判すると,自分自身の救いを危うくします。子供たちの前で神権指導者について話すときには,特に言葉に注意し,指導者を尊重すべきです。子供たちに主の王国における職を尊ぶように教える必要があります。そうすれば,子供たちは模範によって学び,教会の職に対して,また神権指導者として召される人々に対して,忠誠を尽くすようになるでしょう。
「神権者といえども生身の人間であり,過ちを犯すこともあるでしょう。……それにもかかわらず,神はこれらの人々を選ばれました。彼らが自分でそうしたのではなく,神から選ばれて聖なる神権の権能を授かり,この地上における神の代表者になったのです。
……聖なる神権の権能を持つ人に対して反対の声を挙げる者は悔い改めないかぎり,地獄に落とされるでしょう。」(ジョージ・Q・キャノン,Gospel Truth, sel. Jerreld L. Newquist, 2nd ed., 2 vols. 1974年,1:276)
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神権指導者を助けるためにわたしたちは何ができるでしょうか。(彼らのために祈る,批判をしない,敬意を払う,子供たちに神権指導者を敬うように教える,彼らの勧告に従う,与えられた責任を受け入れて果たす)
地元の神権指導者から個人の生活に関する援助を受ける
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視覚資料13-b「支部長から助言を受ける姉妹」を見せる。
地元の神権指導者(特にホームティーチャー,神権定員会指導者,支部長または監督,伝道部長,地方部長またはステーク会長)は,教会の諸事を行うためだけでなく,会員一人一人を助けるために召されています。わたしたちは個人的な問題があっても,ホームティーチャーや支部長,監督に援助を求めるのをためらうことがあります。理解してもらえないと考えるからです。また,とても恥ずかしくて話せないこともあります。しかし大管長会は次のように語っています。
「主は,男性,女性,子供に至るまですべての会員が,身近に親しく交わり,自己の抱える問題の状況をよく理解できる人を援助者として持ち,霊的・物質的な援助が受けられるように教会を組織されました。これら地元の神権指導者は,聖任や任命を受けたことにより,困っている人々に必要な助言を与えられるように,天から識別の力と霊感を授かる権利があります。監督や支部長の手で解決できないときには,ステーク会長や伝道部長に援助を要請し,それでも不可能な場合には,地域幹部七十人や〔地域担当の〕中央幹部に助言を求めることになっています。
したがって,わたしたち大管長会は,問題や疑問があって心を悩ましているすべての会員の皆さんに,監督や支部長のところに行って心ゆくまで話し合い,必要な援助を受けるようにお勧めします。」(「大管長会よりステーク会長,伝道部長,地方部長,監督,支部長にあてた手紙」1977年10月7日付)
神権指導者はわたしたちの問題解決を助けるために,特別にどのような賜物が与えられていますか。教義と聖約46:27を読み,監督や支部長に与えられている特別の賜物について学ぶ。(識別の賜物-真実を見分け,適切な判断をする力)
まとめ
天父はわたしたちを愛しておられ,わたしたちを導くために預言者を与えてくださいました。教会の大管長である預言者が,わたしたちを誤った道へ導くことは決してありません。わたしたちは預言者に対する証を持ち,預言者の言葉に耳を傾けるように子供たちに教えなければなりません。
地元の神権指導者もまた,わたしたちを助けるために神から召されています。わたしたちはこれらの指導者を支持し,助ける必要があります。個人的な問題で勧告やアドバイスを受けたときには,喜んで聞き従うべきです。
わたしたちが預言者や地元の指導者に愛と尊敬の気持ちを表すならば,周囲の人々もそのようにしたいと思うことでしょう。
チャレンジ
最近話された預言者の言葉を学ぶ。預言者の教えを毎日の生活の中で実践する。預言者と地元の神権指導者の責任について家族と話し合う。
参照聖句
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1ニーファイ22:2(すべての事柄は預言者に知らされる)
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教義と聖約21:4-6(預言者の言葉を神の言葉として受け入れる)
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教義と聖約43:1-7(教会に関する啓示は任命された一人の人だけを通して与えられる)
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教義と聖約107:71-74(イスラエルの判士である監督)
教師の準備
レッスンの前に,以下の事柄を行う。
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『福音の原則』第9章「神の預言者」を読む。
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本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。