第9課
清い思い
目的 思いを制する方法を学び,義を増し加える。
わたしたちの思いは取り巻く世界に影響される
七十人第一定員会のJ・トーマス・ファイアンズ長老は,人の思いについて次のように語っています。
「このアマゾン川は本流が世界最大であるばかりでなく,その支流の多くも大きな川になっています。……
これらの川の特徴は,色がそれぞれ異なっていることです。例えば,マデイラ川は白い川と呼ばれていますが,これは川の流れが細かい土を運んでいるためです。リオネグロ川が黒味を帯びているのは,森林の中を流れる間に腐敗しかけた有機物を運ぶためです。このほかにも,川底の白い砂が日の光を受けて,エメラルドグリーンや青緑色をたたえている川もあります。……
これらの川が運ぶ物質によって色合いが異なるように,わたしたちの思いの流れもそこを流れる物質によって色づけられます。……
低地をゆっくりと曲がりくねって流れる川は,水がにごって堆積物もたくさんあります。
高地から流れ下る川は……水流が強いので電力源となってわたしたちの必要を満たし,大きな船の航行も可能にします。」(Conference Report, Buenos Aires Argentina Area Conference,1975年,28-29)
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次の質問について考える。わたしたちの思いは,どこを流れていますか。またどのような色で,何を含んでいますか。
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コップ2個と水さしをテーブルの上に置き,片方のコップに泥を入れる。一人の姉妹に,水を飲むためにどちらかのコップを選んで水を入れるように言う。次にそのコップを選んだ理由を述べてもらう。
汚れたコップや容器で水を飲みたいと思う人はいません。汚れた水を飲みたくないからです。それでは,心に汚れた考えや思いを抱くことはどうでしょうか。
主は聖文の中で何度か,主に仕える人々を「器」と呼んでおられます(モロナイ7:31参照)。
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汚れた人が主の御霊を受けられないのはなぜですか。頭の中が不純な思いで満ちているとき,清い思いを持てないのはなぜですか。
この世はサタンの影響力に満ちています。わたしたちは劇や広告,音楽,映画,雑誌,テレビなどで,みだらな思いを誘うものにさらされています。犯罪や暴力,性倒錯,神聖を汚す行為,ポルノグラフィー,官能的な音楽が人々から受け入れられ,望まれてさえいます。わたしたちは才能を誤って用いるように,様々な方法でサタンから誘惑されているのです。こうした誘惑に立ち向かう備えができていなければ,不純な思いを抱きやすくなります。
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身近にはどのような悪の影響力がありますか。そのような悪い力に取り囲まれたとき,思いを清く保つために何ができますか。
思いは行動に影響を及ぼす
人が心に抱く概念には,強い力があります。人はまず思いを抱き,それから行います。行いは考えることから始まります。行おうと考えたことを行動に移すのです。善であれ悪であれ,何かを行おうと計画するときは,その行いや計画がまず心の中に浮かぶものです。
マッケイ大管長は,自分の経験について話しています。
「何年も前になりますが,わたしがヨーロッパ伝道部の部長を務めていたとき,一人の長老が訪ねてきて,罪深い行為を告白しました。彼はこう言って弁解をしました。『たまたま閉店間際の本屋にいたら,鍵をかけられたので,誘惑に負けてしまいました。』彼は自分の犯した罪を環境のせいにしたのです。
わたしはその宣教師に言いました。『いいえ,それは環境のせいではありません。ドアの鍵のせいでも,誘惑のせいでもないのです。あなたは本屋に行く以前に,その行為について考えていました。もし考えたことがなければ,いかなる環境にあろうと,宣教師であるあなたを堕落させるほどの環境などなかったでしょう。行動の前に必ず思いがあるのです。』
清い思い,高い理想,まことの愛について考えること,自制,人の役に立つこと,快活さ,これらはすべて,人格の向上に必要な原則です。自己中心的になったり,隣人に悪い感情を持ったり,喫煙や飲酒に心を引かれたりしていると,やがてはその思いが行いとなって表れるのです。」(“Cleanliness Is Next to Godliness,” Instructor,1965年3月号,86)
マッケイ大管長はさらに次のように述べています。「何も考えなくてよいときに何を考えているか言ってごらんなさい。そうすれば,あなたがどのような人物か教えてあげましょう。末日聖徒は高い理想を掲げ,清い思いを抱く責任があります。そのようにすれば,行いは理想と一致したものになるでしょう。」(Instructor,1965年3月号,86)
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視覚資料9-a「階段を洗う女性」を見せる。
オランダ人はきれい好きで知られています。女性はドアの取手をみがき,玄関を洗い,歩道まで掃除します。この習慣は,きれいな道を歩けば泥や汚れを家の中に持ち込むことがないという考えから生まれたものです。これは心の中についても言えます。思いを常に清め,心の中を清く保つことによって,わたしたちは絶えず義にかなった行いをすることができるのです。
「思いは人格を形造る道具です。それは,偉大な彫刻家がのみとつちで大理石の塊を少しずつ削って……優れた作品を造り出すのとまったく同じです。一つ一つの思いが人格を形成し,結果的には,その人の生涯や行く末も決定することになります。したがって,わたしたちの人格は,すべての思いを結集したものなのです。」(ジョージ・Q・モリス,The Importance of Habits, Brigham Young University Speeches of the Year,1953年5月20日,2)
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黒板に書いておいた欽定訳箴言23:7「ひととなりはその心に思うそのままであるからだ」を読む。
思いを制する
わたしたちは思いを制する力が与えられています。悪い思いを心の中にとどめておかずに払いのけることができるのです。人の心には,知らないことや悪いこと,否定的なことを吸収するのと同じようにたやすく,知恵や知識を吸収する力があります。ボイド・K・パッカー長老は,思いを制する方法について次のように述べています。
「心は舞台のようなものです。眠っているとき以外は常にカーテンが上っています。舞台の上では絶えず芝居が上演されているのです。……
あなたが少しも意図していないのに舞台のそでからしのび出て,あなたの注意を引こうとするいかがわしい小さな思いがいます。そのことに気づいたでしょうか。その罪な思いは全員の視線を自分に向けさせようとします。
もしそのまま演じ続けることを許すなら,徳高い思いはみな舞台を下りてゆくでしょう。残されるのは,不義の思いの影響を受けることに同意したあなただけです。……演ずるテーマは,皮肉や嫉妬,憎悪かもしれません。あるいは俗悪,不道徳,堕落そのものかもしれません。……
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心の舞台が不潔な思いに占拠されるようなときには,一体どうすればよいのでしょうか。
思いをコントロールできれば,たとえ個人の下劣な習慣でも,克服することができます。習慣を従わせることができれば,幸せな生活を送れるでしょう。……
わたしが教えたいのは,このことです。教会の神聖な音楽の中から,好きな賛美歌を1曲選んでください。……それを心の中で慎重に吟味し,覚え込んでください。たとえ音楽教育を受けていなくても,賛美歌についてじっくり考えることはできます。
さて,この賛美歌をあなたの思いの行き場にします。いざというときの水路にするのです。いかがわしい役者が心の舞台にすべり出て来るときには,その賛美歌をかなでてください。……
音楽が始まり,思いの中に歌詞が登場すれば,ふさわしくない役者は恥じたように消え去るでしょう。賛美歌は心の舞台の雰囲気をがらっと変えます。心を高揚させる清らかな雰囲気に,卑しい思いは姿を消すのです。……
心の舞台からふさわしくない思いを追い出すことができるようになったら,次は熱心に価値あることを学び……正しいことで心を忙しく働かせてください。」(「価値ある音楽,価値ある思い」『大会報告1973-75』84,1973年10月)
ディーン・L・ラーセン長老は,建設的な思いを常に抱くように勧めています。「建設的な思いを抱き続けるには,考えるに値する価値ある事柄に心を留めることが大切です。また,心の転換を図れるような事柄や問題,チャレンジを取っておいて,一心に解決策を考えてみることも必要です。」(“Thoughts about Thoughts,” in 1976 Devotional Speeches of the Year,1977年,120)
楽しいミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の中に,家庭教師のマリアが雷を怖がる子供たちに,好きなものを考えるように言って,慰めるシーンがあります。子供たちは楽しいことを思い浮かべることによって,怖さを忘れるものです。楽しい思いが恐ろしさを追い払うのです。
いつも幸せで満足気に仕事をしている理由を尋ねられたマリアは,「いつもよいことを考えるようにしているから」と答えています。
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汚れた思いを抱かないようにするためにはどうしたらよいと思いますか。
わたしたちは自分の心をよい事柄の貯蔵庫のようにして,それ以外のものは何も入れないようにすべきです。
聖文からよい思いを得られるように努めましょう。聖文を読めば平安と知識が得られるだけでなく,警告や忠告,歴史,詩などの精神を高揚する内容に触れることができます。教会の出版物にはわたしたちの精神を鼓舞する記事や物語が載っていて,楽しみながら学ぶことができます。
健全な心はいつも働いています。計画し,考え,絶えず新しいアイディアを生み出して,忙しく働かせることが必要です。よい思いに促されて行動するとき,わたしたちは現世のみならず来世においても,限りない成功を収めることができるのです。
わたしたちは聖霊の助けにより,自己の思いを制することができます。聖霊の勧めに従うならば,思いや言葉,行動を制することができるのです。したがってわたしたちは,聖霊の助けを祈り求めることが必要です。
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ヨハネ14:26を読む
聖霊の働きかけによって救い主の教えを思い起こすとき,わたしたちはさらに思いを清めることができます。そこには悪い考えが忍び込む余地がありません。聖霊は「聖徒に慰めと愛,平安,静かな喜び,安らぎ」を与える使命をお持ちであることから,「慰め主」とも呼ばれています(ブルース・R・マッコンキー,Mormon Doctrine,第2版,1966年,148)。
悪い思いは,悔い改めることによって,赦しを受けることができます。
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あなたは思いを制するために何をしていますか。
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女性として,ふさわしくない思いからしっかりと身を守ることが大切なのはなぜですか。(行動は思いから生ずるから。女性は子供や他の人々の模範であり教師であるから)
わたしたちは,考えや行いが福音の標準に反するような人々との交わりを必ずしも避けられるわけではありません。これは特に若い人々について言えます。
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教会の若人が品のない言葉遣いや行い,低俗な雑誌,映画,テレビ番組などから悪い影響を受けないようにするために,わたしたちには何ができるでしょうか。
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子供たちに清い思いを持つことの大切さを教えるにはどうすればよいでしょうか。(家庭の夕べやそのほかの機会に,清い思いを持ち続けることによって目標を達成できた人の話や実例を紹介する。天父がわたしたちの心の思いを知っておられることを教える。思いがどのようにして行動を導くか説明する)
まとめ
わたしたちの心の思いは行動に影響します。天父のようになろうと努めるうえで大切なのは,心を常に清く保つことです。悪のはびこる世にあって,わたしたちは思いを制し,正しい事柄に目を向けることができます。
汚れた思いを抱かせるような人や場所は,できるかぎり避けなくてはなりません。よい友人を選び,テレビ番組や映画,本,雑誌も賢明に選択する必要があります。テレビ番組は,思いを高める健全なものだけを計画的に見るようにします。人の思いは水のようなものです。絶えず流れています。もし水路がなければ,最も安易な道を通って低地へ流れて行くでしょう。したがって,わたしたちは神の戒めを守り,聖霊の導きを求めなくてはなりません。思いを制し清くしようと努めるとき,天父に導きを願い求めることが必要です。
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一人の生徒に,以下の引用文を読んでもらう。
「思いをまいて行いを刈り取り,
行いをまいて習慣を刈り取り,
習慣をまいて人格を刈り取り,
人格をまいて永遠の命を刈り取る。」
(デビッド・O・マッケイによって引用,William Makepeace Thackeray, Treasures of Life,1962年,418)
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アルマ12:14を読む。
チャレンジ
思いを制するために聖霊の導きを求める。心の中から悪い思いを追い払うために,賛美歌や聖句を暗記する。教会の機関誌や精神を高揚させる書物を読む。毎日聖文を読む。
参照聖句
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『モルモン書』ヤコブ3:1-2(清い心と確固とした思い)
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ヤコブの手紙1:12-27(神が人を悪に誘うことはない)
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教義と聖約121:45(徳高い思い)
教師の準備
レッスンの前に,以下の事柄を行う。
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黒板とチョークを用意する。
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次の聖句を黒板に書く。「ひととなりはその心に思うそのままであるからだ」欽定訳箴言23:7)
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コップ2個,水差し,少しの泥を用意する。
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本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。