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第30課 委任


第30課

委任

目的 賢明に委任することによって,責任を効果的に果たすことを学ぶ。

賢明に委任することの大切さ

「わたしは少年のころ,よくサムソンという名の馬をながめていたものでした。サムソンは灰色に黒ぶちのかかった美しい馬で,背の高い威風堂々とした姿は,まるで空にそびえ立つ塔のようでした。でも大きな体のわりに,とてもおとなしくて人なつっこい馬で,好物の甘い物をもらうと,食べながら頭を上下に振ってみせました。サムソンはだれからもかわいがられていたのです。

サムソンは運搬用の馬で,毎日険しい山のふもとで,重い荷物が届くのを待っていました。サムソンはいつでも先頭に立って荷を引きました。荷馬車が来ると,耳を立てて,待ちきれないように足を踏みならしました。こうして,自分の力を顕示するのです。

サムソンは自己顕示欲の強い馬でした。持ち主が荷馬車の所に引いて行って鎖をつなぐと,ほかの馬のことなど待ってはいません。まさに聖書に登場するサムソンでした。頭を低くし,ひざを地面すれすれに折り,ひずめから火花を散らすようにして駆けるサムソンは,自分だけですべての荷を引いているのも同然でした。ほかの馬が引くのを許さないかのようでした。

わたしたちは持ち主に尋ねました。『どうしてサムソンをつなぐ位置を換えて,休ませてあげないの?』『サムソンは後の列だと,目立たないので,荷を引こうとしないんだよ。』サムソンは,先頭に立って自分で何でもするのでなければ,協力しようとしないのです。

ある日,丘のふもとにサムソンの姿がなくて,見慣れない別の馬が立っていました。わたしは目に涙をためてサムソンの行方を尋ねると,死んでしまったという返事でした。死因は過労でした。

サムソンのような指導者が大勢います。仕事をすべて一人で行って誉れを得たいと望み,ほかの人々と協力することを拒むのです。教会の力は,個々の力の結集です。もしすべての荷を自分一人で引こうとする人がいれば,その力は衰えてしまうのです。

教会には,サムソンのような人が君臨する場所はありません。賢明な指導者は責任を分担するからです。」(フレッド・W・オーツ,Millennial Star,1959年3月号,129)

賢明な指導者は,指導の重荷をほかの人と分担するものです。責任の一部を委任すれば,人々に奉仕の機会を与えることができます。モーセの義父エテロは,責任を委任する目的についてモーセに大切な助言を与えました。

エテロがモーセに委任について教えたのはなぜですか(18,20-23節参照)。(モーセが疲れ果ててしまうので,一人で仕事を行うことはできない。援助を受けることによって,自分自身と人々のために,もっとよく働くことができる)

  • この原則は今日,教会の責任を果たすうえでどのように役立ちますか。

委任をするとき,その人に自分を代表する権限を与えます。すなわち自分に代わって働く権威と権能を与えるのです。教会では,会員たちに集会の司会や聖句の朗読,話,飾り付け,そのほかの援助を求めることがあります。家庭では,子供たちに食事の支度や掃除,庭の手入れ,そのほかの家事を分担させます。自分一人で何もかも行うことはできないのを知っているので,委任するのです。そして委任をするときには,才能を伸ばして成長する機会も相手に与えています。

わたしたちは賢明に委任をするならば,また委任された責任を受け入れるならば,人々と一致して働くことができます。そして仕事をもっと速く,効果的に進めることができるので,天父によく仕えることができます。賢明な指導者は,それぞれ異なった才能や能力のある人々に責任を与えることによって,十分な成果をあげています。

イエスも委任された

十二使徒定員会のエズラ・タフト・ベンソン会長は,次のように語っています。「この世の基は委任された権能によって据えられました。イエスは人々に向かって,この地上における御自身の使命が委任された権能により与えられていることを機会あるごとに語られました。イエスは会堂でユダヤ人たちに,御自身が天父から権能を与えられたことについて話しておられます。『わたしが天から下ってきたのは,自分のこころのままを行うためではなく,わたしをつかわされたかたの御心を行うためである。』(ヨハネ6:38)」(God, Family, Country: Our Three Great Loyalties,1974年,133)

イエスは教えと模範によって,効果的に委任する方法を幾つか示されました。

第一に,イエスは委任された権能を基にして教会を設立されました。主は地上におられたとき,十二使徒や七十人を召して,教会の諸事を導く助け手とされました。さらに,これ以外の人々にも様々な責任を与えられました。これはすべて主の王国を築くためであり,この奉仕の機会を通して各自が与えられた才能を伸ばすためでした。イエスは委任によって,人々を高め,昇栄にあずかる者となるように助けてくださいました。今日の教会も同じ原則の下に運営されています。わたしたちは注意深く委任することによって,人々が指導力を伸ばせるように訓練するのです。イエスが示された方法に従うならば,委任によって仕事を達成する能力を培うことができます。

第二に,イエスは助け手として選んだ人々に,各自の義務と責任を明らかにされました。主は彼らを使徒としては召されませんでした。その当時はまだ,彼らを訓練しておられなかったからです。ただ,将来彼らに求められることを御存じでしたので,一人一人に何をすべきか教えられました。そして,彼らに果たすことのできる事柄を示し,主に従うことによって受ける報いやチャレンジを理解できるよう導きを与えられました。

  • 委任した人に,割当てや召しに伴う報いやチャレンジを理解させることが大切なのはなぜですか。(責任を立派に果たせるように助けるため。それらを理解すれば,喜んで責任を果たし,良い仕事を行う)

  • あらゆる召しには報いとチャレンジが伴うことを理解するには,どうしたらよいでしょうか。(召しを立派に果たした人に倣う。困難を乗り越えた人に相談する。自分を召した人に助言を求める。最善を尽くす)

責任を委任するときには,相手に期待している事柄を話し,果たすべき義務について十分に説明をします。わたしたちは,救い主が使徒を御業を行う者として送り出す前に示された模範に従うべきです。「十二使徒は聖任されてからしばらくの間,イエスと一緒にいた。それは間もなく彼らを待ち受ける仕事に備えさせるために,イエス御自身が彼らを特別に訓練し教育されるためであった。それから後彼らは命令を受けて,彼らの持っている神権の権能によって福音を宣べ伝え,教え導くために遣わされた。」(ジェームズ・E・タルメージ,『キリスト・イエス』224-25)

  • 仕事を依頼された場合,自分に期待されている事柄を正しく理解することが大切なのはなぜですか。(良い成果をあげることができる。落胆したり,あきらめたりせずに,仕事をやり遂げられる。誤解があると,すべき事柄をおろそかにして,敗北感を味わうことがある)

責任を委任し,それに伴う義務や割当てを十分に説明したら,委任された人が思うままに責任を果たせるようにして,その人に対する信頼を示さなくてはなりません。ただし,必要に応じて質問に答え,援助を与えられるようにします。

  • 義務や割り当てを委任した後,指導者は何をする必要があるでしょうか。

  • 指導者は委任した相手に対してどのような責任がありますか。

第三に,イエスは責任を与えた人に報告するように言われました。

  • マルコ6:30を読む。

  • 使徒たちはイエスに何を報告しましたか。(自分たちがしたことや教えたことのすべて)

責任を与えた人から報告を受けることが大切なのはなぜですか。(自分の責任を果たすためには,仕事の進行状態を把握しておく必要がある。自分の管理下の人々に援助が必要かどうか知らなくてはならない)

わたしたちはほかの人から学ぶ必要があります。賢明な指導者は,良い考えを持った人から学ぶことの大切さを認め,進んで提案を受けようとします。また,管理下にある人が組織や家族の中で大切な存在であることを自覚できるように助けます。

第四に,指導者は愛の精神を持って褒めたり,叱責を与えたりすべきであると,イエスは教えられました。

「指導者は責任を与える場合,相手のことと委任した事柄を忘れてはなりません。そして,必要以上の口出しは慎み,常に関心を持って見守ります。また,称賛に値する働きをしたときには具体的に褒め,必要とあれば助言を与えて励まします。委任した仕事がうまく行かず,改善の余地があると思われるときには,勇気を持って確固たる態度で,ただし思いやりを持って行動します。そして,彼が責任を果たし終えたときには,その成果を認めて,感謝の気持ちを伝えなければなりません。」(エズラ・タフト・ベンソン,God, Family, Country,140)

  • マタイ25:23を読む。

  • 理解と感謝の気持ちを表すには,どうすればよいでしょうか。

委任-責任を果たす手段

わたしたちの召しや責任の中には,広範囲に及ぶ働きを必要とするものがよくあります。それらの責任を果たす一つの方法は,賢明に委任することです。教会員生活を積むにつれて,委任したり,委任された仕事を果たす機会が多くなります。わたしたちは自分に与えられた責任と管理の職の範囲内で働き,ほかの人に与えられた責任を侵してはなりません。

大管長会のN・エルドン・タナー副管長は,委任について次のような体験談を語っています。

「当時ステーク扶助協会会長だった娘がある日わたしのところへやって来てこう言いました。『お父さん,わたしは副会長の一人の姉妹に,責任を理解してもらおうとしても,うまくいかないの。何をしたらいいか説明したときには承知してくれたのに,いつまでたってもやってくれないわ。だから,自分でやるより仕方がないわね。』『だから,何だって?』『ええ,彼女にしてもらうより,自分でする方が簡単なのよ。』そこでわたしは腰を下ろし,少し原則を教えてから,こう言いました。……『割当てを与えて委任した後に,それを自分で行うということは,その人を解任するようなものだよ。……与えられている責任を果たせるよう,訓練することが必要だね。』」(Relief Society Courses of Study1976-77年,121-22)

  • タナー副管長は,委任の一部として何をするように言いましたか。

だれかに委任しておいた仕事を自分でしてしまうと,どのような危険がありますか。(やる気を失わせる,次に責任を与えても応じなくなる,人から成長の機会を奪う,一人で働きすぎる)

委任してからあまり干渉しないで見守ることは,母親にとって特に大切です。母親は子供の指導者として,家庭内での仕事を委任すべきです。子供たちは受けた仕事が自分だけのものであり,ほかの人がやらないと分かると,それを行うことにいっそうの責任感を持つものです。子供に与えられた仕事を果たさせようとしない母親は,子供から成長に必要な学習経験を奪っていることになります。

教会の責任と同じように,家事も委任することによって負担を軽くすることができます。母親は家事をすべて行うべきではありません。これは母親にとっても,子供にとってもよくないことです。母親は子供にやりがいけある仕事を与えることを通して愛を示します。母親が子供の能力に応じて仕事を計画し,準備するならば,家庭で子供にできることはたくさんあります。日課を与えれば,子供にとっては良い訓練と成長の機会になり,親にとっても助けになります。子供たちは家族の一員として責任を与えられるとき,その仕事に関心を持つようになるのです。

子供に委任をするときには,常に子供の能力に合った仕事を与え,子供たちが達成感を味わい,自分自身に対してよい気持ちを持てるようにすることを忘れてはなりません。子供たちの働きに感謝し,称賛や励ましを送るのです。子供たちに責任,技術,信頼性について教えることが大切です。

  • 独身の若い女性に次の質問をする。家庭ではどのような責任を受けられると思いますか。それらの責任を果たすことによって,母親になる日のためにどのような備えができますか。

家庭や教会の責任においては,ほかの人の能力を心に留めるべきです。自分より能力に欠ける人がいれば,わたしたちは親切に指導します。自分以上の能力を備えた人がいれば,喜んでその人から学びます。自分の能力に合った仕事をして模範を示すとともに,周りの人と協力して働き,彼らが最善を尽くせるように励まそうといつも望むとき,わたしたちは最も賢明な方法を取っていると言えるのです。

まとめ

家庭や教会や地域社会で指導者としての責任を立派に果たすには,委任の原則を身に付けなければなりません。すなわち,忍耐し,励まし,感謝の言葉を述べることが必要です。イエスが教えられた委任の原則を取り入れて,人々に注意深く義務を教え,成長を助け,達成した事柄について感謝の気持ちを述べることを忘れてはなりません。責任や仕事の割り当てを受けたときには,それを首尾よく果たせるように力を尽くして努めるべきです。賢明に委任をするならば,だれもがさらに効率よく責任を果たせるように,また天父に仕えられるように,助けることができます。

チャレンジ

家事について検討する。本課で学んだ原則に従って,子供たちに責任を分担する方法について考える。教会で現在受けている召しをさらによく果たすために,委任できる事柄は何かを考える。

参照聖句

教師の準備

レッスンの前に,以下の事柄を行う。

  1. 黒板とチョークを用意する。

  2. 本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。