第6課
什分の一とささげ物
目的
什分の一の律法に対する理解を深め,さらによくこの律法に従って生活する。また,什分の一以外の教会へのささげ物の価値を理解し,惜しみなくささげることの大切さを知る。
什分の一の律法とは
什分の一の律法は主から与えられた戒めであり,わたしたちが受けたものの一部を主にお返しできるように備えられた主の計画です。わたしたちはバプテスマを受けたときに,主のすべての戒めを守ると聖約しました。そして,聖餐を受ける度に,その聖約を新たにします。什分の一を納めることは,主と交わした約束の大切な部分を実際に果たすことです。
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視覚資料6-a「収入」を見せる。
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完全な什分の一とは何かという質問をよく耳にします。
かつての管理監督はこれについて次のように語っています。「仕分の一とは,その言葉通りまさしく10分の1である。給与所得者の場合は全給与の10分の1がそれである。農家も同じく実収入の10分の1であり,また農家の場合,家族の生計を支えるために使用した農産物の10分の1も含まれる。これは公正にみて当然要求されるものである。なぜなら,そのほかの人は,家族を養うのに必要な食物等を実収入で賄っているからである。」(ジョセフ・L・ワースリン,Conference Report,1953年4月,98より引用,ヘンリー・D・テーラー「わたしは恵みをあなたがたに注ぐ」『聖徒の道』1974年12月号,572)
実収入とは,粗収入から経営費を差し引いた分の収入であることを説明する。
什分の一は監督または支部長に納めます。ワードや支部が組織されていない地域では,地方部長,ステーク会長,あるいは伝道部長に納めます。書記に召されているメルキゼデク神権者は,納められた献金を記録し,領収書を発行します。
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視覚資料6-b「什分の一・献金票」を見せる。
わたしたちは年末に,個人または家族として監督(または支部長)から特別な面接を受けることになっています。これは「什分の一年末面接」と呼ばれ,監督と献金した本人とで年間の献金記録を見直します。そのとき,わたしたちは什分の一を完全に納めたかどうかを監督に報告します。ワードや支部が組織されていない地域に住んでいる教会員は,地方部長,ステーク会長,あるいは伝道部長からこの面接を受けます。
神権指導者から神殿に参入するための推薦状を発行してもらうには,什分の一を正直に納める必要があります。また,男性が神権の昇進を受けるときも,この点が考慮されます。什分の一を正直に納めることは,すべての末日聖徒が守るべき大切な戒めです。
従順は祝福をもたらす
七十人第一定員会のバーナード・P・ブロックバンク長老は,什分の一の律法を守るように励まされたときの経験を次のように語っています。
「何年も前に,子供がまだ小さかったころ,わたしたち夫婦は経済的に非常に苦しい状態にあって什分の一と他の献金を正直に納めていませんでした。わたしたちは教会に出席していたし,主を愛しているつもりでした。しかし,ある日妻はわたしにこう聞きました。『あなたは神を愛していますか。』それでわたしは『愛しているよ』と答えました。
『食料品店の主人を愛する以上に,神を愛していますか。』
『食料品店の主人以上に,神を愛しているつもりだよ。』
『でもあなたは,食料品店の主人には支払いをしたわ。あなたは家主を愛するのと同じように,神を愛しているかしら。』さらに妻は続けてこう言いました。『第一の大切な戒めは,神を愛することでしょう。でも,わたしたちは什分の一を納めていないのよ。』
わたしたちは悔い改めて,什分の一を納めました。すると主は天の窓を開いて,わたしたちに祝福を注いでくださいました。わたしたちは,主に什分の一を納め,ささげ物をすることを大きな特権であると考えています。
主に正直でなかったとき,わたしたちは混乱し,困難や問題が生じていたのです。」(Conference Report,1971年4月号,113-14;Ensign,1971年6月号,86)
主は什分の一の律法を守る人々に,物心両面の祝福を約束しておられます。聖文にはこのように記されています。
「わたしの宮に食物のあるように,十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み,わたしが天の窓を開いて,あふるる恵みを,あなたがたに注ぐか否かを見なさいと,万軍の主は言われる。」(マラキ3:10;3:11-12参照)
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什分の一を納める人に主は何を約束しておられますか。教義と聖約64:23を読む。
什分の一を完全に納めるならば,ほかにどのような祝福を受けることができますか。(主が約束されたように,什分の一を納める者は主の再臨の時に火で焼かれることはない)
ジョセフ・F・スミス大管長は,母親が什分の一の戒めに従順であったために家族が受けた祝福について語っています。
「わたしは子供のころに起こったある出来事をはっきりと覚えている。わたしの母は未亡人であったが,大勢の家族を養っていた。ある春のこと,じゃがいもを貯蔵していたむろを開けると,母はわたしたち兄弟に最良のじゃがいもを一荷取り出すように言った。そしてそれを,什分の一管理事務所へ持って行った。この季節にはじゃがいもはほとんど出回っていなかった。当時わたしはまだ小さかったが,その荷車を引いて行った。わたしたちが什分の一管理事務所の階段のところで荷車からじゃがいもを降ろそうとしていると,一人の事務員が出て来て母に言った。『スミス夫人,あなたが什分の一を納めなければならないなんてあんまりだ。』……彼は,母が什分の一を納めようとしていることをしかって,母に賢明でないし分別もないと言った。そのうえ,もっと強くて働くことのできる人が何人も什分の一管理事務所から援助を受けていると言った。すると母は彼に向かってきっぱりと言った。……『……とんでもないことです。あなたはわたしから祝福を取り上げようとなさるのですか。什分の一を納めなければ,主はわたしに祝福をくださいませんわ。わたしが什分の一を納めるのは,それが神の律法だからというだけではないんです。そうすることによって祝福が得られるからです。什分の一やそのほかの律法を守れば,必要なものに恵まれ,家族を養って行けると信じているのです。』……母は神の律法に従ったので栄えた。母は家族を支えるために,豊かに恵まれた。わたしたちは,ほかの多くの人ほど物資に窮することはなかった。……この未亡人は神の宮の特権を受ける資格があった。彼女は神の律法に従順であって,いかなる福音の儀式も拒まれることはなかった。」(『福音の教義』221-22)
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スミス姉妹はどのような祝福を受けましたか。「いかなる福音の儀式も拒まれることはなかった」とはどういう意味でしょうか。(神殿に参入できた)スミス姉妹の模範によって,子供はどのような影響を受けましたか。
わたしたちは次の言葉を常に忘れないことが大切です。「主は必ず約束を守られます。主は戒めに従う人に天の窓を開き,恵みを注いでくださいます。……それらの祝福は,金銭や物質的な方法でもたらされるかもしれません。また霊感あふれる経験によって,あるいは力や平和や慰めを受けることによって,実現するかもしれません。主の約束は必ず成就するのです。」(ヘンリー・D・テーラー「わたしは恵みをあなたがたに注ぐ」『聖徒の道』1974年12月号,573)
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物質面だけでなく霊的な面での祝福を認めることが大切なのはなぜでしょうか。(わたしたちは天父にすべての祝福を感謝しなくてはならない。霊的な祝福を実感することによって,その祝福を得られた理由が分かり,どうすればさらに祝福を受けられるか理解できる)
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什分の一を納めることによって,自分自身や家族はどのような祝福を受けましたか。
ささげ物とは
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視覚資料6-c「什分の一の用途」を見せる。
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割り当てておいた姉妹に,『福音の原則』第32章の中から献金の用途について,2分以内で報告してもらう。
十二使徒定員会のボイド・K・パッカー長老は,二人の宣教師の経験について次のように話しています。宣教師たちは,求道者の家族が突然バプテスマを受けたくないと言い出したので,そのことを支部長に報告しました。
「什分の一についてのレッスンを受けてから,父親はそれ以後の宣教師との集会をすべて断ってしまったのです。……
数日後,支部長は長老たちに話して,その家族をもう一度訪問するとき自分も同行させてくれるように頼みました。
『教会には入らないことになさったそうですね。』支部長は父親に話しかけました。
『そのとおりです。』
『什分の一がその原因ということを長老たちから聞いていますが。』
『ええ,そうなんです。それまで宣教師の方は什分の一のことについて話してくださいませんでした。それでそのことを知ったときに「十分の一なんてあまりにも法外な要求だ。今までわたしの行っていた教会では,一度だってそのようなことを求められたことはないのに」と言いました。十分の一とはあまりにも多すぎます。ですから,教会には入れないんです。』
『断食献金についてはお聞きになりましたか。』
『いいえ。それは何ですか。』
『わたしたちの教会では毎月2食の食事を断って,その食事に相当する金額を貧しい人のために差し出すのです。』
『そういうことについて宣教師の方は教えてくださいませんでした。』
『では,建築資金についてはお話しましたでしょうか。』
『いいえ。それは何ですか。』
『教会ではみんなで助け合って礼拝堂を建てます。ですから,あなたも教会員になられたら,金銭と労働の両方の面で参加したいと思われるでしょう。ついでながら申し上げますと,今わたしたちは新しい礼拝堂を建築中なんですよ。』
『初めて伺いました。でも宣教師の方はお話しになりませんでしたよ。』
『福祉プログラムについては説明したでしょうか。』
『いいえ。どういうことですかそれは。』
『そうですね。わたしたちはお互いに助け合う必要があると考えています。もしだれか経済的に苦しい人や病気の人,失業している人,困っている人がいれば,わたしたちはいつでも援助の手を差し伸べることができるのです。教会にお入りになれば,あなたにも援助していただくことになると思いますが。』
『そういうことは初めて伺いました。』
『そうですか。什分の一のようなほんの小さなことで心が変わるようであれば,はっきり言って,あなたはまだこの教会に入る準備ができていません。』
支部長はこの父親との別れ際に,ふと思いついたようにこう言いました。
『あなたは人々がなぜこういったことを喜んで行うのか不思議に思ったことはありませんか。わたしたちは什分の一や献金をすべて納め……それを大きな特権と考えています。その理由がお分かりになれば,あなたは高価な真珠を買うことでしょう。しかしそれはあなたが決めることです。わたしはただ,そのことについて祈ってくださればと思います。』
数日後,その人は支部長の家を訪れました。彼は家族のバプテスマの日を決めに来たのでした。」(「多く与えられる者は多く求められる」『聖徒の道』1975年3月号,146-47参照)
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什分の一のほかにささげ物をすることが大切なのは,なぜでしょうか。(天父が与えてくださったすべてのものに感謝していることを表すため,天父や兄弟,姉妹に愛を示すため)
態度が大切である
什分の一やささげ物は,心から喜んで納めることが大切です。聖文にはこうあります。「惜しむ心からでなく,また,しいられてでもなく,自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである。」(2コリント9:7)
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だれかがあなたに渋々何かをくれたとしたら,どのような気持ちがしますか。
十二使徒定員会のマシュー・カウリー長老は,什分の一の精神を持つ善良なマオリの姉妹について次のように語っています。
「ニュージーランドには,わたしが母親のように慕っている小柄な女性がいました。彼女とは,わたしがまだ青年のころ伝道に召されていたときからの知り合いでした。当時,彼女はわたしを息子と呼んでいましたが,わたしが管理者として再びニュージーランドに戻ってからは,長老と呼ぶようになりました。
さて,わたしはあるとき,その近隣を訪ねるときはいつもしているように,この小柄で気品のある姉妹を訪れました。年は80を越え,目が見えませんでした。彼女は教会の支部がない地域に住んでいて,宣教師が訪問する以外に神権者と会うことはなかったのです。
わたしは彼女の方に歩み寄り,マオリの方法で挨拶をしました。彼女はかすかな火をたよりに裏庭に出ていました。わたしが手を差し出して握手をしようとすると……『わたしと握手をしないでください』と言いました。
『おや,手が少し汚れているようですね。でもわたしは喜んであなたと握手がしたいのです。そうしていただけませんか。』
『いいえ,まだできません。』彼女はそう答えると四つんばいになり,自分の小さな家の方にはって行きました。そして家の角に置いてあったくわを手にすると,今度は距離を測りながら別の方向にはって行ったのです。目当ての場所にたどり着くと,手にしたくわで土を掘り始めました。やがて何か硬い物にぶつかる音がしました。彼女は両手で土をかき出し,ガラスのつぼを取り出しました。その果物つぼを開けると,中に手を入れて何かを取り出し,わたしに渡しました。それはニュージーランドの貨幣でした。アメリカの貨幣に換算すれば,おおよそ百ドルに相当するでしょう。
彼女は言いました。『これはわたしの什分の一です。さあ,これで神の神権者と握手することができます。』
『あなたはこんなに多くの什分の一を納めなくてもよいのです。』
『ええ,そのことは分かっています。今,それを納める義務はありませんが,前もって幾らかでも納めておきたいのです。神の神権者がこちらにまたいつ来られるのか分かりませんので。』
わたしは体をかがめ,額と鼻を彼女の額と鼻に押しつけました。わたしのあふれる涙が,彼女のほほを濡らしました。」(ヘンリー・D・テーラー「わたしは恵みをあなたがたに注ぐ」『聖徒の道』1974年12月号,573)
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この女性が什分の一とささげ物を差し出したとき,カウリー長老が涙を流したのはなぜでしょうか。什分の一とささげ物は,なぜ喜んで納めなくてはならないのですか。
デビッド・O・マッケイ大管長は,かつてこのように語りました。「ほかの人を助け,義を追い求めるために,心から感謝して什分の一を納める人は報いを受けます。与えることを通して,実際に祝福を得ているからです。」(“The Tenth Part,” Improvement Era,1956年10月号,701)
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教会の兄弟姉妹に,什分の一やささげ物を通してどのように愛を示すことができるでしょうか。また,主に対してはどうでしょうか。
まとめ
天父はわたしたちが必要としている事柄を御存じです。主はすべてを承知のうえで,次の戒めと約束をお与えになりました。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
正直に什分の一を納め,ささげ物をささげることは,天父に愛を示し,この地上に神の王国を築くために喜んで奉仕したいという気持ちを表す重要な方法です。ジョセフ・F・スミス大管長は次のような勧告を与えています。「この原則(什分の一)によって,この教会の会員の忠実さがはかられる。この原則によって,神の王国を支持している人と反対している人が分かる。」(『福音の教義』218)
わたしたちは什分の一とささげ物を正直に心から喜んでささげるとき,与えられた数々の祝福に感謝していることを天父に表すのです。
チャレンジ
主の戒めに従って什分の一を納め,マラキ3:10に約束されている祝福を受ける。言葉と行いにより,子供たちに什分の一の原則を教える。
参照聖句
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マタイ6:1-4(へりくだってささげる)
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使徒20:35(受けるよりは与える方が幸いである)
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教義と聖約119:4(什分の一は永続的な律法である)
教師の準備
レッスンの前に,以下の事柄を行う。
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『福音の原則』第32章「什分の一とささげ物」を学ぶ。
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生徒に聖典を持参するように言う。
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『福音の原則』第32章の190ページ「什分の一と献金の用途」について2分間で発表するよう,一人の姉妹に割り当てる。
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本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。