第19章
家族として結ばれる
1978年6月のある晩,ビリー・ジョンソンはガーナのケープコーストにある自宅に戻りました。ビリーと彼の教会の信徒たちは,しばしば行っていたように断食をしていましたが,それでもビリーの心は高められていませんでした。さらに多くの信徒たちが彼とともに礼拝するのをやめて,元の教会に戻って行ったため,彼は疲れ,落胆していたのです。
ビリーは霊的にも情緒的にも強さを取り戻したいと切望していました。その数か月前,会衆の一人が,自分が受けた啓示についてビリーに話していました。「もうすぐ宣教師たちがやって来ます」と,その女性は言いました。「わたしは白人の男性たちがわたしたちの教会にやって来るのを見ました。彼らはわたしたちを抱き締め,礼拝に参加したのです。」別の女性も,似たような啓示を受けたと言いました。ビリー自身も,数人の白人男性が彼の教会堂に入って来て,「わたしたちはあなたがたの兄弟です。バプテスマを施しに来ました」と言う夢を見たことがありました。その後,黒人たちが至る所からやって来て教会に加わる夢を見ていました。
それでも,ビリーは気落ちした状態から立ち直れませんでした。
夜も更けてきたのに,眠ることができません。もう何年も聞いていなかった英国放送協会(BBC)のラジオ放送を聞くようにという強い印象を受けました。
下の方に4つの銀色のツマミがついた茶色のラジオを見つけました。スイッチを入れると,ラジオからパチパチという音がしました。ツマミを調節すると,赤い針がダイヤルの上を前後に動きます。しかし,目当ての放送が見つかりません。
1時間探した後で,ビリーはようやくBBCのニュース放送を受信することに成功しました。レポーターが,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長がある啓示を受けたことについて伝えていました。教会のすべてのふさわしい男性が,人種にかかわらず神権を持てるようになったのです。
ビリーは崩れ落ち,喜びの涙を流しました。神権の権能がついにガーナにもたらされるのです。
聖徒たちの大多数と同じように,中央若い女性会長会第二顧問のアーデス・カップも,すべてのふさわしい男性が神権を受けられるようになったという知らせを歓迎しました。「また一つ新たな啓示が,しかもほんとうに美しい啓示が与えられた」と彼女は思いました。「この末日にわたしたちを導く預言者がいる。なんという祝福。心から感謝します。」
神権に関する啓示が発表されたのは,中央若い女性会長のルース・ファンクがアーデスに,自分たちの会長会が名誉の解任になることを知らせて間もなくのことでした。その知らせに皆が驚いていました。それまでのほとんどの会長会は,少なくとも10年は奉仕していたからです。彼女の会長会の在任期間はわずか5年半でした。
アーデスは主のタイミングを理解しようともがいていました。若い女性たちに仕えることは,彼女に新たな目的意識を与えていました。今やその召しが終わりを迎えようとしており,未来には何が待っているのでしょうか。
「わたしは47歳で,すべてが終わったとはまったく思っていない。特に,大局的に理解し,眺める準備がかつてなかったほどよくできている時期に」と,彼女は日記に書きました。自分はまだ役に立てると知っていたのです。「しかし」と彼女は書きました。「今のところ,大きな違いを生み出せるような機会は見当たらない。」
若い女性会長会で取り組みたいと思っていたことがたくさんあったため,解任は特につらいものでした。奉仕の最初の数年は,教会の組織的な調整のために仕事があまりはかどりませんでした。アロン神権相互発達協会という名称は扱いづらいことが明らかとなり,人々は若い女性がこのプログラムにどのように組み込まれるのかについて混乱していました。ハロルド・B・リー大管長の死後,新しい大管長会は「相互発達協会」の名称を廃止し,二つの別個の青少年の組織として,「若い女性」と「アロン神権」を創設しました。
これらの変更が行われた後も,アーデスやそのほかの若い女性指導者たちは,教会の組織の中で若い女性が占める地位について確信が持てずにいました。当初,変更によって設けられたコミュニケーション経路では,中央会長会は地元の若い女性指導者に直接訓練や連絡をすることができませんでした。代わりに,地元の神権指導者を通してメッセージを伝達しなければならなかったのです。その後,地元の指導者とのコミュニケーションは改善されましたが,中央若い女性会長が大管長会や十二使徒定員会と直接接することは依然としてほとんどありませんでした。多くの場合,連絡は七十人定員会の会員が間に入って行われていたのです。
若い女性会長会は前進するために全力を尽くしました。ファンク会長は就任後早い段階で,若い女性たちが霊性を養い,個人の目標を達成し,妻や母親としての役割を尊ぶように助けるためのプログラムを開発しようと決意していました。妻や母親の役割は大衆メディアにおいて攻撃を受けていると,ファンク会長は考えていました。
新しいプログラムは,1977年に発表されました。「成長するわたし」(“My Personal Progress”)と呼ばれたこのプログラムでは,霊的な気づき,奉仕と思いやり,家庭管理技術,レクリエーションと自然界,文化芸術と教育,個人および社会性の改善という6つの分野で若い女性たちが技能を向上させることが奨励されました。また,若い女性が日記をつけることも推奨され,これはキンボール大管長がすべての聖徒に勧めていたことでした。同じ年,アーデスはベストセラーとなった著書『ピナフォアとブルージーンズの奇跡』(Miracles in Pinafores and Bluejeans)を出版しました。この本では,彼女自身の人生と,現代および過去の英雄的な若い女性たちの生涯からの物語が語られています。
1978年6月下旬,アーデスとほかの教会指導者たちは,婦人記念庭園のモニュメント(Monument to Women Memorial Garden)の奉献のためにイリノイ州ノーブーにいました。2エーカー(約0.8ヘクタール)の庭園には,母性に重きを置いた,人生の異なる段階にある12の女性像が並べられていました。このモニュメントは,その年に開催される予定の,教会初の中央女性集会の衛星放送とともに,福音の計画における女性の重要性をたたえ,妻や母親としての女性の貢献を認め,1842年の扶助協会の設立を記念するために作られました。奉献の日は雨でしたが,2,500人の女性たちが巨大なテントの下から式を見守りました。
この奉献の数週間後に,大管長会は中央若い女性会長会の名誉の解任を行いました。アーデスは,今ではそのことについて気持ちが軽くなっていました。「今この瞬間,わたしは表現できないほどに楽観的であり,決意と,自信と,感謝に満ちている」とアーデスは書いています。
アーデスのビショップはすぐに彼女をワードのローレルの1年目クラスのアドバイザーに召しました。アーデスは中央会長会で少し前まで経験してきたことを,これらの16歳の少女たちを教え,訓練するために生かそうと意気込みました。彼女は日記にこう書いています。「主の助けがあれば,一人一人の心に触れられると心から信じている。」
1978年9月29日,キンボール大管長はソルトレーク・シティーで開かれた教会の地区代表のためのセミナーで話しました。「わたしたちにはすべての国ですべての造られたものに福音を宣べ伝える義務と,務めと,神聖な任務があります」と大管長は言いました。
教会には今や400万人以上の会員がおり,さらに毎年10万人を優に超える改宗者が加わっていました。それでもなお,あらゆる場所で人々は福音を必要としていました。その人々に福音を届けなければならないという差し迫った思いが大管長にはありました。「わたしたちはまだほんの少し表面をなでたにすぎません」と大管長は述べました。
そのころ2万6,000人以上の専任宣教師が世界中で奉仕していましたが,これは既存の施設で訓練可能な人数をはるかに超えていました。この膨大な人数の人々を備えさせるために,教会指導者たちは当時,ユタ州プロボに宣教師訓練センターを建設したばかりでした。そこで新しい宣教師たちは4週間から8週間にわたって,耳の不自由な人のための手話を含む25の異なる言語のうちの一つを学ぶのです。
新たな伝道地が日々開拓されていました。キンボール大管長の勧めを受けて,大管長会の個人代表を務めるデビッド・ケネディは,最近,教会がポルトガルとポーランドで公式に認可されるよう助けたばかりでした。そのころ彼は同じ取り組みを,インド,スリランカ,パキスタン,ハンガリー,ルーマニア,ギリシャで行っていました。それでもまだ,なすべきことがさらにたくさんありました。
地区代表を前にした話の中で,キンボール大管長はガーナとナイジェリアの信者たちに言及しました。「彼らはすでに非常に長い間待っています」と大管長は言いました。「さらに待つようにと言えるでしょうか。」そのようなことはできないと大管長は思っていました。「リビア,エチオピア,コートジボワール,スーダン,そのほかの国々はどうでしょうか」と,大管長は問いかけました。「これらの国名は,日本,ベネズエラ,ニュージーランド,デンマークのように,わたしたちにとってなじみの深い名前になるべきなのです。」
中国,ソビエト連邦,そのほかの多くの国々も回復された福音を必要としていましたが,それらの国では教会はいまだに公認されておらず,現地には組織されたユニットもありませんでした。「地球上では,現在福音が宣べ伝えられていない国々に30億人近い人々が暮らしています」と大管長は言いました。「もしすべての国で小さな始まりを起こすことさえできれば,すぐにあらゆる部族と国語の民の中で,改宗者たちが進み出て,自分自身の民の光となるでしょう。そして福音は主の来臨の前にすべての国民の中で宣べ伝えられるでしょう。」
大管長は,聖徒たちが祈り,備えることを望んでいました。教会の成長を妨げる障壁は,聖徒たちがそれを乗り越える備えができて初めて取り除かれると考えていたのです。教会は,会員たちが老いも若きも言語を学び,伝道に出ることを必要としていました。「もたらされ得る唯一の永続する平安は,イエス・キリストの福音による平安です」と,大管長は地区代表たちに言いました。「あらゆる場所のすべての人にそれを届けなければなりません。」
翌日,ソルトレークタバナクルは総大会のために満席状態でした。キンボール大管長の依頼により,顧問のN・エルドン・タナーが説教壇に近づき,人種にかかわらずすべてのふさわしい男性が神権を持つことができることを発表する大管長会の声明を読み上げました。
「スペンサー・W・キンボールを預言者,聖見者,啓示者,および末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長であると認めて,わたしたちが律法制定の集まりとしてこの啓示を主の御言葉および御心として受け入れるように,ここに提議します。」
賛成する人は全員右手を挙げるようにタナー管長が求めると,無数の手が挙がりました。反対の人がいるかどうか尋ねると,だれ一人挙手しませんでした。
総大会の後間もなく,キンボール大管長は教会執務ビルの会議室の長テーブルの端に座っていました。大管長の顧問たちと数名の中央幹部,そして2組の年配の夫婦,エドウィン・キャノンとジャナス・キャノン,レンデル・メイビーとレイチェル・メイビーもいました。キャノン夫妻とメイビー夫妻は西アフリカで最初の宣教師として奉仕することに同意したばかりでしたが,この召しはジャナスが中央扶助協会会長会の第一顧問を解任されなければならないことを意味していました。
集まった人々は宣教師たちの割り当てと,彼らがガーナとナイジェリアの信者たちと接触する際に直面する可能性のある難しい課題について話し合いました。40分後,集会を終える時間になると,キンボール大管長は2組の夫婦の忠実さに謝意を表しました。
「ほかに何か質問がありますか」と大管長は尋ねました。
メイビー長老はほかの宣教師たちを見て,「今のところ,一つだけあります」と言いました。「いつ出発すればよいでしょうか。」
キンボール大管長はほほえみました。
ルダ・マルティンスは家族で最初に神権に関する啓示を知りました。その知らせが伝えられたとき,リオデジャネイロの彼らが住む地区の電話回線が止まっていたため,家族ぐるみで付き合いのある友人がバスで40分かけてルダに伝えに来てくれたのです。その若い女性はドアをノックして,知らせたいことがあると大声で言いました。
「教会が啓示を受けたと聞きました」と彼女は言って,すべてのふさわしい男性が神権を持てるようになったことをルダに伝えました。
エルベシオは仕事中だったので,ルダは彼に伝えるのを待たなければなりませんでした。夫がついに帰宅すると,彼女は「知らせがあるの,すばらしい知らせが!」と言いました。「エルベシオ,あなたは神権者になれるのよ。」
エルベシオは言葉を失いました。信じられませんでした。そのとき電話が鳴りました。エルベシオが出ると,ソルトレーク・シティーにいる仕事仲間からでした。
「公式の宣言を今,手に持っています。読み上げましょう」と同僚は言いました。
電話を切ると,エルベシオとルダは涙ながらに天の御父に感謝の祈りをささげました。サンパウロ神殿の奉献は数か月後に迫っていました。そして今や彼らはエンダウメントを受け,4人の子供たちとともに結び固めを受けることができるのです。
2週間後,エルベシオとマルカスはアロン神権を受けました。その1週間後,エルベシオは長老に聖任され,すぐにマルカスにメルキゼデク神権を授けました。マルカスは帰還宣教師のミリアン・アベリン・バルボサと婚約しており,すでに結婚式の招待状を発送していました。それでも,マルカスが伝道に出られるように,二人は結婚を延期することにしました。
1978年11月初旬,マルティンス家族は神殿の奉献式に出席しました。ルダは式のために来ていたキンボール大管長とそのほかの中央幹部たちの近くに聖歌隊と一緒に座りました。エルベシオは子供たちと一緒に会衆の中に座っていました。ブラジルの4つの伝道部の宣教師たちは奉献式に出席する許可を与えられていたので,サンパウロ北伝道部の専任宣教師であったマルカスも出席することができました。
数日後の11月6日,ルダとエルベシオ,マルカスは自身のエンダウメントを受けました。それから結び固めの部屋に案内され,そこでマルカスが証人を務めて,ルダとエルベシオはこの世から永遠にわたって結び固められました。3人の年下の子供たちが,白い服を着て部屋に連れて来られました。
「ママ。ここで何をするの?」と3歳の娘が尋ねました。
「このテーブルにひざまずいて」とルダは聖壇を指して言いました。「家族として結ばれるの。」
すると幼い娘が言いました。「ほんとうにママの娘になれてうれしいな。」
「あなたは前からわたしの娘よ。」ルダはそう言って彼女を安心させました。
家族は聖壇の周りに集まり,結び固め執行者が儀式を執り行いました。子供たちの中で,この瞬間の持つ意味を十分に理解できる年齢なのはマルカスだけでした。しかし子供たちはそれぞれ,この部屋にあるすばらしさと幸せを感じ取ったようでした。ルダとエルベシオにとって,家族がともに神殿の中にいる光景は美しいものでした。二人は喜びに圧倒されました。
「みんなわたしのものになったのね」とルダは思いました。「ほんとうにわたしのものになったのね。」
バプテスマを受けた後,キャサリン・ウォレンはニューオリンズの自宅から80マイル(約130キロ)北西にあるルイジアナ州バトンルージュをしばしば訪れて,親戚と一緒に聖書を研究していました。彼らの多くは,最近地域のペンテコステ派の教会に通い始めていました。キャサリンは回復された福音から得た理解を個人での研究に役立てていましたが,教会への熱意で親戚をうんざりさせてしまわないように気を配っていました。「一度に多くのことを話し過ぎてみんなを混乱させたくないのよ」と彼女は親戚に言いました。
しかし神権の啓示について知ると,キャサリンは自分を抑えることができませんでした。姪のベティ・ボーンチャンドに電話して,その知らせを伝えました。ベティの家族はキャサリンと一緒に聖書を研究していましたが,教会についてはあまりよく知らず,啓示の重要性も理解できませんでした。
しかしキャサリンのビショップは理解していて,すぐに彼女に電話をくれました。「キャサリン姉妹,今何が起きているか知っていますか。」
「はい」と彼女は答えました。
ビショップは何を言えばよいのかよく分かりませんでした。「あなたは善良な人です」と,ようやく彼は言いました。「あなたを宣教師にしたいと考えています。」
発表の1か月後,ニューオリンズワードのもう一人の黒人女性,フリーダ・ビューリューは,1,000マイル(1,600キロ)以上を旅していちばん近いワシントンD.C.の神殿を訪れて自身のエンダウメントを受け,代理人によって亡くなった夫と結び固められました。
今や彼女を含む多くの人々が神殿の祝福を初めて受けられるようになったのに,キャサリンはすぐには神殿に行きませんでした。それでも,天の御父に感謝しました。
ある日,ベティ・ボーンチャンドの夫セベリアは,職場の同僚がモルモン書を読んでいるのを見かけました。教会についてキャサリンと話したことがあったので,セベリアは同僚に話しかけました。同僚はセベリアに,宣教師と会ってみたいかと尋ねました。「いいですよ。彼らを寄越してください」とセベリアは答えました。
その晩,二人の長老が訪問し,教会が宣教師のレッスンのために用意した最新のシリーズである『家族を教える統一システム』(The Uniform System for Teaching Families)の7つのレッスンから最初のレッスンを教えました。1973年に出版されたこのレッスンシリーズは,英語を含む20の言語で提供されていて,最初の示現,モルモン書,神権の回復の紹介で始まります。
ボーンチャンド家族はレッスンを楽しみ,宣教師の次回の訪問日を決めました。ベティもセベリアももっと学びたいと強く望んでいたので,レッスンに参加するようにほかの家族も招きました。すぐに,ボーンチャンド家は宣教師の訪問時には人でいっぱいになりました。
ある週末,キャサリンがボーンチャンド家を訪れていたとき,ベティが電話で話しているのが聞こえてきました。「いいえ」とベティは言いました。「また別の時に行きます。おばがニューオリンズから来ているんです。」
「だれと話しているの?」とキャサリンは尋ねました。
「末日教会の長老たち。」長老たちは日曜日の集会に出席するように家族を招いていたのです。
「行きますって返事して。」
その日曜日,家族の全員がルイジアナ州ベーカーでの集会に出席しました。続いて行われた宣教師とのレッスンでは,皆が知恵の言葉と純潔の律法に従い,什分の一を納め,イエス・キリストを救い主,贖い主として受け入れて,最後まで堪え忍ぶことを決意しました。
最初に教会を訪れてから約2週間後,ボーンチャンド家族がキャサリンに電話をしてきました。「何の話だと思う?」と彼らは言いました。「わたしたちバプテスマを受けることになったから,必ず来て!」
バプテスマの日,集会所は人でいっぱいになりました。110人の教会員が出席し,ベティとセベリア,そしてキャサリンのほかの親族11人をワードに歓迎しました。文化ホールとバプテスマフォントのエリアが工事中だったため,バプテスマ会の間は肌寒かったのですが,御霊が力強く,部屋にいた全員を温めました。
キャサリンは新たにバプテスマを受けた家族を乾いたタオルでくるみながら涙を流しました。「長い間待ち続け,祈り求めてきた瞬間でした」と,彼女は後に述べています。キャサリンは教会を愛しており,自分や自分の家族のような黒人の会員が,教会で提供されているすべての祝福を受けることを望んでいました。
1978年11月18日,アンソニー・オビンナはナイジェリア南東部にある彼の会衆の集会所で,彼を待っていた3人のアメリカ人に厳粛な面持ちで近づきました。一人は女性で,二人は男性でした。アンソニーは彼らの到着を聞き,すぐに駆けつけたのでした。もう10年以上も彼らを待っていたのです。
アメリカ人たちはレンデル・メイビー長老,レイチェル・メイビー姉妹,そしてエドウィン・キャノン長老でした。「あなたがアンソニー・オビンナですか?」と彼らは尋ねました。
「はい」とアンソニーは答えて,彼らと集会所の中に入りました。建物は奥行が約9メートルあります。「LDS」の文字が一つのドアの上の壁に掛けられ,もう一つのドアの上には「伝道本部」の文字がありました。屋根のすぐ下には,ペンキで「ナイジェリアの末日聖徒」と書いてありました。
アンソニーは訪れた人たちに言いました。「長い間待ちました。つらかったです。でも,それは今ではどうでもよいことです。ついにあなたがたが来てくれたのですから。」
「確かに長い間お待ちになりましたね。でも今,この地に福音が完全な状態でもたらされました」とキャノン長老が言いました。
宣教師たちから自分の経験について話すように求められ,アンソニーは自分が48歳で,近くの学校で副校長をしていると言いました。何年も前に夢の中でソルトレーク神殿を見て,その後,古い雑誌に載っていた神殿の写真を偶然見つけたことを話しました。それまで教会については一度も耳にしたことがありませんでした。「でも目の前に夢の中で訪れたのとまさに同じ建物があったのです」と,アンソニーは感情の高ぶりを声に出すまいとしながら言いました。
アンソニーは宣教師たちに,回復されたイエス・キリストの福音を入念に研究したこと,ラマー・ウィリアムズとの文通,ナイジェリアにまだ教会がないことへの悲しみについて語りました。しかし彼は,自分の信仰と真理への献身のゆえに自分や仲間の信者たちが迫害を受けたときでさえも希望を捨てるのを拒んだことについて,証を述べました。
アンソニーが語り終えると,メイビー長老が彼と個人的に話したいと言いました。二人が隣の部屋に入ると,メイビー長老はナイジェリアにバプテスマを制限するような法律があるか尋ねました。教会はまだ法的に登録されていなかったからです。アンソニーは,そのような法律はないと答えました。
「そうですか」とメイビー長老は言いました。「それを聞いて大変うれしいです。これから数週間,ほかにもあなたのグループのような人たちを訪問するので,あちらこちらへ移動しなければなりません。」これらのグループを訪問するのに5週間から6週間はかかり,その後,宣教師たちはアンソニーと彼のグループにバプテスマを施すために戻って来ることができると言いました。
「いいえ,どうかお願いです」とアンソニーは言いました。「ほかにも多くの人たちがいるのは分かります。でも,わたしたちは13年も待ってきたのです。」アンソニーはメイビー長老の目を見ました。「もし可能であれば,今すぐバプテスマを行ってください!」
「皆さんのほとんどが,ほんとうに準備ができているのですか?」とメイビー長老は尋ねました。
「はい,間違いなくできています!」とアンソニーは答えました。「今,最も信仰の強い人たちにバプテスマを施して,ほかの人たちをさらに教えることができるようにしてください。」
3日後,アンソニーはメイビー長老と会い,教会の支部をどのように導くかについて話し合いました。外では,小さな子供たちが宣教師から教わった新しい歌を歌っています。
間もなく,アンソニーと宣教師たちとほかの信者たちは,エケオヌミリ川のほとりにある人けのない池の岸に集まりました。池は直径が9メートルくらいで,深い緑の茂みと木々に囲まれていました。明るい木漏れ日が水面を踊り,小さな色とりどりの魚が岸の近くを素早く行き来しています。
メイビー長老は水に入り,アンソニーの手を取りました。アンソニーは笑みを浮かべて,メイビー長老に続きました。心を落ち着かせてから,アンソニーはメイビー長老の手首を握り,長老は右手を挙げました。
そしてこのように言いました。「アンソニー・ウゾディマ・オビンナ。わたしはイエス・キリストより権能を受けたので,御父と御子と聖霊の御名によって,あなたにバプテスマを施します。」
メイビー長老に沈められているとき,アンソニーは水に包まれるのを感じました。そして水から出ると,岸に集まっていた群衆が一斉にため息をつき,それから喜びの笑い声を上げました。
アンソニーの妻フィデリアと,ほかに17人の人たちがバプテスマを受けると,一同は集会所に戻りました。アンソニーと3人の兄弟,フランシス,レイモンド,アロイシウスが,アロン神権の祭司の職に聖任されました。メイビー長老はアンソニーをアボー支部の会長に,フランシスとレイモンドをその顧問に任命しました。