「J・アネット・デニス」『リアホナ』2022年5月号。
J・アネット・デニス
中央扶助協会会長会第一顧問
ジニー・アネット・デニス姉妹は子供時代をアメリカ合衆国の様々な場所で過ごしましたが,家族でユタ州コットンウッドハイツに引っ越したときには夢がかなったと思いました。
「ユタの人たちは皆教会員で,ここは安息の地になるだろうと思っていました」と彼女は言います。
それは,中学3年生のときでした。最初の何日かは,パーティーに誘われてわくわくしていました。しかし,親友になった女の子から,パーティーの参加者は薬物を使うのよと警告されたのです。
「この世的な影響はどこにでもあるということをとっさに悟りました」と彼女は言っています。しかし,彼女には証があり,福音を中心とした家庭で育っていたので,強い信仰をもって高校生活を送ることができました。
1960年6月にユタ州プロボで生まれたジニー・アネット・ヘリンは,カーティス・ラマー・ヘリン,パトリシア・ジョアン・ヘリン夫妻の7人の子供の最年長です。父親の仕事の関係で,家族はミシシッピ州,テネシー州,アイオワ州,ネブラスカ州,ユタ州と,転居を繰り返しました。
ブリガム・ヤング大学で初等教育を学び,副専攻でスペイン語を学びました。クラス旅行でメキシコに行ったときにホルヘ・デニスと出会い,文通するようになりました。
1年後,ホルヘが英語を学ぶためにソルトレーク・シティーに引っ越して来たのを機に二人は交際を始め,数か月後に婚約しました。二人は1980年9月4日にソルトレーク神殿で結婚し,4人の子供と9人の孫がいます。住居はユタ州バウンティフルです。
4月2日に支持されたデニス姉妹は,8月1日付で中央扶助協会会長会第一顧問として奉仕を始めます。中央初等協会諮問評議会で奉仕し,デービス郡コミュニケーション評議会の一員として夫とともに奉仕しています。
2013年から2016年にかけて夫がエクアドル・グアヤキル西伝道部の伝道部会長を務めた際には,夫とともに奉仕しました。またこれまで,エクアドル・グアヤキル神殿のメイトロン補佐,ステーク扶助協会書記,ワード初等協会会長,ワード扶助協会会長会顧問,ワード若い女性会長会顧問,扶助協会教師,神殿儀式執行者としても奉仕してきました。