「第17課 クラス準備資料:敵対と逆境にあって忠実さを保つ」回復の礎 教師用資料
「第17課 クラス準備資料」回復の礎 教師用資料
第17課 クラス準備資料
敵対と逆境にあって忠実さを保つ
わたしたちは皆,信仰の試しを経験をします。困難な状況でも雄々しくあって神への確固たる信仰を保つことは,人生における大きな課題の一つです。以下の資料を学びながら,信仰の試しに遭ったときに指針にすることのできる原則を見つけてください。
セクション 1
1830年代後半,オハイオ州のカートランドで聖徒たちはどのような試練を経験したか
1837年に教会を襲った危機について,ブリガム・ヤングは,「教会において最も力ある人の多くがつまずきました」と言っています(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』317)。その前年には聖徒たちは平和を享受しており,カートランド神殿の奉献式で数々の啓示を授かったばかりでした。しかし,奉献式の数か月後,国を襲った「投機の風潮」が聖徒たちにも広がり始めました。カートランドは「非常に繁栄しているように見えた」と,ヒーバー・C・キンボールは書いています。「だれもが豊かになることを確信しているようだったが,わたしにはそれは見せかけの豊かさであり,架空の豊かさであると感じられた。この見せかけの繁栄によって,聖徒たちの多くは,主が地の宝で聖徒たちを豊かにする時代が来たのだと考えた。そして,聖徒たちはこの考えに突き動かされて大胆な行動に出た。十二使徒定員会の一員であるライマン・E・ジョンソンとジョン・F・ボイントンまでもが,ニューヨークへ行き,2万ドル相当の品物を購入して商売を始めたのである。二人は,ポリー・ボースらボストン周辺地区の聖徒から相当な額の借金をしたが,返済することはなかった」(in Orson F. Whitney,ヒーバー・C・キンボールの人生The Life of Heber C. Kimball』[1888年],111-12 [1888], 111–12)。
多くの聖徒たちの間で,高慢,誹謗中傷,背教の風潮が広がり始めました。エライザ・R・スノーは,次のように振り返っています。
「あらゆる義務を謙遜かつ忠実に果たしてい…た多くの人が尊大な態度を示すようになり,高慢になっていきました。聖徒たちがこの世への愛着と思いに身を任せていくに従って,主の御霊は彼らの心から退いて行きました。」(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』317)
繁栄しているようでありながら,教会の財政はひっ迫していました。神殿の建設と土地の購入での出費がたたり,何万ドルもの借金を抱えるようになっていたのです。そんなときに,カートランドとミズーリでは,聖徒たちが主の命令に従ってファーウエストやジャクソン郡の土地をさらに入手して新たな入植地を築こうと苦労していました。教会の財政難を緩和するために,ジョセフ・スミスら教会指導者たちは,カートランド安全協会という小さな銀行を設立しました。ジョセフを含め,一部の聖徒はこの新しい銀行の株を買いました。多くの聖徒は,忠実であり続ければ,富と繁栄の未来がやってくると信じていました。
一方,1837年初頭の広範囲に及ぶ経済不況のため,アメリカ合衆国では多くの銀行が倒産しました。全国的な経済恐慌と教会員でない一部の市民からの激しい反発のために,カートランド安全協会は開業後約7か月で倒産しました。200人の投資家たちは資金をほぼ全額失いましたが,最大の損失をこうむったのはジョセフ・スミスでした。
聖徒のほとんどは信仰をもって立ち向かい,この試しの時期も証を守り続けましたが,財政難についてジョセフ・スミスを非難する聖徒も,一部の教会指導者を含めて,数多くいました。中には,ジョセフ・スミスは堕落した預言者であると主張し,ジョセフに代わる教会の大管長を任命することを望む者もいました。
セクション 2
信仰が試されるときに強く,確固としているために何ができるか
1837年初め,十二使徒定員会会長だったトーマス・B・マーシュは,ミズーリの教会の指導を助けていました。定員会会員の一部がジョセフ・スミスに対して批判的になり,仲間割れし始めたことを知ったトーマスは,十二使徒が一丸となることを願ってオハイオ州カートランドへ旅をしました。
カートランドへの道中,トーマスは,預言者がイングランドへの伝道のために二人の定員会会員を召したことを知ります。トーマスは,伝道に召すことは,定員会会長である自分の務めだと考えていました。カートランドに到着したトーマスがこの疑問をジョセフ・スミスに打ち明けると,預言者ジョセフはトーマスに向けた啓示とへの勧告を受けました(『啓示の背景』55-57参照)。
主がトーマスに与えた言葉を読みながら,この聖句に含まれるどの助言や真理が,信仰を保ち続けるのに苦労しているの人の助けになるか,考えてください。見つけた事柄に印をつけるとよいでしょう。
セクション 3
どうすれば逆境から重要なことを学ぶことができるか
カートランドでは,教会を去った数名が,ジョセフ・スミスの殺害を企てていました。啓示によって主から警告を受けたジョセフは,シドニー・リグドンと共に夜,ミズーリ州ファーウエストに向かって旅立ち,1838年3月に到着します。同年の夏から秋にかけて,ミズーリ市民と教会員の間にあった誤解と敵対意識が,ミズーリ北部での武力紛争へと発展しました。この紛争に関する誇張された報道に基づいて,ミズーリ知事は撲滅令を出し,聖徒たちを強制的に州から追いやりました。その直後の1838年11月,預言者ジョセフ・スミスら教会指導者は逮捕され,州に対する反逆という無実の罪を着せられて,最後にはミズーリ州クレイ郡リバティーの監獄に投獄されました。
ジョセフは,監獄での生活で疲れ切っていました。やじ馬は鉄格子の窓をのぞき,ジョセフをじろじろ見たり,みだらな言葉を浴びせたりします。ジョセフと捕虜たちには,わずかなとうもろこしのパンしか食べるものがないことが度々でした。12月以来,寝床として使っていたわらは押しつぶされ,もはやまったく役に立ちません。暖を取ろうと火をつけると,地下牢は煙で充満し,むせてしまいます。……
天からの召しを受けて以来,ジョセフは主に従い,聖徒たちを集めようと努め,反発を受けながらも前進し続けてきました。しかし,年月を重ね,教会は繁栄しましたが,いつ崩壊してもおかしくない状態に陥いっているようでした。
暴徒は聖徒たちをジャクソン郡のシオンから追い出しました。カートランドの教会は,内部の意見の相違により分断し,神殿は債権者の手に渡ってしまいました。今や,近隣住民との恐ろしい戦争が終わりを告げ,失望し,家を失った聖徒たちはミシシッピ川の東岸に沿って散在しています……
〔ジョセフが見るかぎり〕聖徒たちは神を愛する善良な人々であり,家から引きずり出され,打たれ,死ぬまで放置されるような人々ではありません。(『聖徒たち―末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第1巻「真理の旗」1815-1846年,365-366)
故郷の教会指導者と聖徒への書簡で,ジョセフはこんな祈りの叫びを綴っています。「おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか。……あなたの御手はいつまでとどめられ,あなたの目…はいつまで永遠の天からあなたの民とあなたの僕たちへの不当な扱いを眺め,またあなたの耳はいつまで彼らの叫び声で貫かれるのですか。」(教義と聖約121:1-2)。
あなたが逆境に苦しみ,神の助けを求めたときのことについて考えてください。主があなた自身に語りかける様子を想像しながら,リバティーの監獄で主がジョセフにお与えになった以下の言葉について学習しましょう。特に心に残った言葉や原則には印をつけるとよいでしょう。