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第3課 教師用資料:リーハイが見た命の木の夢


「第3課 教師用資料:リーハイが見た命の木の夢」『モルモン書の教えと教義 教師用資料』(2021年版)

「第3課 教師用資料」『モルモン書の教えと教義 教師用資料』

第3課 教師用資料

リーハイが見た命の木の夢

リーハイが見た命の木の夢は,神の愛を味わい,救い主の贖いの祝福にあずかるための方法を知る手掛かりになります。本課を学ぶと,生徒たちは,キリストのもとに来る努力を後押しするものと妨げるものを見分けることができるようになり,生活の中で神の言葉に高い優先順位を置くために,どんなことができるかが分かるようになるでしょう。

教えるための提案

教え,学ぶ方法を改善する

学ぶ人を中心にするよう努力するダリン・H・オークス管長はこう言っています。「福音の教師は,わたしたちが仕える主がされたと同様に,教えを受ける人に対して全身全霊を傾け〔ます〕。」(「福音を教える」『リアホナ』2000年1月号,95)学ぶ人を中心に置くよう努力する場合,以下の質問について考えてください。自分の教える生徒の背景情報や経験,悩み,要望についてさらによく理解するために,わたしにはどんなことができるだろうか。生徒たちがすでに知っていることの上に知識を積み上げていけるようにするために,わたしにはどんなことができるだろうか。生徒たちが積極的に学び,ほかの人の学習に貢献できるようになるために,わたしにはどんな助けができるだろうか。生徒たちに救い主に近づいてもらうために,わたしには何ができるだろうか。

リーハイ,命の木の示現を見る

Lehi’s Dream, by Greg K. Olsen

資料に掲載されているリーハイの見た命の木の示現の画像を見せ,この示現について知っていることを生徒たちに簡単に発表してもらいます。リーハイの見た夢の話を,一人の生徒にかいつまんで話してもらってもよいでしょう。

参照聖句として準備資料に挙がっている1ニーファイ8:10-121ニーファイ11:21-22を生徒たちに読んでもらい,リーハイとニーファイが命の木とその実についてどう説明しているか調べてもらいます。

リーハイの見た夢についての生徒たちの理解度を基に,次の質問から幾つか選んで生徒にするとよいでしょう。

  • この木と実は何を表していますか(準備資料のセクション 1参照)。

  • この木と実についてのリーハイの説明から,神の愛と救い主の贖いについてどんなことが分かりますか。

  • この聖句は,喜びを得ることについてどんなことを教えていますか。(生徒たちは次のような真理を見つけるかもしれません。キリストのもとに来て主の贖いの祝福にあずかると,喜びがある。

  • 救い主の贖いの祝福はなぜ「どんな​もの​より​も​好ましい​」のでしょうか(1ニーファイ8:1211:22)。

ラッセル・M・ネルソン大管長の次の言葉を見せます。

President Russell M. Nelson

愛する兄弟姉妹の皆さん,わたしたちが感じる幸せは,生活の状況ではなく,生活の中で何に目を向けるかにかかっているのです。

……生活の中心をイエス・キリストと主の福音に向けるなら,人生で何が起こっても—起こらなかったとしても—喜びを感じることができます。喜びは主から始まり,主からもたらされるものです。…主はすべての喜びの源であられます。(「喜び—霊的に生き抜く道」『リアホナ』2016年11月号,82参照)

  • イエス・キリストをもっと生活の中心に置いてさらに大きな喜びを味わえるようにするために,どんなことができるでしょうか(時間をとって,生徒が自分の感じたことについて考え,書き留めることができるようにします)。

リーハイとニーファイ,神の言葉が救い主とその贖いに導くことを学ぶ

生徒を少人数のグループに分け,各生徒に以下の配付物を渡します。

命の木の実を受けられなくするもの

『モルモン書の教えと教義 教師用資料』第3課

この段落をグループで読みます:リーハイが見た命の木の示現では,汚れた川,「暗黒の霧」(1ニーファイ12:17),そして「大きく​広々​と​した​​建物」(1ニーファイ8:26)のために,人々が木にたどり着いてその実を食べることは難しくなっていました。クラス用準備資料で皆さんは,人を救い主から遠ざけようとするこのような危険や惑わしの現代の例について考えたかもしれません。現代のヤングアダルトたちが以下の状況に遭遇する場面について,グループで話し合ってください。

汚れ,つまり罪(汚れた川:1ニーファイ8:1312;1615;27

欺きと誘惑(「暗黒の霧」:1ニーファイ8:2312;17

世の高慢とあざけり(「大きく​広々​と​した​​建物」:1ニーファイ8;25-2812;18

話し合い:皆さんが例として挙げて話し合った場面で,ヤングアダルトたちはなぜイエス・キリストのもとに来て贖いの祝福にあずかることができなくなってしまいかねないのでしょうか。あなたはこのような障害を自分の人生で乗り越えるために,どのような努力をしてきましたか。

命の木の実を受けられなくするもの

教師用配付資料

十分時間を取った後,数人の生徒たちに,グループで話し合った内容をクラスで発表してもらいます。

リーハイがこの示現で見た4つのグループの人々について分かったことを復習するよう(準備資料のセクション3参照),生徒たちに言います。ホワイトボードに以下の見出しを書きます。グループ1(1ニーファイ8:21-23),グループ2(1ニーファイ8:24-28),グループ3(1ニーファイ8:30,33),グループ4(1ニーファイ8:31-32

  • それぞれのグループで,鉄の棒,つまり神の言葉は,どんな役割を果たしましたか。(生徒の答えをそれぞれの欄に書きます。)

  • 1ニーファイ8:33にある「気に留めなかった」という言葉の重要性は,どこにあるでしょうか。これは現代に当てはめると,どういうことでしょうか。

  • 鉄の棒から手を離して道から外れてしまった人たちには,どんな希望があるでしょうか。(準備資料にあるアン・M・ディブ姉妹の言葉を復習するよう生徒に言いましょう。)

ニーファイは,父の見た夢の意味が理解できるようにと祈ると示現を見せられて夢の意味が分かるようになりました。このことを説明します。その後ニーファイは,鉄の棒が何を表しているかを兄たちに教えました。1ニーファイ15:23-24を一人の生徒に読んでもらってから,以下の質問をします。

  • 兄たちに対するニーファイの説明と励ましの言葉から,どんなことが学べますか。(ほかにも真理はありますが,生徒たちは次のような原則を見つけるでしょう。神の言葉に忠実に従うならば,わたしたちをイエス・キリストから引き離そうとするサタンのもくろみを退けることができる。

  • 神の言葉に「しっかり……​​つかまり​ながら​」とは(1ニーファイ 8:30),どういう意味だと思いますか。

七十人のケビン・W・ピアソン長老の次の言葉を見せます。

Elder Kevin W. Pearson

神の言葉に「しっかり……つかまりながら」(1 ニーファイ 8:30),御言葉に従って生活しなければ,わたしたちは,霊的な思いを抱くのではなく,むしろ,霊的に盲目になってしまいます。毎日,毎日,毎日,モルモン書と生ける預言者の言葉を研究してください!それが霊的に生き抜くうえでの,また,欺かれないための鍵です。そうしなければ,わたしたちは霊的に道に迷ってしまいます。 (「命の木のそばにとどまる」『リアホナ』2015年5月号,115)

神の言葉を忠実に守ることによって霊的に生き抜くことができた経験や,欺かれなかった経験を,生徒たちに発表してもらいます。また,神の言葉のおかげでイエス・キリストに近づくことができた経験や,贖いの力を受けた経験も,発表してもらうとよいでしょう。

今学んでいることや感じていることに基づいて行動できるようになってもらうために,以下の質問を見せて生徒たちによく考えてもらい,自分なりの答えを書き留めてもらうといいかもしれません。

  • 神の言葉を忠実に守るためにどんなことができるか

  • 神の言葉を忠実に守ることの大切さについてわたしが証した場合,それを聞いて祝福を受けるかもしれないのはだれか。

書いたことを何人かの生徒に読んでもらってもよいでしょう。

次回に向けて

鉄の棒についての話し合いを踏まえて,最近,聖文研究をどれくらいの熱意で行ったかを生徒たちに考えてもらってもよいでしょう。準備資料で次回のクラスの予習を行う際に,個人の聖文研究を優先させることによって救い主にどう近づくことができるか考えるよう勧めます。