ジョセフを最もよく知り,教会の指導的立場にあって彼に最も近かった人たちは,彼を預言者として愛し,支持しました。兄ハイラムは,彼の傍らで死ぬことを選びました。殺害されたとき一緒にいたジョン・テーラーは,こう語っています。「わたしは神と天使と人々の前で証する。彼は善良で高潔な徳高い人物であり,……私的にも公的にも人格に一点のやましさもなく,神の僕として生き,死んでいった。」(The Gospel Kingdom [1987], 355;教義と聖約135:3も参照) ブリガム ・ヤングはこう明言しています。「この地上に生を受けている人の中でわたし以上に〔ジョセフ・スミス〕のことを知っている人はいない。わたしは声を大にしてこう言う。イエス・キリストを除いて彼ほど立派な人物は存在しなかったし,これからも存在することはないであろう。」(in Journal of Discourses,9:332)(ダリン・H・オークス「ジョセフ―人として預言者として」『聖徒の道』1996年7月号,84)
ジェーン・スナイダー・リチャーズは,ジョセフの人格と性格について次のように語っています。
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ジェーン・スナイダー・リチャーズ
(ジョセフ・スミスは,)わたしが出会った中で最も魅力的な人物の1人で,出会えたことは幸運でした……。聖見者であり啓示者であるジョセフは,恐れを知らず率直でありながら,謙虚であり,自分のことを,自分を通して神が語る代弁者でしかないと考えていました。彼は人々の指導者として,積極的で進歩的でしたが,常に控えめで人々やその困難な状況を思いやっていました。(Jane Snyder Richards, in “Joseph Smith, the Prophet,” Young Woman’s Journal, Dec. 1905, 550)
1838年,ジョセフと若者の何人かは屋外で様々なゲームをして楽しんでいました。その中にはボールを使ったゲームもありました。やがて彼らは遊びに飽きてきました。彼はそれを見て,彼らを呼び集め,「丸太小屋を作りましょう」と言いました。そしてジョセフと若者たちは,夫を失った女性のために丸太小屋を建てに行きました。これがジョセフのやり方でした。常に,自分にできるあらゆる方法でだれかを助けていたのです。(The Juvenile Instructor, Mar. 1, 1892, 153)
エライザ・R・スノーは,預言者の謙虚さと誠実さについてこのように書いています。
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エライザ・R・スノー姉妹
わたしはジョセフ・スミスの家族とともに住んでいて,彼の家族の家庭教師を務めていました。彼の神の預言者としての「毎日の歩みと言葉」を記録する十分な機会がありました。そして,彼を知れば知るほど,彼が預言者であることが分かるようになりました。……献身において,彼は小さな子供のように謙虚でした。(Eliza R. Snow, “Sketch of My Life,” Relief Society Magazine, Mar. 1944, 136)
メアリー・フロスト・アダムスは,ジョセフの親切な行いをこう振り返っています。
ジョセフがノーブーの市長だったとき,違法とされていた安息日に酒を売るという行為をしたために,アンソニーという名の黒人の末日聖徒が逮捕されました。アンソニーが法を犯す行為をしたのは,南部の奴隷だった自分の子供を自由の身にするお金を用意するためでした。すでに妻と自分自身の自由を買い取っていたので,今度は子供を連れ戻したいと考えたのです。アンソニーの行為には大義名文がありましたが,預言者ジョセフ・スミスは言いました。「残念ですが,アンソニー,法律は遵守しなければなりません。わたしはあなたに罰金を科すことになります。」しかし,「翌日,ジョセフ兄弟はアンソニーにすばらしい馬を贈り,それを売って子供を買い戻す資金を作るようにと指示したのです。」(“Joseph Smith, the Prophet,” Young Woman’s Journal, Dec. 1906, 538)