家庭学習クラスのレッスン
マルコ4-9章(単元8)
はじめに
このレッスンは,正しいと分かっていることをするよりも人々を喜ばせようとすることは,誤った選択,苦しみ,後悔につながることを理解する助けとなります。
教えるための提案
マルコ6:1-29
イエス,ナザレで拒まれ,十二使徒を遣わされる;バプテスマのヨハネの死についての詳しい記述
間違っていると分かっていることをせざるを得なかったときのことを,生徒たちに考えてもらうことで,レッスンを始めます。
次の言葉をホワイトボードに書きます(この言葉は「正しい選択をする」『聖徒の道』1995年1月号,42にあります)。
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悪いと分かっていることを誰かがあなたにさせようとしむける例には,どのようなものがあるでしょうか。
マルコ6章を研究しながら,生徒たちに,仲間からの不義の圧力に屈しないための助けとなる真理を見つけてもらいます。
一人の生徒に,マルコ6:17-18を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,ヘロデがバプテスマのヨハネにどのようなことをしたかを見つけてもらいます。生徒たちに,見つけたことを発表してもらいます。
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ヘロデはヨハネにどのようなことをしたでしょうか。また,それはなぜですか。
ヘロデは妻を離縁し,兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとりました。この行為はユダヤ教の律法に露骨に違反するものであり(レビ18:16参照),バプテスマのヨハネはそれに対する非難の言葉を口にしました。この結婚に対するヨハネの反対はヘロデヤを怒らせ,ヘロデは彼女をなだめるためにヨハネを投獄しました。
一人の生徒に,マルコ6:19-20を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,ヘロデヤがバプテスマのヨハネをどのようにしたいと望んだのかを見つけてもらいます。
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ヘロデヤは,バプテスマのヨハネをどうしたいと思っていましたか。
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ヘロデヤはなぜヨハネを殺させることができなかったのですか。(ヘロデはヨハネを恐れており,神の人であることを知っていたから。)
数人の生徒に,マルコ6:21-29を順番に声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,ヘロデがバプテスマのヨハネにどのようなことをしたかを見つけてもらいます。
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26節によると,バプテスマのヨハネを殺すことについて,ヘロデはどのように感じていたでしょうか。
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悪いことだと分かっていて,そうしたくもなかったのなら,なぜヘロデはヨハネの首を切らせたのでしょうか。(ヘロデは,列座の人々がどう思うかを気にしていました。)
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正しいことをするのではなく,人々を喜ばせようとするとどうなるかについて,ヘロデの選択からどのような原則が分かりますか。(生徒はさまざまな言葉で表現するかもしれませんが,次の原則を必ず見つけられるようにしてください。正しいと分かっていることをするのではなく人々を喜ばせようとすることは,誤った選択,苦しみ,後悔につながる。)
この真理をさらによく理解できるよう,生徒たちを2つから4つのグループに分けて,青少年が,正しいと分かっていることをすることと,人を喜ばせることのどちらかを選択しなければならない状況を,幾つか考えてもらいます。十分な時間を取った後,グループごとに発表してもらいます。生徒たちが発表していく中で,それらの幾つかをホワイトボードに書きます。
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それらの例のような圧力に屈したために,悲しみと後悔がもたらされた状況を,どのような場面で見ましたか。
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人々を喜ばすことではなく正しいことをする方を選んだ人を,どのようなときに見ましたか。
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人々を喜ばすことではなく,正しいと分かっていることをする方を選ぶ助けとなるのは,どのようなことですか。
正しい決断をすることについての,スペンサー・W・キンボール大管長の次の言葉を読み上げます。
「事が起こるずっと前にどうするか決めておけば,いとも簡単に正しい決断をすることができます。疲れたり,大きな誘惑に出遭ったりしても,こうしておけば,分かれ道に行き当たったときに,多くの悩みや苦しみを避けることができます。」(『歴代大管長の教え—スペンサー・W・キンボール』108)
生徒たちに,次の一週間深く考え,周囲の人を喜ばせることと正しいことを行うことの間で選ぶ必要がある状況を,見つけてもらいます。そのような圧力を経験するとき,どう対処するかを計画するように励まします。
イエスがガリラヤで多くの奇跡を行われたことを聞いて,ヘロデはバプテスマのヨハネが死人の中からよみがえり,それらの奇跡を行っているのだと恐れたことを説明します(マルコ6:14-16)。
マルコ7-8章
イエス・キリスト,二人の人を癒やされて,弟子たちをお教えになる
マルコ7-8章には,救い主が人を癒やされた2つの出来事が含まれていることを説明します。生徒を二人一組にします。それぞれの組の一人の生徒に,マルコ7:31-35を,もう一人には,マルコ8:22-25を読んでもらいます。その後で,これらの節にある癒やしの奇跡について,それぞれのパートナーに話してもらいます。
十分な時間を取った後,救い主はどのようにしてその二人を癒やされたかを説明してもらいます。
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盲人が最初は完全に癒やされなかったことから,どのような教訓を学ぶことができるでしょうか。
一人の生徒に,十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老の次の言葉を読んでもらいます。生徒たちに,なぜイエスはその男を徐々に,つまり段階的に癒やされたのか注意しながら聞いてもらいます。
「この奇跡は独特です。イエスが段階的に人を癒やされた,ただ一つの例だからです。弱いところを強めるだけでなく盲人の信仰を増すために主はこの方法を取られたのでしょう。イエスに何度か直に触れることは,希望,確信,目に見えないものへの信仰を増し加える効果があったと思われます。イエスは(1)盲人の手を取って村の外に連れ出され,(2)盲人の両方の目に御自分のつばきをつけられ,(3)両手を彼に当てるという儀式を行われ,(4)再びその男の目の上に両手を当てられました。
確かに,この癒やしが行われた過程は,人が自らの力と信仰を尽くして癒やしの恵みを求めなければならないということを教えています。そして,部分的な癒やしだけならそれで十分ですが,続けてそれを受けることで,隅々まで完全になるためのさらなる確信と信仰を得られるものと考えられます。神の計画と目的に調和した生活をするときに,人はしばしば,徐々に,段階的に,霊的な病からも癒やされるのです。」(Doctrinal New Testament Commentary,全3巻〔1965-1973年〕,第1巻,379-380)
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徐々に癒やされることで,イエス・キリストへの信仰がどのように増すでしょうか。
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福音の証を得ること,肉体的または精神的な癒やしを得ることなどの祝福は,即座にまたは一度に来るのではなく,徐々に,または段階的に訪れることを理解することが重要なのはなぜでしょうか。
マルコ8:27-28の要約として,イエスは弟子たちに,人々は,御自分を誰であると言っているかと尋ねられたことを説明します。弟子たちは,バプテスマのヨハネだと言う人やもう一人の預言者だと言う人がいると答えました。
一人の生徒に,マルコ8:29を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,イエスについてペテロが宣言したことを見つけてもらいます。
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ぺテロはイエスを誰だと言いましたか。(「キリスト」という言葉は,ギリシャ語の「メシヤ」に当たります。)
マルコ8:30-31の要約として,イエスは御自分がユダヤ人に拒まれ殺されると,弟子たちに教えられたことを説明します。一人の生徒に,マルコ8:32-33を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,ペテロがこの知らせにどのように反応したかを見つけてもらいます。
ユダヤ人の間に広がった勝利者メシヤへの期待から,ペテロにとってまた当時の多くのユダヤ人にとって,メシヤが苦しみを受けて死ぬということは,理解し難く受け入れ難いことだったことを説明します。
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ペテロは,マルコ8:22-25で述べられている盲人と,どのように似ているでしょうか。(ペテロは徐々に真理が「見えて」きました。ペテロには救い主への信仰がありましたが,救い主の使命についての理解は少しずつ深まりました。)
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あなたやあなたの知人にとって真理が少しずつ明らかになるよう,救い主はどのように助けてくださいましたか。
生徒たちに,毎日の生活の中で主を優先するために,今日のレッスンがどのような助けとなるか深く考えながら,マルコ8:34-38を黙読してもらい,今日のレッスンを終わります。
次の単元(マルコ10章—ルカ4章)
生徒たちに,マルコによる福音書の研究を終了し,ルカによる記録の研究を始めることを説明します。イエス・キリストの生涯と贖罪の出来事の最終段階について読み返しながら,新たな詳細を調べてもらいます。また主が十字架につけられていたときに,イエスに向けられたあざけりの言葉に注目してもらいます。ルカによる福音書では,聖書の中で最も広く知られた章の一つ—ルカ2章—と,踏みにじられる者,追い出される者,罪人たちについての記録を読みます。