第12課
マタイ7章
はじめに
イエス・キリストは,義にかなった裁きをするよう弟子たちを教えることで,山上の垂訓を続けられました。主はまた,弟子たちに個人的な啓示を受け,天の御父の御心を行うことを教えられました。
教えるための提案
マタイ7:1-5
山上の垂訓の一部として,イエス・キリストは義にかなって裁くことについて弟子たちに教えられる
クラスが始まる前に,ホワイトボードに次の質問を書いておきます。「わたしたちは人を裁くべきでしょうか,それとも裁くべきではないでしょうか。」クラスを始めるとき,生徒にこの質問に答えてもらいます。
絵「山上の垂訓」を見せます(『福音の視覚資料集』39番;LDS.orgも参照)。イエスは山上の垂訓を続け,弟子たちに裁くことについて教えられたことを説明します。
一人の生徒に,マタイ7:1を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,裁くことについて救い主が教えられた事柄を見つけてもらいます。1節は,しばしば,わたしたちが決して裁いてはいけないという意味に誤解されていることを指摘します。一人の生徒に,『聖句ガイド』にある「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)』のマタイ7:1-2を声に出して読んでもらいます。
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救い主は裁くことについてどのように教えられましたか。
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義にかなって裁くとはどういう意味だと思いますか。
一人の生徒に,マタイ7:2を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,わたしたちが他の人々を裁くときの裁き方によって,どうなるのか見つけてもらいます。生徒に見つけたことを発表してもらいます。
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わたしたちが他の人々を義にかなって裁くと,どうなりますか。(生徒が答えたら,次の原則を見つけるよう助けます。他の人々を義にかなって裁くなら,神はわたしたちに同じ憐れみと公平を示してくださる。)
可能であれば,それぞれの生徒に,『真理を守る』から次の言葉をコピーした資料を配ります。一人の生徒に,それを声に出して読んでもらいます。クラスの半数の生徒には,聞きながら,わたしたちがすべき,またはすべきでない裁きの種類を見つけてもらいます。残りの半数の生徒には,義にかなって裁く方法を見つけてもらいます。
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わたしたちがすべきなのはどのような裁きですか。
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どうすれば義にかなった裁きをすることができるでしょうか。
小さな細い木片と,長くて厚い木材を見せます。救い主が裁くことについて弟子たちに教えられたとき,主は小さな細い木片を「ちり」として,大きな木材を「梁」として述べられたことを説明します。一人の生徒に,マタイ7:3を読んでもらい,他の生徒には,聞きながら,救い主が他の人々を裁くことについて教えられたことを見つけてもらいます。
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ちりと梁は,救い主のたとえにおいて何を表しているのでしょうか。
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3節にある救い主の教えを,あなたの言葉で言うとどうなりますか。
二人の生徒に前に出てきてもらいます。一人の生徒に,自分の両目が隠れるように梁を持ってもらいます。二人目の生徒に次の質問をします。
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梁があるクラスメートに,あなたの目から木くずを取り除いてほしいと思いますか。なぜ,そうして欲しくないのでしょうか。
梁を持っている生徒に尋ねます。
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クラスメートの目から木くずを取り除けるほど十分はっきり見るためには何をする必要がありますか。
梁を持っている生徒に,大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長が述べた次の言葉を読んでもらいます。
「この梁とちりの話は,自分をしっかり見詰める力のないわたしたちと密接に関係があるように思われます。自分の問題を知るのには苦労することが多いのに,他の人々の問題をとてもよく分析して解決法を提言できるのはなぜか,わたしには分かりません。」(「主よ,それはわたしですか」『リアホナ』2014年11月号,56)
二人の生徒に着席してもらいます。一人の生徒に,マタイ7:4-5を読んでもらい,他の生徒には,聞きながら,救い主が誰の過ちについて心配すべきだとおっしゃっているのか見つけてもらいます。
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わたしたちの関心や矯正は,他の人々の過ちに焦点を当てるべきでしょうか,それとも自分自身の過ちに焦点を当てるべきでしょうか。それはなぜでしょうか。
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これらの聖句から,他の人々を不正に裁くのを避けるのに役立つどのような原則を学ぶことができるでしょうか。(生徒は異なった言葉を使うでしょうが,おそらく次の原則を見つけるでしょう。自分自身の罪や弱点を取り除くことに焦点を当てているなら,わたしたちは他の人々を不当に裁きにくくなる。)
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他の誰かの欠点を見るとき,この原則はどのようにわたしたちに役立つでしょうか。
この原則を生徒に思い出してもらうために,生徒に小さい木片を与えてもよいでしょう。生徒たちに,自分の生活の中から取り除くことのできる罪や弱点について深く考えてもらいます。他の人々を不正に裁くのではなく,自分の欠点を取り除くための助けを主に求めるよう生徒を励まします。
マタイ7:6-14
救い主,個人の啓示を求めることについて教えられる
マタイ7:6の要約として,この聖句のジョセフ・スミス訳は,イエス・キリストが,世界に出て行き福音を宣べ伝えるように弟子たちを召したことを理解する助けとなることを説明します。弟子たちは悔い改めを教えるものの,王国の奥義は自分自身にとどめておくことになっていました。言い換えれば,神聖な事柄について受け入れる備えのない人々とは,それらの事柄については話し合わなかったのです。(ジョセフ・スミス訳マタイ7:9-11〔『聖句ガイド』内「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)」〕参照)
ジョセフ・スミス訳によれば,マタイ7:7は「彼らに言いなさい。神を求めよ」という言葉で始まっていることを説明します。一人の生徒に,この言葉を始めにつけて,7節を読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,主が弟子たちに何を教えるよう言われたかを見つけるように言います。
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神から知識を授かりたいと思う人々に対して,弟子たちは何を語るべきでしょうか。
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7節から,わたしたちが神からの神聖な知識を理解できるようになる方法についてどのような原則を学べるでしょうか。(生徒が答えたら,次の原則を見つけられるよう助けます。わたしたちが真理を見いだすために求め,捜し,門をたたくとき,天の御父は個人の啓示によって答え,祝福してくださる。)
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「求め,捜し,門をたたく」という言葉は,個人の啓示を受けるために何をしなければならないと教えているでしょうか。
数人の生徒に,求め,捜し,門をたたいたことで個人的な啓示を受けたときのことを話してもらいます。
マタイ7:9-11の要約として,愛情深い父親が,息子がパンや魚を求めるときに石や蛇を与えないのと同じように,天の御父は個人の啓示の賜物を求める子供たちに対して,それを拒まれることはないということを,救い主は教えられたことを説明します。
個人の啓示と福音の理解を授かるよう,求め,捜し,門をたたくことによって信仰を行使するよう生徒を励まします。信仰と忍耐をもってこれを行うときに,天の御父が答えを与えてくださることを証します。
一人の生徒に,マタイ7:12-14を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,主が弟子たちに教えるようにと言われたその他の真理を見つけてもらいます。分かったことを発表してもらいます。
マタイ7:15-27
救い主,御父の御心を行う人々に救いを約束される
生徒たちに,世間では一般的に受け入れられているものの,天の御父の計画には反している考えを幾つかホワイトボードに列挙してもらいます。
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個人またはグループが,天の御父の計画に反する考えを勧めているかどうか見分けることができるのは,なぜ大切なのでしょうか。
一人の生徒に,マタイ7:15を声に出して読んでもらいます。その後,次の質問をします。
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主は弟子たちにどのようなことを警告されましたか。主は,これらの偽預言者はどのように人を欺く可能性があるとおっしゃいましたか。
M・ラッセル・バラード長老は現代における偽預言者について次のように警告しています。「自分勝手に教会の教義を説く……男女」また「神の真の預言者に反することを語り,それを公表する人々や,自分たちがそそのかそうとしている人々の永遠の幸福については関心を示そうとしない熱心な伝道者たちにも気をつけてください。」(「偽預言者と偽教師を警戒しなさい」『リアホナ』2000年1月号,74参照)
一人の生徒に,マタイ7:16-20を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,聞きながら,ある人が偽預言者や偽教師であるかどうかを見分けることができる一つの方法を見つけてもらいます。
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人が偽預言者や偽教師であるかどうかを見分けることができる一つの方法とはどのようなことでしょうか。(生徒に答えてもらった後,次の真理をホワイトボードに書きます。わたしたちは,その実によって偽預言者を見分けることができる。)
生徒に2種類の果実を示します。生徒たちに,それぞれの果実はどちらの植物の実なのか尋ねます。その果実によって植物を識別するように,わたしたちは偽預言者と偽教師の教え,行い,考えによって彼らを識別することができることを説明します。
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この真理に基づいて考えると,気をつける必要がある個人やグループをどのように認識することができるでしょうか。
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ホワイトボード上の考えのリストは,この真理にどのように関連していますか。
マタイ7:21-23の要約として,イエス・キリストへの信仰を宣言している誰もが神の王国に入るわけではなく,天の御父の御心を行い,神を知るようになる人々が天の王国に入ることを説明します。
岩と一盛りの砂を見せます。岩の上と砂の上と,どちらの上に家を建てたいと思うか,生徒に尋ねます。なぜそう思うのか説明してもらいます。
一人の生徒に,マタイ7:24-27を声に出して読んでもらいます。
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24節によれば,救い主は,どのような行いで岩の上に建てた賢い人のようになると言っておられますか。
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26節によれば,救い主は,どのような行いで砂の上に建てた愚かな人のようになると言っておられますか。
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雨,洪水,風はこれらのたとえで何を表していると思いますか(27節参照。ヒラマン5:12も参照)。
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これらのたとえから,主の教えに基づいて行動することについてどのような原則を学べるでしょうか。(生徒は異なった言葉を使うでしょうが,おそらく次の原則を見つけるはずです。主の教えを聞き,それに基づいて行動するなら,主は試練に耐えるようわたしたちを強めてくださる。主の教えを聞いてもそれに従わないなら,試練が来たとき,必要な支えを与えられない。)
生徒に,山上の垂訓で主が教えられたことについて考えてもらいます(マタイ5-7章参照)。救い主が教えられた原則に基づいて行動することを決意することによって賢い人のようになるよう生徒に言います。生徒に,このレッスンまたはこれまでの3回のレッスンから学んだ原則を一つ以上,どのように応用するか書くための時間を与えるとよいでしょう。