少し進んだ後,ジョセフは道を離れて森の中を抜けて行く方が安全だと考えました。道を外れた後幾らか進んで行くと,大きな木が風で倒れてきました。ジョセフが丸太を飛び越えたとき,その後ろから一人の男が飛びかかってきて,銃でジョセフを強打しました。ジョセフは振り返って男を倒すと,一目散に走りました。半マイル(約0.8キロメートル)も行くと,ジョセフはまた前と同じ方法で襲われました。同じようにその男を倒して走りました。そして家に着く前に3度目の襲撃に遭いました。最後の男を殴ったとき,ジョセフは親指を脱臼しましたが,家が見える所まで来て,息を鎮めるために柵の角に倒れ込むまでそれに気づきませんでした。落ち着くとすぐに起き上がり,家に入りました。ジョセフはまだ,恐れと走って来た疲れから話すことができませんでした。」(in Lucy Mack Smith, History of Joseph Smith by His Mother, ed. Preston Nibley [1958], 108)
「善良であって,記録を手に入れるためにできるかぎりのことをしてほしい。与えられる指示に忠実であり,すべての戒めを守りなさい。もう君と別れなければならないけれども,兄さんが君に示した手本を忘れずに,下の子たちに善い手本を示しなさい。そしていつも父さんと母さんに優しくしなさい。」(Lucy Mack Smith, History of Joseph Smith by His Mother, ed. Preston Nibley [1958], 87)
「モルモン書を読む多くの人は,当然のことながら,翻訳の実際のプロセスを含むモルモン書の出現についてもっと多くのことを知りたいと思うものです。これは信仰篤く忠実なハイラム・スミスについても確かにそのとおりでした。ハイラムはそれについて尋ね,預言者ジョセフから,『モルモン書の出現の詳細をすべての世の人々に告げるつもりはない』こと,また『これらのことについて説明するのは時宜にかなっていない』ことを告げられました(History of the Church, 1:220)。したがって,モルモン書の実際の出現については現在分かっていることで十分です。しかし,それは多くはありません。……
プロセスの詳細がどうであろうと,啓示を受ける道具に助けられながらも,ジョセフ自身が真剣に努力する必要がありました。ジョセフの能力が増すと,プロセスは変わったかもしれません。ウリムとトンミムを使っていましたが,預言者の翻訳作業の後期にはこのような道具に頼ることが恐らく少なくなったかもしれません。十二使徒定員会のオーソン・プラット長老は,翻訳の経験が浅いときはウリムとトンミムを使ったが,後にそれを必要としなくなったとジョセフ・スミスから告げられました。聖書の多くの節をジョセフが翻訳したときがそうでした(Latter-day Saints’ Millennial Star, 11 Aug. 1874, 498–99参照)。
モルモン書の翻訳のプロセスに関してもっと明らかにされないのはなぜなのでしょう。恐らくそれが与えられたとしても,わたしたちが理解する備えができていないという理由で,すべての過程は明らかにされなかったのでしょう。また,重要な証拠が多くあるにもかかわらず,主はわたしたちが信仰によりモルモン書を受け入れるように求めておられるのかもしれません。実際に救い主はニーファイ人に対する救い主の教えを振り返っていたモルモンに,『わたしは自分の民の信仰を試みよう』と言ってすべてのことを版に記録しないようにと指示されました(3ニーファイ26:11)。また,恐らく翻訳の詳細が明らかにされていないのは,それが世に出たいきさつに過度に気を取られるよりも,わたしたち自身がモルモン書に書いてあることに心を向けるよう意図されているからでしょう。」(“By the Gift and Power of God,”Ensign,Jan. 1997, 39, 41)
「預言者ジョセフ・スミスだけがすべてのプロセスを知っており,彼は詳細を述べるのを故意に控えていました。わたしたちは,デビッド・ホイットマー,ジョセフ・ナイト,マーティン・ハリスの言葉をよく知っています。彼らは翻訳者ではなく,立会人でした。デビッド・ホイットマーは,預言者が与えられた神聖な道具を助けとして使うと『象形文字が現れ,また英語の訳文も明るく輝く文字として現れ』,その後,ジョセフはその言葉をオリバーに読み上げた,と述べています(James H. Hart, “About the Book of Mormon,” Deseret Evening News, 25 Mar. 1884, 2で引用)。マーティン・ハリスは聖見者の石について述べています。『文章が現れ,預言者はそれを読み,マーティンがそれを書き留めた。』(Edward Stevenson, “One of the Three Witnesses: Incidents in the Life of Martin Harris,” Latter-day Saints’ Millennial Star, 6 Feb. 1882, 86–87で引用)ジョセフ・ナイトも同様の報告をしています(Dean Jessee, “Joseph Knight’s Recollection of Early Mormon History,” BYU Studies 17 [Autumn 1976]: 35参照)。
ジョセフはウリムとトンミムによって『版に刻まれた改良エジプト文字を英語で読む』ことができたと,オリバー・カウドリが法廷で証言したことが報告されています(“Mormonites,” Evangelical Magazine and Gospel Advocate, 9, Apr. 1831)。これらの報告が正しければ,それは,神がジョセフに翻訳する『眼力と力』を授けられたことを証明していることになります(教義と聖約3:12)。……
プロセスの詳細がどうであろうと,啓示を受ける道具に助けられながらも,ジョセフ自身が真剣に努力する必要がありました。ジョセフの能力が増すと,プロセスは変わったかもしれません。ウリムとトンミムを使っていましたが,預言者の翻訳作業の後期にはこのような道具に頼ることが恐らく少なくなったかもしれません。十二使徒定員会のオーソン・プラット長老は,翻訳の経験が浅いときはウリムとトンミムを使ったが,後にそれを必要としなくなったとジョセフ・スミスから告げられました。聖書の多くの節をジョセフが翻訳したときがそうでした(Latter-day Saints’ Millennial Star, 11 Aug. 1874, 498–99参照)。」(By the Gift and Power of God,Ensign, Jan. 1997, 39)