ルーシー・マック・スミスは,ニューヨーク州フェイエットからオハイオまで80人の教会員の一団を率いて行きました。ニューヨーク州バッファローへ,カユーガ運河とセネカ運河を船で旅したとき,ルーシーは聖徒たちに,自分たちがエルサレムを離れた父リーハイのように主の命令に従って旅をしているのだと思い起こさせました。彼女は聖徒たちが忠実であれば「神の祝福を受ける同じ理由がある」と勧告しました(History of Joseph Smith by His Mother, ed. Preston Nibley [1958], 195–96;『時満ちる時代の教会歴史生徒用資料』第2版〔教会教育システム手引き〕,91参照)。
ルーシーは神への信仰を持つよう隊員たちを励まし,彼らが一つになって,港をふさいでいる氷を割ってくださるように主に祈ればそうなると約束しました。ルーシーは起こったことを次のように説明しています:「雷のような音が聞こえました。船長が叫びました。『全員配置に着け。』氷が二つに割れて,ちょうど船が通れるほどの透き間ができたのです。その透き間はとても狭くて,船が通過したとき,水車の羽根が氷に接触して裂けてしまったほどです。……そして船がその透き間を通り過ぎるやいなや,氷は再び元に戻ったのです。」(History of Joseph Smith by His Mother, 197–205参照)
「〔ジョセフが〕踏み段を駆け上がって店に入ると,店の共同経営者が立っているところに歩いて行きました。『ニューエル・K・ホイットニー。あなたですね。』彼はそう叫びながら,まるで旧知の友に会ったかのように,心を込めて手を差し出しました。『どなたでしたでしょうか。』〔ニューエル・K・ホイットニー〕は差し出された手を無意識に取り,答えました。『あなたがしてくださったように,名前でお呼びすることができないのですが。』『わたしは預言者ジョセフです。』その見知らぬ人はほほえみながら言いました。『あなたはここでわたしのために祈ってくださいましたね。わたしに何をお望みですか。』」(History of the Church, 1:145–46)
ジョセフは,自分がカートランドに来ることを祈っているニューエルの姿を示現で見ていたことを説明しました。ホイットニー家族はジョセフ・スミスとエマを親切にもてなし,しばらく一緒に住みました。(History of the Church,1:146参照。『時満ちる時代の教会歴史生徒用資料』第2版〔教会教育システム〕,90-91も参照。)
「パートリッジの娘は後に,この啓示の後のことをこう口述しました。父は財産を売ってその取り引きから『ほんの少しのお金を得ました。モルモンの教会に加わり,財産を犠牲にするという父の決断により,その当時の父の友人は父が正気ではないと考えました。彼らは,宗教には,人にこの世的に価値のあるものをすべて投げ出させる何かがあることが理解できなかったのです。』」(Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, vol. 1 of the Documents series of The Joseph Smith Papers [2013], 244)
エドワード・パートリッジとシドニー・リグドンは預言者ジョセフ・スミスに会うため,ニューヨークへ旅をしました。「フィロ・ディブルによれば,パートリッジの訪問は他の人々の代理でもあった。〔フィロ・ディブルは〕隣人にこう言われた。『わたしたちはある人にニューヨーク州に行ってもらい,この業が真実かどうか,預言者がうそをつく人間でないかどうかを調べてもらっている。』〔Dibble, “Philo Dibble’s Narrative,” p. 77〕」(『時満ちる時代の教会歴史生徒用資料』第2版〔教会教育システム資料〕,82)ジョセフはエドワードを「敬神の模範であり主の偉大な兵士の一人である」と言いました(in History of the Church,1:128)。