「暴徒はエドワード・パートリッジビショップとチャールズ・アレンを捕らえると,怒り狂う群衆の中を引きずって広場まで連れて行った。その途中で群衆は二人を侮辱し,虐待した。広場に引き出された二人には選択枝が与えられた。モルモン書に対する信仰を捨てるか,さもなければジャクソン郡を出て行くというものだった。二人ともモルモン書を否定するつもりはなく,かといってジヤクソン郡を出て行くことにも同意できなかった。話すことを許されるとパートリッジビショップは語った。『世界の歴史を通じて,聖徒たちは迫害を受けざるを得ませんでした。わたしも過去の聖徒たちと同じように,キリストのために甘んじて迫害を受けるつもりです。わたしは人を傷つけるようなことは一切していません。もしあなたがたがわたしを虐待するならば,それは罪の無い者を傷つけていることになるのです。』ここまで話すと,パートリッジビショップの声はかき消されてしまった。群衆が騒いだためである。『おまえの神を呼んで,助け出してもらえ……!』多くの者が叫んだ。パートリッジとアレンの二人の兄弟は衣服をはぎ取られ,タールを塗り付けられた。タールには石灰や真珠灰,その他の肉をただれさせる物質が混ぜてあった。群衆はその上から大量の鳥の羽をまき散らしたのである。二人はこの残酷な仕打ちに甘んじて耐え,柔和であった。このため,群衆の興奮は次第に納まっていき,皆二人の柔和な態度に驚いている様子だった。やがて,兄弟たちは静かにその場を去ることを許された。」(B・H・ロバーツ,A Comprehensive History of the Church, 1:333『時満ちる時代の教会歴史生徒用資料』第2版〔教会教育システム手引き〕,2003年,133も参照)。
かつての看守とかつての囚人は,長い間手を握り合っていました。そのときほど,神の愛を強く,深く知ったことはありませんでした。」〔Corrie ten Boom, Tramp for the Lord (1974), 54–55〕(キース・B・マクマリン「わたしたちの義務の道」『リアホナ』2010年5月号,13参照)
『〔1833年7月20日に〕印刷所を襲撃した暴徒はフェルプス一家を家から引きずり出し,家財を道に放り出しました。暴徒はさらに,二階の印刷機器を破壊し,未製本の原稿を建物から投げ捨てました。何人かが大きな紙を取り出してこう宣言しました。「モルモンの戒めがあったぞ!」』[“Mary Elizabeth Rollins Lightner,” The Utah Genealogical and Historical Magazine, July 1926, 196]このころまでに,預言者ジョセフ・スミスはたくさんの神聖な啓示を受けていました。中には,1823年に天使モロナイがまだ少年だった預言者に姿を現したときにまでさかのぼるものもありました。ジョセフは手書きでたくさんの啓示を記録していましたが,教会員のために準備され配布された印刷物はありませんでした。ミズーリの聖徒たちは,これらの啓示が「戒めの書」として出版されるのを大変心待ちにしていました。暴徒の襲撃を受けたとき,ちょうどそのための作業が印刷所で行われているところでした。当時15歳だったメアリー・エリザベスはこのときの出来事についてこう述べています。
『妹のキャロライン〔13歳〕とわたしは柵の端から彼らをじっと見ていました。戒めのことを彼らが口にしたとき,わたしは一部を取り返そうと決意しました。姉妹は,わたしが行くなら一緒に行くけれども「殺されるわ」と言いました。』〔“Mary Elizabeth Rollins Lightner”,196〕
暴徒が家の端で何かにかかりきりになっている間に,二人の少女は走っていって貴重な紙を腕いっぱいに抱えました。暴徒は二人を見ると,止まるよう命じました。メアリー・エリザベスはこう回想しています。『わたしたちは力いっぱい走りました。二人が追いかけてきました。柵に裂け目があるのが目に留まり,わたしたちはそこから入って広いとうもろこし畑に入り込み,紙を土の上に置いてその上に自分たちの体ごと覆いかぶさりました。とうもろこしは1.5-1.8メートルの高さでとても太かったので,暴徒はわたしたちを探し回りすぐ近くまで来たものの,見つかりませんでした。』[“Mary Elizabeth Rollins Lightner,” 196]” (“Treasuring the Doctrine and Covenants,” Ensign, Jan. 2009, 50)