インスティテュート
模範の人


模範の人

1975年9月12日に行われた宗教教育者への講話,1-7,10-11より抜粋。 Charge to Religious Educators, 第3版(1994年),23-27も参照

わたしは特に若人の教師である皆さんの課題と責任について話したいと思います。 ……

…… 長く働いている皆さんの中には,10年近く前にBYUキャンパスで開かれたサマースクールでわたしがセミナリーとインスティテュートの教師に向けて話したときのことを覚えている人がいるでしょう。そのとき,「わたしの孫たちに教えてもらいたいこと」というテーマで話しました。当時,わたしには27人の孫がいました。わたしの計算では,それからの24年間に,この大切な子供たちのうちの最も多くて12人が毎年皆さんの訓練を受け,合わせて152年を皆さんの教室で,皆さんの指導を受けながら過ごすことになるだろうと思われました。また,孫たちの宣教師としての奉仕が少なくとも合わせて30年に達するだろうと予想していることについても話しました。そして,わたしはそれからの四半世紀の間に雇われるであろう人々に関心を寄せました。そのような人たちが雄々しい信仰の人,力強い勇気の人,すなわち,模範の人であることを望みました。

それから,孫たちに正直,誠実,謙遜,責任感について教えてほしいとお願いしました。何かに狂信的になることや一時的な流行を追うことを避けるように教えてほしいという望みを伝えました。聖文を知り,愛し,用いるように教えることによって,神の武具で身を固めるようにこれらの若者たちを助けてほしいと教師の方々に頼みました。生徒たちが聖文をたくさん読むようにしてほしいとお願いしました。熱心に聖文を読むことによって得られる祝福があります。わたしたち自身と天の御父との距離が縮まります。霊性が輝きを増します。愛すべき人々をもっと深く愛するようになります。勧告に従うのがずっと容易になります。人生の教訓をもっとたやすく確実に学ぶことができます。

昔の族長や預言者たちについて学び,彼らが圧力や誘惑や迫害の中で示した忠実さを知ることによって,若人は決意を強めることができます。聖文の全体を通じて,人間の持つほとんどすべての弱さや強さが明らかにされており,報いや罰が記録されています。そのような書物を読むことによって人生を正しく生きることを学べない人は,盲目の状態にあるに違いありません。主は次のように言っておられます。「聖文を調べなさい。あなたがたは,聖文の中に永遠の命があると思っているが,聖文は,わたしについてあかしをするものである。」(ヨハネ5:39参照)この言葉を語られた御方である主の生涯の中に,わたしたちはあらゆる善良な資質,自分自身の人生において伸ばすべきあらゆる資質を見いだします。

この152年に及ぶ訓練,そしてやがてわたしの子孫にとって1,000年に及ぶであろうこの訓練は,親から受ける訓練を補うものです。わたしはこの訓練を通して,わたしの子孫と他の全ての人々が美しい正常な生活を築き,バランスの取れた生き方を身につけるように願いました。ほとんどの若人には英雄を崇拝する傾向があるので,わたしは皆さんが彼らの教師として,そのような憧れと言ってもいいような称賛を受けるにふさわしい人であるように願いました。青少年に,永遠の家族の理想像を手本として美しく豊かな人生を送ってほしいと思いました。彼らはその方法について,皆さんが語ることからも多少は学びますが,皆さんが示すものからはるかに多くを学ぶことでしょう。ですから,この150年に及ぶ教育の間に焼き付けられるイメージが理想に近いものであってほしいと願いました。このようなわけで,わたしは宗教の教師に,高潔で,誠実で,清く,前向きで,信仰に篤いことを期待しました。これらの若人の前に姿を現すときには,きちんとした服装で,身だしなみの整った,前向きで元気のよい人であってほしいと望みました。若人との一日を始めるに当たって,家庭に宿る平安と愛から温かく力強い影響を受けて家を出て来てほしいと思いました。若人に,自分たちの教師がまさにその日の朝,平安と愛に包まれた,愛にあふれた家庭を出て来たと確かに感じてほしいと思いました。このことは,週日の宗教教育プログラムで働くすばらしい教師である皆さんが依然として直面している課題の一つとなっています。

実のところ,教会教育システムで働くすべての宗教教育者の使命は,両親がその子供たちを神の王国で優れた奉仕を進んで行う有能で義にかなった末日聖徒に育てるのを助けることです。これが皆さんの役割です。皆さんの役割をしっかり果たすために,オリバー・ウェンデル・ホームズの次の言葉を覚えておくとよいでしょう。「港にたどり着くには,船を進めなければならない。順風のときもあれば逆風のときもあるが,それでも進めるのだ。流されてはならない。錨を下ろしていてはならない。」皆さんはこの助言を心に留めて自分の生活を管理する必要があります。

今,わたしには27人の孫と16人のひ孫がいて,さらに何百人もの子孫を得ることと思います。わたしの家族が増え,同様に他の家族も増えていくのに伴って,皆さんの影響が及ぶ範囲や接触を持つ範囲も大いに広がっています。わたしたちのセミナリーとインスティテュートのプログラムは,今では50か国以上で親に支援の手を差し伸べています。それは大いなる祝福であり,大いなる機会であり,大いなる責任です。結束の強い家族がいる家庭こそが社会を救うことを,わたしたちは啓示によって知っているからです。家庭生活と親の指導こそが,あらゆる病気の薬であり,あらゆる患いの治療法であり,あらゆる問題の解決策なのです。

このことに関連して,聖文に記されている最も興味深く深遠な言葉の一つに,夫と妻が互いと家族に対して負っている義務についてパウロが述べた教えがあります。パウロはまず女性に対して次のように命じています。

「妻たる者よ,主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」(エペソ5:22

「主に仕えるように」とあります。「主に仕えるように,自分の夫に従いなさい」とパウロは言っています。「主に仕えるように。」それがどのようなことか想像できるでしょうか。主の勧告に耳を傾け,主の御心を行い,主の義にかなった訓戒に従い,主に忠実に仕えるとき,それは皆さんにとって何らかの意味を持つことでしょうか。

「キリストが教会のかしらで……あられるように,夫は妻のかしらである。」(エペソ5:23

聖文のどこかに,主イエス・キリストが御自分の教会を一度でも裏切られた場面を見つけることができるでしょうか。主が御自分の民に対して,あるいは御自分の隣人や友人や仲間に対して忠実であられなかったと述べられている聖句を見つけることができるでしょうか。主は忠実で,誠実な御方ではなかったでしょうか。善いものや価値あるもので,主がお与えにならなかったものがあるでしょうか。ですから,これがわたしたちの求めることです。すなわち,主が夫に,すべての夫に求めておられることです。これが目標です。主の偉大な生涯の中に一つでも例外が思い浮かぶでしょうか。皆さんの生活にも例外があるべきではありません。

「そして教会がキリストに仕えるように,妻もすべてのことにおいて,夫に仕えるべきである。」(エペソ5:24

今日,多くの間違った考え,多くの誤解がたくさんの人々の思いの中に忍び込んでいます。姉妹の皆さんが先導役となって,女性にもたらされる大いなる機会,大いなる責任を理解する女性たちを率いて進んでくださるように願っています。機会と責任は切り離して考えることができません。これは冗談半分に軽い気持ちで取り組むことではありません。「主に仕えるように」というパウロの言葉は多くのことを述べています。この言葉を皆さんの心に深くしみ込ませてください。夫が思慮深く,自己を犠牲にし,ふさわしくあるとき,妻は何らかの横暴な行動や不適切な要求を受けることを恐れる必要がありません。聡明な女性であれば真に義にかなった自分の夫にすべてのことにおいてためらうことなく従うだろう,と思うことでしょう。しかし時々,妻が指導権を握って,祈りをささげる人を指名し,場所を決め,することを決めるのを見てわたしたちは衝撃を受けることがあります。

夫は次のように命じられています。

「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように,妻を愛しなさい。」(エペソ5:25

ある聖句では次のように述べられています。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)皆さんの奥さんは皆さんの友です。必要となれば奥さんのために喜んで自分の命をささげるほどであるべきです。皆さんは奥さんのために自分の命をささげようと思うでしょうか。

次のように自問する必要があります。「わたしはキリストが教会を愛されたように妻を愛することができるだろうか。」キリストがどのように教会を愛されたか想像できるでしょうか。主は教会のささいな出来事一つ一つを大切にし,僅かな成長にも,また教会員一人一人にも心を配られました。持てる限りの活力と力と関心をそれらの人々のうえに注がれました。そして御自身の命をささげられました。これ以上のものを与えることができるでしょうか。主は御自分の命を進んでささげられました。「わたしは強いられてするのではない」と言われました。

主はペテロに次のように言われました。「わたしは天の使いたちを十二軍団も呼ぶことができるのだから,あなたは剣を抜く必要はない。いずれにしても,あなたにはわたしを守ることはできない。しかし,わたしは天の使いたちを十二軍団も呼ぶことができ,彼らはわたしを守るであろう。それでも,わたしは自分の命をささげる。わたしの民のためにささげるのである。」〔マタイ26:52-54参照〕主はその貴い命をささげられました。これまでこの地上に生を受けた者たちのうちでも最も貴い命をささげられたのです。

夫にこのような態度で家族と接する備えができていれば,妻だけでなく子供たちも,その愛にあふれた模範的な指導に応じることでしょう。自然にそうなるのであって,夫から要求する必要はないでしょう。家族の人々は,必要であり正しいことだと自分が理解したことを行いたいと思うからです。

確かに,もし父親が尊敬されたいと思うなら,尊敬されるに値する人物にならなければなりません。もし愛されたいと思うなら,常に変わらず誠実で,愛に満ち,理解を示し,親切でなければなりません。そして,受けている神権を尊ばなければなりません。自分は神から貴い霊の子供を託されている幸運な者だと思わなければなりません。

母親は,子供たちから尊敬されている自分の夫を敬い,褒めることが子供たちの情緒的に安定した生活につながることを知るとき,そのようにしたいという気持ちをどれほど強く抱くことでしょう。父親は,家族全員の愛と尊敬を受けるに値する者となるために自分の霊性を最大限に高めたいという気持ちをどれほど強く抱くことでしょう。

ですから,父親の皆さんに切にお願いします。皆さんの小さな王国に戻り,優しさと正義と,適切なしつけと愛をもって,自分の家族の霊を鼓舞してください。母親の皆さんには,そのような幸福な家族関係を築く手伝いをするようにお願いします。わたしたちは教会の会員たちがアブラハムの示した模範に倣って自分の家族を強めるように望んでいます。世の人々にパン種を提供する召しや機会が訪れたときには家庭から出て奉仕するよう,わたしたちは自分の家庭にいる全ての人を備える必要があります。世の人々はわたしたちが得ているものを得たいと望んでおり,また必要としています。ホランド兄弟はその美しい祈りの中で,この世における飢饉について述べました。それはパンの飢饉でも,普段必要なものの飢饉でもなく,主の御言葉の飢饉です。そして皆さんは命のパンの管理人であって,それを自分の家族にもたらして,家族が世の人々に分かち合えるようにするのです。

子供たちを信仰のうちに育て,正しい生活を送るための原則を教えることは親の主要な責任であることを,わたしたちは教会の親たちに認識してもらおうと絶えず力を尽くしています。しかしわたしたちは現実的でなければなりません。程度の差はあっても,多くの親が自分の子供たちをきちんと訓練できていないからです。ですから,善を行うために設けられている他のあらゆる組織が,注意深く支援しなければなりません。教会で最も効果的に支援できる人々に含まれるのが,セミナリーやインスティテュートの教師たちであり,教会の大学で宗教を教えるその他の教師たちです。多くの若人にとって,教師である皆さんと皆さんのすばらしい奥さんは,正しい家庭生活の最も優れた模範です。皆さん一人一人が完全な夫および父親になるように努め,適切な自制心を持ち,愛にあふれた家族関係を築いていますように。それによって,皆さんの生徒が皆さんと皆さんの家族の中に理想を見て,その模範に倣って自分の人生を築くことができますように。

政治の世界で,「メイン州が動くように全米が動く」という言葉を耳にします。皆さんが動くように彼らも動く,つまり,シオンの若人である子供たちも動きます。わたしは教会の若人が友達を作るときに,ましてや結婚を前提とした交際を始めるときにはなおのこと,一つには愛する教師やディレクターの中に理想とする人に求める全ての特質を見ているという理由から,良い相手を選ぶようであってほしいと願っています。若人たちは,完全に近い夫婦関係を築くために夫を全面的に支え,自分の役割を果たしている賢明で情緒的に安定した妻や母親を見ている必要があります。これらの若人が,自分の教師が品位のある幸せな市民として地域生活に賢く貢献し,信仰深く頼りになる有能な指導者として教会に貢献している姿を見ていますように。彼らが皆さんを愛していますように。わたしたちは自分の愛する人々に仕えるからです。「どうやってふさわしい妻を見つければよいのですか」と,その方向で考え始めている宣教師たちによく尋ねられます。わたしの答えはいつもこうです。「わたしの妻のような人を見つけてください。そうすれば大丈夫です。」皆さんも奥さんについてそのように感じているように願っています。

若人が自分の抱えている問題についてためらうことなく皆さんのもとに相談に行くほど,彼らが皆さんを信頼するようになってほしいと思います。週日の宗教クラスを担当する教師や教授として,皆さんは宗務的な権能を持っておらず,一般判士ではありませんが,最初の相談相手となることができます。皆さんの賢明な助言は,彼らが一部の問題を解決する助けとなるでしょうし,もちろん,ビショップのもとで解決するべき問題についてはビショップのもとに行くように勧めることになるでしょう。

どうか皆さんが堅固な岩となって,苦境に陥るのを実際に防ぐことができる強さを若人が皆さんから得ることができますように。予防医療とリハビリ医療はどちらも必要ですが,リハビリするよりも予防する方がよいのです。若人を罪から守るために,皆さんが彼らの防備を固めることができるように願っています。罪は依然として罪であって,この世においてますます増えています。おそらく皆さんの主要な役割は,罪に対する彼らの防備を強化することです。もしも彼らがよろめき,足を踏み外して確かなよりどころから離れてしまったときには,ビショップが彼らの治療の過程を助けます。

皆さんの家庭の中で不和や争いを避けなければなりません。その感染しやすい毒を教室に持ち込むことのないように,避けなければなりません。皆さんの問題のために生徒が苦しまなければならない理由はありません。もちろん,生徒に行うように教えることを,皆さんはすべて実行します。すなわち,断食し,証を述べ,什分の一を納め,しかるべきすべての集会に出席し,時が来れば神殿のセッションに参加し,安息日を聖く保ち,教会の奉仕を惜しまず行い,家庭の夕べを開き,家族の祈りをささげ,心を和らげ,正直であって,高潔であってください。わたしは心を和らげ,正直であり高潔であるという言葉を強調します。これらの言葉にはとても重要な意味があります。模範を示すことは,自分が実践していないことを教えるよりも効果があり,実践の伴わない教えは「やかましい鐘や騒がしい鐃鉢」のようなものです。

生徒には,教師が長年にわたって培ってきた確固とした霊性をもって効果的に教えてくれることを期待する権利があります。経験に比例して,皆さんの指導は優れたものになるべきです。皆さんの知性がいつも快活で真理をすぐに理解できるように,自分自身を霊的に整えてください。

わたしは以前,教会の若人は報酬が目当ての雇われ人によって決して教えられるべきではないと申し上げました。誰も単なる職業としてこのプログラムで教えるべきではありません。もしそのような人がいるなら,たぶん同等の報酬を得られる場所が他にもあるでしょう。しかし,もし給与は二次的なものであって,皆さんの「取りつかれている壮大で崇高なもの」がわたしたちの子供たちとその成長と発達であるなら,わたしは皆さんにニューヨーク州やミシガン州,ウィスコンシン州,ユタ州,カリフォルニア州,わたしの子孫や皆さんの子孫がいるその他の場所でぜひ教えてもらいたいと思います。……

次の世代の若人はイエス・キリストを信じる信仰においても養いを受ける必要があり,社会の利己心から超然としていられるほどの信仰を育まなければなりません。利己心は人格の根底に致命的な打撃を与えます。永遠の意味での失敗はほとんどいつも利己心と関連しています。もし伝道の務めをきちんと果たそうとするのであれば,教会の若人は利己心に打ち勝つことを教わらなければなりません。親が教えることができますし,皆さんは親を助けることができます。聖文で教えられている主の業と使命を理解することを通して,わたしたちは無私の精神で奉仕したいという望みを育むことができます。

ですから,これがわたしたちのプログラムであり,皆さんのプログラムです。皆さんは責任を引き受けており,この大いなる責任をどのように果たすかによって裁かれることになります。その責任とは,清くまっすぐに神の御業を再び確認して大胆に前進させ,真理の福音を世界に,すなわちすべての国民,部族,国語の民,民族に伝えることです。これを実行するためには,強い若人と強い家族が必要です。

宗教教育者として,皆さんはこの大いなる業を助けるために多くのことを行う重要な立場にあります。わたしたちは皆さんがこれまでに行ってきた全てのことと,現在行っている全てのことに感謝しています。わたしたちは他の務めにある人々に呼びかけているのと同じように,皆さんにもさらに多くのことを行うように呼びかけます。さらに多くのことを行い,さらによい働きができるように自らを備えてください。質の高い働きを目標にしてください。主の御霊を求めてください。聖文を研究してください。一致して働いてください。教えることが真実であるように,基本原則から離れないようにしてください。簡潔に教えることによってレッスンを強化してください。生徒を愛し,皆さん自身の証の光によって導いてください。謙遜であり,自分の家庭と自分の生活において福音を実践し,そうすることで皆さんの教える人々も同様に行うようにしてください。

兄弟姉妹の皆さん,わたしはこれが主の業であることを証します。わたしたちはこの業を行うことで時間を浪費しているのではありません。これは主のプログラムです。シオンの若人は皆さんを必要としています。皆さんの助けを切に求めているのであり,皆さんは自分がもたらすことのできる強さを彼らに提供しなければなりません。彼らが証を築くのを助けてください。皆さんは世俗的なことにはあまり関心がなく,霊的なことに何よりも関心を持っています。若人が証を育むための資料と機会を得るようにしてください。証は霊的な生活に欠かせない要素だからです。皆さんが自分の組織に戻り,主の業に対する彼らの意識を高めるときに,神が皆さんを祝福してくださいますように。主は啓示を与えておられます。御自分の業を前進させておられます。幹部の兄弟たちが真実の福音を教えるとき,彼らに霊感を与えておられます。皆さんもそのような幸運に恵まれるよう,イエス・キリストの御名によって祈ります,アーメン。

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