測り難い事
Brigham Young University 2000–2001 Speeches(2001年)171-173,180より抜粋
1992年10月の総大会における中央幹部の訓練集会でハワード・ W・ハンター大管長が引用した聖句があります。大管長の言葉をわたしの聖典の余白に書き留めました。エレミヤ31:31-34の聖句です。
「主は言われる,見よ,わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。 ……
しかし,それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす。わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となると主は言われる。
人はもはや,おのおのその隣とその兄弟に教えて,『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは,彼らが小より大に至るまで皆,わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし,もはやその罪を思わない」。
皆さんのほとんどが生きている間に,この日が来るとわたしは確信しています。偉大なエホバはどのような方法で御自身の律法をわたしたちのうちに置き,わたしたちの心に記されるのでしょうか。なぜ隣人に教える必要がなくなるのでしょうか。主はなぜわたしたちの不義を赦してくださるのでしょうか。
1年前の4月,すべての中央幹部と地域幹部を訓練する責任を持つパッカー会長は,十二使徒たちとともに,エレミヤのこの聖句の成就につながる勧告と指導を与えてくれました。この訓練は,わたしが中央幹部として過ごした29年間で,最も深遠で意義深いものでした。わたしの人生が変わりましたし,おそらくどの中央幹部も皆同じだったと思います。パッカー会長は神に召された聖見者です。彼は必要な準備の時間を取り,必要な導きを主から受けるために,主がお求めになるあらゆる努力を払いました。パッカー会長はキリストに関するフレデリック・ウィリアム・ファーラーの著書を読みました。おそらくファーラーは教会外で最も正確に聖書を研究している人物だと思います。ジェームズ ・E・タルメージ長老はファーラーの言葉を『キリスト・イエス』の中で引用しています。ブルース・R・マッコンキー長老もよくファーラーの著書を参照しました。パッカー会長は『フォックスの新・殉教者全集』(The New Foxe’s Book of Martyrs)を読んでおり,わたしもそれを読むことにしました。初期のキリスト教徒が味わった屈辱,苦悩,恐怖,そして迫害を加えた人々の残酷さはわたしたちの理解の範囲を超えています。多くのキリスト教徒は火あぶりにされたり,生きたまま肉を引きちぎられたり,生き埋めにされたり,腹をすかせたライオンやトラのいる穴に入れられたりしました。初期のキリスト教徒たちはこの世で最もすさまじく,最もつらい苦痛を味わいながら,ほとんど死の寸前までイエスの名を呼び続けました。まるで彼らには主の御姿がもう見えているかのようでした。このような悲惨な経験をした何百人もの人の話を読みながら,わたしも同じような状況に置かれたら,彼らのようにすばらしい威厳のある態度で堪えられるだろうかと考えました。自分も同じように堪える強さを持ちたいと願っています。
パッカー会長は『キリスト・イエス』を読み直し,標準聖典で聖霊や神の御霊について書かれた聖句をすべて読みました。深く考えて祈り,ついに啓示を受けました。わたしはその啓示は中央幹部だけのためではなく,教会のすべての会員のための啓示であると確信しています。わたしたち中央幹部には,教会員にメッセージを伝えるという神聖で聖なる責任があるとわたしは信じています。皆さんは今後数日間,数か月間,数年間,他のどの教えよりもこの教会に祝福をもたらす,この霊感あふれるテーマについてさらに多くの教えを聞くことでしょう。
パッカー会長のメッセージは,わたしたちが残りの生涯にわたって,週に7日,一日に24時間聖霊を受けるにふさわしく生活しなければならないということでした。これは中央幹部だけに宛てたメッセージではなく,一人一人の教会員に向けられたメッセージです。すべての男性,女性,青少年,子供がそのようなふさわしい生活を送ったらどうなるか想像できますか。世界中が驚愕することでしょう。現在の1100万人の教会員が,そして将来的には2千万,5千万,8千万,1億人の会員が常に聖霊を伴侶としている状態を想像してみてください。
エレミヤのあのすばらしい聖句を引用したハワード・ W・ハンター大管長は,そう遠くない将来,わたしたちがこのすばらしい祝福にあずかれるようにパッカー会長が助けることを知っていたのだろう,とわたしは思います。
パッカー会長と十二使徒がわたしたちに『生けるキリスト』について証するように勧めたとき,完全で深遠な重要性を持つ第二の啓示がもたらされました。皆さんはヒンクレー大管長と二人の顧問,そして十二使徒が発行した『生けるキリスト』を読んでいます。わたしたちは,この世で最も貴いもの,大切なものとして考える事柄について,どのくらい頻繁に証しているでしょうか。ある人はごくたまに,年に一度,あるいはたまに証会や話す割り当てを受けたときにだけ証するかもしれません。わたしたちはキリストの真の弟子ですから,すべての末日聖徒の家庭で妻や夫,きょうだいや子供たちに毎日証を述べるべきです。これらの人々は,わたしたちがこの世で最も愛すべき人々です。この偉大な業が真実であることをいちばん知ってほしい相手です。学校や職場,地域の中で,教会員ではない友人や隣人に,謙遜で優しい方法で証する機会もあるでしょうし,会員同士で証を述べ合ってさらに強い信仰をはぐくむ機会もあるでしょう。
例えば,自分の息子が「ヒンクレー大管長はほんとうにいい人だと思う」と言ったとします。
わたしたちは「そうだね,すばらしい人だね」と言うことができます。
しかし,こう言ったらどうなるでしょうか。「息子よ,わたしは大管長が神の預言者,聖見者,啓示者であることを知っているよ。大管長はこの世に生きた中で最も偉大な預言者の一人かもしれない。」
違いが分かりますか。違いを感じますか。
娘が「うちのワードにはいいビショップがいるね」と言ったとします。
わたしたちは「そうだね,そのとおりだ」と答えることができます。
しかし,その機会を利用してこう言ったとしたらどうでしょうか。「ビショップは啓示によって神に召された人だよ。主から権能を受けていて,召しを果たすときに霊感によって導かれているんだ。」
子供たちは両親の証を聞く必要があります。両親の証を聞くことにより,子供たちは互いに強め合うことができ,子供たちの友人も霊的に高められます。
現代において,聖霊を絶えず受けるにふさわしく生活し,聖霊の導きと指示に従って,この偉大で荘厳で神聖な業が真実であること,特にこの業を行っておられる御方について証すること以上に,教会員に影響を与えることがほかにあるでしょうか。
これこそ,わたしたちが主の律法を内に置き,心に記す方法であり,わたしたちの不義に対する赦しを受ける方法です。もちろん,わたしたちが聖霊を受けるにふさわしく生活するには,悔い改めと従順と柔和さが求められます。これらの特質があれば,わたしたちはふさわしくなり,聖霊が霊感を通してわたしたちに証するよう促し,赦しがもたらされるのです。
教義と聖約第93章は,この教会のすべてのふさわしい会員が実際に可能性を秘めていることを教えています。
「まことに,主はこのように言う。自分の罪を捨て,わたしのもとに来て,わたしの名を呼び,わたしの声に従い,わたしの戒めを守る者は皆,わたしの顔を見て,わたしがいることを知るであろう。」(教義と聖約93:1)
救い主は「皆」とおっしゃっています。中央幹部や特権を受けている人々だけでなく,すべての人を指します。すべての人がキリストの顔を見て,キリストがおられることを知ろうとしたら,教会全体にどんな力がみなぎるか分かりますか。ぜひ覚えていてください。主は必ず約束をお守りになります。
教義と聖約第1章で,主は力強く宣言しながら次のように勧告しておられます。
「主なるわたしが語ったことは,わたしが語ったのであって,わたしは言い逃れをしない。たとえ天地が過ぎ去っても,わたしの言葉は過ぎ去ることがなく,すべて成就する。わたし自身の声によろうと,わたしの僕たちの声によろうと,それは同じである。」(教義と聖約1:38)
教義と聖約18:36で主はこのように教えられています。「そのために,あなたがたは,わたしの声を聞いたこと……を証できるのである。」わたしが主の声を聞いたことがあるとすれば,それは教義と聖約1章で宣言されている言葉です。主が述べられた言葉が真実であるという証がわたしの心と魂にしみ渡っています。エレミヤのように,「主の言葉がわたしの心にあって,燃える火のわが骨のうちに閉じこめられている」ことに胸が躍るのです(エレミヤ20:9)。
今こそ,使徒と預言者に従い,聖霊を求め,主の顔を見るために証し,ふさわしくなるという神聖な決意をするときです。
わたしの経験から,断食,祈り,学習,熟考は欠かせませんし,奉仕することも同じように大切です。わたしたちはキリストが示された規範に倣わねばなりません。 ……
新しい千年が始まるにあたり,聖霊と証を述べることがわたしたちを導く原則であることを証します。預言者ヨブと同じ言葉をわたしも申し上げます。これらはわたしがみずから知らない「測り難い事」です。
わたしたちは驚くべき,すばらしい教会の会員です。わたしは厳粛に,心から確信しながら証します。モルモン書は真実の書物であり,キリストは世の救い主であられます。この教会は主のまことの生ける教会で,父なる神は万能の主であられます。わたしたちは御父の子供であり,御父はわたしたちを愛しておられ,どのような小さな祈りにも答えてくださいます。イエス・キリストの御名により,アーメン。