教室-着実に絶えず成長する力を与える場所
『リアホナ』1997年1月号,11-14参照
活発で忠実であるようにとの願い
数か月前,わたしの夫は親しい友人にバプテスマを施しました。バプテスマ会に出席しながら,彼女が何年もこの大切な儀式を受ける準備をしてきたことを思い巡らしていました。原則が注意深く教えられ,日々実践されるのを観察し,静かに受け入れました。生活の中に神の御手があることを認め,困難でしたが正しい選択をしたとき,御霊によって温かい確認を受けたのです。このように過去を思い出しながら,現在の出来事に喜び,将来について思いをはせずにはいられませんでした。この善良な女性が,生涯にわたって末日聖徒イエス・キリスト教会に活発に集い,これからも福音を学び,実践し,その祝福に十分あずかるように心から願いました。
今朝わたしは,そのときの願いを思い起こしながら,昨年バプテスマを受けた37万5,469人の会員について考えています1。また,それ以前にバプテスマを受けた,残りの教会員約900万人について考えています。それぞれの状況は異なっていますが,わたしたちは皆,王国の教義を教えられ,御霊を感じ,教義がいかにわたしたちの生活に当てはまるかを理解し,このような真理を常に実践するように努めようという意思を表し,バプテスマの儀式を受けたのです。
わたしたちの全てが「教会にとどまり,ずっとその原則を実践〔する〕」わけではないという可能性,しかもかなり高い可能性について考えることは,あまりにつらいことです2。多くの会員は教会を去り,この幸せな交わりに再び戻ることがありません。中には,一時的に教会を去り,地上の神の王国に加われることに一層感謝の念を深めて戻って来る人もいます。わたしたちは皆,知らず知らず,あるいは自分の意志で教会を離れていく危険性に日々直面しているのです。
教会の教室は成長を助ける
教会にとどまるために役立つ事柄はたくさんあります。今朝わたしは,その中の一つだけをお話ししたいと思います。教会の教室は,福音の中で着実に絶えず成長する力を与えてくれる場所ではないでしょうか。
日曜学校,神権会,扶助協会,若い女性,初等協会,セミナリー,インスティテユートのクラスは,献堂された建物,木の下,あるいは家の中で行われます。しかし,どのクラスも生涯にわたる福音学習の計画の一部です。これらのクラスがわたしたちの生活に強い影響力を及ぼすことを,大いに期待してよいのです。教会のクラスは,わたしたちをバプテスマの水へ導いたのとまさに同じ事柄を何度も経験する場所です。つまり,教義を学び,その真理に対する確かな証を得,いかに教義を現実の日常生活に応用できるかを理解し,それに従って行動を変えるチャレンジを受け入れる場所です。
教義を教え,理解し,応用する
教会の全てのクラスの基本的なカリキュラムは聖文です。3聖文には神の王国の不変の教義が書かれています。こうした真理がわたしたちを教会へ導いてくれたのです。それらを続けて学ばなければ,教会にとどまることはできないかもしれません。「あなたがたは互いに王国の教義を教え合わなければならない。……あらゆる点で備えられるためである。」4
十二使徒定員会のボイド・ K・パッカー長老は,こう述べています。「まことの教えを理解すれば,人の態度や行動は変わります。」5では,毎週どの教義を教えたらよいかは,どのようにしたら分かるのでしょうか。それはレッスンの目的に書かれています。しかし,わたしたちの態度や行動を変えるように教義を理解するには,どうしたらよいでしょうか。
本当に理解するためには,教義がどのように応用されるのかを理解しなくてはなりません。レッスンのテキストには,話や例,活動,ゲームなど,生徒が実生活の中で教義を理解するうえで役立つものが載っています。
教会のクラスは現在160か国で設けられていますが,人々の日常生活はそれぞれ異なるために,テキストの話や例は時として生徒を混乱させることがあります。教師は,よく祈って変更を加えることができますが,選んだ学習活動が教義を正しく反映するように常に注意しなくてはなりません。
教師の目標は,ただ真理に関する講義をすることではなく,それ以上のものです。御霊を招き,生徒が自分自身で真理を発見し,それを応用しようという意欲が湧いてくるような教授技術を用いることです。
教授技術を学び高める
生まれながらにして教える才能を備えているように見える人もいますが,教える技術は努力により身に付けられるものです。自分の技術を高めるには,どこへ行ったらよいでしょうか。他の人が教えるのを見て,学ぶこともできるでしょう。上手な教師の所へ行って,自分のレッスンを参観し,改善点を提案してもらったらどうでしょう。初等協会で教える場合は,初等協会の会長会に,日曜学校で教える場合には,日曜学校の会長会に助けてもらうことができます。ワードの教師養成コーディネーターに定期的に,また特定の援助を頼めば,多くの参考資料を紹介してもらえるでしょう。6この教会では,独りで悩む必要はありません。どこにでも助けがあります。よく祈り,勇気をもって新しい技術を学び,練習することができます。
教会のレッスンが教会での活発さに影響を及ぼす
わたしはある若い兄弟との会話を忘れることができません。彼は完全に教会から遠ざかり,その後活発な会員に戻った経験を話してくれましたが,それには二つの教室の話が出てきました。彼はこう語りました。「15歳の頃,ぼくは教会についていろいろ疑問を持つようになりました。そのような疑問について教会で話す機会があるかと思っていましたが,実際にはありませんでした。神権会では,だいたいいつもみんなは前の晩の試合のことを話していました。日曜学校もそんな感じでした。最後の5分間にちょっとレッスンしただけで,教師が質問をしましたが,それはテキストから正しい答えを見つける時間というようなものでした。」
その後,いろいろなことが起きました。土曜の晩遅くまで起きていて,日曜の集会時間が早朝に変わり,聞もなくその若い男性は集会に来なくなってしまいました。数年後,彼は教会に戻りました。このときは,日曜学校のクラスについて話す彼の顔は輝いていました。
「教師は平凡な感じの男性でしたが,教えることにとても熱心でした。1分たりとも無駄にしませんでした。大切な質問をしました。生徒は皆,聖文を持っていて,言われた聖句を調べていました。自分の考えを発表し,お互いの意見に耳を傾けました。学校での問題を採り上げ,レッスンで教えられている事柄をどのように当てはめたらよいか話し合いました。クラスの生徒は皆異なっていましたが,共通に持っている驚くべきことが一つありました。皆,福音を学ぶことに興味を持っていたのです。5分もすると,これは自分にとって良い所だと分かりました。」
生徒が学ぶのを助ける
この経験は何と異なっていることでしょう。毎週日曜日,何十万ものクラスでレッスンが教えられていますが,各教師は,「学習は生徒が行うべきものである。したがって,実践の義務は生徒にある。教師が脚光を浴び,舞台の中心に立ち,すべてのせりふを語るか,全部の活動を独り占めしてしまえば,これはまず間違いなく,生徒の学習を阻害しているのである。」7
熟練した教師は「今日のレッスンで,わたしは何をしようか」ではなく,「今日のレッスンで,生徒は何をするだろうか」と,「今日は何を教えようか」ではなく,「生徒が知らなければならないことを,彼らが気づけるように,どう助けられるだろうか」と考えます。8また,生徒がクラスを出るとき,教師のすばらしさについて話してほしいと思うのではなく,福音のすばらしさについて話してほしいと思うのです。
信頼と安心感に満ちた教室を作る
学習は信頼と安心感に満ちた雰囲気の中で最もよく行われます。つまり,各人の質問や発言が尊重されます。みんなと一緒に勉強していると感じるとき,わたしたちは安心して,福音を理解するうえで役立つ質問をします。また,他の人に役立つような洞察や信仰を分かち合うことができます。9教えられたレッスンを応用しようとして間違いを犯しても,恥ずかしがる必要はありません。それとは逆に,自己防衛をしたり,背伸びをしなくてはならないように感じるときは,わたしたちのエネルギーは非生産的な方向に使われ,自分自身と他の人の学習はかなり抑えられてしまいます。信頼と安心感の雰囲気を保つことは,教師と生徒がともに負うべき責任です。
レッスンの導入,展開,まとめ
中央若い女性会長のジャネット・ベッカム姉妹が,クラスを教えることについて簡潔に話すのを聞いたことがあります。彼女はこのように述べました。
「レッスンの導入と基礎的な方向づけは,教師の責任です。レッスンの真ん中は生徒が中心となって参加し,理解と応用へ進みます。それから,教師は時計を見なくてはなりません。最後の数分は教師の時間だからです。生徒がメッセージをよく理解して教室を出るように,教師には自分の教えた教義を分かりやすくまとめる責任があります。それから,レッスンで採り上げられた原則について,個人的な証を述べます。」10
効果的な若い女性のクラス
では最後に,12歳と13歳の若い女性のあるクラスをのぞいてみましょう。生徒が教義を見いだす声に耳を傾けてください。生徒が教義を現実の生活に結びつけることができるように教師が与える経験に注目してください。クラスにとどまる御霊を感じてください。
教師は半円形に座った5人の少女たちに椅子を近づけて言いました。「外に訪問者が待っています。ジョナス姉妹です。生まれたばかりの赤ちゃんを見せてくれるんです。そして,母親になったばかりの気持ちがどんなものか話してくれます。皆さんは赤ちゃんを見ながら,お母さんの様子にも注意して見てください。どんなふうに赤ちゃんに接するか,何をするか,何を言うか,よく見ておいてください。彼女が出て行った後で,みんなで話し合いたいと思います。」
ジョナス姉妹が入って来て,7,8分赤ちゃんについて話し,質問に答えます。生徒たちはお礼を述べ,ジョナス姉妹は教室を出ます。
赤ちゃんを見てうれしそうな様子の少女たちに,教師は声をかけます。「赤ちゃん,かわいかったわね。でも,お母さんについて何か気づいたことがありませんか。」
ちょっと静かになり,一人が答えました。「幸せそうでした。」もう一人が言いました。「赤ちゃんを抱いている間,ずっと身体を前後に揺すっていたわ。」さらに2,3人が答え,次に,ケティーがゆっくりと言いました。「お母さんは,とっても静かに話していたわ。」
「そのことについて,もう少し詳しく話してみてくれない?」教師は優しく少女を促しました。
「ええ,彼女の声を聞いて,わたしのお母さんの声を思い出しました。去年,一番下の妹が生まれたとき,お母さんが病院から電話をしてきたんです。」
教師は,他の少女たちに向かって尋ねました。「皆さんはどう思いますか。他に誰か,ジョナス姉妹の声に気づきましたか。」
少女たちは深く考え始めました。そして,「敬虔」や「天国」,「愛」のような言葉を語りました。
教師は言いました。「みんなの言うことが分かるように思います。このような言葉を思いついたのは,天父から与えられた大きな賜物に気づいたからだと思います。天父はわたしたちをとても愛し,信頼しておられるので,天父の持っておられる創造の力をわたしたちにも与えてくださったのです。このような信頼に対してわたしたちは心から感謝し,敬虔な気持ちになります。母親となることは神聖な役目です。」
教師は,このように分かりやすく教義を説明し,証を述べた後,少女たちが自分の母親の持っている,母性の神聖さを示すような特性について考える活動に移ります。「皆さん,今週は,良い母親となるための準備として,忍耐,親切,前向きな態度,などの徳の中から一つ選んで,実行してみてくれませんか。」
少女たちはそれぞれが選んだ目標について話し,教師は自分の証を述べ,閉会の祈りがささげられました。
レッスンは淡々と進められました。取り立てて驚くような話もありません。学者のように物知りな人もいません。でも,レッスンに参加しようという気持ちのある人たちばかりです。教師は特別な才能を持っているわけでもありません。ただ祈りの気持ちで準備し,生徒が真の教義を理解し,応用するうえで役立つように工夫していました。
レッスンを通して互いに強め合う
先週,わたしはバプテスマを受けたばかりの友人に電話し,どんな様子か尋ねました。彼女は元気そうに答えました。「夫とわたしは15-16歳コースを教えるように召されて,とてもたくさんのことを学んでいるわ。」わたしはうれしくなり,自分の考えが正しかったことを再確認しました。つまり,彼女にとっても,またわたしたち一人一人にとっても,教室ほどすばらしい場所は他にないということです。
ヒンクレー大管長は次のように述べて,わたしたちを励ましています。「わたしたちは皆一緒に,偉大な業に携わっています。どの教師も,今日よりもっと良い教師になることができます。」11わたしはこの言葉に次のように付け加えたいと思います。どの生徒も,今日よりもっと良い生徒になることができます。また,どのクラスももっと良いクラスになれます。
これからも,わたしたちが教室での有意義な学習を通して,互いに助け合い,強め合うことができますように祈っています。イエス・キリストの御名によって,アーメン。