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第17課 クラス用準備資料:結婚生活における対等な協力関係


「第17課 クラス用準備資料:結婚生活における対等な協力関係」『永遠の家族 教師用資料』

「第17課 クラス用準備資料」『永遠の家族 教師用資料』

ともに料理をする夫婦

第17課 クラス用準備資料

結婚生活における対等な協力関係

家族において,主は男性と女性に,「対等でありながら,それぞれに異なる,しかし同じように重要な役割を」託しておられます。「〔その〕役割は,互いを補い合うものです。」(M・ラッセル・バラード「親の神聖な責任『リアホナ』2006年3月号,13)。預言者たちは次のように教えています。「これらの神聖な責任において,父親と母親は対等のパートナーとして互いに助け合うという義務を負っています。」(「家族—世界への宣言ChurchofJesusChrist.org)これらの責任については,今後の数回のレッスンでさらに詳しく説明します。

セクション1

どうすれば結婚生活において対等のパートナーになれるでしょうか。

モーセ書に記録されているエバの創造について主が説明された方法から,主が夫婦に対して意図しておられる関係についての重要な真理を学ぶことができます。

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モーセ3:18,21-23を読み,エバの創造について説明するために使われた象徴の意味について考えてください。

「アダムとエバ」ローウェル・ブルース・ベネット画

エバがアダムのあばら骨から創造されたという記述は,比喩的なものです(see Spencer W. Kimball, “The Blessings and Responsibilities of Womanhood,” Ensign, Mar. 1976, 71)。ラッセル・M・ネルソン大管長は,あばら骨の象徴的な意味として考えられるものの一つを次のように説明しています。

ラッセル・M・ネルソン大管長

伴侶だという意味から体の脇のところにあるあばら骨が選ばれたのでしょう。つまりこのあばら骨は支配を意味するのでもなければ,服従を意味するものでもありません。ともに手を取り合って働き生活するというパートナーとしての関係を示したものなのです。(「イヴからの教訓『聖徒の道』1988年1月号,94)

元中央扶助協会会長のリンダ・K・バートン会長は,「助け手」の意味について次のように教えています。

リンダ・K・バートン会長

助け手」という言葉は「彼に見合った,ふさわしい,あるいは一致する助け手」という意味です。例えば,わたしたちの両手は似ていますが,まったく同じではありません。実際のところ,ちょうど正反対の形をしていますが,補い合い,ぴったりと合わさります。一緒に使うと,より大きな力を生みます。(「ともに高め合いましょう『リアホナ』2015年5月号,30)

文化的または個人的な信条や行動の中には,結婚において対等のパートナーとなるのを妨げるものもあります。大管長会のダリン・H・オークス管長は,そのような状況の例と,それらを克服する方法について次のように説明しています。

ダリン・H・オークス管長

夫の中には,家で妻が家事の大部分をこなす間,夫は休息を取るのが当然である,あるいは,妻と子供は夫の奴隷にすぎないといった間違った考えを持っている人がいます。これは主がお喜びになることではありません。そのような考えは,永遠にわたって存続することになる家族関係の有様に反していますし,永遠の祝福を受ける資格を得るためにこの地上で遂げなければならない成長を妨げるからです。聖文を研究してください。そうすれば,わたしたちの最初の先祖であり皆の手本であるアダムとエバはともに祈り,ともに働いていたことが分かります(モーセ5:1,4,10-12,16,27参照)。これを家族生活の規範とするべきです。愛をもって敬い合い,ともに働くのです。(「福音の文化『リアホナ』2012年3月号,23-24)

台所で一緒に働く夫婦
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夫と妻が対等なパートナーとして互いを見て支え合うなら,結婚生活にはどのような祝福がもたらされるでしょうか。

セクション2

家庭において管理するとはどういう意味でしょうか。

主は家庭において,夫と妻に「価値と重要性においては同等」な特有の責任を任せておられます(クエンティン・L・クック「御父の子供たちに対する大きな愛『リアホナ』2019年5月号,79)。これらの責任の一部については,今後のレッスンで説明します。しかし,その一例として,主が夫と父親に与えられた神聖な責任には次のようなものがあります。「神の計画により,父親は愛と義をもって家族を管理しなければなりません。」(「家族—世界への宣言ChurchofJesusChrist.org)夫や父親がいない場合,妻または母親が家庭を管理します(ラッセル・M・ネルソン「霊の宝『リアホナ』2019年11月号,78参照)。

子供たちとともに聖文を読む父親と母親

父親が自分の家族を愛と義をもって管理する方法について,次の教えが自分の理解を深めるうえでどのように役立つかを考えてください。

家庭を管理するとは,神のみもとに戻って暮らせるように家族を導く責任があるということです。これは,イエス・キリストの模範に倣って,優しさと柔和と純粋な愛をもって奉仕し,教えることにより成し遂げられます(マタイ20:26-28参照)。家庭を管理することには,定期的な祈りと福音の研究,そのほか礼拝にかかわることにおいて家族を導くことが含まれます。両親はこれらの責任を果たすために,一致して働きます。(「親と子供『総合的引き—末日聖徒イエス・キリスト教会における奉仕』2.1.3)

使徒パウロは,次のように述べて,無私の心で管理する夫の責任について教えています。「キリストが教会のかしらで……あられるように,夫は妻のかしらである。……夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように,妻を愛しなさい。」(エペソ5:23,25)エズラ・タフト・ベンソン大管長は,エペソ5:23を引用した後,管理するという面で,救い主がいかに完全な模範であられるかを強調しています。

エズラ・タフト・ベンソン大管長

このような人こそ,わたしたちが家庭を管理する場合に模範とすべき父親です。救い主は教会を指導する際に,過酷で無慈悲な方法を取られたことは一度もありませんでした。教会に対して無礼であったり,怠慢であったりされたこともありません。また,その御心を果たすために威圧的な方法を取られたこともありません。救い主はいつも,啓発し,高め,慰めを与えるという方法を取ってこられました。兄弟たち,心の底から申し上げたいと思います。救い主は,わたしたちが家族を霊的な面において指導する際に模範とすべき御方です。(『歴代大管長の教え—エズラ・タフト・ベンソン』181

預言者ジョセフ・スミスは,教会員にあてた霊感あふれる手紙の中で,人々を導くときにキリストのような特質を示すことの大切さを説明しています。これらの特質は,家族を管理する際にも当てはまります。

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教義と聖約121:41-43を読み,キリストのような特質を見つけて印を付けるとよいでしょう。

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自分の考えを記録する

自分で見つけ,印を付けたキリストのような特質の中から一つを選び,次の一つまたは複数の質問について自分の考えを記録してください。「この特質は家庭を管理するうえでなぜ大切なのでしょうか。」「この特質は,結婚生活において対等のパートナーとなるうえでどのように助けとなるでしょうか。」「イエス・キリストは管理する役割において,どのようなときにこの特質を模範によって示されたでしょうか。」自分の考えをクラスで発表できるよう準備します。

セクション3

家族を導くうえで,夫婦はどのようにしたら義にかなった助言を与え合うことができるでしょうか。

「家庭を管理する」という意味は誤って解釈されてしまうことがあります。例えば,創世3:16(主はエバに,アダムが彼女を「治める」と告げておられる)のような聖句の言葉を,夫が独裁的に支配することができるという意味に誤って解釈している人もいますが,これは誤った考えです。主からのこの指示はむしろ,愛と義をもって管理するという夫の責任についてふれたものです。ゴードン・B・ヒンクレー大管長がこの言葉の意味について教えているように,夫には「妻を扶養し,守り,力づけ〔,庇護す〕る責任」があります(「神の娘『聖徒の道』1992年1月号,111参照; see also Spencer W. Kimball, “The Blessings and Responsibilities of Womanhood,” Ensign, Mar. 1976, 72)。

傲慢な態度で,あるいは自分の思い通りに支配する夫の不義な行いについて,十二使徒定員会のリチャード・G・スコット長老は次のように教えています。

リチャード・G・スコット長老

皆さんの文化では,夫が威張り散らしたり,独裁的であったりして,家族の大切な決断を一人でことごとく行うようになっていないでしょうか。もしそうなら,そのような在り方は軌道修正する必要があります。夫と妻が対等のパートナーとして,夫婦のために,家族のために,一致して決断を下すのです。恐れや強制の下では,どんな家族も長く維持することはできません。そんなことをしても,論争と反感を生むだけだからです。愛が幸福な家族の基盤です。(「幸福に至る障害を取り除く『聖徒の道』1998年7月号,94)

謙遜さと敬意と思いやりをもって,夫婦は家族のために,一緒に相談しながら決断を下すべきです。十二使徒定員会のクエンティン・L・クック長老は,次のように教えています。

クエンティン・L・クック長老

家族評議会で,妻と夫は対等のパートナーとして,最も重要な決定を下します。子供たちをどのように教え,しつけるか,お金をどのように使うか,どこに住むか,そのほか家族にかかわる多くのことを決めます。主の導きを求めた後,これらのことを一緒に決めます。(「主は光『リアホナ』2015年5月号,64参照)

ひざまずいて祈る夫婦

夫婦で一緒に話し合い,結婚生活における平等を育むことに関して,次の重要な真理を心に留めておいてください。

  • 夫と妻は,決定を下す際に「二人が対等に意見を述べ,賛否を表明する」ように定められています(L・ホイットニー・クレートン「結婚—よく見て覚えましょう『リアホナ』2013年5月号,84)。

  • 妻は,「伴侶と協力して家族を管理するときに,献身的かつ全面的な協力者〔スペンサー・W・キンボール「女性の特権と責任」『聖徒の道』1979年2月号,153〕として口を開〔く〕」」ことが求められています。(ラッセル・M・ネルソン「姉妹たちへの懇願『リアホナ』2015年11月号,97)

  • 夫と妻は「家族のために啓示を受けることにおいて,同等の力を持ちます。」(クエンティン・L・クック「御父の子供たちに対する大きな愛『リアホナ』2019年5月号,79)

  • 親は子供たちと家族評議会を開き,家族全員にかかわるような決定や問題について一緒に話し合うことができます(M・ラッセル・バラード「家族評議会『リアホナ』2016年5月号,63-65参照)。

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義をもってともに評議することは,夫婦とその子供たちにどのような祝福をもたらすでしょうか。