「第25課 クラス用準備資料:家庭生活における悔い改めと赦し」『永遠の家族 教師用資料』
「第25課 クラス用準備資料」『永遠の家族 教師用資料』
第25課 クラス用準備資料
家庭生活における悔い改めと赦し
「実りある結婚と家庭は〔イエス・キリストの福音〕の原則にのっとって確立され,維持されます。」(「家族—世界への宣言」ChurchofJesusChrist.org)そのうちの二つの原則は,悔い改めと赦しです。この二つの原則は,家庭生活においてどのような役割を果たしてきましたか。この資料を研究する際,家族に対して犯した過ちや罪を悔い改める努力をするうえで,イエス・キリストがどのように助けてくださるかを考えてください。また,自分に嫌な思いをさせたり,傷つけたりした家族を赦すうえで,救い主がどのように助けてくださるかについても考えてください。
セクション1
自分が悔い改めることで,家族にどのような祝福をもたらすでしょうか。
中央初等協会会長会で奉仕していたとき,チェリル・A・エスプリン姉妹は次のように教えました。
家庭は地上における主の教室であり,わたしたちが福音を学び,福音に従って生活できるよう助ける場所です。(「家庭を光と真理で満たす」『リアホナ』2015年5月号,8)
家庭で救い主の福音を学び,それに従って生活しようと努力する中で,間違いを犯すこともあります。どの家庭にも意見の相違や不和は生じるものですが,だからといって,家族との間で,キリストがされたように互いに接することを免除されるわけではありません。むしろ,過ちを犯すことで,悔い改めと赦しという福音の原則を家庭の中で実践する機会が与えられます。
十二使徒定員会のディーター・F・ウークトドルフ長老は,悔い改めがどういうことかを説明しています。
悔い改めは思いと心の変化を意味します。すなわち,悔い改めるとわたしたちは,間違った行いをやめ,正しい行いを始めます。神と自分自身,生活全体に対する態度を改めるのです。(「帰還可能点」『リアホナ』2007年5月号,100)
救い主は,自分自身と家族に害を及ぼす選択をしたために悔い改める必要があった一人の息子のたとえを話されました。この息子は時期尚早に遺産を手にし,無鉄砲な生活をし,遺産を浪費してしまいました。貧しく飢えていた彼は,豚にえさを与える仕事を始め,あまりにも飢えたため豚のえさを食べるほどでした。(ルカ15:11-16参照)
十二使徒定員会のニール・L・アンダーセン長老は,悔い改めによって,わたしたちと家族がどのように祝福を受けることができるかについて教えています。
悔い改めが生む変化は当人のみにとどまりません。祝福は家族にも,愛する人たちにも注がれます。義にかなった悔い改めをするなら,主がよいと思われるときに,救い主は御手を伸べてわたしたちを包むだけでなく,子供や子孫の人生をも包んでくださるのです。悔い改める人には,必ず,よりすばらしい幸せが訪れます。(「わたしがあなたがたを癒すことができるように,……悔い改めなさい」『リアホナ』2009年11月号,42)
七十人の一員として奉仕していたとき,L・ホイットニー・L・クレートン長老は,定期的な自己吟味と即座の悔い改めが,いかに結婚生活に祝福をもたらすかについて教えています。これらを実践することにより,すべての家族関係において,どのような助けとなるかを考えてください。
幸福な結婚は悔い改めの賜物に支えられていることをわたしは知りました。悔い改めは良い結婚関係には欠かせない要素です。常に反省をして,時を移さずに必要な段階を踏んで悔い改め,向上する伴侶は,結婚生活において癒しを受けます。(「結婚—よく見て覚えましょう」『リアホナ』2013年5月号,84)
セクション2
自分を不当に思った家族をどのように赦すことができるでしょうか。
救い主の放蕩息子のたとえで,兄は弟の帰還を祝う会に参加するのを拒みました(ルカ15:25-32参照)。この年長の息子のように,わたしたちも十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老の次の勧告を実践する必要があるときがあるかもしれません。
悔い改めの機会をあげましょう。成長させてあげましょう。人は変わることができ,良くなることができると信じてください。(“‘Remember Lot’s Wife’: Faith Is for the Future” [Brigham Young University devotional, Jan. 13, 2009], speeches.byu.edu)
家族に赦しを求める必要があるときと同じように,自分に嫌な思いをさせたり,傷つけたりした家族を赦す必要があるときもあるはずです。
ホランド長老は,この聖句の一部を引用した後で次のように説明しています。
現在苦悩の中にいる人にとって,〔主〕がおっしゃらなかったことに注目するのは大切なことです。主は,「ほかの人のせいでつらい経験をしたからといって,それは真の苦しみやほんとうの悲しみを味わっているわけではない」とは言っておられず,「完全に赦すためには,再度不快な人間関係に戻ったり,あるいは暴力的,破壊的な環境に戻ったりしなければならない」とも言っておられません。しかし,どんなにひどく傷つくことがあろうとも,その苦しみを乗り越えることができるのは,真の癒しの道に足を踏み入れたときだけです。その道とは,「わたしに従ってきなさい」〔ルカ18:22〕とすべての人に呼びかけるナザレのイエスが歩まれた,赦しの道です。(「和解の務め」『リアホナ』2018年11月号,79)
時には,赦したくない,あるいは赦せないと思うこともあるでしょう。あるいは,家族との距離が離れすぎて,関係を修復することなどできないと感じることもあるかもしれません。大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長の次の勧告は,赦そうと努力するうえでどのような助けとなるか考えてください。
まず怒りの感情があることを知り,そして認める必要があります。それには謙虚さが求められます。しかし,ひざまずき,赦したいと思えるように願い求めるなら,天の御父は助けてくださいます。……
……忘れること,そして込み上げる怒りを心から払いのけるのは簡単ではありません。贖いを通して,救い主は全人類にかけがえのない平安を約束してくださいましたが,怒り,恨み,あるいは復讐などの否定的な感情をわたしたちが進んで捨て去らなければ,その平安は得られないのです。(「赦しのもたらす癒しの力」『リアホナ』2007年5月号,69)
七十人のマッシモ・デ・フェオ長老もまた,救い主に焦点を当てることの重要性を強調しています。
愛する兄弟姉妹の皆さん,もし赦す力を見いだすのが難しいと感じているのなら,相手が何をしたのかを考えるのではなく,救い主があなたに何をしてくださったのかを考えてください。そうすれば,主の贖罪からもたらされる贖いの祝福によって平安を見いだすことでしょう。(「純粋な愛—イエス・キリストの真の弟子すべてに見られる真のしるし」『リアホナ』2018年5月号,82)
赦しと癒しには時間がかかる場合があります。主の助けと癒しの賜物を求めるときに,自分自身に忍耐強くあってください。