第27課
「彼らは必ず懲らしめを受け……アブラハムのように,試みられなければならない」
目的
ミズーリ州にシオンの町を築くために初期の聖徒たちがささげた努力について学び,今日のシオンの建設を支援するよう生徒を励ます。
準備
レッスンの展開
導入
適切であれば,以下の活動または教師が考えた活動をレッスンの始めに行う。
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敵対者の多い地域に取り残された教会員を助けるために,家族を残して,1,000マイル(約1,600キロ)の過酷な道のりを徒歩で行くように依頼されたとしたら,あなたはどのように感じるでしょうか(1,600キロ離れた地点を選んでおき,地図を持参してそれがどれほど遠いかを示すとよい)。あなたはこれを実行するためにどのような犠牲を払わなければならないでしょうか。目的地に到着したところ,助けることは何もないので家に帰るように言われたとしたら,あなたはどのような気持ちになるでしょうか。
ミズーリ州ジャクソン郡の聖徒たちが家を追い出されたとき,ジョセフ・スミスは207人の男性から成るシオンの陣営を組織して,彼らを助けるためにオハイオから約1,600キロを行軍したことを説明する。先ほどの質問から,わたしたちはシオンの陣営に参加した人々が直面したチャレンジの一部を理解することができる。
話し合いと応用
生徒の必要に最も適した資料を祈りの気持ちで選ぶ。本課は2回に分けて教えてもよい。
1.聖徒たちはミズーリ州ジャクソン郡に定着したが,後に追放された
以下の歴史情報を簡単に検討する。1831年から1838年まで教会はオハイオ州カートランドとミズーリ州西部に二つの拠点を持っていたことを説明する。両方の場所で大切な出来事が起きた。27課と28課では,ミズーリにおける教会に関連した教義と出来事に焦点を絞って検討する。
1831年7月,ジョセフ・スミスはミズーリに向けて初めての旅をした。そこで,シオンの町としてミズーリ州が指定され,インディペンデンスを中心地とすることが啓示によって明らかにされた(教義と聖約57:1-3)。8月2日,シドニー・リグドンは聖徒の集合の地としてそこを奉献した。翌日,預言者ジョセフ・スミスはインディペンデンスにおいて神殿用地を奉献した。
最初にミズーリ州に定着した聖徒は,ニューヨークのコールズビル支部から来た会員たちだった。その後間もなく,シオンの町を築く意欲に燃えた聖徒たちが続々と到着した(教義と聖約63:24,36)。1832年までに,インディペンデンスとジャクソン郡の周辺地域に800人以上の聖徒が5つの支部に集合した。
ジャクソン郡の聖徒たちは平和を楽しみ,将来を楽観視する日々を過ごしていた。しかし,1832年末には問題が起き始めた。一部の会員が地元の教会指導者の権能を受け入れようとしなかったのである。またある者たちはカートランドへ戻った預言者ジョセフを非難した。さらに,論争を好む会員,貪欲な会員,利己的な会員,不信心な会員たちがいた。
これらに加えて,地域内のほかの定住者との間の緊張が高まってきた。1833年7月20日,これらの緊張は暴力へと発展した。割り当てておいた生徒に『わたしたちの受け継ぎ』の36-37と38ページから「ジャクソン郡での迫害」と「パートリッジ監督への迫害」の概要を発表してもらう。
1833年7月から11月にかけて,聖徒に対する迫害は激しさを増した。暴徒は聖徒たちの穀物を焼き,家を破壊し,男性を鞭で打ち,たたき,女性や子供たちを威嚇し始めた。
ミズーリ州における迫害。ミズーリ州ジャクソン郡で家を追われる聖徒たち。
11月4日,ビッグブルー川の近くで,末日聖徒の男性と少年から成る少人数のグループと暴徒の間で戦闘が勃発した(『わたしたちの受け継ぎ』38-39ページ)。それから2日間に1,000人を超える末日聖徒は酷寒の中,ジャクソン郡を追放された。ほとんどの人は家財道具を持ち出すこともできずに,ミズーリ川を渡って,クレイ郡に一時的な避難場所を見つけたのである。割り当てておいた生徒に『わたしたちの受け継ぎ』の39-40ページから「クレイ郡への逃亡」の概要を発表してもらう。
2.主はジャクソン郡を追放された聖徒たちに指示を与えられた
カートランドのジョセフ・スミスのもとに苦境に立たされているミズーリ州の聖徒たちの知らせが届けられたとき,預言者はひどく苦悩したことを説明する。そしてシオンの贖いについて祈り,現在教義と聖約101章となっている啓示を受けた。
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主はどのような理由で,ミズーリの聖徒たちを襲った苦難をそのまま放置しておられたのでしょうか(以下の聖句を生徒とともに読む。明らかになった事柄を簡潔に黒板に書き出す。幾つかの質問を選んで話し合いを展開する)。
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教義と聖約101:2,6。教義と聖約103:4も参照(彼らの背きのゆえ)。
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教義と聖約101:4(彼らは「アブラハムのように,試みられ」る必要があったため)。主はどのような目的で主の民を懲らしめられるのでしょうか(教義と聖約95:1;105:6;ヒラマン12:3;ヘブル12:11参照)。主の懲らしめはなぜ,主がわたしたちを愛しておられることの現れとなるのでしょうか。わたしたちが従順を学び,主を覚えるために,主の懲らしめはどのように助けとなるでしょうか。
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教義と聖約101:7-8(一部の聖徒が主に聞き従うのが遅かったため)。人々はなぜ,「平穏な日には」神を忘れ,神の勧告を軽んじることがあるのでしょうか。神の勧告に熱心に従うためにどのようなことができるでしょうか。
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主は聖徒に懲らしめを与えた後に,どのように哀れみを示されるでしょうか(以下の聖句を生徒とともに読む。明らかになった事柄を簡潔に黒板に書き出す)。
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教義と聖約101:9(主は彼らを捨てず,「激しい怒りの日に」憐れみを与えると約束された)。
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教義と聖約101:10(主は憤りを彼らの敵に下すことを約束された)。
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教義と聖約101:11-15(主は聖徒を救い,集め,慰めることを約束された)。
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教義と聖約101:16-19(主は将来シオンが贖われることを約束された)。
主の愛と憐れみを特別に必要とするときに,それらが与えられた経験を生徒に紹介してもらう。
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教義と聖約101:35-38を生徒とともに読む。この世の生活を正しく理解するために,わたしたちはこれらの節から何を学ぶことができるでしょうか。試しを受けているときに,主の永遠の約束を知っていることがどのように助けとなったでしょうか。
3.シオンの陣営が組織され,ミズーリ州へ行軍した
ジャクソン郡を追われた聖徒たちは,家屋を取り戻し,保護を受けられるようミズーリ州のダニエル・ダンクリン知事に支援を請願したことを説明する。知事は聖徒が自衛団を組織するのであれば,支援をいとわないと述べた。
1834年2月,ジョセフ・スミスはカートランドでこの条件を聞かされた。ジョセフ・スミスはミズーリ州の聖徒たちに慰めを与え,彼らの所有地を取り戻させ,その後彼らを保護するために男性たちを組織した。それは約1,600キロに及ぶ行軍だった。教義と聖約103章には,シオンの陣営として知られるようになったこの遠征に関する指示となる啓示が記されている。
割り当てておいた生徒に『わたしたちの受け継ぎ』の25-27,40-41ページからシオンの陣営に関する物語の概要を発表してもらう。カートランドとミズーリ間の距離を示すために,本書の274ページならびに『生徒用学習ガイド』の31ページの地図3を参照するとよい。
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教義と聖約103章で主から与えられた指示に従って,ジョセフ・スミスはジャクソン郡の聖徒たちが家屋と土地を取り戻すのを支援するためにシオンの陣営を組織しました。シオンの陣営はこの目的に関してどのような成果をもたらしたでしょうか(陣営は1,600キロ近くの旅を続けてジャクソン郡付近のフィッシング川まで来たところ,主は聖徒たちがシオンの贖いを待たなければならないと啓示された。それから間もなくして,預言者は陣営を解散させた)。
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ブリガム・ヤングはシオンの陣営に参加してカートランドへ戻って来ると,「あなたはこの旅で何を得たのですか」と質問されました。すると彼は「わたしたちが行った目的は達成されました。……わたしは何にも換え難い知識をこの間に受けました」と答えました(Journal of Discourses,第2巻,10)。シオンの陣営はどのような大切な目標を成し遂げたのでしょうか(以下のような答えが考えられる)。
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隊員は何度か主の力が奇跡的に現されたことによって強められた(一つの例として『わたしたちの受け継ぎ』40ページ参照)。
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隊員は主に従い,主の御心を行うためにあらゆるものを,必要であれば命をも犠牲にすることを証明するという,自分たちの信仰を試される機会を与えられた。
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だれが忠実であって,教会指導者としての地位に就くにふさわしいかを見極める機会となった。
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預言者と親しく交わり,預言者について知ることによって,将来指導者としての責任を果たすための備えをする機会を隊員に与えた。
シオンの陣営が失敗だったと考える人も一部にいるが,以上のような目的を達成したことは,教会にとって非常に重要であったことを説明する。シオンの陣営は,そのときにわたしたちに理解できない方法で神の目的が成し遂げられることを示す一例である。
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シオンの陣営の経験は,教会の将来の指導者をどのように備えさせるものとなったでしょうか。
1835年2月,陣営が解散されてから5か月後,十二使徒定員会と七十人第一定員会が組織された。十二使徒のうちの9人と七十人定員会の70人全員はシオンの陣営に参加した人々だった。これらの指導者は陣営によってどれほど備えられたかについて,ジョセフ・スミスはこのように述べている。
「兄弟の皆さん,あなたがたの中には,ミズーリ州で戦わなかったことについて,わたしに対して怒りを感じている人がいます。しかし,聞いてください。神はわたしたちが戦うことをお望みになりませんでした。神は,自分の命をささげ,アブラハムのような犠牲を払った人でなければ,地上の国々で福音の扉を開けるための12人や,その指示の下に働く70人を召すことはおできにならなかったのです。」(History of the Church,第2巻,182)
ジョージ・A・スミスの経験は,シオンの陣営が教会の将来の指導者となる人々をどのように備えたかを物語るものである。陣営の中で最年少だった16歳のジョージ・A・スミスは経験に乏しく,また自信もなかった。隊員が置かれた悲惨な状態について多くの人々が不平を言っており,ジョージ自身も個人的には不安に駆られていたが,進んでジョセフ・スミスのすべての指示に従った。ジョージは預言者と同じテントで野営したため,多くの勧告や指示を耳にすることができた。預言者と親しく交わることによって彼は指導技術を学び,指導者としての生涯を送るために必要とされる強さを身に付けたのだった。シオンの陣営から5年を待たずに,ジョージ・A・スミスは使徒に聖任された。後に,大管長会の一員としてブリガム・ヤングに仕えた。
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シオンの陣営の経験からわたしたちの生活に応用できるどのようなことを学べるでしょうか(以下のような答えが考えられる。話し合いを進めるために質問を活用する)。
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試練の目的を理解すること。シオンの陣営に関連してどのような試練があったでしょうか。シオンの陣営が経験した事柄は,わたしたちが生活の中で遭遇する試練の目的についてどのようなことを教えているでしょうか(教義と聖約103:12参照)。
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従順の大切さ。従順についてシオンの陣営からどのようなことを学べるでしょうか(教義と聖約103:7-10,36参照)。
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主のためにあらゆるものを進んで犠牲にする必要性。シオンの陣営から犠牲について何を学ぶことができるでしょうか(教義と聖約103:27-28参照)。主はなぜわたしたちに,すべてのものを主のために犠牲にすることを求めておられるのでしょうか。わたしたちは今,犠牲をささげる気持ちをどのようにして表すことができるでしょうか。
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主の業において一致することの大切さ。不平を言い,反抗する人の数がたとえわずかであっても,グループ全体の力が弱まることを指摘する。
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たとえ難しくても,またはその理由を完全に理解していなくても,預言者を支持し,預言者の勧告に従うことの大切さ。
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4.主は民が「しばしの間シオンの贖いを待」たなければならないことを明らかにされた
主はシオンを贖い,ミズーリ州ジャクソン郡において民の土地を取り戻すと約束されたことを説明する。しかしながら,この約束は聖徒の従順という条件がつけられていた(教義と聖約103:5-8,11-14)。古代のイスラエルが自分たちの不従順のために40年間約束の地に入ることができなかったように,現代のイスラエルも一部の聖徒が不従順であり,一致できなかったためにシオンの贖いを「しばしの間」待たなければならないことを明らかにされた(教義と聖約105:9,13)。
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教義と聖約105:1-13を生徒とともに読む。シオンが最終的に確立されるために主はどのような条件をつけておられるでしょうか(以下のような答えが考えられる。わたしたちの生活においてこれらの条件をどのように満たせるかについて話し合う)。
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聖徒は従順を学ばなければならない(教義と聖約105:3,6。37節も参照)。
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聖徒は貧しい者や乏しい者の世話をしなければならない(教義と聖約105:3)。
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聖徒は「日の栄えの王国の律法により求められている和合一致に従って結束し」なければならない(教義と聖約105:4。5節も参照)。
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聖徒はもっと十分に教えを受け,経験を得,彼らの義務に関してもっと十分に知らなければならない(教義と聖約105:10)。
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聖徒は高い所から力を授けられなければならない(教義と聖約105:11-12。33節も参照)。
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教義と聖約105:38-40で主は,彼らを迫害する人々に対しても平和を求めるよう聖徒に勧告しておられます。それを行うならば,主は「万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう」と約束しておられます(教義と聖約105:40)。あなたは平和を求めるようにというこの勧告を実行することによってどのように祝福を受けてきたでしょうか。
結び
主はシオンが贖われることを約束された。また,わたしたちがその日のために準備しなければならないと言われた。今日,家族やステークにおいてシオンを建設するための努力を惜しまないようにしなければならないことを生徒に伝える。本課で話し合った事柄が真実であることを御霊に導かれるままに証する。
教えるためのそのほかのアイデア
以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。
1.ミズーリの年表
本課を教えるに当たって以下のミズーリの年表を活用するとよい。大切な場所を確認するために本書の273ページと『生徒用学習ガイド』の30ページにある地図2を参照するとよい。
1831年1月:最初の宣教師がミズーリに到着した。
1831年7月:主はミズーリをシオンの町が築かれる場所として指定された。
1831年8月:ジョセフ・スミスがミズーリ州インディペンデンスの神殿用地を奉献した。
1833年7月:暴徒がミズーリ州インディペンデンスの聖徒たちを襲撃した。
1833年11月:ビッグブルーの戦いが勃発した。聖徒たちはジャクソン郡を追放されて,ミズーリ州クレイ郡へ逃れた。
1834年5月-6月:シオンの陣営がオハイオ州カートランドからミズーリ州クレイ郡まで行軍した。
1836年6月:クレイ郡の住民が聖徒たちに郡からの退去を要求した。
1836年9月:聖徒たちはファーウェストとそのほかの場所に移動を始めた。一帯はミズーリ州コールドウェル郡,デイビーズ郡と呼ばれた。
1838年3月:ジョセフ・スミスと家族がオハイオ州カートランドの暴徒から逃れてミズーリ州ファーウェストに到着した。
1838年10月:クルックト川の戦いが起きた。ミズーリ州知事ボッグズが撲滅令を公布した。
1838年10月-1839年4月:ジョセフ・スミスをはじめとする教会指導者がミズーリ州で監獄に拘留された。
1839年4月:聖徒たちはミズーリ州からイリノイ州に逃れた。
2.主が逃亡する聖徒たちに与えられた指示
聖徒たちがジャクソン郡を追われた後,主は彼らが何をすべきかについて具体的な指示をお与えになった。以下に列挙されているそれらの指示を検討するとよい。
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シオンの贖いを求める(教義と聖約101:43-62)。不従順であったために聖徒たちの立場は弱くなり,敵に征服されるに至った。主はこれらの節に記されているたとえによって,そのことを聖徒たちに気づかせられた。しかし,主は御自身の時にシオンが贖われることを彼らに保証された。
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集合の業を続ける(教義と聖約101:63-75)。シオンの中心地は敵の手に落ちたが,主は指定した場所に聖徒が引き続き集合しなければならないことを明確にされた(67節)。現在,これらの場所は全世界のシオンのステークである。わたしたちは自分のステークを「聖なる場所」にしなければならない(教義と聖約101:21-22)。
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補償を求める(教義と聖約101:76-95)。聖徒は補償と裁判を正式に請願するよう命じられた。合衆国憲法の下で,彼らは宗教の自由と財産の自由が権利として守られていた。ミズーリ州においてこれらの権利が妨げられたのである。聖徒は主の勧告に従って,地方,州,国家レベルで補償を請求した。彼らはいかなる支援を得ることもできなかったため,裁きの責任を主の手にゆだねて,前進した。
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ジャクソン郡における財産の権利を主張する(教義と聖約101:96-101)。
3.「シオンの陣営」ビデオ・プレゼンテーション
ビデオカセット『教義と聖約および教会歴史からの教え』(53933 300)を利用できるならば,「シオンの陣営」(19分)を見せるとよい。ビデオを見せる場合,本課3で行う。