ミズーリ州にシオンの町を築くために初期の聖徒たちがささげた努力について学び,今日のシオンの建設を支援するよう生徒を励ます。
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以下の聖句とその他の資料を祈りの気持ちで研究する。
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教義と聖約101;103;105
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『わたしたちの受け継ぎ』25-27,34-41ページ。
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『生徒用学習ガイド』(35686 300)の27課の資料に目を通し,レッスンで学習ガイドを参照する方法を計画する。
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何人かの生徒に『わたしたちの受け継ぎ』から以下の項の概要を発表する準備をしてくるよう依頼する。
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「ジャクソン郡での迫害」と「パートリッジ監督への迫害」(36-37,38ページ。)。
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「クレイ郡への逃亡」(43-44ページ)。
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「シオンの陣営での指導者訓練」と「シオンの陣営の迫害」(25-27と40-41ページ)。
主はシオンが贖われることを約束された。また,わたしたちがその日のために準備しなければならないと言われた。今日,家族やステークにおいてシオンを建設するための努力を惜しまないようにしなければならないことを生徒に伝える。本課で話し合った事柄が真実であることを御霊に導かれるままに証する。
以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。
本課を教えるに当たって以下のミズーリの年表を活用するとよい。大切な場所を確認するために本書の273ページと『生徒用学習ガイド』の30ページにある地図2を参照するとよい。
1831年1月:最初の宣教師がミズーリに到着した。
1831年7月:主はミズーリをシオンの町が築かれる場所として指定された。
1831年8月:ジョセフ・スミスがミズーリ州インディペンデンスの神殿用地を奉献した。
1833年7月:暴徒がミズーリ州インディペンデンスの聖徒たちを襲撃した。
1833年11月:ビッグブルーの戦いが勃発した。聖徒たちはジャクソン郡を追放されて,ミズーリ州クレイ郡へ逃れた。
1834年5月-6月:シオンの陣営がオハイオ州カートランドからミズーリ州クレイ郡まで行軍した。
1836年6月:クレイ郡の住民が聖徒たちに郡からの退去を要求した。
1836年9月:聖徒たちはファーウェストとそのほかの場所に移動を始めた。一帯はミズーリ州コールドウェル郡,デイビーズ郡と呼ばれた。
1838年3月:ジョセフ・スミスと家族がオハイオ州カートランドの暴徒から逃れてミズーリ州ファーウェストに到着した。
1838年10月:クルックト川の戦いが起きた。ミズーリ州知事ボッグズが撲滅令を公布した。
1838年10月-1839年4月:ジョセフ・スミスをはじめとする教会指導者がミズーリ州で監獄に拘留された。
1839年4月:聖徒たちはミズーリ州からイリノイ州に逃れた。
聖徒たちがジャクソン郡を追われた後,主は彼らが何をすべきかについて具体的な指示をお与えになった。以下に列挙されているそれらの指示を検討するとよい。
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シオンの贖いを求める(教義と聖約101:43-62)。不従順であったために聖徒たちの立場は弱くなり,敵に征服されるに至った。主はこれらの節に記されているたとえによって,そのことを聖徒たちに気づかせられた。しかし,主は御自身の時にシオンが贖われることを彼らに保証された。
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集合の業を続ける(教義と聖約101:63-75)。シオンの中心地は敵の手に落ちたが,主は指定した場所に聖徒が引き続き集合しなければならないことを明確にされた(67節)。現在,これらの場所は全世界のシオンのステークである。わたしたちは自分のステークを「聖なる場所」にしなければならない(教義と聖約101:21-22)。
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補償を求める(教義と聖約101:76-95)。聖徒は補償と裁判を正式に請願するよう命じられた。合衆国憲法の下で,彼らは宗教の自由と財産の自由が権利として守られていた。ミズーリ州においてこれらの権利が妨げられたのである。聖徒は主の勧告に従って,地方,州,国家レベルで補償を請求した。彼らはいかなる支援を得ることもできなかったため,裁きの責任を主の手にゆだねて,前進した。
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ジャクソン郡における財産の権利を主張する(教義と聖約101:96-101)。
ビデオカセット『教義と聖約および教会歴史からの教え』(53933 300)を利用できるならば,「シオンの陣営」(19分)を見せるとよい。ビデオを見せる場合,本課3で行う。