ジョセフ・スミスがミズーリ州リバティーの監獄に収監されていた間,聖徒をミズーリ州から脱出させるおもな責任は,十二使徒定員会会長のブリガム・ヤングに与えられていたことを説明する。1838年の末,聖徒たちは迫害の手から逃れるために,ミシシッピ川を渡ってイリノイ州に移り始めた。本書の274ページと『生徒用学習ガイド』の31ページにある地図3にはミズーリ州を追われた聖徒のたどったルートが示されている。
割り当てておいた生徒に,イリノイ州に逃れようとしたジョン・ハマーと家族が経験した試練について話してもらう(『わたしたちの受け継ぎ』46-47ページ)。
聖徒たちは最初,イリノイ州クインシーに集合した。ジョセフ・スミスがリバティーの監獄から戻ってから,彼らはミシシッピ川を35マイル(約56キロ)北上して,当時コマースと呼ばれていた小さな村へ移動した。聖徒たちは直ちに沼地を灌漑し,作物を植え,家を建て始めた。1839年の夏,預言者はその場所の名をノーブーと改めた。「わたしたちの市の名(ノーブー)はヘブライ語に起源があり,美しい場所を意味します。また,安息という意味も含んでいます」と預言者は述べている(Teachings of the Prophet Joseph Smith,ジョセフ・フィールディング・スミス選〔1976年〕182)。
1840年12月イリノイ州はノーブーに憲章を持つことを許可し,軍隊,市裁判所,大学の設立を認めた。教会が急速に発展し,新しい改宗者が集合したため,ノーブーはイリノイ州で2番目の大都市となった。
1841年1月19日,預言者ジョセフ・スミスは一つの啓示を受けた。主はこの啓示の中でノーブーにおける聖徒の責任に関する戒めを与えられた。この啓示は教義と聖約124章に記録されている。教義と聖約124章と初期のノーブーの聖徒が示した模範を研究することにより,神の王国においてわたしたち一人一人が大切な役割を担っていることをはっきりと理解できることを説明する。
ノーブーでは十二使徒定員会会員を含む多くの教会員が宣教師として奉仕する召しを受けたことを説明する。割り当てておいた生徒からノーブーの聖徒の伝道について報告してもらう(『わたしたちの受け継ぎ』55-58ページ)。
ウィルフォード・ウッドラフ長老はイギリスに到着してから数か月のうちに,多くの人々にバプテスマと確認の儀式を施した。その後に彼は次のような経験をしている。
「わたしは聖徒たちとそれに初めて会う人々が大勢集まっている集会に出席した。最初の賛美歌を歌っている間に主の御霊がわたしにとどまり,神の声があった。『あなたはこの集会を最後に,長い間彼らと会うことができない。』わたしはこの言葉に驚いた。その地区で多くの約束を取り付けていたからである。わたしは人々に話すために立ち上がると,この集会を最後に,長い間会うことができないと告げた。彼らもわたしと同じくらい驚いた。集会が終わると4人の人々がバプテスマを受けるために進み出た。わたしたちは水に入り,彼らにバプテスマを施した。
翌朝,わたしは一人で主の前へ行き,主の御心をうかがった。わたしが受けた答えは,南へ行かなければならないというものだった。主はそこで偉大な業を用意しておられ,多くの人々が主の言葉を待っているからだった。」
それから2日間,ウッドラフ長老は南へと旅を続けて,ヘリフォードシャーのジョン・ベンボウの農場までやって来た。ベンボウ氏と妻のジェーンは彼を大喜びで迎え,600人を超える男女がユナイテッドブレズレンと名付けたグループを作っていることを話した。ウッドラフ長老はこう語っている。
「ユナイテッドブレズレンと呼ばれるこの集団は光と真理を探し求めて,その時点で彼らが知り得る限界まで来ていた。彼らは自分たちの前に道が開かれて光と知識が与えられ,救いを得る正しい道が示されるよう絶えず主に願い求めていた。これらのことを聞いたとき,わたしがハンリーの町で働いているときにその場所を離れて南へ行くよう命じられた理由をはっきりと知った。ヘリフォードシャーには神の王国に多くの聖徒を集合させるための大きな収穫の畑があったからである。」
イギリスのこの地域におけるウッドラフ長老の努力により,また「神の祝福を通して,8か月の間に一人の例外を除いて600人のユナイテッドブレズレン全員を含む1,800人以上の人々を教会に導く」ことができたのである(Wilford Woodruff: History of His Life and Labors,マシアス・F・カウリー編〔1909年〕116-119)。
イギリスで伝道した宣教師たちの犠牲と努力によって教会が強められたことを指摘する。ハロルド・B・リー長老はこの注目すべき時期に起きた事柄を次のように要約している。
「1840年から1841年の1年間で,正確に言えば1年と14日で,十二使徒のうち9人が英国伝道部で働く召しを受けました。皆さんが〔ノーブーの〕歴史を記憶しているならば,当時は教会が現在の神権時代で最も過酷な迫害を受けていた時期でした。その1年と14日の間に十二使徒のうち9人が同僚とともに大英帝国のあらゆる著名な都市と町で教会を確立したのでした。彼らは7,000から8,000人の改宗者にバプテスマを施しました。モルモン書を5,000冊,賛美歌集を3,000冊,パンフレットを5万部印刷し,……そして,1,000人をアメリカに移民させたのでした。」(Conference Report,1960年4月,108)
聖徒たちはノーブーで生活していたとき,新しい教会を組織して祝福されたことを説明する。預言者ジョセフ・スミスは神権の権能により,扶助協会を組織した。割り当てておいた生徒に『わたしたちの受け継ぎ』から「扶助協会」の項の概要を発表してもらう(55ページ)。
扶助協会の目的を強調するために,1999年中央扶助協会集会で発表された以下の宣言を読む。扶助協会の会長か顧問にこの提示を依頼していれば,ここで行ってもらう。
「わたしたちは神に愛されている神の霊の娘であり,わたしたちの人生には意味と目的と方向性があります。世界中の姉妹のきずなの中で,わたしたちは一つとなって,救い主であり,模範者であるイエス・キリストに献身します。わたしたちは信仰と徳とビジョンと慈愛を持った女性として,以下のことを行います。
祈りと聖文の研究を通して,イエス・キリストへの証を増し加えます。
聖霊の導きに従うことにより,霊的な強さを求めます。
結婚生活や家族,家庭を堅固なものとするために,自らをささげます。
母親としての務めに気高さを,女性であることに喜びを見いだします。
奉仕や善に喜びを見いだします。
人生と学問を愛します。
真理と義を守ります。
神権を地上における神の権能として支持します。
神殿の祝福を喜び,わたしたちの神聖な行く末を理解し,昇栄に向かって努力します。」(メアリー・エレン・スムート「シオンの娘よ,喜び歌え」『リアホナ』2000年1月号,110-111)