第20課
天から食物を与えられたイスラエルの民
目 的
子供たちが,礼拝と喜びの日として安息日を守るように助ける。
準 備
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祈りをもって以下の聖句を研究する。
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出エジプト16:1-35——安息日を除き,毎日イスラエルの民は天からマナを与えられた。
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教義と聖約59:9-19,23——安息日はわたしたちが世の汚れに染まらないようにするのを助けてくれる。楽しげな心と感謝をもって安息日を守るならば,地に満ちているものはわたしたちのものになる。
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その他の参考箇所
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出エジプト31:12-13,16-17——安息日を
聖 く保つことはしるしであり,聖約である。主は7日目に休んで,心身を活気づけられた。 -
イザヤ58:13-14——安息日を喜びの日と呼ぶ。
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レッスンを検討し,聖文の物語を子供たちにどう教えるかを決める(本書「レッスンの準備」ⅵ—ⅶ,「聖文に基づいて教える」ⅶ—ⅷ参照)。子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いと応用のための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。
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教材
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『聖書』人数分
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『教義と聖約』
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以下の言葉を書いた6枚の紙(番号は書かない)または創造の各日を表す簡単な絵
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光と
闇 が分けられた(1) -
大空または空(2)
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乾いた地,海,植物(3)
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太陽,月,星(4)
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鳥と魚(5)
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動物と人々(6)
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レッスン
一人の子供に開会の祈りをさせる。
レッスンを豊かにする活動
以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。
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一人の子供に出エジプト31:16-17を声を出して読ませる。クラスの全員で「7日目に休み,かつ,いこわれた」の部分を繰り返して言わせる。「いこう」とはどういう意味かを子供たちに質問する。安息日を清く保つと,どのように新鮮な気持ちになりますか。
水差し,ボウル,コップを使って,わたしたちはどのようにして霊的に満たされるかを説明する。水差しからコップに水を注いで,わたしたちは教会の集会に出席し,礼拝し,安息日を聖く保つときに主の
御霊 で満たされることを説明する。週日にわたしたちは霊の貯水池の水位が下がるような活動に参加する。学校,雑用,スポーツ,友達,家族との意見の衝突,間違った選択をするなどの例を挙げながら,コップの水をボウルに注ぐ。けれどもわたしたちは聖文を読み,祈り,戒めを守ることによって毎日少しずつ水を満たすことができる(項目を挙げるごとに水差しから少しの水をコップに注ぐ)。安息日は霊的な活力を与えてくれる(コップに水をいっぱいに入れる)。コップがいっぱいであれば,1週間イエスの教えに従いやすくなる。 -
教義と聖約59:9-19,23には安息日を聖く保つことに関して現代に与えられた指示が記されている。数人の子供たちに15-19節を順に読ませる。感謝して,楽しげな心で安息日を聖く保つならば大きな祝福が与えられると約束されていることを説明する。子供たちにこれらの節に記されている祝福を挙げさせる。主はわたしたちがこの大切な戒めを守るならば地に満ちているものを受けると約束しておられる。
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安息日を感謝の日にするにはどうすればよいですか。
子供たちに,周囲を見回してどのような祝福を受けているかを見いだし,天の御父の大きな愛,救い主,友達,家族,福音,世界にある美しいものについて天の御父に感謝するよう勧める。子供たちに紙と鉛筆を配り,それぞれが感謝している祝福を書き出すか,その絵を描かせる。「地は麗しく」(『賛美歌』50番)または「天のお父様の愛」(『子供の歌集』16)を歌うか,歌詞を読むとよい。
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以下のような安息日にふさわしい行いを子供たちに挙げさせ,黒板に書き出す。
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宣教師に手紙を書く
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家族に感謝のカードを贈る
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日記をつける
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神聖な音楽を演奏するか聴く
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聖文を研究する
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弟か妹のために聖文の物語を読むか話す
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親戚 を訪問する -
家庭の夕べのレッスンを行う
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福音の実践賞の必要事項を達成する
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病気や一人暮らしの人を訪問する
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兄弟姉妹と静かに行うゲームをする
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聖文の物語からジェスチャーゲームをする
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幼いころの日記や家族の歴史を読む
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家族のアルバム写真を見る
子供たち一人一人に鉛筆,8枚の細長い紙,小さな箱または封筒か簡単な入れ物を配る。黒板に書かれている安息日の活動を1枚について一つ書かせる。子供たちはこれを家に持ち帰って家庭の夕べのレッスンで使うか,安息日にふさわしい活動としてそれらの絵を描くことができる。
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「土曜日」(『子供の歌集』105)を歌うか,歌詞を読む。主の日に備えるために安息日の前日に行うべき事柄を挙げるか,パントマイムで表現させる。イスラエルの民が前日に2倍の食べ物を集めなければならなかったように,わたしたちも安息日を休息の日,英気を養う日とするために前もってよく計画しなければならないことを子供たちに理解させる。
すべての宗教が日曜日を安息日と考えているわけではないことを説明する。ある教派はカレンダーでは土曜日となっている週の7日目を安息日としており,別の教派は金曜日を安息日としている。ユダヤ人は救い主が復活される以前は7日目を安息日としていた。キリストは週の最初の日である日曜日に復活されてから,この日に集会を開き礼拝するようにと教会に指示をお与えになった。主は預言者ジョセフ・スミスに日曜日が正しい礼拝の日であることを明らかにされた(『聖句ガイド』「安息日」の項,23-24参照)。
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庭仕事をする,スポーツの試合に出場したり観戦したりする,娯楽にお金を使う,店で買い物をするなど,安息日にふさわしいとは思われないことをしている人々を目にすることについて子供たちに説明する。土曜日や金曜日に安息日を守っている人々もいるので,彼らを裁かないように注意しなければならない。しかし,世の多くの人々は安息日を仕事の日やレクリエーションの日としている。安息日にふさわしい活動かどうかが分からないときにどうすべきかを子供たちに質問する。(両親に尋ねる,導きを求めて天の御父に祈る。)次のように自問もできると教える。「イエスはわたしがどうすることを望んでおられるだろうか。」この方法は正しい判断を下すうえで助けになる。以下の,安息日を聖く保つことを選んだ初等協会の少年の話を紹介する。
「先日,間もなく執事になる孫のジョエルから電話がかかってきました。彼は,決断の難しい問題を抱えていました。学校の仲間と一緒に,カリフォルニアのサンディエゴにある浜辺へ,ビーチキャンプに誘われたのです。少年にとっては飛び上がりたくなるほどうれしい話です。水族館の訓練士の仕事を見学したり,動物にえさをやったりして,裏方の経験をさせてもらえるというのです。悩みは,キャンプが週末に行われるということでした。日曜日に,スキューバダイビングと海辺の探検があるのです。
両親は行くのに賛成しませんでしたが,息子は正しいことを選ぶだろうと信じて,選択を彼に任せました。ジョエルは,日曜は教会に出席できないが,自分は泳がないと親に言いました。『岸に座って,神様が造られた自然を眺めているよ。それなら天のお父様だって悪いとは思われないんじゃない?』
彼は,レックスおじいさんならどう考えるか,知りたかったのです。わたしはその返事として,『ジョエル,イエス様なら,ジョエルにどうしてほしいと思われるだろうね』と質問しました。すると彼は,少し声を詰まらせながら答えました。『おじいちゃん,ぼくが日曜日にそんなことをしたら,イエス様はあんまりうれしくないと思うよ。おじいちゃんもそう思う?』
それはたやすい決断ではありませんでしたが,正しい決断となりました。」(「言動ともにキリストに従う」『聖徒の道』1992年1月号,47)
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「はい」か「いいえ」で答える,「安息日は してよい日です」クイズをする。答えが「はい」であれば,親指を上に向け,「いいえ」であれば親指を下に向けるように言う。以下のような活動を質問の文章に入れる。教会へ行く,泳ぎに行く,親戚を訪問する,買い物に行く,賛美歌を心を込めて歌う,映画を見に行く,聖文を読む,スポーツをする,祖父母のためにカードを作る,手紙を書く,散歩する,など。子供たちは適切な活動かどうかの判断がつかなければ,二つの質問を自分に投げかけてみる。「これをすることによって天の御父に近づくことができるだろうか?」「わたしが
今日 これをするのをイエス様はお許しになるだろうか?」この二つの質問に対する答えが「はい」であれば,その活動は恐らく安息日に行ってもよい活動だと思われる。 -
主はわたしたちにより幸福な生活を送るようにと命じておられます。わたしたちは安息日を聖く保つと,どのように幸せになるでしょうか。(イエス・キリストと天の御父を近くに感じる,学校や雑用,家の仕事を休む,両親や家族と一緒に楽しい時を過ごす。)安息日を聖く保つ決心をして祝福を受けたあなたの経験またはだれかほかの人の経験を話す。
安息日の聖さは行いと同時に心の中にもあることを説明する。ヘンリー・ワード・ビーチャーはこの真理を次のように説明している。「安息日のない世界というのはあたかもほほえみのない人,花の咲かない夏,庭のない家のようなものです。安息日は1週間のうちの喜びの日です。」(エズラ・タフト・ベンソンによる引用,“Keeping the Sabbath Day Holy,” Ensign,1971年5月号,5)
まとめ
一人の子供に閉会の祈りをさせる。