第18課
主が示された奉献の律法
目的
地上における神の王国の建設を助けるために,喜んで時間,才能,持ち物を分かち合うように,子供たちを励ます。
準備
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詩編24:1;教義と聖約42:30-39,42,53-55,71-73(主が啓示された奉献の律法);本課の歴史記事を祈りの気持ちで研究する。それからレッスンを検討し,聖文と歴史記事を子供たちにどう教えるか決める(本書「レッスンの準備」ⅵ-ⅶ,「聖文と歴史記事に基づいて教える」ⅶ-ⅷ参照)。
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子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いのための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。
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食物,衣服,住まい,お金,本とゲーム,という言葉を別々の紙に書き,その紙をボールか入れ物に入れる。
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教材
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教義と聖約(人数分)
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聖書とモルモン書
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紙と鉛筆(人数分)
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レッスン
一人の子供に開会の祈りをさせる。
レッスンを豊かにする活動
以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。
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子供たちが人と分かち合う方法を理解するように,黒板に3つの欄を作り,時間,才能,財産と書く。財産とは,自分が持っているお金や品物を表す。
人々を助けたり教会を建てるために子供たちやその家族が分かち合っている方法を該当する各欄に書かせる。例えば「財産」の下に,什分の一,断食献金,宣教師基金,貧しい人のための食物と衣服など。「時間」の下には,両親が教会の召しが果たせるように助ける,両親が神殿に入るときに子守りをする,教会の福祉計画のために働く,一人住まいの人を訪問するなど。「才能」の下には,初等協会や
聖 餐 会で話をする,人々が楽しめるように楽器を弾いたり歌を歌う,教会の活動のために飾り付けをするなどが答えとして考えられる。わたしたちにお金や持ち物がたくさんなくても,人々と分かち合う多くの方法を子供たちに理解させる。子供たちに紙と鉛筆を渡し,今週自分の時間や才能を分かち合う方法を一つ書かせてもよい。
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断食献金がどのように用いられているかを理解させる。監督は,貧しい人や物を必要としている人に食物,住まい,衣服を備え,医療費用を賄うために断食献金を使えることを説明する。あなたのワードでどのように断食献金が使われているかを前もって監督から聞いて,その話を子供たちと分かち合ってもよい。または次の話を分かち合い,断食献金がどのように用いられているかを理解する。
第一日曜日定例の断食に加えて,時々教会の会員たちは世界中の貧しい人々を援助するために特別な断食をする。これらの断食でささげられた断食献金は,たくさんの計画に用いられている。その一部は,アフリカの子供たちを病気から守るための予防注射を打つために使われた。あるお金は,きれいな飲み水を集落に供給するためにアフリカの別の地域の人々のために使われた。また,家族と家畜を養うために品質のよい食料を大量に生産する方法について教えるためにグアテマラの農家のために使われた。断食献金は,援助が無ければ医者や歯医者にかかれない人々の病院代や歯の治療費を払うために使われてきた。また,地震や洪水のような自然災害の犠牲者を助けるために使われてきた。断食献金の支払いと援助によりたくさんの人が祝福を受けてきた(トーマス・S・モンソン「王国の神権者」『聖徒の道』1991年7月号参照)。
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トーマス・S・モンソン第一副管長の以下の話の中から,自分のものや時間や才能を分かち合った子供たちに関する話を一つ聞かせる。話をよく聞いて,子供たちがどのように時間,才能,財産を分かち合ったかを話させる。
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トーマス・S・モンソンが子供のとき,彼の日曜学校のクラスで大きなパーティーをするためにお金を貯めていた。子供たちは,そのお金で買えるケーキ,クッキー,パイ,アイス・クリームを楽しみにしていた。しかし,子供たちはお金を使うもっと大事な方法を見つけたのである。
あれは忘れもしない1月のどんよりとした朝のことでした。わたしたちの大好きな教師から,クラスのある生徒の母親が亡くなったという発表があったのです。わたしたちは自分自身の母親のことを思い,母親がどれほど大切な存在か考えました。そして大きな痛手を受けたビリー・ダーベンポートを気の毒に思いました。
その日曜日のレッスンでは,使徒行伝第20章35節を学びました。「わたしは,……『受けるよりは与える方が,さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを……示したのである。」よく準備されたレッスンの最後に,ルーシー・ゴーシュ姉妹はビリーの家族の経済状態について話しました。不況の時代で,どこもお金には不自由していました。彼女は目を輝かせながら尋ねました。「皆さんは主のこの教えに従うためにどうしたいと思いますか。クラス全員でパーティー資金をダーベンポート家に持って行き,わたしたちの愛のしるしとして差し上げるというのはどうですか。」反対する者は人もいませんでした。わたしたちは硬貨を一枚一枚入念に数え,それを全部大きな袋に入れました。
クラスの仲間が一緒に,3ブロック離れたビリーの家に行き,その兄弟と父親にあいさつしたときのことは決して忘れることができません。彼の母親の姿が見えなかったのが,心に強く残りました。大切なパーティー資金を入れた白い封筒が,ゴーシュ姉妹の手から,悲しみに打ちひしがれ助けが必要な父親の手に渡されたとき,そこにいた一人一人の目には涙が光っていました。それは,わたしにとっていつまでも大切な思い出です。わたしたちは晴れやかな気持ちで,足取り軽く教会へ戻りました。あれほど心が燃え,大きな喜びを感じ,深い理解を得た経験は初めてでした。このささやかな行いはわたしたちの心をしっかりと一つに結びました。わたしたちは自分自身の経験を通して,確かに受けるよりも与える方が幸いであることを学んだのでした(トーマス・S・モンソン「感謝を態度で示す」『聖徒の道』1992年7月号)。
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わたしは執事の職にあったころ,今もそうですが野球が大好きでした。……友達とわたしは,家の裏手にある小さな空き地で野球をしました。野球をするには狭すぎたのですが,センターに向けてまっすぐボールを打てば問題はありませんでした。しかし,センターよりも右寄りに打つと,災難が待ち構えていました。そこにはシャイナス夫人の家があり,彼女はわたしたちが野球をするのを見ていて,ボールが家の前に転がって来ると,すぐに彼女の犬がそのボールをくわえて行って,ドアを開けた彼女に渡すのでした。そして彼女は家の中に入って,これまで没収したボールの山にそれを加えるのです。……シャイナス夫人のことを良く言う者はだれもいませんでしたが,悪口は随分と言ったものです。 ……
ある晩,わたしは日課であった芝生の水まきをしていました。ノズルの付いたホースを手に持っていると,シャイナス家の芝生が乾燥して,茶色に変わっているのに気づきました。わたしはいまだに正直言って,どうしてそうしようという気になったのか分からないのですが,その後の数分間,自分の家のホースで彼女の芝生に水をやったのです。それ以来,毎晩わたしは同じように,彼女の家の芝生にホースで水をかけて落ち葉を流し出し,道路の端に積み重ねて,後で燃やすか,片付けられるようにしておいたのです。その夏の間,ずっとシャイナス夫人を見かけることはありませんでした。あの場所で野球をすることも,随分前にあきらめていました。ボールはみんな取り上げられてしまい,新しいボールを買うお金もなかったからです。
そんなある夕方のことでした。シャイナス夫人が玄関のドアを開けて出て来て,わたしに低い垣根を飛び越えてこちらに来るようにと合図しました。そのとおりにして,シャイナス夫人の方に近づいていくと,彼女はわたしを居間に通してくれ,座り心地の良いいすにかけさせてくれました。それから台所に行ったかと思うと,何シーズン分かの没収品である野球のボールがいっぱい入った大きな箱を持って,戻ってきました。彼女はその箱をわたしに渡してくれました。しかし,ほんとうの宝物はその箱の中ではなく,その後の彼女の言葉の中にありました。そのとき,わたしは初めてシャイナス夫人のほほえんだ顔を見ました。彼女はこう言ってくれたのです。「トミー,このボールを返したかったの。それから,親切にしてくれてありがとうって言いたかったのよ。」わたしは彼女にお礼を言い,彼女の家に入っていったときよりもっと良い子になって出てきました。もうわたしたちは敵などではありませんでした。友達になったのです(トーマス・S・モンソン「王国の神権者」『聖徒の道』1991年7月号)。
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ある日曜日の朝,老人ホームで,わたしは一人の若い女性がすばらしい音楽の才能を披露するのを目にしました。その女性は,孤独で年老いた人々のため自分の才能を使ったのです。 ……
その少女が弦を持って,バイオリンで美しい旋律を奏で始めると,車いすに乗った聴衆は水を打ったように静かになりました。1曲弾き終わると,一人の老婦人がだれにも聞こえるような大きな声で,「何てすばらしい演奏なんでしょう」と言いました。そして,その気持ちを表すために大きな拍手をしました。すると,別のところからも拍手が起きました。拍手はだんだんと広がっていき,やがてそこにいたすべての人が彼女に惜しみない拍手を送りました。
わたしはその少女と一緒に老人ホームを後にしました。少女はわたしにこう言ったのです。「あんなに演奏がうまくいったのは初めてです。あんなによい気持ちになったのも初めてでした。」(トーマス・S・モンソン「決して一人ではない」『聖徒の道』1991年7月号)
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子供たちに教義と聖約42:38を覚えさせる。この聖文の意味について話し合う。
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「共に愛し合え」(『子供の歌集』74),「愛あるところ」(『子供の歌集』76),「イエス様のように」(『子供の歌集』40)を歌うか,歌詞を読む。
まとめ
一人の子供に閉会の祈りをさせる。