第24課
預言者の塾と知恵の言葉
目的
子供たちが知恵の言葉を理解し,知恵の言葉に従って生活するようになる。
準備
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教義と聖約88:77-80,118,122-127;教義と聖約89章と本課の歴史記事を祈りの気持ちで研究する。それからレッスンを検討し,聖文と歴史記事を子供たちにどう教えるか決める(本書「レッスンの準備」ⅵ-ⅶ,「聖文と歴史記事に基づいて教える」ⅶ-ⅷ参照)。
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その他の参照箇所-教義と聖約49:18-19,55:4;と『福音の原則』(06195 300),29章。
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子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いのための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。
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一本の軽いロープ,重いひも,またはより糸を用意し,以下の図のような「わな」を作る。
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教材
教義と聖約(人数分)
レッスン
一人の子供に開会の祈りをさせる。
レッスンを豊かにする活動
以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。
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スペンサー・W・キンボール第12代大管長は,わたしたちが知恵の言葉を守る決心を今するように勧告した。次の引用文を読むか,一人の子供に読ませる。
「わたしが若かったころ,お茶,コーヒー,たばこ,酒を決して飲まないと不変の決意をしたこの固い決心が,わたしの様々な経験の中で何回もわたしを救ってくれた。わたしが少し飲んだり,触れたり,味を試してみる機会はいくらでもあった。しかしこの不変の決意がそうしないための確かな理由を見いだす基盤を作り,抵抗する強さを与えてくれたのである。」(The Teachings of Spencer W. Kimball,エドワード・L・キンボール編,164)〔Salt Lake City: Bookcraft, 1982〕164)
誘惑が来るまで待っているのではなく,誘惑を受けたときにどう対応するかを前もって決めておくなら,わたしたちは賢い選択ができる。この点を説明する。知恵の言葉に従う決心を今するように子供たちを励ます。
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お茶,コーヒー,たばこ,酒,薬物などの誘惑を受け,それに抵抗する状況で子供たちにロールプレーをさせる。次のような場面で断る理由を考えさせる。
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「ちょっと試してみたら。一度なら大丈夫だよ。」
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「みんながやっているよ。みんなと合わせたらどうだい。」
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「映画やテレビに出ている有名人は皆やっているよ。」
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「これを飲むと,いい気持ちになるよ。」
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体に有害な商品の広告(雑誌や新聞から切り抜いて)を見せる。
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主はなぜ知恵の言葉で禁止されたものをわたしたちに使わせようとする人々について,警告されたのでしょうか(教義と聖約89:4参照)。
導入で見せたわなを子供たちに思い出させる。喫煙や飲酒などの不健康な行いをわなと比較する。子供たちに広告を研究させて,サタンのわなにわたしたちを捕らえようとして人々が使うえさを見つけさせる。例えば,広告主は魅力的な人を使って楽しそうに演技させ,喫煙や飲酒がわたしたちを美しく幸せにすると思わせようとしているなどが考えられる。これらはわたしたちを幸せにしたり,美しくしたりしないばかりか,わたしたちはこれらの商品を使い始めると,わなに捕らえられて中毒になってしまう。
違法な薬物のように,あるものは宣伝されないが,それらをわたしたちに使わせたいと思っている人々は,広告と同じような理屈を用いて勧める。この点を指摘する。
たばこ,酒,薬物などの不健康な商品を常用している人は,体や精神に悪いと分かっていても,それらをやめるのは難しいと思っている。これらの使用をやめる必要のある家族や友達がいたら,わたしたちは彼らのために祈り,励まし,良い模範を示すことができる。
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以下の参照聖句を黒板に書く。これらは,体を大切にする方法について具体的な助言を与えてくれる。
教義と聖約88:124(睡眠を十分取る)
教義と聖約89:7(アルコール飲料を飲まない)
教義と聖約89:8(たばこを吸わない)
教義と聖約89:9(コーヒーやお茶などの熱い飲み物を取らない)
教義と聖約89:16(穀物や果物を食べる)
子供たちに紙と鉛筆を渡し,これらの聖句を調べさせる。自分の体を大切にするために行えることを幾つかリストに挙げさせる。自分のリストを家に持って行き,体を大切にするよう子供たちを励ます。
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わたしたちの体を大切にするために判断力を使う必要があると説明する(教義と聖約59:20を参照)。良い物であってもたくさん取りすぎると有害になることがある。
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運動のし過ぎ,寝過ぎ,一種類の食べ物の食べ過ぎなどは,なぜわたしたちの体に悪いのでしょうか。
ジョセフ・スミスの時代に,オハイオ州カートランド地区の人々は,何が体に良くて,何が体に悪いのかを心配していた。近くに住んでいた別の宗教の人々は,非常に厳しい食事制限を行い,肉を食べなかった(教義と聖約49章の前書き参照)。
一人の子供に教義と聖約49:18-19を声を出して読ませる。肉を食べることについて主がジョセフ・スミスに1831年に啓示されたものである。
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主が地上に動物を置かれた理由には何がありますか(わたしたちに食物と衣服を与えるため。教義と聖約49:19)。知恵の言葉では,肉を食べることについて何と言ってまいますか(教義と聖約89:12)。
肉は良い食物であるが,知恵を用い控えめに取るように教える。
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次の物語を自分の言葉で話す。
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教会初期の改宗者であったアンナ・ウイッツオーは,会員になってしばらくの間,知恵の言葉について教えられていなかった。彼女はアルコール飲料を飲まなかったが,コーヒーとお茶をたしなんでいた。それは,彼女が生まれた地方では当たり前であった。アンナが知恵の言葉について学んだとき,お茶とコーヒーをやめようとしたが困難であった。彼女が午前0時をはるかに過ぎて毎晩縫い物をしているとき,一杯のコーヒーが気持ちを新鮮にしてくれると思っていた。2か月間苦闘した後,ある日家に戻り,知恵の言葉の問題について真剣に考えた。彼女は決心した。彼女は部屋の真ん中に立ち,「もう二度と飲まない。サタンよ,下がれ」と叫んだ。そして元気よく食器棚まで歩き,コーヒーとお茶の包みを取り出し,暖炉の中に投げ入れた(“‘Get Behind Me, Satan,’”レオン・R・ハートショーン編,Remarkable Stories from the Lives of Latter-day Saint Women,第2版,〔Salt Lake City: Deseret Book Co., 1973–75〕,第1巻,255)。
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教会の管理監督に召され,その後十二使徒評議会の一員に召されたリグランド・リチャーズ長老は,若いころ一人の若い女性からダンス・パーティーに招待されて何人かの友達と夕食を取ることになっていた。彼は,そのときの夕食について次のように述べている。
「わたしたちがテーブルに近づくと,めいめいの皿にビール瓶が置いてあった。わたしは急に立ち止まった。わたしはテーブルを見た後にその若い女性の方を見た。彼女はこう言った。「どうかしたの。あなたは少しのビールも飲めないくらい良い子なの?」わたしは急いで決めなければならなかった。それでわたしは彼女の名前を呼んで答えた。「うん,そうだよ。君もそうだと思ったんだけど。じゃ,さよなら。……」わたしは,下りて来たときよりも早く階段をかけ上がった。そのときから現在まで,その女の子と顔を合わせた記憶はない。
わたしはこの小さな経験を時々思い出すが,あの最初のビールを飲んでいたら,わたしは教会の管理監督になっていただろうかと思う。ビールや酒を1杯でも口にすると,2杯目は何の抵抗もなく飲んでしまうだろう。喫煙についても同じである。」(Just to Illustrate [Salt Lake City: Bookcraft, 1961],298)
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体に良い幾つかの食物の名前を一枚の紙に一つずつ書く(教義と聖約89章にある食物の名前を忘れずに書く)。子供たちに食物の名前が書かれた紙を選ばせて,名前を言わずにその食物について表現させる。ほかの子供たちにその食物を当てさせる。
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年下の子供たちを教えている場合,『教義と聖約物語』31章の「知恵の言葉」を使ってもよい。
まとめ
一人の子供に閉会の祈りをさせる。