初等協会テキストと分かち合いの時間
第37課 ジョセフ・スミスとハイラム・スミスの殉教


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ジョセフ・スミスとハイラム・スミスの殉教

目的

預言者ジョセフ・スミスに対する子供たち一人一人のあかしを強める。

準備

  1. 本課の歴史記事,教義と聖約135章を祈りの気持ちで研究する。それからレッスンを検討し,聖文と歴史記事を子供たちにどう教えるか決める(本書「レッスンの準備」ⅵ-ⅶ,「聖文と歴史記事に基づいて教える」ⅶ-ⅷ参照)。

  2. その他の参照箇所-教義と聖約124:91,94-96

  3. 子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いのための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。

  4. 以下のような小さなカードを作る。

    祈り

    聖文

    真理

    聖霊

    学習

    従順

    教師

    預言者

    証を述べる

  5. 教材

    1. 教義と聖約(人数分)

    2. 同じサイズのボウル3個(料理用)

    3. ボタンまたは小石

    4. 「ミズーリと周辺地域」の地図(第30課の課末)

    5. 視覚資料5-1「預言者ジョセフ・スミス」(『福音の視覚資料セット』401),または5-2「ジョセフ・スミス」(『福音の視覚資料セット』400);5-38「ハイラム・スミス」;5-39「カーセージの監獄」;5-40「ジョセフ・スミスとハイラム・スミスの殉教」

レッスン

一人の子供に開会の祈りをさせる。

導入

3つのボールを床の上に1列に置く,あるいはまとめて置く。それぞれのボウルに3枚のカードを入れる。子供に一人1回ずつボタンか小石を,ボウルの一つに投げ入れさせる。入ったらそのボールからカードを1枚取らせる。そして,カードの言葉が証を強めるうえでどのように役立つか答えさせる。カードは必要に応じて2度以上用いてもよい。

福音に対する証を持つことの一つは,ジョセフ・スミスが神の真の預言者であると知ることである。この点を子供たちに思い起こさせる。本課で子供たちは,ジョセフ・スミスと兄ハイラムの死について学ぶ。

聖文と歴史記事

以下の歴史記事と教義と聖約135章をもとに,ジョセフ・スミスとハイラム・スミスの受けた迫害と殉教について教える。適当な箇所で視覚資料と地図を用いる。

ノーブーの聖徒への迫害

1844年までに,聖徒たちはノーブーの町を,イリノイ州の繁栄した大都市にまで発展させた。さらに多くの教会員たちが,毎日ノーブーに流入していた。末日聖徒でない人々の多くが,大勢の教会員が持つ経済的,政治的な力に恐れを感じていた。こうして彼らは聖徒たちを迫害し始めた。

教会の敵対者たちは,もしジョセフ・スミスを退けられれば,教会は崩壊するであろうと信じていた。これらの人々は新聞を発行し,その中でジョセフ・スミスについて多くの邪悪な偽りを掲載した。教会の会員たちは,これらの偽りに対し怒った。当時ノーブー市の市長をしていたジョセフ・スミスは,市の議会を召集した。この議会は教会員と教会員でない人々の両方によって構成されていた。同議会は,この新聞を不法妨害であると断定し,市の警察に対して,この新聞の印刷に使用された印刷機を破壊するよう命じた。

教会の敵対者たちは,この出来事を聖徒と預言者をさらに迫害するための口実として用いた。イリノイ州知事のトーマス・フォードは,ジョセフ・スミスと市議会のほかの議員をイリノイ州カーセージに召還した。印刷機破壊に関する裁判を行うためである。知事はジョセフたちに,身の安全を保障した。しかし,ジョセフは知事に,もし自分たちがカーセージに赴けば,自分たちの命が危険にさらされる,と感じていることを手紙で書き送った。ジョセフ・スミスは公平な裁判が行われるであろうとは思わなかったし,知事が約束どおり自分たちを保護してくれることに対し,疑いを抱いていた。

教会の敵対者が捕らえようとしているのは,自分たちだけであると確信したジョセフとハイラムは,身を隠し,家族とともに西部に移る計画を立てた。しかし,カーセージから派遣された警察隊は,ノーブーに来ると,「もし,ジョセフとハイラムが見つからなければ,町全体を占領する」と脅した。すると一部の聖徒らがこの警官隊を恐れ,ノーブーを去ろうとしているジョセフとハイラムを臆病おくびょう者呼ばわりした。ジョセフはこれを聞いて悲しみ,次のように言った。「もしわたしの命がわたしの友にとって何の価値もないのなら,わたしにとっても何の価値もない。」ジョセフは,ハイラムに「わたしたちはどうすべきだろうか」と尋ねた。するとハイラムは答えて言った。「出て行って,身を引き渡そう。そして,どうなるか物事を最後まで見届けようではないか。」(History of the Church第6巻,549)

ジョセフはもし自分たちが戻ったならば殺されるであろうことを知っていた。しかし,かれはほかの教会の指導者に次のように告げた。「わたしはほふり場に引かれて行く小羊のように行く。しかし,わたしは夏の朝のように心穏やかである。わたしの良心は,神に対してもすべての人に対しても,責められることがない。もし彼らがわたしの命を奪うなら,わたしは罪のないまま死ぬのであり,わたしの血は,報復を求めて地の下から叫ぶことであろう。やがて『彼は冷酷に殺害された』と言われるようになるだろう。」(History of the Church第6巻,555;教義と聖約135:4も参照)

ジョセフ・スミスとハイラム・スミスの殉教

二人は暴動と反逆罪(政府に反抗する働き)という偽った訴えを受けた。ジョセフとハイラムとその友人の何人かは,こうしてカーセージの監獄に入れられた。そこで暴徒たちは,彼らを脅し,ののしった。監獄の中で兄弟たちは祈りを捧げ,モルモン書を読んだ。預言者は,看守に福音の真実性について証を述べた。

ダン・ジョーンズは,預言者とともに監獄にいた一人であった。1844年6月27日の朝,監獄の看守の一人が彼に,次のように言った。

「ジョセフをここに連れて来るには,随分と手こずったんだ。生きて脱獄させるなんてできないな。ジョセフと一緒に死にたくなきゃ,日没までに立ち去ることだ。……そうすりゃ,おまえも,おれにはジョセフより立派な預言ができるってことがわかるだろうよ。なぜなら,ジョセフもその兄貴も,二人と一緒にいるやつはだれ一人として今日の日没を生きて見られないからさ。」(History of the Church第6巻,602)

ダン・ジョーンズはこの脅迫をフォード知事に報告した。しかし,知事はこう答えた。「あなたは,ご友人の身の安全に対して大げさな警告を受けただけですよ。人々は,そんなことをするほど残酷じゃない。」(History of the Church第6巻,603)こうして知事は,カーセージを去った。預言者にとって最悪の敵対者たちに監獄の責任を任せてである。この日,預言者の友人たちの大半は,監獄を去るように命じられた。

カーセージの監獄には,わずかに4人の男性だけが残された。つまり,預言者ジョセフ・スミスと兄ハイラム・スミス,そして二人の使徒,ジョン・テーラーとウィラード・リチャーズである。これらの4人は,彼らを訪れた友人たちから受け取った2丁の銃を持っていた。テーラー長老とリチャーズ長老はともに杖を持っていた。

知事がカーセージを去り,暴徒の何人かに監獄の責任を任せて行ったため,4人は自分たちの命が危険にさらされていることを悟った。その日の朝,ジョセフは家族に手紙を書き,彼が家族を愛していることと自分が無実であることを告げた。手紙の中でジョセフはまた,家族と友人たちに祝福を与えた。午後になるとジョン・テーラーが『悩める旅人』(『賛美歌』15番)を歌った。救い主についてのこの美しい歌は,4人の心を大いに慰めた。そして預言者はテーラー長老にその歌をもう一度歌ってくれるように頼んだ。

午後5時ごろ,約100人の暴徒たちが監獄を襲撃してきた。暴徒の多くは,自分たちの顔を泥や火薬で黒く塗っていた。自分たちの正体が分からないようにするためである。監獄の看守は暴徒の友人であり,攻撃をやめさせようとする真剣な手だてを何も講じなかった。暴徒の何人かは,監獄の窓に発砲した。そしてほかの者は階段を駆け上がり,教会の指導者たちのいる部屋に銃火を浴びせた。

兄弟たちはドアにかんぬきをしてドアを閉めようとした。そしてわずかな武器を用いて暴徒たちを追い払おうとした。ジョセフ・スミスはピストルで応戦し,ジョン・テーラーは,重い杖で,ドアを突き破って入ろうとする暴徒たちの銃をたたき落とそうと試みた。しかし兄弟たちが防御するには,暴徒の数は多すぎた。

ハイラム・スミスは,ドア越しに発射された銃弾によって顔を打たれた。彼は床に倒れながらこう叫んだ。「わたしは死ぬ」と。彼は倒れるときに,ほかの3発の銃弾にも撃たれている。ジョセフ・スミスは叫んだ。「おお,愛するハイラム兄さん。」(History of the Church第6巻,618)

ジョン・テイラーは開いた窓の方へ進み、安全のため飛び出そうと望みました。監獄内部からの銃弾が彼の足に当たり,窓の外へと落ちそうになりましたが、監獄の外から来た2発目の弾丸が胸のポケットの懐中時計に当たり,もう一度部屋の中に戻され彼の命は救われました。テーラー長老は、さらに3発の弾丸を受けましたが、ベッドの下にっていきました。

ハイラムとジョン・テーラーが撃たれた後,預言者は窓際に移った。ジョセフは,廊下側から撃ち込まれた2発の銃弾に当たり,続いて3発目に監獄の外から発射された銃弾を受けた。ジョセフは叫んだ。「おお,わたしの神,主よ」そして,窓の外に落ちた(History of the Church第6巻,618)。

監獄の中にいた暴徒は,預言者の死体を確認するために飛び出して行った。そしてウィラード・リチャーズは窓の方に急いだ。死体を確認するとリチャーズ長老はドアの方に走った。しかし,彼はジョン・テーラーがベッドの下から叫ぶのを聞いて立ち止まった。リチャーズ長老は,テーラー長老を今すぐには運べないだろうことを知った。そこで彼は,テーラー長老を古いマットレスの下に隠して言った。「もし傷が致命的なものでなかったら,生き長らえて今日きょうの事件について人々に伝えてください。」(History of the Church第6巻,621)リチャーズ長老は監獄を出るときに撃たれる覚悟をしていた。しかし,暴徒が4人全員の死亡を確認する前に,だれかが何かに誤解して叫んだ。「モルモンの連中がやって来るぞ。」こうして暴徒たちは森の中に逃げ込んだ。

リチャーズ長老は暴徒の攻撃で負傷しなかった。この奇跡は,ジョセフ・スミスによって1年も前になされた預言を成就することとなった。ジョセフ・スミスはリチャーズ長老にこう告げたのである。「弾丸が周りを雨あられのように飛び交い,友が右に左に倒れるのを見るときがやってくる。しかし,リチャーズ長老は傷を負わない。」(History of the Church第6巻,619)

預言者の弟サミュエルは,兄たちを助けるためにカーセージに向かっている途中であった。彼は途中で暴徒に追われ,疲労困ぱいしてカーセージに到着し,そこで兄たちが殺害されたことを知らされた。彼は兄たちの遺体をカーセージの宿屋に運ぶのを手伝った。カーセージへの旅で疲れ果て衰弱していたため,サミュエルは高熱を発し,翌月亡くなった。

ジョセフとハイラムの遺体は荷車でノーブーに運ばれた。そして,マンションハウス(訳注-ジョセフ・スミスとその家族が当時住んでいた家)に安置された。翌日,1万人の聖徒たちが列をなして,弔問に訪れ,ひつぎの前にたたずみ,敬意を表した。聖徒たちは,預言者とその兄を亡くしたことを悼み悲しんだ。

ルーシー・マック・スミスは,殉教した息子たちを目にしたときのことを次のように記している。

「長い間わたしは,しっかりしなければと自分を励まし,あらゆる精力を奮い起こして神に力を与えてくださるように願い求めていました。しかし,あの部屋に入って,殺された二人の息子が冷たく横たわっているのを目の前にし,家族がすすり泣き,……うめき泣き叫ぶのを聞いたとき,わたしにはもう耐えられませんでした。体中から力が抜ける思いで,気も狂わんばかりに心の中で叫んでいました。『おお神よ,この家族をなぜ見捨てられたのですか。』すると,答える声が聞こえてきたのです。『わたしは,彼らが休息を得られるように,わたしのもとに迎え入れた』と。」(ルーシー・マック・スミス,History of Joseph Smith324)

テーラー長老はジョセフ・スミスについて次のように語っている。「彼は神とその民の目に偉大な者として生き,偉大な者として死んだ。そして,昔の,主の油注がれた者のほとんどがそうであったように,彼は,自らの血をもって自分の使命と業を証明したのである。彼の兄ハイラムも同様であった。彼らは生前に分かたれることはなく,また死後も離れることはなかった。」(教義と聖約135:3

預言者の父は亡くなる前,ジョセフに祝福を与え,次のように述べた。「あなたは自らの仕事を完成するまで生きるであろう。……あなたは生きて,神があなたに果たすように授けられたすべての業の計画を明らかにするであろう。」(Smith,309-310に引用)ジョセフ・スミスは雄々しく自分の使命を果たした。神から行うように命じられたすべてのことを行ったのである。

話し合いと応用のための質問

レッスンの準備に当たって,以下の質問と参照聖句を研究する。子供たちが聖文を理解し,生活に応用するうえで最も役立つと思われる質問を,採り上げる。教室で子供たちと一緒に聖句を読んで話し合えば,聖文に対する子供たち一人一人の理解力を深めるのに役立つ。

  • 子供たちに,ジョセフ・スミスはカーセージに向かうときにどのように言ったか思い起こさせる(教義と聖約135:4参照)。「わたしの良心は,神に対してもすべての人に対しても,責められることがない。」とはどういう意味だろうか。このような状態を「清廉せいれん潔白」と言う。ジョセフとハイラムは死んだとき,清廉潔白であった。わたしたちは清廉潔白な状態でいるために何をしなければならないでしょうか。

  • 殉教者とは何ですか(自分たちの信じていることを否定または拒絶するよりも,むしろ死を選んだ人のことを言う)。なぜジョセフ・スミスとハイラム・スミスは殉教者と考えられているのでしょうか(二人がイエス・キリストと福音に対する証を拒むよりも,死を選んだから)。

  • ジョセフとハイラムの生涯について考えると,二人は死後,イエスとお会いしたとき,どのような気持ちを感じたと思いますか。暴徒はイエスにお会いしたとき,どのような気持ちを感じると思いますか。あなたは今日きょうイエスにお会いするとしたら,どのような気持ちになるでしょうか。

  • テーラー長老が「悩める旅人」を歌ったとき,なぜカーセージの監獄にいた兄弟たちは慰めを感じることができたのでしょう。この兄弟たちは慰めを感じるためにほかにどのようなことをしたと思いますか。皆さんが恐れや不安を感じているとき,どのようにすれば慰めを感じられますか。

  • ジョセフ・スミスが監獄の看守に証を述べたことから,彼のどのような性質がうかがえますか。これまでだれかに証を述べるのを恐れたことがありますか。どうすればこのような恐れを克服できるでしょうか。

  • 暴徒たちはどうして自分の顔を黒く塗ったのだと思いますか。人は悪いことをするとき,ほかの人に見られたくないと思うものであることを説明する。自分たちの行いを人に見られて恥ずかしいと思わなくてよいように,わたしたちはどのような行いをする必要があるでしょうか。

  • 一部の暴徒たちは,ジョセフ・スミスを殺害することによって教会全体を滅ぼせる,と考えていたことを子供たちに思い起こさせる。預言者が殺された後も教会が滅びなかったのはなぜでしょうか。

  • ジョセフ・スミスが神の預言者であるという証を持つことはどうして必要ですか。ジョセフ・スミスが預言者であると信じていなければ,わたしたちはモルモン書が真実であり,イエス・キリストの福音が地上に回復されたことを信じることはできない。わたしたちはジョセフ・スミスに対する証をどのように得ることができるでしょうか(「レッスンを豊かにする活動」の3を参照)。

レッスンを豊かにする活動

以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。

  1. 別々の紙に以下の言葉を書く。預言者よげんしゃ監獄かんごく無実むじつあかしうた暴徒ぼうとつえ懐中かいちゅう時計どけい殉教殉教良心りょうしん。子供たちに1枚ずつ紙を取らせ,ほかの子供が自分の持っている紙の言葉を推測できるようなヒントを与えさせる。例えば,無実という言葉の紙を選んだ子供は以下のように言うことができる。「罪のない人のこと,あるいはあなたが何かのことで責められたとしてもあなたが何もしていなければ,あなたはです」。子供たちがその言葉を答えたら,その言葉が預言者ジョセフ・スミスと兄ハイラムの生涯や殉教とどのように関係しているかについて,子供たちが学んだことを話させる。

  2. 初等協会会長の承認を得て,ひとりの男性教会員を招待して,ジョン・テーラーの役を演じてもらう。そして,子供たちに殉教の出来事について話してもらう。その際テキストとして,教義と聖約135章および本課の歴史記事の項を用いてもらう。演じてもらう教会員には,少なくともレッスンの1週間前には依頼する。

  3. 子供の人数分,以下の文を複写する。あるいは黒板にその文を書く。そして,下記のリストから空欄に該当する言葉を子供たちに入れさせる。

    1. 証を得る最初の段階は,それをことである。

    2. わたしたちは証を得られるように,天父に祈りを通じてなければならない。

    3. わたしたちは,強い望みを持って,証を得るためにしなければならない。

    4. わたしたちは真理に関する知識を増やすためにしなければならない。

    5. わたしたちは証を保つために戒めになければならない

    1. 尋ね求め

    2. 望む

    3. 従わ

    4. 努力

    5. 勉強

    (答え:1-b;2-a;3-d;4-e;5-c

  4. 一人の子供に教義と聖約135:3の最初の文を読ませる。

    • ジョン・テーラーはこの文で何を言いたかったのでしょう。ジョセフ・スミスの偉大な業績として,どのような事柄が挙げられますか。

    教師が教義と聖約135:3の残りの部分を読み,子供たちに後について読ませる。教師は読みながら,この節に列挙されているジョセフ・スミスの業績を黒板に書いていく。ジョセフ・スミスがこれらのことをしてくれなければ,子供たちの生活はどのように異なっていたか子供たちと話し合う。

  5. カーセージの監獄から脱出した後のジョン・テーラーの以下の経験について子供たちに話す。

    ジョン・テーラーは,重傷を負っていたため,すぐにノーブーに戻ることはできなかった。数日後,彼は,ベッドから担架に移された。しかし,彼を運ぶ人々の歩き方が不安定であったため,非常な痛みを引き起こした。そこで,彼のためにそりに載せたベッドが用意され,荷車の後ろにつないで,プレーリー(アメリカ,ミシシッピ川流域の大草原)を引いて行くことになった。テーラー長老の妻は彼とともに乗り込み,彼の傷口に冷水を当て続けた。そりは背の高い草の上を緩やかに進んだため,テーラー長老に余計な痛みを感じさせずに済んだ。テーラー長老がノーブーに近づくと,多くの友人が彼に会いに来た。一行がプレーリーの低湿地帯に来ると,友人たちがそりを持ち上げて,水の上を運んだ。そして道がぬかるんでいる町の一角を通るときには,柵を壊して畑の上を通って運んだ。テーラー長老に少しでも痛みを与えないためである。長老は18マイル(約30キロ)もの道のりをそりで旅し,非常に痛い思いをしたにも関わらず,ノーブーの町にたどり着いたことを非常に喜んだ(BH・ロバーツ,A Comprehensive History of the Church第7巻,117-119参照;“Applying Ice Water to My Wounds,” Classic Stories from the Lives of Our Prophets [Salt Lake City: Deseret Book Co., 1975],レオン・ハートショーン編,96-97も参照)。

  6. 以下のことを子供たちに伝える。ジョセフとハイラムの葬儀で弔辞を述べたウィリアム・W・フェルプスは,預言者について美しい詩を記している。この詩は後に,皆に親しまれる賛美歌「たたえよ,主の召したまいし」となった。「たたえよ,主の召したまいし」(『賛美歌』16番)を歌うか,歌詞を朗読する。

まとめ

あかし

以下のことを証する。ジョセフ・スミスはまことに神の預言者であった。彼は天父とイエス・キリストにまみえた。そして彼を通して,イエス・キリストのまことの福音が地上に回復された。子供たちに聖文を研究し,祈り,戒めを守ることによって,イエス・キリストとジョセフ・スミスに対する証を強めるように励ます。

読書課題

本課の復習のため,家庭で教義と聖約135:1-4を研究するよう,子供たちに提案する。

家族との分かち合いの提案

子供たちが,物語,質問,活動,家庭学習の提案などのレッスンの一部を家族と分かち合うように励ます。読書課題を家族で一緒に読んでもいい。

一人の子供に閉会の祈りをさせる。