ノーブーを築いた聖徒たちのように,熱心に働く者となるよう子供たちに勧める。
本課の歴史記事と教義と聖約42:40-42 ,56:17 ,58:27-29 ,75:3 ,88:124 と本課の歴史記事を祈りの気持ちで研究する。それからレッスンを検討し,聖文と歴史記事を子供たちにどう教えるか決める(本書「レッスンの準備」 ⅵ-ⅶ,「聖文と歴史記事に基づいて教える」 ⅶ-ⅷ参照)。
その他の参照箇所-教義と聖約124:22-24
子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いのための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。
子供たちがジェスチャーで表現できるオリンピック競技をそれぞれ別の紙に書く。例えば,重量挙げ,柔道,フィギュアスケート,水泳,円盤投げ,サッカー,バスケットボールなど(ジェスチャーの仕方を付記してもよい)。全員に1枚ずつ行きわたる枚数を準備する。
教材
教義と聖約(人数分)
「ミズーリと周辺地域」の地図(第30課 の課末)
視覚資料5-33「ノーブー市」;5-34「幼い子供たちを助けるジョセフ・スミス」;5-35「選ばれた女性エマ・スミス」
教師への注意 -「レッスンを豊かにする活動」の1を「導入」として行ってもよい。
一人の子供に開会の祈りをさせる。
子供たちに箱の中から紙を選んで,紙に書かれている競技をジェスチャーで表現するように言う。ほかの子供たちにはどんな競技かを当てさせる。競技を当てたら,その度に,次の質問をする。
勝ちたいと思うだけでは十分ではない。その競技を熱心に練習しなければならないことを強調する。価値あることを成し遂げるには望むだけでは不十分であり,熱心に努力することと,成し遂げる決意が必要であることを説明する。
天父とイエス・キリストはわたしたちに働くように命じられたことを説明する。教義と聖約75:3 と88:124 を教師が読むか,一人の子供に読んでもらう。怠惰とは,怠ける,働きたがらない,何もしないで時間を無駄に過ごすという意味であることを説明する。
以下の歴史記事から,ノーブーの建設について話すことにより,労働の価値について子供たちに教える。また導入の項に挙げられている聖文から,労働に関する主の戒めについて教える。適当なときに絵と地図を見せる。
ミズーリを追放された聖徒たちはイリノイに集まり,コマースと呼ばれた小さな町にあるミシシッピ川の川岸に定住地を築いた。預言者ジョセフ・スミスはこの町の名をノーブーと改めた。これはヘブライ語で「美しい」という意味である。ノーブーは沼地に築かれた。このため家屋や建物を建てるには沼地を灌概 かんがい し,樹木を伐採しなければならなかった。こうした作業の間,ほとんどの聖徒は荷車かテントで生活した。ジョセフ・スミスと彼の家族はすでに建てられていた丸太小屋の一 つに住んだ。また川の向こう岸にあって空き家になっていた軍隊の兵舎には数家族が住んだ。
聖徒はノーブーを繁栄させるために熱心に働いた。男性は土地を耕し,家屋を建て,事業を築いた。女性は子供を育て,病人を看護し,家事にいそしんだ。女性たちは火をおこして料理を作り,家族のために衣服を縫い,家畜の世話をし,菜園を作り,石けんやろうそく,布を作り,肉と果物を乾燥させ,バター,チーズ,ジャム,ゼリーそしてメイプルシロップを作った。男性が伝道に召されると,残された家族が男性がしていた仕事を代わって果たさなければならなかった。ルイザ・バーンズ・プラットの夫が伝道に召された。ルイザは夫が不在の間,自分たちの家の建築を監督しただけでなく,自らも建築現場で働いた。彼女は家族の食糧と必需品を手に入れるために縫い子として働いた。ルイザは有能な縫い子で,ジョセフとハイラム・スミスのスーツを仕立てた。翌年には彼女は自宅で学校を開いて収入を得ている。
子供たちもノーブーの建設を手伝った。働ける年齢に達すると,彼らは家畜の世話や農作業に携わり,材木を集め,いちごを摘み,サイダー,石けん,ろうそくを作った。子供たちは学校にも通っていた。少年たちのグループが珍しい方法で町を助けている。多くの犯罪者がノーブーへ流れ込んできた。聖徒たちはこれらの人々がノーブーへやって来るのを望んではいなかったが,暴力に訴えて追い出すことも望んではいなかった。少年たちのグループは「口笛を吹きながらナイフで木を削る少年隊」を組織した。少年たちは通りで怪しげな人を見かけると,その人を取り囲んで一緒に歩いて行った。少年たちは一言も話さずにただ口笛を吹き,ナイフで木を削りながらどこまでもついて行った。侵入者にとって少年たちは目障りだったが,一度に少年たち全員と戦うわけにもいかず,やがて町を去って行くのだった(「レッスンを豊かにする活動」の2を参照)。
ノーブーは聖徒たちの働きによって短期間のうちに大きく美しい町に成長していった。丸太で作った家屋が数多く建ち並んだ。2階建ての家を建てた人々もいた。庭を持つ家が整然と並び,町は清潔だった。預言者が訪問者をもてなすための家としてマンション・ハウスが完成した。後に主はノーブー館を建てるように命じられた。これはノーブーを訪れる大勢の人々に宿泊を提供できるよう,多くの部屋を持ったホテルである(教義と聖約124:22-24 参照)。
聖徒たちは熱心に働いたが,遊びと娯楽のための時間も大切にした。劇場へ通い,ダンスを踊り,様々なプログラムを催し,合唱やバンドのコンサートを開き,パレードを行った。彼らは球技,レスリング,棒引き競技(二人が向かい合って立ち,棒の端を持って引っ張り合う力比べ)などをした。またキルトにビーズを縫いつけたり,小屋や家を建てたり,丸太切り競技などをして,ほかの人々と一緒に仕事をしながら楽しんだ。
ノーブーを訪れた人々は町の様子に感銘を受けている。ある訪問者は友人にあてて次のような手紙を書いている。
「ここを訪れたらきっと驚くでしょう。短期間のうちにすばらしい発展を遂げています。……怠惰な人は見当たりません。勤勉に働く人々の鼻歌と快活な話し声が聞こえるだけです。……たとえ聖徒の間でほんの小さな悪が行われたとしても,彼らの間に広がるキリストの御 み 霊 たま と暗黒の霊との格差が非常に大きいために,それは大きな騒ぎになることでしょう。……しかしほかの社会で同じ犯罪が行われたとしたらだれにも気づかれないことでしょう。」(E ・セシル・マクガビン,Nauvoo, the Beautiful , 73で引用)
ノーブーの聖徒たちは家屋を建設し,事業を確立するために働くだけでなく,ほかの人々を助けるために喜んで手を差し伸べた。ドルシラ・ヘンドリックスの夫ジェームズはクルクット川の戦いで首に被弾して働くことができなかったため,ドルシラが一家を背負っていた。ヘンドリックス家族は食べ物がなくて飢えたことが数え切れないほどあったが,その度に隣人たちは聖霊のささやきを聞き食べ物を持って,ヘンドリックス家を訪れた。ある人はドルシラに,彼が一生懸命に働いているときに「ヘンドリックス兄弟の家族が苦しんでいる」という聖霊の声を聞いたため,仕事を中断して食べ物を持って来た,と述べている(『時満ちる時代の教会歴史』214-215で引用)。
ドルシラはノーブーで,夫と5人の子供を養うために,旅人を泊め,菜園を作り,牛乳を搾り,家畜の世話をして働いた。お祭りの時期になるとドルシラはしょうが入り菓子パンと飲み物を作って は売った。また手袋とミトンを作って売っていた。しかし,ある年の冬,ほんの少しのひきわりとうもろこしを買うだけのお金しかなくなってしまった。夫は彼女に主に助けを求めて祈るように言った。ドルシラは祈りを終えたとき,必ず食べ物が与えられると感じていた。間もなく一人の男がやって来て家族に新しい豚肉を売ってくれた。そして,代金は1年後でいいと言った。
預言者ジョセフ・スミスは熱心に働き,人々を助ける模範を示している。ジョセフは教会の預言者,指導者としての責任のほかに,ノーブー軍(約3,000人の兵士から成る市民軍)の中将,ノーブー市議会の議員をしていた。ジョセフは多忙を極めていたにもかかわらず,時間を見つけては人々を助けた(「レッスンを豊かにする活動」の3を参照)。
預言者は幼い子供たちを愛し,彼らと遊び,彼らを助けるのを喜びとしていた。ある日,預言者の家の近所に住む二人の子供,マーガレットとワレスは学校へ向かっていた。前日に雨が降ったため,道がひどくぬかるんでいた。そして二人の子供はぬかるみにはまってしまい,泣きだした。その声を聞きつけた預言者は二人を助け出すと,靴を拭き,涙をぬぐってあげると,にこやかに学校へ送りだした。
ジョセフ・スミスは家庭でもよく手伝った。妻のエマも非常に忙しかった。彼らの家を訪れる大勢の客のために夕食を用意し,また泊まっていく人々のために家を掃除しなければならなかった。中には何週間も泊まる人もいた。ジョセフは火をおこしたり,暖炉を掃除したり,薪や水を家の中に運んだり,子供たちの世話をしたりして,できるかぎりエマを手伝った。
ある人はこういった仕事は「女性の仕事」であって,預言者がこのようなことをするのはふさわしくないと考えていた。この人はジョセフに家の管理の仕方を教えようと思い,このように言った。「ジョセフ兄弟,わたしの妻はあなたの奥さんよりはるかにたくさんのことをしますよ。」預言者はその人に,妻を愛し,慈しんで,「妻に対して適切な関心を払いまた助ける義務を果たす」べきであることを穏やかに説いた。預言者はさらに,人は妻を正しく扱わないと,次の世で一緒に住むことはできないと言った。この人は預言者と話した後,妻を手伝うようになった(リチャード・ニーチェル・ホルザップフェルおよびジェニー・プロバーグ・ホルザップフェル,Women of Nauvoo , 28参照)。
聖徒は人々を助けることによって主の業を行った。主はこれに対してノーブーの人々をお助けになった。聖徒たちが初めてノーブーに到着したとき,辺り一帯は沼地だった。沼地に生息する蚊がマラリヤと呼ばれる恐ろしい病気をまん延させることを聖徒たちは知らなかった。多くの聖徒がこの病気に感染して,ひどい寒気を訴え,発熱した。エマ・スミスは多くの人々を看病した。6歳になる彼女の息子も病人に水を運ぶなどして母親の手伝いをしていたが,やがてマラリヤに感染した。預言者もこの病気に感染してしまった。しかし主は預言者に人々を癒 いや す力を与えて人々を祝福された。ウィルフォード・ウッドラフはジョセフ・スミスに率いられた神権者の一行が一人の病人を抱えた家庭を訪れたときのことを次のように報告している。
「彼らが次に訪れたのはエライジャ・フォーダムの家でした。彼はまさに息を引き取ろうとしているところでした。一行が部屋に入ると,神の預言者はひん死の状態にあるフォーダム兄弟に向かって歩いて行き,彼の右手を取って話しかけました。けれどもフォーダム兄弟は話すことができませんでした。彼の目は顔にはめ込んだガラス玉のようにまったく動きませんでした。まったく意識がなくなっているように見えました。ジョセフは彼の手を取り,長い間黙って彼の目をのぞき込んでいました。間もなくフォーダム兄弟の表情に変化が現れてきたことにその場にいた全員が気づきました。目に光がさしてきました。そしてジョセフが,自分を分かるかどうか尋ねると,フォーダム兄弟は低くささやくように,『はい』と答えました。ジョセフは彼に癒される信仰を持っているかと尋ねました。すると,こう答えました。『もう手遅れだと思います。もう少し早く来てくだされば,癒されたと思います。』預言者は言いました。『あなたはイエス・キリストを信じていますか。』彼はかすかな声で『はい,信じています』と答えました。するとジョセフは少しの間,何も言わずに彼の手を握ったまま,すっくと立ち上がり,そして耳をつんざくような大声で言いました。『フォーダム兄弟,わたしはイエス・キリストの御 み 名 な によってあなたに命じます。このベッドから起きて,癒されなさい。』彼の声は人の声ではなく神の声のようでした。家全体が土台から揺れたように感じ ました。フォーダム兄弟はベッドから起き上がると,たちまち元気になりました。彼の両脚は包帯でぐるぐる巻きにされていましたが,彼はけ飛ばすように包帯を取り,服を身に着けるとパンを食べ,ボウル一杯のミルクを飲むと,預言者について通りへ出て行きました。」(ジョセフ・フィールディング・スミス,Essentials in Church History , 223-224で引用)
レッスンの準備に当たって,以下の質問と参照聖句を研究する。子供たちが聖文を理解し,生活に応用するうえで最も役立つと思われる質問を,採り上げる。教室で子供たちと一緒に聖句を読んで話し合えば,聖文に対する子供たち一人一人の理解力を深めるのに役立つ。
ノーブーの聖徒たちは教義と聖約58:27 の戒めに,どのような方法で従ったでしょうか。あなたが努力して成し遂げる「善いこと」にはどのようなことがあるでしょうか。何か新しいことを学んだり,務めや仕事を果たしたときにどのような気持ちがしますか。
ルイザ・プラットは教義と聖約42:40-42 の勧告をどのように実行したでしょうか。わたしたちは熱心に働いて自分のことは自分ですることを学ばなければならないのはなぜでしょうか。
ノーブーの子供たちはどのようなことをして働きましたか。あなたは家族を助けるためにどんなことをしていますか。「口笛を吹きながらナイフで木を削る少年隊」はどのようにしで怪しげな人を町から追い出しましたか。自分で働いてお金や品物を手に入れるのでなく,他人から盗もうとする人々に対して主は教義と聖約56:17 で何と言っておられますか(「災い」とは苦しんで惨めな状態になることであることを説明する)。
ドルシラ・ヘンドリックスは夫がけがをした後,どうしましたか。ドルシラが家族を食べさせるためにできるすべてのことをした後,神はどのように彼女をお助けになりましたか。神は時々,ほかの人を遣わしてわたしたちを助けさせることによって,わたしたちの必要を満たしてくださることを説明する。ヘンドリックス家を助けた人々は自分たちがしたことについて,どのように感じたと思いますか。わたしたちはだれかを助けなければならないと思ったときにどうすべきでしょうか。
預言者ジョセフ・スミスは働くことについてどのような模範を示しましたか。あなたは家族を手伝うためにどんな仕事ができますか。なぜ家族の仕事を手伝わなければならないのでしょうか。働くことによってもっと幸せになるのはなぜでしょうか。
わたしたちは自分の仕事をするだけでなく,主の業を助けなければならないことを指摘する。主の業とは何ですか。ノーブーの聖徒たちはどのように主の業を行いましたか。エマ・スミスと息子はどのように主の業を行いましたか。ノーブーの聖徒たちは自分の仕事をしてそのうえに助け合ったために,主からどのような祝福を受けましたか。
以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。
様々な仕事で使う道具を見せる。ペン,本,ネジ回し,はさみ,計量スプーン,温度計,金づち,巻き尺など。
一つずつ品物を手に取って子供たちに見せ,どのような仕事に使うかを考えさせる。
子供たちに「口笛を吹きながらナイフで木を削る少年隊」の話を思い出させる。「口笛を吹きながらナイフで木を削る少年隊」は今日 こんにち の社会では実行できないかもしれないが,家族や地域社会の役に立つような仕事はたくさんあることを指摘する。
子供たちの答えを黒板に書き出す。今週,家族か地域社会の役に立つために実行することを子供たちに選ばせる。
教室に同じサイズの透明なコップを二つ,コップに入る小さなボールまたは石を一つ(ゴルフボールくらいの大きさ),コップに入るだけの量の乾燥した豆または砂利を持参する。
空のコップを見せる。子供たちに一日どのようなことをしているかを言わせる。その間,あなたは豆または砂利をゆっくりコップの中に注ぎいっぱいにする(このコップは揺すらない)。一日にすることがたくさんありすぎるため,聖文を読む,祈りをささげる,手伝うなど大切なことをする時間がないと考える人がいることを説明する。
ボール(または石)を見せる。ボール(または石)は天父がわたしたちに行うよう命じられた大切な事柄を表し,豆(または砂利)は一日の間にしたいと思うほかの事柄を表すことを説明する。
コップに入った豆の上にボールを乗せて,中へ入れるために押してみる。豆がコップの外へあふれるだろう。一日にしたいことを全部済ますまで待っていると,大切な戒めが中に入らなくなることを説明する。ここで,空のコップの底にボールを入れて,次に最初に使ったコップから豆をゆっくり注ぎ,半分くらいで止めて,2番目のコップを振り,豆がすき間なく入るようにする。そして残りの豆を注ぐ。今度はボールとすべての豆(またはほとんどの豆)がコップに入ったことを指摘する。主が言われたことを最初にしていれば,わたしたちがしたいことや,する必要があることをする時間を見つけられることを説明する。
子供たちに家庭の夕べでこの活動を紹介するように勧める。
以下の物語を自分の言葉で話す。
ジョセフ・スミスはノーブー市から5キロほど離れた所に農場を持っていた。この農場はコルネリウス・ロットが運営していた。コルネリウスは妻のパーメリアと子供たちとともに農場内に住んでいた。預言者は時間が許すかぎり農場へ来て,コルネリウスと一緒に働いていた。あるとき,ジョセフは暴徒に追われて農場に逃げ込んだ。そしてパーメリア・ロットにかくまってくれるように頼んだ。その時ベッドを整えていたパーメリアは,麦わらが入ったマットレスから麦わらを取り出して,預言者にマットレスの中に入るように言った。そして,彼女は普段と変わりなくベッドを整えた。
暴徒がやって来て家中を探した。パーメリアは暴徒にベッドの中も探すように言ったが,暴徒はためらった後に,必要ないと言った。暴徒たちはほかの部屋も探したが,預言者を見つけることができずに,農場を去って行った(Descendants of Cornelius Peter Lott, 1798–1972 , レア・ロット・バンス編,[n.p., n.d.] ,7-10参照)。
子供たちに,両親や先生など自分たちを助けてくれる人々を挙げてもらい,黒板に書き出す。黒板のリストの中から一人を選んで,その人の働きに対する感謝の手紙を書かせる。
教義と聖約88:124 を1枚の紙に書いて,句読点ごとにはさみで切る。子供たちに紙片を渡し,完全な聖句になるように並べさせる。最初は聖典を使わないで並べてみる。その後,もし必要であれば,聖典を使わせる。聖句の意味を子供たちと話し合う。
「世はよく働く人を求む」 (『賛美歌』161番)を歌うか,歌詞を読む。
最善を尽くして自分の仕事に取り組むことによって達成感を味わうことができること,人々のために奉仕するときには人々と自分の生活に祝福をもたらすことができることを証する。今週,自分の務めを喜んで,早く,最後まで行うよう子供たちにチャレンジする。
本課の復習のため,家庭で教義と聖約58:27-28 と88:124 を研究するよう,子供たちに提案する。
子供たちが,物語,質問,活動,家庭学習の提案などのレッスンの一部を家族と分かち合うように励ます。読書課題を家族で一緒に読んでもいい。
一人の子供に閉会の祈りをさせる。