ソルトレーク盆地に到着するために最初の開拓者が払った努力に対して子供たちが感謝の気持ちを持つように奨励する。
教義と聖約136:1-18,28-33 と本課の歴史記事を祈りの気持ちで研究する。それからレッスンを検討し,聖文と歴史記事を子供たちにどう教えるか決める(本書「レッスンの準備」 ⅵ-ⅶ,「聖文と歴史記事に基づいて教える」 ⅶ-ⅷ参照)。
子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いのための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。
幌付きの荷車の絵(本課の最後のページを参照)を16枚コピーするか描き,1番から16番までの番号をふる。それぞれの紙の裏に,歴史記事から,番号に相当する質問または文章を書く(例えば,1番の荷車の裏には,「最初の開拓者隊はどのような構成でしたか」と書く)。教室内にこれらの絵を番号順に展示しておく。
教材
教義と聖約(人数分)
目隠し用の布
「聖徒たちが西部に向かったルート」の地図(第39課 の課末)
視覚資料5-43「開拓者の荷車」;5-44「走行距離計」;5-45「プラット川を渡る」;5-46「大平原の伝言板」
一人の子供に開会の祈りをさせる。
一人の子供に志願をさせる。その子供に目隠しをして,数回その場で回してから,教室のドアまで行くように言う。何人かの子供たちにドアまで間に障害物として立たせる。目隠しをされた子供が何回か障害物にぶつかったら,出発点まで戻す。そして,ドアまで行く良い方法があることを説明する。
ほかの子供たちに2列に並んで立ってもらい,ドアまでの道を作る。目隠しをした子供を子供たちが作った道に沿ってドアまで歩かせる。ドアに着いたら,目隠しを取り,全員に席に戻るように言う。
以下のことを説明する。聖徒たちがロッキー山脈を目指して西へ向かったとき,多くの問題や障害に出会うことを,主は御存じだったことを説明する。以前にこの地方へ行ったことのある聖徒は一人もいなかった。主はブリガム・ヤングに,先遣隊を組織して後から来る多くの聖徒たちのために道を準備するように言われた。この最初の開拓者グループは西部へ行くルートに道標を築いてから,戻って来てほかの人々を導いた。
開拓者とは,後に続くほかの人々のために道標を築いていく人である。西へ向かうすべての聖徒たちは,1869年に鉄道が完成するまで先遣隊と呼ばれたことを説明してください。
教義と聖約136:1-18,28-30 から,聖徒を組織して西部に移動する方法について主がブリガム・ヤングに与えられた指示に関して子供たちに教える。
次に,以下の歴史記事から,最初の開拓者隊がソルトレーク盆地までどのように旅をしたかを教える。適切な箇所で視覚資料を用いる。
子供たちに,ブリガム・ヤングと最初の開拓者隊とともに西部へ向かって大平原を横断して いると想像させる。ソルトレーク盆地までの旅は約16週間かかったこと,16台の荷車はこの16週間を表していることを説明する。一人の子供に1番の荷車の裏に書いてある質問を読んでもらい,歴史記事の同じ番号の記事からその質問に答える。歴史記事を紹介する前にその子供に自分で答えさせてもよい。番号順にすべての荷車の質問に答える。
最初の開拓者隊はブリガム・ヤングに率いられて1847年4月にウィンタークォーターズを出発した。このグループには143人の男性と3人の女性,2人の子供がいた。73台の荷車,93頭の馬,66頭の荷役用の牛,52頭のろば,19頭の畜牛,17匹の犬,それに数羽の鶏が一緒だった。荷役用の牛は幌が付いた荷車を引いて大平原を横断した。荷役用の牛は大きくて力が強かったが,歩く速度は非常に遅かった。開拓者はそのほかにボート1隻と大砲1門を持っていった。
ブリガム・ヤングは出発前に以下の規則を隊員に与えた。
起床ラッパは午前5時に鳴らす。全員が起床して,祈り,朝食をとり,家畜に餌と水をやり,午前7時には出発の準備を整えていなければならない。
荷車は一緒になって進まなければならない。
全員が荷車から離れてはならず,また銃を必ず持っていなければならない。
夜の間,荷車は円形に並べてとめる。就寝ラッパは午後8時半に鳴らす。全員が祈り,午後9時にはベッドに入っていなければならない。
最初の開拓者隊は後から来る多くの聖徒のために道を備えることを目的とした。彼らは旅の途中で,道を作り,川や小川に橋を架けるか,そのほかの方法で川を渡ることができるようにした。進むルートの地図を作って,野営や家畜に餌を与えるのに適した場所など後から来る開拓者隊に役立つ情報を書き込んだ。彼らはまた,食料を得るために狩りをしたり,荷車や機器を修理したり,家畜の世話をしたりした。
開拓者は夜になると,荷車の後ろを外に向けて円陣を作った。馬や荷役用の牛は円陣の内側につないだ。楽器を持ってきた人もいて,彼らは楽器の演奏に合わせて歌を歌ったり,ダンスを踊ったりして楽しんだ。ウィリアム・クレイトンはウィンタークォーターズへ向かう苦しい旅の間に「恐れず来たれ,聖徒」 (『賛美歌』第17番)を作詞した。開拓者はこの賛美歌を歌って問題に立ち向かう勇気を得た。開拓者はまた,チェッカーなどのゲームをしたり,おもしろい話をするのが好きだった。
子供たちに開拓者が楽しんだ以下のようななぞなぞの問題を出す。
ブリガム・ヤングはウィンタークォーターズを出発するとき,右手を見ました。何が見えたでしょう。(5本の指)
家よりも高くジャンプできる動物は何でしょう。(すべての動物。家はジャンプできない)
卵の殻は何に使われるでしょう。(黄身と白身を入れておく)
開拓者が西部へ移動したときすでにロッキー山脈に通じるよい道があった。この道はオレゴン街道と呼ばれていて,商人,毛皮をとる猟師,探検家など大勢の人々が使っていた。オレゴン街道はプラット川の南側にあった。しかし,西部に向かうほかの人々とのいざこざを避けるため,ブリガム・ヤングと開拓者たちはプラット川の北側に道を作った。この新しい道はオレゴン街道よりも平坦だったため歩きやすかった。この道はモルモン街道と呼ばれた。
開拓者たちは毎日どれくらいの距離を進んだかを記録したいと考えていた。ウィリアム・クレイトンは荷車の車輪に赤い旗を縛りつけて旗が一周する回数を数えていた。彼は 車輪が1回転する距離と旗の回転数を使って荷車が進む距離を計算することができた。これは非常に退屈な作業だった。このためクレイトン兄弟は回転数を数える機械を発明した。何人かの人々の協力を得て完成したこの機械は走行距離計と呼ばれ,荷車の車輪と連動するようになっていた。荷車の車輪が回転すると,機械の中の小さな輪が回転して,一日に開拓者が進んだ距離を測る装置だった(「レッスンを豊かにする活動」の1を参照)。
開拓者は草に覆われた大平原を横断するときに,カモシカ,鹿,狼など多くの野生動物に出会った。また無数のバッファローにも出会っている。バッファローの群れは大草原の草を食料としていて,ときには開拓者の家畜に食べさせる草がなくなるほど食べた。荷役用の牛と馬が食料とする草がないと,開拓者は一日に長い距離を進むことができなかった。開拓者はバッファローを殺して食料にしたが,必要なだけしか殺さないように指示されていた。
開拓者はインディアンの攻撃から自分たちを守るために常に警戒していた。あるインディアンは夜中に野営地に忍び込んできて,家畜を盗んだりした。また別のインディアンは自分たちの土地を通過することを許す代わりに贈り物を要求した。しかし,ほとんどのインディアンは友好的で,聖徒たちは彼らを友として扱った。
ブリガム・ヤングは大平原を旅していた聖徒たちに日曜日は自分たちだけでなく家畜も休ませるように指示した。日曜日には,魚釣りや狩猟などを含むすべての労働が禁止された。開拓者は聖 せい 餐 さん 式を開き,祈り,聖文を研究した。ときには残してきた家族に手紙を書いた。
現在のネブラスカ州とワイオミング州との州境近くにあるチムニーロックがウィンタークォーターズからソルトレーク盆地までの旅の中間地点になる。聖徒たちは煙突の形に似たこの大きな岩を遠くから見ることができたに違いない。聖徒たちは1847年5月26日にここへ到着して,近くのフォートララミーで荷車と道具を修理するために休憩した。
フォートララミーを出発した開拓者はプラット川を渡らなければならなかった。持参した革製のボートで所持品と日用品を運び,軽量のいかだをつくって荷車を対岸に渡した。プラット川を渡りたい人々がほかにいたため,聖徒は彼らの荷物を運んで謝礼として小麦粉,食料品,ベーコンを受け取った。聖徒たちが持っていた食料は少なかったため,この食料品は大歓迎だった。ウィルフォード・ウッドラフは次のように述べている。「わたしたちの小麦粉と食料を入れる袋が次第にふくらんでいく様子は,わたしにとって奇跡を見る思いでした。……主は確かにこの旅をするわたしたちと共におられて,すばらしい祝福を与えてわたしたちを守ってくださいました。」(ジョセフ・フィールディング・スミス,Essentials in Church History , 365で引用)
開拓者は毎日進んだ距離を記録して,後に来る開拓者が通りかかったときに見ることができるようにと,しばしば情報を残していった。樹木に刻んだり,木の杭に刻んで地面に突き刺しておいたりした。また道の傍らに転がっているバッファローの頭蓋骨に情報を刻んだりもした。これらは「大平原の伝言板」として知られるようになった。ブリガム・ヤングはあるとき頭蓋骨に次のように刻んだ。
開拓者たちは
ここで野営した
1847年6月3日
本日の踏破距離15マイル
すべてはよし
ブリガム・ヤング
(教師への注意 -B ・H ・ロバーツはこの日付は間違っており,正しくは6月23日であったはずだとしている。〔A Comprehensive History of the Church , 第3巻,177-178参照〕)
開拓者はソルトレーク盆地に向かってスイート川付近を進んでいるとき,何人かの猟師に出会った。ある日,西部で最も有名な猟師であるジム・ブリッジャーに会った。ブリッジャーはブリガム・ヤングに,ソルトレーク盆地で作物は育たないと思う,もし開拓者が1ブッシェル(36リットル)でも小麦を収穫したら,1,000ドルを払うと言った。
ブリガム・ヤングはカリフォルニアやオレゴンは土壌が肥沃で作物が容易に収穫できる美しい場所であることを聞いていた。しかし,教会の敵を含めた多くの人々がすでにこれらの地域に移り住んでいることを知っていた。聖徒たちは再び迫害されることのない場所に定住する必要があった。ブリガム・ヤングは天父の助けによって,聖徒たちがソルトレーク盆地を美しい場所にすることができることを知っていた。
開拓者がロッキー山脈に到着したとき,馬と荷役用の牛は容易に前進することができなかった。山腹は非常に険しく,多くの小川や川が縦横に走っていてそれらを渡らなければならなかった。夜の気温は極端に下がり,日中は暑かった。人間にとってもこの地域は大変だった。多くの人が高山熱にかかった。このため隊は三つのグループに分かれて,小グループが最初に行って荷車が通るための道路を造り,次に大きなグループが続き,最後に病人のグループが進んだ。
1847年7月20日,偵察隊がソルトレーク盆地の真上にあたるイーストキャニオンに到着した。翌日,オーソン・プラットとエラスタス・スノーは荷車隊よりも先に馬で盆地に入った。こうして二人がソルトレーク盆地に入った最初の人となった。最初の荷車が盆地に到着したのは2日後である。開拓者は全員が集まってこの地を主に奉献した。その後,作物を植える作業に取りかかった。彼らは近くの小川をせき止めて水をあふれさせ,種をまくために土地を潤した。
ブリガム・ヤングとほかの開拓者は1847年7月24日にソルトレーク盆地に入った。ブリガム・ヤングは病状が重かったため,ウィルフォード・ウッドラフの馬車に乗せられていた。ウッドラフ兄弟は馬車の後ろを前に向けて,ヤング会長が盆地を見られるようにした。主はすでにヤング会長に対して聖徒たちが定住する場所を示現によって見せておられた。ブリガム・ヤングは長い間盆地を見つめた後,こう言った。「結構です。まさにこの土地です。さあ,行きましょう。」(B ・H ・ロバーツ,A Comprehensive History of the Church , 第3巻,224で引用)
開拓者たちはこの新しい土地に着くまでの間,主の祝福があったことを感謝した。困難な旅であったにもかかわらず命を落とした人は一人もいなかった。彼らの熱心な働きと勇気によって,ソルトレーク盆地へやってくる数千人の聖徒たちのために道が備えられた。開拓者は,自分たちがジョセフ・スミスの預言を成就して,「ロッキー山脈のただ中で力強い民になる」であろうと,感じていた(History of the Church , 第5巻,85)。
レッスンの準備に当たって,以下の質問と参照聖句を研究する。子供たちが聖文を理解し,生活に応用するうえで最も役立つと思われる質問を,採り上げる。教室で子供たちと一緒に聖句を読んで話し合えば,聖文に対する子供たち一人一人の理解力を深めるのに役立つ。
開拓者たちは西部へ向かって旅立つにあたって,どのように組織されましたか(教義と聖約136:2-3 )。彼らはなぜこのように組織されたと思いますか。それぞれの隊は何を持って行くことになりましたか(教義と聖約136:5,7 )。最初の開拓者隊の目的は何でしたか。
開拓者たちは旅の間,何をすると約束しましたか(教義と聖約136:2,4 )。なぜすべての戒めを守ることが大切だったのでしょうか。わたしたちにとってすべての戒めを守ることはなぜ大切なのでしょうか。
開拓者たちは自分たちが幸せなときに何をするよう命じられましたか(教義と聖約136:28 )。主をたたえ,主に感謝することはなぜ大切なのでしょうか。開拓者たちは悲しいときにどうするように命じられましたか(教義と聖約136:29 )。わたしたちは悲しいときにどうしたらよいでしょう。
開拓者たちの最終的な目的地はどこでしたか。彼らは西部に向かって旅をする間にどのような障害や問題に出会いましたか。これらの問題をどのようにして克服しましたか。主は彼らをどのように助けられましたか。開拓者はこれらの問題に遭遇して何を学んだでしょうか(教義と聖約136:31-32 )。
わたしたちにとって最も大切な目標は何ですか(日の栄えの王国で天父とイエス・キリストと共に住むこと)。この目標を達成しようとするときにどのような障害に出会いますか。子供たちの答えを黒板に書き出す。どうしたらこれらの障害を克服できるでしょうか。主はどのように助けてくださいますか。
あなたはほかにどのような目標を持っていますか。その目標を達成するには何をしなければなりませんか。
最初の開拓者は後に続いて来る人々のためにどのような準備をしましたか。あなたは,ほかの人々が目標を達成できるように助けるために,どのようなことができますか。あなたは幼い子供たちにとって開拓者のようになるためにはどのようにすればよいでしょうか。
以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。
厚紙かボール紙で大きな円盤を作る。その中心に穴を開けて,鉛筆か棒を通す。子供たちにウィリアム・クレイトンになって,これが荷車の車輪だと考えるように言い,車輪の横を歩かせる。
子供たちが回転した回数を数えられるように車輪に印を付けさせる。次に巻き尺で円周を測らせる。この数値を黒板に書いておく。一人か二人の子供に,車輪の中心に刺してある鉛筆を持って車輪を転がしながら,教室の壁に沿って歩かせる。ほかの子供たちは車輪の近くを歩いて回転した数を数える(子供たちの数が多ければ,クラスを二つに分けてこの活動を2回行うとよい)。
黒板の数値に回転数を掛けて,教室の内周の距離を出す。ウィリアム・クレイトンがしたように,一日中車輪の回転数を数えることがどういうことかを想像させる。
厚紙かボール紙で大きな円盤を作る(「レッスンを豊かにする活動」の1で使用したものでもよい)。円に何本かの線をひいて,幾つかの「パイ」の形になるようにする。その一つ一つに子供たちが目標にする以下のような事柄を書く。
自分の部屋をきれいにする。
知恵の言葉を守る。
学校で良い生徒になる。
楽器を演奏できるようになる。
家族を親切にする。
正直になる。
スポーツを上達させる。
毎日聖文を読む。
信仰箇条を暗記する。
円盤の中心に鉛筆を入れて,円盤が回転するようにする。一人の子供に円盤を回させ,回転が止まったときに天井を指している「パイ」に記されている目標を読ませる。その目標に向かって努力するときに出会うと思われる障害と,その障害を克服する方法について子供たちに尋ねる。子供たち全員に少なくとも1回は円盤を回す機会を与える。
この活動を終えたら,黒板に「日の栄えの王国で天父とイエス・キリストとともに住む」と書く。この目標を達成しようとするときにどのような障害に出会うと思うかについて話し合う。それらの障害を克服する方法について子供たちから意見を聞く。
数人の子供たちに,ブリガム・ヤング,ウィリアム・クレイトン,オーソン・プラット,エラスタス・スノーを含む最初の開拓者の役をさせる。一人の子供に,彼らにインタビューを行わせ,川を渡ったり,食料を見つけたり,距離を測ったり,ほかの開拓者のために情報を残したりしたときなど,旅の間に経験した問題について彼らに質問して,答えさせる。「開拓者たち」に目的地に到着するためにこれらの問題をどのように克服したかを説明させる。
1週間前に割り当てを与えて,子供たちが簡単な小道具と衣装を持ってこられるようにするとよい。
子供たちに,開拓者が遭遇した困難な状態を理解させるために,1847年4月23日に開拓者がプラット川のループフォークを渡ろうとしたときの出来事を,ウィルフォード・ウッドラフの記録から紹介する。
「わたしたち12人は馬に乗って,プラット川流域の危険でやっかいな地点であるループフォークを渡るために浅瀬を探しに出かけました。 ……
そこは川床全体の砂が浮いたようになっていて,もし馬や荷車が立ち止まったら沈んでしまうことが分かりました。中州まで行くルートは二つありました。川のいちばん深いところは90センチから120センチ,流れは速く,対岸までは約270メートルでした。所々に人や動物が足を踏み入れたらたちまち引き込まれてしまう場所がありました。もがけばもがくほど沈んでいきます。もちろん,わたしたちはそのような場所をできるだけ避けました。 ……
……わたしは2頭の牛と自分が乗っていた馬に荷車を引かせていました。荷車には約450キロの荷物が積まれていました。出発した途端,わたしはまずいことに気づきました。牛の歩く速度が遅かったのです。やがて,沈み始めました。わたしは荷台から飛び降りると,川の水は腰の高さまでありました。10人ぐらいの人々がロープを持って助けに来てくれました。ロープを牛につないで引っ張り,やっとの思いで最初の流れを渡りました。中州に着きましたが,馬と荷車が沈み始めました。」
そこで,ウッドラフ長老は荷車から荷物をボートに移して,人々と馬の力を借りて荷車を引っ張り,ようやく川を渡ることができた。ほかの荷車は別の場所から渡らざるを得なかった。その夜,ウッドラフ長老は夜明けまでの半分の時間を野営地の見張りに立つ責任を与えられた。彼はこのように言っている。「わたしはその日の午後はずっと水の中でした。そして夜の半分は濡れた服のままで見張りに立ち,そして残る半分は濡れた服のままで眠りました。」(マサイアス・F ・カウリー,Wilford Woodruff: History of His Life and Labors [Salt Lake City: Deseret News, 1909] ,268-70で引用)
「恐れず来たれ,聖徒」 『賛美歌』第17番)を歌うか,歌詞を読む。聖徒たちが大平原を横断するときにこの歌詞がどれほどの励ましとなったかについて話し合う。開拓者の旅は困難であったが,彼らは福音を愛し,福音に従って安らかに生活することを望んでいたため,喜びにあふれて旅をしたことを指摘する。
開拓者たちと,ソルトレーク盆地に教会を確立するために彼らが払った努力に対して感謝の気持ちを表す。開拓者のように,自分の目標を成し遂げ,人々を助けるために一生懸命に努力するよう子供たちを励ます。
本課の復習のため,家庭で教義と聖約136:1-5,7,28-29 を研究するよう,子供たちに提案する。
子供たちが,物語,質問,活動,家庭学習の提案などのレッスンの一部を家族と分かち合うように励ます。読書課題を家族で一緒に読んでもいい。
一人の子供に閉会の祈りをさせる。