初等協会テキストと分かち合いの時間
第41課 ソルトレーク盆地に定着する聖徒たち


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ソルトレーク盆地に定着する聖徒たち

目的

安息日を聖なる日とすることは,わたしたちが天父とイエス・キリストから受けている祝福に対して感謝を表す一つの方法であることを子供たちに理解させる。

準備

  1. モーサヤ18:23教義と聖約59:7-2146:3278:19;本課の歴史記事とを祈りの気持ちで研究する。それからレッスンを検討し,聖文と歴史記事を子供たちにどう教えるかを決める(本書「レッスンの準備」ⅵ-ⅶ,「聖文と歴史記事に基づいて教える」ⅶ-ⅷ参照)。

  2. 子供たちを参加させ,レッスンの目的を達成するのに最も役立つ「話し合いのための質問」と「レッスンを豊かにする活動」を選ぶ。

  3. 教材

    1. 教義と聖約とモルモン書(人数分)

    2. 視覚資料5-47「かもめの奇跡」(『福音の視覚資料セット』413)

レッスン

一人の子供に開会の祈りをさせる。

導入

ゲーム「わたしは何かを考えています」をする。子供たちにそれぞれが感謝している物を心の中で考えさせる。次に一人の子供に教室の前の方に来させ,考えた物に関する質問に答えさせる。あなたは必要に応じて質問に答える子供を助けられるように,答えをそっと聞いておく。

ほかの子供たちは「はい」か「いいえ」で答えられる質問をして,その子供が考えた物を当てる。(次のような質問の仕方をする。「それは生きていますか。」「それはテーブルよりも大きいですか。」「それは家の中にありますか。」「それは金属でできていますか。」)

考えた物を当てることができたら,ほかの子供を前に立たせて2,3回繰り返す。

わたしたちは受けている祝福に感謝するよう命じられていることを説明する。一人の子供に教義と聖約59:7を声を出して読んでもらう。

  • わたしたちは天父とイエス・キリストから受けている祝福についてどのように感謝の気持ちを表すことができるでしょうか。

子供たちが答えたら,一人の子供にモーサヤ18:23を声を出して読ませる。安息日を聖なる日とすることも,わたしたちが天父とイエス・キリストに感謝を表す一つの方法であることを説明する。わたしたちは安息日に天父とイエス・キリストを礼拝することによって感謝を表す。

聖文と歴史記事

最初の開拓者隊が大平原を横断してソルトレーク盆地に入った様子を簡単に復習する(第40課参照)。そして,ソルトレーク盆地で定住地を築いたことを以下の歴史記事から教える。開拓者はまだ乗り越えなければならないチャレンジがたくさんあっても,平和と安全の地に導かれたことを心から感謝した。彼らは天父とイエス・キリストに対する感謝を表すために,安息日を聖なる日として保ったことを強調する。

盆地での最初の1週間

開拓者がソルトレーク盆地に到着して最初にしたことは作物を植えることだった。時はすでに夏の終わりに差しかかっており,作物の生育期は終わっていた。来春のために種を収穫し,到着した人々の冬の間の食料と冬に入る前に到着が予定されている人々の食料を確保するには,急がなければならなかった。10の隊に分かれた1,500名の開拓者たちがソルトレーク盆地を目指して向かっていた。彼らは秋の初めには到着する予定だった。

開拓者は直ちにじゃがいもを植えた。盆地に到着して1度も食事を摂らずに農作業を始めた人々もいた。地面はすきが折れるほど固かった。このため,彼らは地面を潤し,柔らかくするために谷あいにダムを築き,水をあふれさせた。そして溝を掘って,山の小川の水を畑まで引いた。これは近代の灌漑かんがい法を実施した最古の例と言われている。ジム・ブリッジャーなどの猟師や山男たちは,ソルトレーク盆地に作物は育たないと言っていたが,開拓者は水を引くことによって収穫を挙げることができた。

開拓者の主力隊が到着して,種まきを始めたのは土曜日だった。翌日は日曜日だった。しなければならない作業はたくさんあったが,開拓者たちは仕事を休んで,礼拝を行い,彼らを盆地に導いてくださった天父に感謝を捧げた。彼らは平和に暮らすことができる場所を遂に持つことができたことを感謝した。その日曜日,ブリガム・ヤングは聖徒たちに説教で,安息日を聖なる日とすることの大切さを再確認した。ウィルフォード・ウッドラフはこのように記録している。「決して日曜日に働いてはならない。〔もし働けば,〕それによって得たものの5倍を失うと彼は兄弟たちに言った。」(カーター・E・グラント,The Kingdom of God Restored430で引用)

翌日は猛烈な忙しさだった。ブリガム・ヤングと数人の兄弟たちは住むのに最も適した場所を決めるために,地域内をくまなく歩いた。ヤング会長は同僚の兄弟たちに次のように言った。「出発前から結果は分かってます。周囲の至る所で……良い場所がたくさん見つかるでしょう。皆さんはここが最高に良い所であると満足して戻って来るでしょう。……ここはわたしたちの町を築く所なのです。」(エラスタス・スノー,“This Is the Place,” 41-42で引用)探検に出かけた兄弟たちは戻ってくるとヤング会長の言葉に賛成した。水曜日までに使徒たちは,広い道路を持ち,大きな正方形の街区ごとに分けることを中心にした市の開発計画を決定した。これは預言者ジョセフ・スミスがミズーリにシオンの町を計画する際に啓示された方法に倣ったものである。水曜日の夜にヤング大管長は人々を連れて大きな川が二つに分岐して,二つの流れに囲まれた場所へ行き,そこにステッキを立てると,「ここに神の神殿が建てられるでしょう」と言った(グラント,432で引用)。

開拓者は7月31日の土曜日に最初の建物を建てた。それは,壁はなく,柱と柱の間に雑木と小枝をわたして屋根を作っただけの小屋だった。この小屋は神殿用地付近に建てられ,礼拝と集会の場所として使用された。

開拓者たちは灌漑を続けて土地を増やし,さらに多くの作物を植えた。2週目にはとうもろこしとじゃがいもの芽が出始めた。

ブリガム・ヤングは盆地に到着してから3週間後に,ほかの開拓者グループをソルトレークへ連れてくるためにウィンタークォーターズへ引き返した。ヤング会長は最初の開拓者グループに属していた多くの男性を伴っていった。彼らが家族と一緒に旅を続けられるようにするためであった。十二使徒定員会はウィンタークォーターズ付近で,新しい大管長会について話し合うために特別な集会を開いた。そして,ジョセフ・スミスが亡くなってから3年半後にあたる1847年12月27日に,ブリガム・ヤングは大管長として支持され,第一副管長としてヒーバー・C・キンボール,第二副管長としてウィラード・リチャーズが支持された。

ソルトレーク盆地における生活

盆地内の開拓者は8月と9月の間に10エーカー(約4万平方メートル)の街区に防御柵を巡らした。この防御柵の完成によって人々は簡易住宅を建てることができただけでなく,インディアンの襲撃と冬の間の厳しい風から身を守ることができた。秋に2番目の大きな開拓者隊が到着してから,この柵は広げられた。柵の中に立てられた丸太造りの家は,柱と柱の間に雑木と泥でつくった平坦な屋根しかなかった。この屋根は秋と冬の間は何の問題もなかったが,春になって雨が降り始めると,天井から泥水がしたたり落ちてきた。オーソン・ホイットニーはこのように記している。「傘の需要が急に増えてきました。ベッドの中でも傘が必要でした。調理場に立つ主婦が左手に傘を持って泥水をしのぎ,右手でビーフステーキを裏返したり,とうもろこしがゆの鍋をかき回している姿は至る所で見ることができました。」(グラント,439で引用)ネズミも屋根の泥と小枝を好んで巣にしていた。エライザ・R・スノーは天井からネズミと泥が一緒になって落ちてくるを見て,笑いながらベッドの上で傘をさして一晩を過ごしたそうである。開拓者は春の雨がやんだときは大喜びだった。濡れたものを干すことができたからである。

盆地における最初の学校は,1847年10月に17歳の少女メアリー・ジェーン・ディルワースによって始められた。学校は防御柵内中央のテントで開かれた。いずれもいすも机も黒板もなく,生徒は丸太の上に座って授業を受けた。一人の少女が学校の初日の模様を次のように記している。「わたしたちはテントの中に入り,円陣になって丸太の上に腰掛けました。幹部の兄弟の一人がお祈りをしました。……聖書の詩篇の一節を勉強して,歌を歌いました。」(グラント,439で引用)子供たちは持っていた教科書を使って,読み書き,歌,文字,算数を勉強した。冬に入ると,学校は防御柵の片隅に建てられた丸太小屋に移った。荷車の部品を使って学校机が作られた。窓にはガラスがなかったため,子供たちはグリースを塗った布を窓枠に張り付けた。布を通して入ってくる光はほとんどなかったため,寒くてもドアは開けたままにしておくのが普通だった。それでも,子供たちは学校へ行って勉強できることを感謝した。

盆地における最初の冬が終わろうとするころ,聖徒たちの物資は底をついていた。多くの人は満足な状態の靴や衣類を持っていなかった。このため動物の皮で新しい靴や服を作っていた。やがて,春に種として使うために残しておかなければならない小麦ととうもろこし以外に食料がなくなった。ある少年は次のように言っている。「もう何か月もパンを口にしたことがありません。牛の肉,牛乳,ピッグウィード(雑草),セゴユリの球根,あざみなどを食べました。ぼくは家畜の世話をしていましたので,家畜を見張っている間,おなかがいっぱいになるまで牛のようにあざみの茎を食べました。」この少年の家族は最終的にひからびた古い荷役用の牛のなめし皮を使って,スープを作ったという(グラント,443-444で引用)。春が来て,作物は再び成長を始めた。開拓者は盆地での最初の冬を越すことができたことを感謝した。

クリケットの大群とかもめ

開拓者は春の作物の収穫を楽しみにしていた。けれども春の終わりに霜が降りて一部の作物がだめになり,干ばつが襲ってさらに被害は大きくなった。その後,クリケット(訳注-いなごのような田畑を食い荒らす,当時大量発生した新種の黒い大型の昆虫。「モルモンクリケット」)が来て,残った作物を食い荒らし始めた。開拓者は考えつくあらゆる手だてを使ってこの昆虫と戦った。ある人たちは大きな音を立ててクリケットを驚かそうとした。またある人々は作物を揺すってクリケットを追い払った。クリケットを麦わらの中へ追い込んで火をつけて焼いた人もいた。溝に追い込んでクリケットをおぼれさせた人もいた。しかし,開拓者たちがどんなことをしても,クリケットは次から次に飛んできた。木や塀の上,家の中,ベッドや衣類の中と,クリケットは至る所にいた。

開拓者たちの悩みは深刻だった。もし,クリケットがすべての作物を食い尽くしてしまったら,人々の食べる物がなくなり,餓死するしかなかった。人々は2週間にわたってクリケットと戦い,天父に助けを求めて祈った。ステーク会長はついに,特別の断食と祈りの日を定めて,聖徒たちに参加するよう求めた。当時16歳だったスーザン・ノーブル・グラントはその後に起きたことを記している(ここで「かもめの奇跡」の絵を展示する)。

「わたしたちの断食と祈りの答えが与えられたのは,夏の晴れた日の午後でした。

突然,畑……の上空を円を描いて,鳴き声を上げながら飛んでいるかもめの大群を見つけました。わたしたちは恐ろしげに空を見ていました。最初に心に浮かんだのは『また別の災難が降りかかってきた』という思いでした。灰色と白の模様をつけた鳥が何百羽と舞い降りてきました。そして何千羽となって鋭い鳴き声を発しながら,クリケットに襲いかかりました。……すると不思議なことが起こりました。かもめはクリケットをおなかいっぱいに詰め込むと,近くの小川へ飛んでいって水を一口飲み,クリケットを吐き出すと,また仲間の所へ戻っていったのです。人々はこの光景に驚いて立ち尽くしていました。わたしたちの祈りが答えられたのです。」(グラント,446で引用)

かもめは約3週間にわたって毎日やって来た。そしてクリケットがいなくなるまで食べ続けた。聖徒は奇跡的な方法で祈りが答えられたことを知った。そして,作物と彼らの命が助けられたことを感謝した。

1848年8月,聖徒たちは収穫を祝う祭典を開いて,作物を展示し,話を聞き,音楽を演奏し,ダンスを踊った。彼らはすばらしい作物を収穫できるように助けてくださった天父に感謝を捧げた。

1848年の年末時点で,ソルトレーク盆地には3,000人近い人々が住んでいた。これはノーブーに住んでいた人々の約4分の1に相当する。ブリガム・ヤングはまだアイオワにいた人々に手紙を書いて,教会はついに,平和で安全に暮らすことができる場所を見つけた,と伝えた。

盆地における最初の年は多くの苦難に出会ったが,それでも聖徒たちは大きな祝福を受けたと感じていた。彼らはチャレンジを克服して,砂漠を平和な暮らしと天父の礼拝ができる定住地に変えた。彼らは引き続き安息日を聖なる日として守ることによって,多くの祝福を与えてくださった天父とイエス・キリストに感謝を表した。

話し合いと応用のための質問

レッスンの準備に当たって,以下の質問と参照聖句を研究する。子供たちが聖文を理解し,生活に応用するうえで最も役立つと思われる質問を,採り上げる。教室で子供たちと一緒に聖句を読んで話し合えば,聖文に対する子供たち一人一人の理解力を深めるのに役立つ。

  • 感謝することについて主はどのような戒めを与えられましたか(教義と聖約59:746:32)。わたしたちは天父とイエス・キリストに感謝を表すことによってどのような祝福を受けるでしょうか(教義と聖約59:15-1978:19)。

  • 聖徒たちはソルトレーク盆地に住むことができたことをなぜ感謝したと思いますか。彼らは感謝の気持ちをどのように表したでしょうか。あなたはどのような祝福に感謝していますか(「レッスンを豊かにする活動」の2,3,4を参照)。わたしたちは天父とイエス・キリストに対してどのように感謝を表すことができますか。

  • 聖徒たちは安息日を聖なる日として保つことによってどのように祝福されたでしょうか(教義と聖約59:15-19)。安息日を聖なる日とすることがなぜ感謝を表すことになるのでしょうか(「レッスンを豊かにする活動」の2を参照)。あなたは安息日を聖なる日とすることによってどのように祝福を受けていますか。

  • 聖徒たちはソルトレーク盆地での最初の年にどのようなチャレンジと苦難に耐えたでしょうか。聖徒たちは苦難を受けているときにも感謝をすることによってどのような助けを受けたと思いますか。わたしたちは物事がうまくいっていないときでも感謝しなければならないのはなぜでしょうか。祝福を与えてくださった天父とイエス・キリストに感謝することによって,これまで受けてきた多くの祝福を思い出せることを子供たちに理解させる。それによって落胆する気持ちを抑えることができる(「レッスンを豊かにする活動」の4を参照)。

  • 開拓者はクリケットを退治するためにどうしようとしましたか。開拓者はなぜクリケットの大群がきたためにがっかりしたのでしょうか。クリケットを退治できなかったらどうなっていたでしょうか。開拓者はかもめが来たことをなぜ奇跡だと考えたのでしょうか。

  • 開拓者はクリケットの問題について助けを求めるために断食と祈りをしたのはなぜでしょうか。断食とはどういうことですか。天父は開拓者の断食と祈りに対してどのようにこたえられましたか。わたしたちは問題に出会ったときに断食と祈りによってどのように助けを受けるでしょうか(わたしたちは断食と祈りによって霊的な強さを得る。この霊的な力によって,問題を解決できるように天父の助けを求める信仰が増す)。

レッスンを豊かにする活動

以下の活動を,レッスンのどの部分でも,また幾つでも使うことができる。復習やまとめ,チャレンジに利用してもよい。

  1. 以下のエズラ・タフト・ベンソン第13代大管長の話からの引用文を使って,安息日にふさわしい活動と安息日にふさわしくない活動を,それぞれ別の紙に書き出す。紙を箱の中に入れておく。

    1. 「安息日を守ることをやめてしまった人々がたくさんいます。いや,たくさんいすぎます。今や安息日は労働の日となっているばかりでなく,……娯楽とレクリエーションの日となっています。ゴルフ,スキー,スケート,狩猟,魚釣り,ピクニック,レース,映画,劇場,球技,ダンス,そのほかの娯楽がほとんど当たり前になっています。……しかし,神は安息日を聖なる日として保つよう命じておられます。」(The Teachings of Ezra Taft Benson [Salt Lake City: Bookcraft, 1988],438)

    2. 「安息日にふさわしいこととは何でしょうか。幾つかを提案してみましょう。霊性を高める活動,……祈りの家における教会の集会,聖文,教会の歴史と伝記,中央幹部の霊感あふれる言葉を読んで霊的な知識を得る,肉体を休めながら家族と親しくなる事柄を行う,聖文からの物語を読む,……あかしを述べる,家族の一致を強める,病人や年輩者を訪問する,……シオンの歌を歌い,霊的な音楽を聴く,……個人と家族の祈りをささげる,断食を行う,家族を管理する,父親の祝福を与える,真心を込めて食事を準備する,すなわち土曜日のうちにほとんどを準備して簡単な調理を行う,などです。」(The Teachings of Ezra Taft Benson439)

    子供たちに安息日を聖なる日として保つことを理解させるために,黒板に次の標題を書く。「安息日にふさわしい活動」「安息日にふさわしくない活動」。子供たちに箱の中から順番に紙を取り出し,声を出して読ませる。そして,どちらに分類できるかを判断して,それを各標題の下に書かせる。すべての紙を読み終えたら,二人の子供にベンソン大管長の引用文を読ませる。

    教師への注意-安息日にふさわしい活動について話し合う際,クラスの子供たちの家族の状況に配慮する。教会活動にあまり活発でない両親や教会員でないの両親(または家族のだれか)を持つ子供たちは安息日にふさわしくない活動に参加するよう誘われるかもしれない。両親を軽蔑したり,両親に逆らったりしないで,子供たちに導きを求めて祈り,安息日を聖なる日とするために最善を尽くすよう励ます。

  2. 以下のスペンサー・W・キンボール第12代大管長の話からの引用文を一人の子供に読んでもらう。

    「心を尽くし,全身全霊を尽くして主を愛する人が……7日のうちの1日を感謝のために費やすことができないなどとは考えられない。……安息日を守ることは,わたしたちが天父をどれほど愛しているかを測るはかりの目盛りである。」(The Teachings of Spencer W. Kimballエドワード・L・キンボール編,[Salt Lake City: Bookcraft, 1982],218)

    安息日を聖なる日とすることがどうして天父とイエス・キリストへの愛を表すことになるのかを子供たちと話し合う。その後,子供たちを円形に座らせる。円の中を手渡しで回すための小さなボールかお手玉を用意する。ボールを受け取った子供は感謝している物を一つ言って,隣の子供にボールを渡す。7番目にボールを受け取った子供はものの名前を言う代わりに「わたしは安息日を聖なる日にします」と言う。ここですべての子供たちを立たせて,席を入れ替える。そしてこのゲームをまた始める。

  3. 子供たちが天父からどれほど祝福されているかを理解させるために,以下のゲームを行う。

    子供たちを円形に座らせる。順番に「あ」で始まる祝福を言わせる(例えば,「わたしは足を持っていることを感謝します。」,「わたしは安息日を感謝します。」など)。思いつかなくなるまで続けたら,次に「い」で始まる祝福に移る(例えば,「わたしは命に感謝します。」など)。子供たちの興味が持続するかぎり,または時間が許すかぎり五十音を先へ追って行く(恐らく五十音すべてはできないであろう)。

  4. 以下のN・エルドン・タナー元副管長の話からの引用文を教師が読むか,一人の子供に読んでもらう。

    「わたしたちは多くの祝福に感謝するときに,主がこれまでに何をしてくださったかということを考えるようになります。そして,さらに感謝の気持ちを強くします。」(Conference Report,1967年10月,54;Improvement Era1967年12月,42)

    「み恵み数えあげ」『賛美歌』153番)を歌うか,歌詞を読む。その後,全員に紙と鉛筆を配り,3分以内にできるだけ多くの祝福を紙に書かせる(子供たちが集中できる時間に合わせて調整する)。子供たちに書き出した祝福を発表してもらう。お互いにリストを比べて,重複している祝福に線を引いて消すように言うとよい。ほかの子供が書いていない祝福がどれほどあるかを指摘し,わたしたちは数え切れないほどの祝福を受けていることを強調する。

  5. 子供たちに教義と聖約59:7を暗記させる。

  6. 「開拓者の子供」(『子供の歌集』137),「土曜日」(『子供の歌集』105),「わたしのような小さな子でも」(『子供の歌集』14),「神様ありがとう」(『子供の歌集』9)のうち,1曲か2曲を歌うか,歌詞を読む。

まとめ

あかし

ソルトレーク盆地に教会を築くために犠牲をささげた人々に対する感謝の気持ちを表す。安息日を聖なる日とすることは,天父とイエス・キリストに対して感謝を表す一つの方法であることを子供たちに理解させる。あなたは安息日を聖なる日とすることによって,自分がどれほど祝福されてきたかを話す。

どのようにすれば安息日を聖なる日とすることができるかについて,子供たちに家族と話すように奨励する。

読書課題

本課の復習のため,家庭で教義と聖約59:7-1978:19を研究するよう,子供たちに提案する。

家族との分かち合いの提案

子供たちが,物語,質問,活動,家庭学習の提案などのレッスンの一部を家族と分かち合うように励ます。読書課題を家族で一緒に読んでもいい。

一人の子供に閉会の祈りをさせる。