悔い改めたとき,またほかの人が悔い改めるのを手伝ったときにもたらされる喜びを生徒に理解させる。
-
以下の聖句を読み,内容について深く考え,祈る。
-
ルカ15:1-10。イエスは失われた羊のたとえと銀貨のたとえによって,人の大切さを教えられる。
-
ルカ15:11-32。イエスは放蕩息子のたとえによって,天父は悔い改める者を喜んでお赦しになることを教えられる。救い主はまた,弟子たちに赦さなければならないことを教えられる。
-
ルカ17:11-19。イエスによってらい病を癒された男が,感謝を表すために戻って来る。
-
そのほかの読書課題:マタイ18:11-14。
-
「放蕩息子」(『福音の視覚資料セット』220)と「10人のらい病人」(『福音の視覚資料セット』221)を入手できれば,レッスンで使用する。
-
教えるための提案:耳を傾けている人々が教えられた原則を応用することを奨励するために,イエスは質問という手法をしばしば取っておられる(マタイ16:13-16;ルカ7:41-42参照)。生徒を話し合いに参加させ,教えられた原則を理解して応用させるのに役立つ質問を祈りをもって準備する(『教師,その大いなる召し』単元E「16.考えさせる質問」112-113および単元F「7.適切な質問を用いて福音を教える」142-143参照)。
以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。
ふつつかな僕のたとえを読んで,話し合う(ルカ17:5-10)。
-
イエスは弟子たちが「わたしたちの信仰を増してください」と願ったときに,このたとえをされました(ルカ17:5)。わたしたちの信仰を増す方法について,このたとえから何を学べるでしょうか。(主に対して熱心に仕えることによって信仰を増すことができるなどの答えが考えられる。)
-
主が命じておられるすべてのことを行ったとしてもわたしたちはなおふつつかな僕であるのはなぜでしょうか(モーサヤ2:20-25参照)。これは主がわたしたちを愛しておられることをどのように表しているでしょうか。
ぶどう園の労働者のたとえを読んで,話し合う(マタイ20:1-16)。
1時間働いた人も一日中働いた人と同じ賃金を受け取ったことを強調する。主の業においてだれが最も多くの報酬を受けるか,あるいはだれが最も働いたかということに心を奪われてはならない。あらゆることについて完全な裁きを行う御方は,憐れみをもってわたしたちを裁き,「相当な賃金を」(マタイ20:4,7)支払ってくださる。
『「新約聖書」ビデオ・プレゼンテーション』(53914 300)の「新約時代の習慣」の第4部は,『新約聖書』の時代にらい病人がどのような目で見られていたかを説明し,キリストによって癒された10人のらい病患者にとってそれがどれほど大きく,また人生を変える祝福であったかを説明するうえで役立つ。
さらにこの第4部は,『新約聖書』の時代のユダヤ人が用いていた時の計算方法についても明らかにしている。ぶどう園の労働者のたとえについて話し合うのであれば,「9時ごろに出て」行き,12時ごろと3時ごろに出ていった主人について生徒によく理解させるために(マタイ20:3,5-6),この第4部を見せるとよい(「教えるためのそのほかのアイデア」の2参照)。