イエス・キリストの贖罪があるために,赦し,平安,永遠の命を受けることができる,という生徒たちの証を強める。
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ゲツセマネの園における救い主の様子について述べた以下の聖句の内容について深く考え,祈る。マタイ26:36-46;マルコ14:32-42;ルカ22:39-46
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そのほかの読書課題:2ニーファイ2:5-8;アルマ7:11-14;34:8-16;42:1-31;教義と聖約19:15-24;『聖句ガイド』「贖い;贖う」の項,8;「ゲツセマネ」の項,97。
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もし「ゲツセマネで祈られるイエス」(『福音の視覚資料セット』227)の絵が入手できれば,レッスンの中で用いる。
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贖罪に関する好きな聖句を読んだり,好きな賛美歌の歌詞の一部を引用したりすることにより,イエス・キリストの贖罪についてどう思うかを短く話す準備をしておくように何人かの生徒に頼んでおく。
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教えるための提案:主は次のように言われた。「わたしの言葉を告げようとしないで,まずわたしの言葉を得るように努めなさい。」(教義と聖約11:21)聖典を使って効果的に教えるには,毎日聖文を研究し,その内容について深く考える必要がある。聖文が持つ力とその真実性に対する自分の証を常に養う(『教師,その大いなる召し』単元A「7.『わたしの教義を確実に知る』」10;単元E「7.聖文を生かす」91-92参照)。
以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。
『「新約聖書」ビデオ・プレゼンテーション』(53914 300)の第5部「新約時代の習慣」の中で,ゲツセマネとは「オリーブしぼり」の意味であると説明している。このビデオの第5部を上映する場合は,ゲツセマネという言葉が,救い主がわたしたちの罪を引き受けられた園の名としてどういう意味で適切だと思うかについて話し合う。
ボイド・K・パッカー長老はあるたとえを用いて,わたしたちが悔い改めて戒めに従うなら,イエス・キリストの贖罪がわたしたちを罪から解放してくれることについて教えた。贖罪の必要性を理解できるよう生徒を助けるために,このたとえを用いるとよい。このたとえは以下の資料にも掲載されている。
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『福音の原則』68-71ページ
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『「モルモン書」ビデオ・プレゼンテーション』(53911 300)の第5部「仲保者」
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ボイド・K・パッカー「仲保者」『聖徒の道』1977年10月号,486-488ページ