第6課
「彼らはすぐに網を捨てて,イエスに従った」
目的
使徒たちはイエス・キリストの特別の証人として召されていること,わたしたちは使徒たちを支持し従うときに祝福を受けることを生徒に理解させる。
準備
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以下の聖句を読み,内容について深く考え,祈る。
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ルカ4:14-32。イエスはナザレの会堂で教え,御自分がイザヤの預言したメシヤであることを証される。人々は怒ってイエスを受け入れない。
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ルカ5:1-11,27-28;6:12-16。イエスは十二使徒を召される。
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マタイ10。イエスは十二使徒を聖任し,指示を与えた後,福音を宣べ伝えるために彼らを遣わされる。
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そのほかの読書課題:イザヤ61:1-2;マタイ4:18-22;マルコ1:16-20;3:13-19;6:7-13;ルカ9:1-6;12:1-12;教義と聖約107:23-24,33-35,39,58;『聖句ガイド』「使徒」の項,120-121。
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以下の教材を準備できれば,レッスンで使用する。「漁師への召し」(『福音の視覚資料セット』209)または「イエスと漁師」(『福音の視覚資料セット』210);「使徒たちを聖任されるキリスト」(『福音の視覚資料セット』211);現在の十二使徒定員会の写真(『聖徒の道』最新の大会特集号から)
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教えるための提案:クラスの生徒の名前を覚えて使う。こうすることによって,生徒は教師が生徒一人一人に対して関心を持っていることを知る。教師は生徒の名前を覚えていると,名指しで質問をすることによって話し合いに多くの生徒を参加させることができる(『教師,その大いなる召し』単元E「16.考えさせる質問」112-113参照)。
レッスンの展開
導入
適切であれば,以下の活動または教師が考えた活動をレッスンの始めに行う。
一人の生徒にモーサヤ27:31の前半を読んでもらう(「神であられることを告白します」まで)。イエス・キリストの再臨のときにすべての人はイエスが救い主であられると認めることを説明する。けれども最初の降臨のときはそうではなかった。ユダヤ人は何世紀にもわたって救い主の降臨に関する預言を研究してきたが,イエスの教えを聞いた多くのユダヤ人はイエスが救い主であられることを認めることができなかった。ユダヤ人がメシヤに期待していたのは,ローマ人の支配から自分たちを解放することであったが,イエスはそのようにされなかったため,彼らの多くはイエスとイエスの教えを受け入れなかった。
本課の前半では,イエスが御自分こそ,人々が長年待ち焦がれていたメシヤであると初めて宣言されたときに起こった出来事について学ぶことを説明する。後半では,教えを宣べ伝えるためにイエスが使徒たちを召されたことについて学ぶ。
聖句を使った話し合いと応用
以下の聖句について教えるに当たって,イエス・キリストが救い主であられることを知ること,また使徒たちに従うことによってもたらされる祝福について話し合う。
1.イエスは御自分がメシヤであることを明らかにされる。
ルカ4:14-32について話し合う。選んだ箇所を何人かの生徒に読んでもらう。イエスはナザレの会堂で奉仕をしておられたときに,聖句を読んで,解説するよう求められたことを説明する。
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一人の生徒にルカ4:16-19を読んでもらう(18-19節はイザヤ61:1-2からの引用であることを指摘する)。この聖句はどのようなことを指しているでしょうか(メシヤが行われることを説明した預言である。第1課参照)。
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イエスはイザヤ書からの聖句を朗読し終えたとき,どのような証を述べられたでしょうか(ルカ4:21参照。イエスは御自分こそイザヤが預言し,ユダヤ人が何世紀にもわたって待ち望んでいたメシヤであることを宣言された)。イエスの宣言を聞いた会堂の人々はどのような反応を示したでしょうか(ルカ4:22-29参照)。
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会堂の人々はなぜイエスをメシヤとして受け入れられなかったと思いますか(ルカ4:22参照。彼らはイエスを知っており,イエスが成長される過程をよく見ていたため,自分たちが期待していた偉大なメシヤであるとは考えられなかったというような答えが考えられる)。今日,ある人々がイエス・キリストを受け入れられないのはなぜだと思いますか。わたしたちはイエスがキリストであることの証をどうすれば強めることができるでしょうか。
2.イエスは十二使徒を召される。
ルカ5:1-11,27-28;6:12-16から選んだ箇所を読んで,話し合う。「イエスと漁師」の絵と現在の十二使徒の写真を見せる。聖句について話し合うときに,十二使徒はイエス御自身がナザレの会堂でなさったと同じこと,すなわちイエスがメシヤであり,救い主であられることを宣言するために召されていることを,生徒に理解させる。
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シモン・ぺテロ,ヤコブ,ヨハネはイエスが来られたとき,何をしていたでしょうか(ルカ5:1-2参照)。イエスはもし彼らが従って来るならば,彼らの生活が変わることについてどのように語られたでしょうか(ルカ5:10参照)。あなたはイエス・キリストに従うことを決意してから,人生がどのように変わってきたでしょうか。
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ぺテロ,ヤコブ,ヨハネは網いっぱいの魚をとる奇跡を経験しましたが,この奇跡は彼らが「人間をとる漁師」になることをどのように予告していたでしょうか(マルコ1:17)。生徒に以下の節について考えさせる。
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ルカ5:1-11で,イエスはぺテロ,ヤコブ,ヨハネを御自分の弟子として召されたことを指摘する。後に彼らは使徒に召される。黒板に「弟子」と「使徒」と書く。弟子と使徒の違いは何でしょうか。
弟子とはイエス・キリストに従う人という意味であることを説明する(『聖句ガイド』「弟子」の項,176)。使徒はキリストの特別の証人として召された弟子である(教義と聖約107:23)。「使徒」という語には「遣わされた者」という意味がある(『聖句ガイド』「使徒」の項,120-121)。十二使徒定員会の会員はイエスが全人類の救い主であり贖い主であられることを世界に証するために遣わされる。
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使徒たちを召すことはイエスにとってなぜ大切だったのでしょうか(マタイ9:36-38;16:19;マルコ3:14-15;ヨハネ20:19-21,23;エペソ4:11-15参照。彼らはイエスを助けて福音を宣べ伝え,教会を導き,イエスが去られた後も神権の権能を継承する使命を帯びていた)。今日,主が使徒たちを召されることはなぜ大切でしょうか。
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イエスは最初の十二使徒をどのようにして選ばれましたか(ルカ6:12-13参照)。イエスは御自身でどのような準備を整えてから,彼らを召されたでしょうか。これは現在,使徒が召されたり,人々が教会のほかの職で働く召しを受けたりする場合の手順とどのような点で共通しているでしょうか。(教会の指導者は,主がそれぞれの召しにだれが就くことを望んでおられるかを知るために祈り,霊感を求めている。)
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イエスが使徒に召された人々の背景と性格について,聖典にはどのように記されているでしょうか(ルカ5:5,8,11,27-28参照。彼らは教導の業に携わるための正式な訓練を受けていなかったが,謙遜,従順で,熱心に働き,主に従うためにどのような犠牲もいとわない人たちだったというような答えが考えられる)。これは,主に仕える者としてふさわしくなるための方法について,どのようなことを示唆しているでしょうか(教義と聖約4:3,5-6;信仰箇条1:5も参照)。
3.イエスは十二使徒を聖任し,指示を与えられる。
マタイ10から選んだ箇所を読んで,話し合う。「使徒を聖任されるキリスト」の絵を見せる。
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イエスは十二使徒を召した後,彼らに神権の力を与え,そして責任について指示を与えられました。マタイ10に記されているイエスの教えから,使徒に与えられた力と責任についてどのようなことを学ぶことができるでしょうか(生徒の答えを黒板に書き出す。以下のような答えが考えられる)。
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彼らは霊的,肉体的な病を癒す力を持っている(1節)。
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彼らは天の王国が近いことを宣べ伝えるためにイスラエルの失われた羊のもとへ遣わされる(6-7節)。
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彼らは人々を祝福し,癒すために神権の力を行使する(8節)。
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彼らは福音を聞く準備ができている人々を捜し出す(11-14節)。
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彼らは御霊の導きによって教える(19-20節)。
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彼らは救い主の業のために全生活を投げ出す(39節)。
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最初の使徒に与えられた力と責任と,末日の使徒に与えられている力と責任の間にはどのような共通点があるでしょうか(教義と聖約107:23,33,35;112:14,19-22,30-31参照)。あなたは末日の使徒がこれらの責任を果たす姿を目にしたことがあるでしょうか。
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使徒たちに従う者にはどのような祝福が約束されているでしょうか(マタイ10:40-42参照;教義と聖約124:45-46も参照)。
スペンサー・W・キンボール長老はこのように述べている。「主が御自身の教会に置かれた中央幹部に対して,忠実な教会員は決して道を踏み外すことはありません。この教会は道を外れることがありません。十二使徒定員会は決して皆さんをわき道へ導くようなことをしません。そのようなことは過去にも将来にわたってもありません。」(Conference Report『大会報告』1951年4月,104)
結び
イエス・キリストはまことのメシヤであられること,十二使徒はキリストの特別な証人であることを証する。あなたが使徒の勧告に従うことによって祝福を得た経験を分かち合うとよい。
教えるためのそのほかのアイデア
以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。
1.現在の十二使徒
現在の十二使徒の写真を見せて,生徒に彼らの名前を覚えさせる。以下のクイズを行ってもよい。
生徒全員に紙と鉛筆を配り,紙に1から12までの番号を書かせる。名前を明かさずに十二使徒の写真を1枚ずつ見せて,正しい先任順に従って番号の横に名前を書かせる。全員の写真を見せたら,正しく答えられたかどうかを検討する。
2.最初の十二使徒
生徒に最初の十二使徒の名前を覚えさせる(マタイ10:2-4)。以下の解説を自分の言葉で述ベて,使徒たちが聖典の中でどのように呼ばれていたかを生徒に理解させる。
ヤコブという名の使徒は二人いた。ゼべダイの子ヤコブとアルパヨの子ヤコブでした。シモンと呼ばれていた使徒も二人いた。シモン・ぺテロと熱心党とも呼ばれていたカナン人のシモンだった。ユダも二人いた。(レバイ・タダイとも呼ばれた。)ユダとキリストを裏切ったイスカリオテのユダだった。マタイはルカ5:27-28でレビと呼ばれている。トマスはデドモとも呼ばれた。これは双子という意味である。マタイ,マルコ,ルカの福音書で使徒と呼ばれているバルトロマイはヨハネの福音書でナタナエルと呼ばれている人と同一人物であると考えられている。
3.「わたしよりも父または母を愛する者は,わたしにふさわしくない。」(マタイ10:37)
生徒にマタイ10:35-38を黙読させる。
4.ビデオ・プレゼンテーション
『「新約聖書」ビデオ・プレゼンテーション』(53914 300)の「新約時代の習慣」から最初の部分を見せるとよい。ここでは,イエスが御自身を油注がれた者またはメシヤと呼ばれた意味(ルカ4:18)に関して,また「会堂での礼拝」ではイエスが使徒たちに命じられた財布も袋も持たずに福音を宣べ伝えることの意味(マタイ10:9-10)に関する情報が明らかにされている。