救い主の復活と,それがわたしたちにもたらした数々の祝福に対して感謝の気持ちを感じることができるように,生徒を助ける。
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以下の聖句を読み,内容について深く考え,祈る。
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マタイ28:1-15;ルカ24:1-12;ヨハネ20:1-10。マグダラのマリヤとほかの女性たちがイエスの墓に行くと,墓は空になっている。天使が,イエスはよみがえられたと彼女たちに告げる。ぺテロとヨハネも墓へ行き,空になっているのを確かめる。よみがえられた主が,女性たちに御姿を示される。
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ルカ24:13-35。エマオへの道で,イエスは二人の弟子と一緒に歩き,語られる。彼らはイエスが自分たちのためにパンを割いてくださるときまで,それが主であることに気づかない。
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マタイ28:16-20;ルカ24:33-53;ヨハネ20:19-31。イエスは使徒たちに現れて御自分が復活されたことを示し,福音をもろもろの国民に宣べ伝えるように命じられる。トマスはイエスの手と足とわきの傷に触れる。
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ヨハネ21。イエスはテべリヤの海辺(ガリラヤの海辺)で,御自身をまた弟子たちに現される。イエスはぺテロに「わたしの羊を飼いなさい」と命じられる。
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そのほかの読書課題:マルコ16;『聖句ガイド』「復活」の項,231-232。
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一人の生徒に,エマオへ行く途中のイエスと二人の弟子の話を要約するように依頼する(ルカ24:13-32)。
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以下の絵が入手できる場合は,レッスンの中で使用する。「イエスの埋葬」(『福音の視覚資料セット』231);「イエスの墓」(『福音の視覚資料セット』232)あるいは「開かれたた墓」(『福音の視覚資料セット』245);「マリヤと復活された主」(『福音の視覚資料セット』233);「傷跡をお見せになるイエス」(『福音の視覚資料セット』234);「復活されたイエス・キリスト」(『福音の視覚資料セット』239)
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教えるための提案:主がぺテロに与えられた「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21:16-17)という戒めは,すべての教師に当てはまるものである。聖文という霊の糧を,生徒たちが魅力あるものと感じ,それをよく味わいたいと思うようにするための方法を,祈りをもって考える(『教師,その大いなる召し』単元A「1.大いなる召し」3参照)。
以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。このアイデアをレッスンに取り入れてもよい。
レッスンの最後に小人数のグループで「主はよみがえりぬ」(『賛美歌』114番)あるいは「主はよみがえりぬ(アレルヤ)」(『賛美歌』115番)を歌う割り当てをしておく。
ヨハネによる福音書は,復活の直後に,主が御自身をマグダラのマリヤに現されたことを記録している唯一の福音書であることを指摘する。一人の生徒に,ヨハネ20:11-18のその話を読んでもらう。生徒たちに,この出来事についてどのように考え,どのように感じるかを話してもらう。
『モルモン書』と『教義と聖約』の中には,復活に関するわたしたちの理解を深めてくれる聖句がある。時間の許す範囲内で,以下の項目のできるかぎり多くについて話し合う。
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イエスは最初によみがえられた御方である(2ニーファイ2:8)。またイエスがよみがえられたために,すべての人が復活するようになった(2ニーファイ9:22;アルマ11:42,44)。
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イエス・キリストに続いて,まず日の栄えを受ける人々が復活し,それに続いて月の栄えを受ける人,そして星の栄えを受ける人が復活する。最後に復活するのが滅びの子である(教義と聖約88:96-102)。
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復活するとき,わたしたちの霊は完全な肉体と再結合し,二度と分離しない(アルマ11:43,45)。
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わたしたちがこの世において得る知識や英知は「復活の時にわたしたちとともによみがえる。」(教義と聖約130:18-19)
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死者の霊は肉体からの分離を一つの束縛と考えている。復活はわたしたちに満ちみちる喜びを得させてくれる(教義と聖約138:12-17,50)。