教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:アルモン・バビット


「教義と聖約の歴史的リソース:アルモン・バビット」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「アルモン・バビット」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

アルモン・バビット

(1812-1856年)

アルモン・バビットはマサチューセッツ州チェシャーで生まれました。1830年ごろにバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となり,1831年と1833年にニューヨークで伝道し,1833年の終わりにジュリア・アン・ジョンソンと結婚しました。1834年にはイスラエルの陣営のミズーリ州への遠征に参加し,1835年には七十人第一定員会の一員に任命されました。1835年12月に会員資格を剥奪されましたが,翌月には会員資格を回復されました。1837年から1838年にかけて,アッパー・カナダで伝道し,1838年には末日聖徒の一団を率いてカナダからミズーリ州に向かいました。1839年,バビットは教会に反対するあらゆる報告書や出版物を集めるよう任命されました。翌年,オハイオ州カートランドステークの会長に任命されました。1840年と1841年に再び会員資格を剥奪されましたが,1843年にイリノイ州レイマスで会員資格を回復し,管理長老に任命されました。1844年には五十人評議会の一員として認められ,1846年にはノーブーにおける教会の財政と実務の責任を持つ5人の評議員の一人に任命されました。ノーブーの戦いに参加し,この戦いで,ノーブーに残っていた聖徒たちは強制的に追放され,1846年9月に降伏条約に署名しました。1849年,バビットは後にユタ準州となる地に移り住み,そこで1854年に教会から破門されました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約124章