教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:シドニー・リグドン


「教義と聖約の歴史的リソース:シドニー・リグドン」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「シドニー・リグドン」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

シドニー・リグドン

(1793-1876年)

シドニー・リグドンの写真

シドニー・リグドン,約1873年,写真/アービング・サウンダーズ,Fox and Symons Studioにより複製,教会歴史図書館,PH 4192

シドニー・リグドンは1793年,ペンシルベニア州セントクレアで生まれました。1820年にフィービー・ブルックスと結婚しました。1830年11月にオハイオ州ジアーガ郡で末日聖徒イエス・キリスト教会に加わる以前は,バプテスト派の牧師でした。シドニー・リグドンはジョセフ・スミスの筆記者となり,1831年にミズーリに同行するよう任命されました(教義と聖約52:3)。1832年,リグドンはジョセフ・スミスの顧問の一人に任命され,共同商会(教義と聖約82:11)の一員にも任命されました。1833年,リグドンとフレデリック・G・ウィリアムズは,大神権の大管長会におけるジョセフ・スミスの顧問として,「この最後の王国の鍵を持つことに関して」ジョセフ・スミスと「等しいと見なされ」ました(教義と聖約90:6)。リグドンは1838年12月から1839年2月に保釈されるまで,ジョセフ・スミスとほかの末日聖徒とともにミズーリ州リバティーの監獄に拘束されました。1839年,ジョセフ・スミスとともにワシントンDCに趣き,ミズーリ州で末日聖徒が受けていた不当な扱いを是正してもらおうとしましたが,首尾よくいきませんでした。リグドンは後に,イリノイ州ノーブーの新たな地に定住した聖徒たちの本体に加わりました。ジョセフ・スミスが殉教した後,リグドンは教会を導く権利を主張しました。その後,1844年に破門され,ペンシルバニア州ピッツバーグで自分の教会を設立しました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約35章36章37章40章41章42章44章49章52章53章55章58章60章61章63章70章71章73章76章78章82章90章93章100章102章103章104章111章112章115章, 124章