「教義と聖約の歴史的リソース:ハイラム・スミス」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
「ハイラム・スミス」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
ハイラム・スミス
(1800-1844年)
ハイラム・スミスはジョセフ・スミス・ジュニアの兄で,バーモント州タンブリッジで生まれました。1826年にジェルーシャ・バーデンと結婚しました。1829年6月にジョセフ・スミスからバプテスマを受け,モルモン書の八人の証人の一人となりました。スミスは1830年4月6日に組織された末日聖徒イエス・キリスト教会の最初の6人の会員の一人でした。初期に与えられた啓示の幾つかは,彼に向けられたものでした(教義と聖約11章;23章)。1831年,聖徒たちとともにオハイオ州カートランドに移住しました。1831年から1832年にかけて伝道に出るよう,啓示によって召されました(教義と聖約52:8;75:32)。1834年には,イスラエルの陣営の一員としてオハイオ州からミズーリ州まで行軍しました(教義と聖約103:39参照)。
1837年に最初の妻が亡くなって間もなく,メアリー・フィールディングと結婚しました。また1837年には,大管長会第二顧問に任命されました(教義と聖約115:1参照)。1838年にミズーリ州に移住しました。その冬,ジョセフ・スミスやほかの人々とともにミズーリ州リバティーの監獄に投獄されました。その後,イリノイ州ノーブーに移り住みました。
ハイラムは1840年,父の後を継いで教会の祝福師となりました。1841年1月,啓示により,ハイラムは顧問の職から解任され,大管長会の預言者,聖見者,啓示者に指名されました(教義と聖約124:91–96)。ハイラムは1844年6月,イリノイ州カーセージで弟とともに殉教しました(教義と聖約135章)。ハイラムは,息子のジョセフ・F・スミスが1918年の啓示(教義と聖約138:53)の中で霊界で見た注目すべき人々の中にいました。
教義と聖約の中の参照聖句