「教義と聖約の歴史的リソース:オーソン・ハイド」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
「オーソン・ハイド」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
オーソン・ハイド
(1805-1878年)
オーソン・ハイドは,1805年にコネティカット州オクスフォードで生まれました。1831年10月にオハイオ州カートランドでバプテスマを受け,間もなく大祭司に聖任されました。1832年,啓示により召されると(教義と聖約75:13),サミュエル・スミスとともにアメリカ東部で教えを宣べ伝えました。その後カートランドに戻り,預言者の塾に参加し,ジョセフ・スミスとその顧問の書記に任命され,カートランド高等評議会の一員になりました(教義と聖約102:3)。1834年,ハイドは啓示により,イスラエルの陣営の遠征のための資金と人員を集めるよう任命されました(教義と聖約103:40)。同年,イスラエルの陣営に加わって,オハイオ州からミズーリ州まで行進しました。同じ年に,マリンダ・ナンシー・ジョンソンと結婚しました。1835年,ハイドは十二使徒定員会の会員に聖任されました。1836年から1838年までの間,ニューヨーク,アッパーカナダ,イングランドで伝道し,その後ミズーリ州ファーウェストに移り住みました。ハイドは1839年5月に十二使徒定員会から除名されましたが,翌月,地位を回復されました。1840年から1842年にかけて,アメリカ東部やヨーロッパで伝道し,教えを宣べ,ユダヤ人の集合のためにパレスチナを奉献しました。その後,イリノイ州ノーブーに移り住みました。1846年から1847年にかけて再びイギリスで伝道し,1852年,ユタ準州に移りました。
教義と聖約の中の参照聖句