教義と聖約の歴史的リソース:ウィリアム・E・マクレリン 『教義と聖約の歴史的リソース』(2025)
ウィリアム・E・マクレリン 『教義と聖約の歴史的リソース』(2025)
ウィリアム・E・マクレリン
(1806-1883年)
ウィリアム・E・マクレリンは1806年,テネシー州スミス郡で生まれました。1831年夏,ミズーリ州ジャクソン郡でバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会に加わり,その後オハイオ州ハイラムに赴き,初めてジョセフ・スミスに会いました。そこで,ジョセフ・スミスはマクレリンが抱いていた5つの疑問の答えとなる啓示(教義と聖約66章)と,マクレリン,オーソン・ハイド,ルーク・ジョンソン,ライマン・ジョンソンに授けられた啓示を口述して書き取らせました(教義と聖約68章)。二度の短い伝道の後,マクレリンと妻のエメリン・ミラーはミズーリ州インディペンデンスに移住しました。1832年12月,マクレリンは教会から破門されました。その理由は不明です。しかし,マクレリンは即座に会員としての地位を回復されたようで,ミズーリ州とイリノイ州に伝道に向かうパーリー・P・プラットに同行するよう召されました。1835年,マクレリンは十二使徒定員会の一員に聖任されました。1838年,再度破門され,その後,教会から離反した人が率いる様々な宗派と交わりました。
教義と聖約の中の参照聖句