教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:ドン・カーロス・スミス


「教義と聖約の歴史的リソース:ドン・カーロス・スミス」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「ドン・カーロス・スミス」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

ドン・カーロス・スミス

(1816-1841年)

ジョセフ・スミス・ジュニアの兄弟であるドン・カーロス・スミスは,1816年にバーモント州ノーウィッチで生まれました。1830年6月,ニューヨーク州セネカレークでバプテスマを受け,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になりました。翌年の8月,父のジョセフ・スミス・シニアとともに,ニューヨーク州セント・ローレンス郡にいる祖父アサエル・スミスの家族のもとへ伝道に行きました。1831年5月,ドン・カーロスはオハイオ州カートランドに移り住み,カートランドの印刷所で働きました。1835年にアグネス・モールトン・クールブリスと結婚しました。翌年,大祭司に聖任され,カートランド大祭司定員会の会長に任命され,ペンシルベニア州とニューヨーク州で伝道しました。1838年にはバージニア州,ペンシルベニア州,オハイオ州,またケンタッキー州とテネシー州で伝道しました。1839年,スミスとほかの末日聖徒たちはミズーリから追放されてイリノイ州コマース(後にノーブーと改名)に移住することを余儀なくされました。スミスはそこで大祭司長に任命されました。1839年から1841年まで,教会の新聞「タイムズ・アンド・シーズンズ」の編集と発行を手伝いました。また,市内でいくつかの公的な役職を歴任しました。1841年,ノーブーで亡くなりました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約124章